駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

ノーと言うのを学ばねばならない

2014年10月05日 | 世の中

              

 女の子がまず憶えないと行けない言葉は「No」ねとFが言っていた。爺さんの私もまずノーと言うようにしなければならないと感じている。四半世紀、売り込みの激しい医薬品のセールスに付き合ってきて、かなりノーと言えるようになったはずだったのだが、介護保険審査、障害者認定審査、レセプト審査、保健所での教育講演などやってくれる人が居なくて困っていますなどと頼まれると、つい「ハイ」と言ってしまってきた。

 手帳を見たら十月には同じ日に教育講演と審査委員会が入ってしまっていた。審査委員会の日程が講演を頼まれた時点では分かって居なかったので、保健師さん達が是非糖尿病の講演をお願いしますとやってきた時に、つい「はい」と言ってしまっていたのだ。ダブルブッキングは飛行機ではよくあるらしいが、私も平謝りで審査委員会を欠席せねばなるまい。司会者の私が居なくても、口達者の委員ばかりだから何とかなるだろう。

 そういえば、医師会や保険所業務どころか当番当直さえ何一つやっていない強者も居るなあ。ノーも其処まで行くと、世間の評価はさすがに芳しくないようだが、そんなことを気にする御仁ではない。他人のことはさておき、まずノーと言って、強く頼まれたら暫く考えてみましょうと引き取って妻に相談することにしたい。嫌なら断りなさいと後押しをしてくれるだろう。

コメント (3)
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