白鳳がマスコミに叩かれている。最近は態度が悪いと言った非難が多いようだ。そこでなぜ近藤誠が出てくるか不思議に思われるかも知れない。白鳳がこれからどうなるか未だ分からないが、既に近藤誠現象が認められると思う。
これ以降は私の推論なので、どの程度当たっているかは分からない。近藤誠をぼろくそに言う医者は多い(私もおかしいと思う)が、近藤誠が100%間違っているわけではない。盗人にだって三分の理がある。まして医師の近藤誠には三割かどうかはわからないが一定の理がある。ぼろくそに言う人は賛成しないだろうが、癌診療に何某かの貢献もしている。それがなぜこうした噛み合わない非難の応酬になったかというと、闇雲に叩いたからだと思う。叩いた方は当たり前と思っても叩かれた方はよく読みもせず問答無用と叩かれたと感じる。そうこうして拗れると意固地になるのはよくあることで病膏肓に入ってしまった。
白鳳も同じ轍を踏みつつある。こう言っては悪いが相撲協会は知恵が足りないというか自信が足りないというか、マスコミの近視眼的非難を放置したために、白鳳は自分の言い分を全く無視した叩きに意固地になってしまった。モンゴルから来たこの青年に私は大いに同情する。マスコミは叩く対象と叩き方を違えている。もっともこれはよくあることで、不治の病かも知れず、藪医者は匙を投げた方がいいかもしれない。どこかに大鵬の記録に並んだことに対する不満もあるように思う。そうとすれば王や大鵬が当初どう扱われたかを憶えている者には余計にすっきりしない感じが残る。
多勢に無勢で叩けば叩かれた者には叩かれた事による変化と反応が起きるということを海千山千の記者が知らないとは思えない、他人の不幸は蜜の味で売れれば良いということだろうか。
私ごときの言葉では笑止千万と言われよう。学んで思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し思うて学ばざれば則ち殆(あやう)しと孔子の言葉を引用しておこう。