医学特に治療の分野では、進歩と言うよりも見直しと言った方が良い変化がある。例えば擦り傷は消毒し乾燥させるのが良いとされてきたのだが、消毒せず湿潤させておいた方が治りが良いという報告が出てきている。
消毒は細菌を殺傷して感染を防ぐためで当然の処置と思われていたのだが、傷を修復する細胞をも変性させてしまい治りが悪くなるらしい。瓢箪から駒のような話だが、鋭い観察から乾燥や消毒の悪影響に気付いた先生が四面楚歌の中めげず発表を続けられ、今ではかなり受け入れられている。
こうした見直しは枚挙に暇がない。例えば医療関係者以外の方でもご存じのジギタリスも強心作用は考えられてきたほどではなく、昔ほど重用されなくなっている。
高血圧症の治療指針はほぼ五年ごとに改訂されているのだが、微妙に診断治療基準が変わってきている。最近の改訂では後期高齢者の高血圧症の治療目標値などは少し緩くなって来ている。
こうした見直しはエビデンスベイストメディシン(EBM)という考え方が浸透し統計処理したデータなど根拠に基づいた医療を行おうという動きから出てきたものが多い。医療には昔の徒弟制度のような、先輩から後輩へと問答無用で受け継がれる部分も多かったので、その中に根拠不十分な方針方法が含まれていた訳だ。勿論、手に手を取って教える教育法が間違っているわけではないと思うが、単にそうしてきたからと何の疑問も持たず踏襲するのでは不十分だったのだ。
こうした変化や進歩に四半世紀以上前に医者になった者は戸惑う。「えっそうなの」。と脳の襞に埋め込んであった金科玉条の改訂に取り組んでいる。尤も、抗不整脈剤のリドカイン注射などが使われなくなってきたのを知ると、今まで何をやっていたのだろうと思わぬでもない。変化と言うよりはやはり進歩なのだろう三十年前の常識を変えねばならない。