又寒くなった。数日来の温暖な陽気で桜の開花宣言が出た所もある。駅への道すがら校庭の桜が数輪咲いているのを見つけた。あれれ折角咲いたのに、寒いなあと震えているようだった。尤も、三寒四温は例年のことで、桜の遺伝情報にはそうした気温の変化も織り込まれているだろう。
「言葉と歩く日記」の続編を心待ちにしている。多和田葉子ファンを自認しているが、片手落ちというか、片足付かずというか、どうも本命の小説は苦手だ。折角買った「献灯使」が未だ読めていない。
数ページ読んだのだが、読書感想文を書くわけでもないしと途中で放り投げてしまった。果たしていつの日にか読み終えることがあるだろうか、はなはだ心許ない。なぜこの年になって小説を読むことがあるかといえば、それは詰まるところ面白いと感じるからだと思う。読んでいない古典や名作は五万とあるが、確かなことはもう読めないということだ。勿論、間違って二、三冊を読むことはあるかも知れないが、その後の人生(残り少なそう)に多大な影響を受けたり、瑞々しい感動を覚えることはなさそうだ。
青春というものは思い返せば厄介なものではあるが、初めてという感動は青春のもので、還暦を過ぎると喩え初めてのご馳走でも美味しいとは思うけどということになってしまう。
それはさておき、多和田さんの随筆風な読み物の続きを心待ちにしている。「言葉と歩く日記」を五月から再開して八月まで書いて欲しい。寝しなに「溶ける街透ける路」をパラパラと読み返していたら、行ったことのある街(十カ所)が結構あり、踏む踏むと読ませて貰った。どうもパリをあんまり褒めていないなあ、今度フランスに行く機会があれば、パリから足を伸ばすことにしよう。