駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

活字中毒 重症ではなかったが

2008年12月16日 | 身辺記
 自分はかなり重症な活字中毒と思っていた。外で昼飯の時など、チャーハンやオムライスが出てくるまでのたかだか数分でも、何かを読んでいたい。何もなければメニューを隅から隅まで読んで我慢することもある。連れ合いはあまりいい顔をしない。トイレで新聞を読んでいたりすれば、大目玉を食らう。
 しかしブログを見始めて、自分より相当重症の活字中毒者がたくさん居るのを知って、安心?した。残念ながら、儂よりもっと凄い人達がいるというのは言い訳にならず、全国あるいは全世界の活字中毒者も同罪のようだ。
 ブログを書かかれる人達は、活字中毒とまではいかなくても、読んだり書いたりが好きそうなので、食事中の新聞など許せる?いややっぱり注意を受けていたりするのかな。
 しかし世界は広く、ぎょっと驚く読書家が沢山居るものだ。毎日一冊読む人もいるようで、お仕事は?と聞きたくなる。量も凄いのだが、硬軟、文理何でもござれという人達にも感心する。どういう頭の構造になっているのだろうか?
 そんなわけで、自分の活字中毒は重症ではないとわかったのだが、年のせいか、買ってきても読まず、積ん読本が増えた。これは活字中毒の老化症状らしい。日曜の書評欄で褒めてあるとつい買ってしまう。特にネットで買うのは要注意だ。本屋だと数ページ読んでどうも自分に合わないなと思い留まることが出来る。それに実際、お札を財布から出すとなると抑制が掛かる。
 幸い、どの本は読んだなどと印が付いていないから、連れ合いがあきれるだけで済んでいる。読んでないのが知れたらまたお小言が増えそうだ。
コメント (2)
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