駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

マナーが開く道

2008年12月27日 | 世の中
 社会が円滑に機能するにはマナー(行儀作法)が浸透していることが最も重要だろう。目に余るからと法律に訴えてはギスギスと嫌な音がして楽しくない社会になる。もう既になりかけている。もっと進めば荒んだ寒々とした社会が待っている。 どうすればよいか。
 イギリスに派遣された商社員、一軒家を借りた。隣の芝生があんまり綺麗なので、どうすればそうなるか隣人に尋ねた、「そうだな、毎日水やって毎週草取りをして芝刈りをするだけだよ」。「え、そんなんで」。「そうさな、7,80年も続ければこうなるよ」。
 どうすればよいかは、儂が儂ので侃々諤々となり、まとまるのは容易ではなさそうだ。しかし、実行継続することはもっと難しいだろう。それでもと云いたいが、率先すべき紳士淑女や地の塩と云うべき人々が払底し始めているようで遺憾なあ。
 風邪は人に感染させれば治るという質の悪い俗説がある。感染させるなら小金持ちで偉そうな町医者に限るというわけではないと思うが、あーんと喉を見せてと云うと 途端に私の顔めがけて咳き込む患者さんが居る。ブッシュに負けず身をかわすのだが、一人二人ならともかくそう言う患者さんが毎日十人近くいると避けきれないこともある。若い人はマナーがなっとらん、しょうがないなあと思っていると、稀ではあるが黄色い歯が数本残った清潔とは云えない爺さんが臭い息を吹きかけてくれる。いいかげんにしてれと席を立ちたいところだが、そうも行かず苦笑いをしている。お陰様で新型以外のウイルスには抗体ができているらしくあまり風邪を引かない。
 聴診するので胸を出してというと、服を前に少し持ち上げ手が入る隙間を作る女性が居る。若い人に多いのだが、それでは十分な診察が出来ない。胸のふくらみを見せたくないのかもしれないが、それでは何処から山が始まるのか分からないのでかえって指が触れたりすることになる。看護婦が付いている時はそういう患者の場合、有無を云わさず横からこれでもかとしっかり服を上げてしまう。上げにくい服は脱がしてしまう。看護婦が付けない時はちゃんと服を上げるように頼むのだが、感じの良い反応ばかりではない。何でと言われても、診察しにくいからに決まっているだろう。同業批判になるが、きちんと診察しない医師が増えてきているせいもあるのだ。当院は妥協しないぞ。隗より始めよって言うからな。
 
 

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