ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

断酒のすすめ

2017年08月05日 | ノンジャンル
自助グループの例会の原則は、言いっ放しの
聞きっ放しである。
それは、体験という厳然たる事実を語り合う場で
あるからだ。

体験はもちろん過去のことである。
自分が口にしてきたこと、考えたこと、
そして行ってきたことで変えようのない
事実なのである。

それを語り、聞いて、自分なりにこれからの
生き方を考える糧とすれば良い。
よって、そこには意見交換も議論もあり得ない。

これからどうして行くなどということは、
なんの保証もなければ信用もない。
厳然たる事実の体験こそが全てなのだ。

極論すれば、アルコール依存症であるかどうかも
問題ではない。
お酒に苦しむ者が、他の人の体験を聞くことで、
その苦しみを分かち合う場なのである。

かといって、断酒を押し付ける場でもない。
できることは、お酒に苦しむ者に断酒を
勧めるだけである。
断酒するしないは、その人次第だということだ。

中には、節酒でも大丈夫と考えている
人もいるだろう。
だがその場は、命に関わる病気の回復への
機会の場である。
その場で勧めることができるのは、
断酒しかない。
自分は節酒で大丈夫とはいえ、それを他に
勧めれば、必ず死人が出る。
これはまぎれもない事実である。

人の命に責任を持つことはできない。
だからこそ、勧めとできるのは断酒だけなのである。
節酒で生きていける人は、それで生きて行けば良い。
責任の取り様のないことをわざわざする必要もない。

まるで断酒教の信者のような押し付けがましい人も
見かけることがあり、閉口することも多いが、
それでも勧めるということにおいては、
節酒よりも遙かにましである。

断酒で死ぬことはないからである。

押し付けでもなく、不毛な議論でもなく、
現実にお酒に苦しむ人に寄り添うなら、
やはり断酒を勧めるしかないのである。