駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

春眠、胸に疼きを覚える

2015年03月25日 | 町医者診言

                 

 嫌がっても力づくでという動きを見ていると、極めて単純素朴直截に沖縄は日本かという疑問が頭を持ち上げてくる。勿論、日本ということになっているのだが、正直に申し上げて私には亜とか準とか副とか何かが前に付く感覚もある。それは私のような中部地方に育った人間が持つ九州という日本や東北という日本とも違う、強いて言えば北海道という日本に比較的近い感覚で、端っこで千年の昔平安の記憶が欠落している土地と感じてしまう。

 曾祖父さん曾祖母さんにもない記憶がどれほどのものかと聞かれてもはなはだ心許ないのだがそう感じる。そうした忘却の彼方に由来する微かな違和感を持ちながら、高々七十一年前の記憶喪失に陥っているのが大方の本土人のように思える。

 辛い人生を生きて行くには想像力を失うに限るのだろうか?。赤毛のアンは空想力で生き抜いたようだが、大方の人間には目を逸らせばある物もなくなるという手品と言いくるめるという話芸が有効なのだろうかとも思う。

 会社や工場は何処にでもとは行かないが、サミットが出来たのだから国会は何処でも出来るはずだ。少なくとも閣議や委員会は東京を離れて、例えば浜通や沖縄で、地頭の激突討論をと申し上げたい。

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