ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

母胎

2017年08月24日 | ノンジャンル
やっと峠を越え、来週よりは落ち着いた日常となる。

今年の夏も終わったと虚脱した感があったが、
何のことはない、最後の名残か、真夏に戻ったような
寝苦しい夜が続いている。

生まれ出た以上、喜怒哀楽を繰り返しながら人は
生きていく。

いつまで続くかわからない闇から
抜け出した時、あるいは、頂の見えない山道を
ひたすら登り続けて、頂点に達した時、
その喜びと満足は計り知れない。

同時に、その過程にあった奮闘の中のもがき
というものが消えると、何とも言えない虚脱感に
襲われる。

幸せというものは、達した時の喜びの中ではなく、
むしろその、もがきの中にこそあったのではないか
とさえ思える。

さすがに、疲れている。

生物的には、母親の胎内にいる時こそが、
最も安全で、清浄な、いわゆる天国、極楽にある
状態ではなかろうか。

昔、コクーンという映画を観た。
できることなら、母親の胎内に戻って、傷や疲れを
癒す時間を過ごし、また娑婆世界へと戻ってくる
という事ができればと夢想する。

未来には、この復元カプセルのようなものができる
かもしれない。

誰もが確かに、この豊饒で、清浄な世界から生まれ
出てきたことを再確認できるとしたら、人の世も
もう少しまともになるだろう。