駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

お礼の不思議

2015年03月18日 | 世の中

              

 先日、三十年前に働いていた病院の看護師から手紙が来た。確か結婚式に出席した子だよなあと思い出しながら何だろうと読むと、息子が医者になったので一度ご挨拶に伺いたいということだった、

 それはお目出度いとは思ったが、何で私に挨拶と驚いてしまった。何でも流産した後落ち込んでいる時に私が励ましたのが力になって息子が産めた。息子もその話を聞いて医者を志したという、全く記憶にない理由が書いてあった。そんなことがあったっけと、お会いし、三十年前にタイムスリップして十五分ばかり懐かしい話に花を咲かせた。三十年経っても面影が残っているというより、殆ど変わっておらず、息子さん弟みたいじゃないかとからかったことだ。

 これほどではないが思いがけぬお礼を言われることがよくある。難しい病気や重症な病態は病院に紹介するのだが 紹介されたことに対して厚くお礼を言われることがある。しばしば菓子折が付いてくる。紹介というのはたかだか三四行の紹介状を付けて、この病気はあの先生がいいなと送るだけのことで、お茶の子さいさい、何の苦労もしていない。ひょっとしたら口うるさい先生からと特別丁寧に扱われているのかも知れないが。

 お礼というのは、どうも受け取る側の感性というか心根が大きく関与しているようだ。何かした私は憶えていないことの方が多い。

 まあ直裁に物を言って生きていると、逆のこともある。単に疑問に思ったから聞いているのに非難されたと根に持つ御仁もいるようで、妙な仕返し?のような扱いを受けることもある。これも受け取る側の感覚が大きいような気がする。こうした質問も報告や講演が終わってから内輪で下手に聞けば問題がないようなのだが、みんなの聞いているところで「・・・はどういうことですか」などと聞くのが良くないらしい。勿論、冷や汗を掻かされてもご質問ありがとうございましたと言われる方も多い。

コメント
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