寿命が延びたと言っても、中々九十の坂を矍鑠と越すのは難しい。ようやく越えたのでは独りで医院に通いきれなくなる、すると登場するのが、話には聞いていた息子さんや娘さんである。勿論、若々しい息子や娘も居るが、中には弟さんですか妹さんですかと聞きたくなるような息子や娘も登場し、「お世話になっております」、「いえいえ」とエールを交わしながら、大丈夫かいなと思うこともある。
雨後の竹の子のように高齢者向けの施設が出来ており、ピンからキリまでの内実なのだが、そういう所に送り込まれることも結構ある。送り込まれるというのは良い表現ではないが、やむを得ないこととはいえ、いずれ自分も入ってよいと思う施設は少ない。
普通、老老介護は夫婦間のことを言うのだが、息子や娘もれっきとした高齢者という場合も多くなってきている。最悪という言い方は適切でないかも知れないが九十才近い母親が六十代の半身不随の息子を看ている核家庭を三軒ほど存じ上げている。年に一二回熱発などで往診に伺うのだが、二人で一つと言っていいようなユニットを形成していて、どちらが居なくなっても壊れてしまうのが目に見える。
最悪と言うより酷いのは捨て子でなく捨て親で、そうした家族も希だがある。 医者の手に余る問題だし、各々の家庭の事情があり差し出がましいので余計な事は申し上げないが、帰り道どうなるんだろうなと思うこともある。それでも、日本は凄い国でどこからか支援の手が伸びてきて路頭で亡くなるようなことはない。
いつも思うのだが政治家は厳しい現実を柔らかと言うよりは甘い言葉で言いくるめる傾向がある。それはそれを好む?側にも問題があると思う。厳しい現実だから辛いとは限らない、目を背ければ無くなるわけでもない。黙って立ち向かい支えている人達には頭が下がる。