今朝は雨上がりの気持ちの良い朝で、駅までの歩きを楽しんだ。梅は散って桜がもうすぐの気配がある。空気が楽しい。
カルテには生年月日が書いてある。長年通っている患者さんでも生年月日までは憶えていないので時々見る。五十半ばを過ぎると暦年齢と見かけの年齢に大きな差が出てくるので要注意なのだ。年が変わって三月ぐらいまでは60才72才84才96才の人を見つけて、「おや、未年ですね」と声を掛ける。「ええ、年男あるいは年女なんです」と答えられる。干支よりも動物のイメージの方が強いのか、ウサギ男とか猿女はあんんまりにっこりされない人が多い気がする。
羊もあんまり嬉しそうではない印象だ。誕生日はもういいという気持ちもあるのかも知れない。ほぼ十二人に一人だから毎日二三人おられるはずで、もう五六十人に声を掛けただろう。三月半ばで止めないと、患者さんの方はこの前も言われたと憶えているだろうから、今が潮時だ。
誰が考えたか六十を一巡りの還暦としたのは妙案だと思う。昔の人も運良く成人できれば六十くらいまで生きた人もそこそこ居たのではないか。そうとしても還暦を祝う感慨は大きかっただろう。そうして六十才になって初めて見えてくること分かることがあると気付いて六十を還暦としたのではないだろうか。今の還暦は老け込む年ではなく、第二の人生という意味合いも出てきているが、還暦の意味は生きていると思う。還暦まで生きてわかってくることは多いと思う。逆に還暦まで生きれば、分かることは分かるのだろうと思う