ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

成人

2014年05月07日 | ノンジャンル
一昨年、娘が成人し、今年は息子がもうすぐ成人となる。

とはいえ、二人とも大学生で、まだまだ親としては
気が抜けないのだが、あのチビが成人かと思うと、
気が遠くなるような感覚を覚える。

断酒もこの6月で丸9年。
あれは娘が13歳、息子が11歳の年だった。
子供たちが一人前になるまではとの思いで
お酒を断ってから、9年になる。

とてつもなく永い時間だったはずだが、
自分の中では本当にあっという間に過ぎ去って
しまった気がする。

二人が社会人となって、巣立った時、自分はどうなって
しまうだろうかと考えると、また気が遠くなる。

その時は、飲んでしまうかもしれないなと思いつつ、
子供たちの独り立ちまで支援できることを願って
断酒したのだから、飲んでもいいじゃないかとも思う。

ただ、飲めばやがてコントロールを失うことに
なるのは間違いない。そして、それは私が最も
忌み嫌うことである。

この辺の判断は難しいところだが、
まあ、飲むことはないだろうと思いながら、
部屋にある息子の写真を眺めている。





三回忌

2014年05月03日 | ノンジャンル
早いものであれから2年になる。

そんなことはわかっているつもりだったが、
振り返れば昨日のことのようでもある。

確か曇り空が晴れて、初夏を思わせる陽気だった。
まさかそんな日に旅立っていようとは想像もして
いなかった。

ともあれ、その後の浮世のバカバカしさは、当人に
とってはお笑い草であろう。

人に迷惑をかけることを異常なまでに恐れていた
当人にとって、逝った後のゴタゴタは、
迷惑千万であろう。

まあ、ああいう形で逝った当人にも責任がなくもないが、
今となってはどうしようもない。

今日もいい天気になりそうだ。

束の間、空を眺めてみることにする。





継続

2014年05月02日 | ノンジャンル
商売というものは、日々滞りなく受注と出荷があって、
たまに大口の取引があるといった状況が最も望ましい。

一年の見通しが粗方つくというのは、安心感がある。

家庭で考えれば、定額であっても毎月決まった日に
収入があるのは、生活設計の上で大きなメリットとなる。

ドカンと大きな収入のある月もあれば、まったくゼロの
月もあるといったことでは、なかなか生活の組み立ても
難しいだろう。

かく言う私も月給制だが、仕事自体は不安定極まりない。
毎月見越せる商売というのがほとんどなく、常に新たな
取り組みを模索していかねばならない。

昨年ドカンと業績を上げたかと思えば、今年はドカンと
赤字を出してしまうような状況である。

安定した継続的な商売というのは、楽だし、業績の面では
そういった取引を望みもするのだが、あまり魅力的ではない。
やはり、なにがしかのプロジェクトで、苦労は多くとも、
一大成果をあげられるような仕事にやりがいを感じる。

一昨年には、大きなプロジェクトに対し、日本-台湾の
タッグチームを組み、丸一年がかりで完成へとこぎつけた。

その間、いつ抜けるともしれない長いトンネルがあったり、
全くの白紙状態になったりと、言葉では言い表せられない
困難もあったが、チームの結束は固く、見事にそれを
乗り越えた。

断酒の命は、飲まないという地味なことの積み重ねである。
平凡に見える継続ではあるが、それが何年も経って
振り返れば、ドカンどころではない、ドッカーンと
したものを初めて見ることができるのである。

その時の喜びは、プロジェクトを終えた時以上の
ものであると確信している。






命日

2014年05月01日 | ノンジャンル
23日の命日が気になっていたのだが、なかなか忙しい
毎日の中でお彼岸も越してしまい、どうしようかと
迷っていた。

昔と違い、家族も皆予定がバラバラでそろって墓参
ということも難しくなってきた。

カメコのこともあるし、思い切って日曜日に一人で出かけた。

小さなお骨入れに、カメコの骨を分骨し、それを仏壇に
置いて、大きな骨壺と共に母親の墓へと向かった。

汗ばむほどの陽気だったが、気持ちは何となく沈んでいた。
「結局は一人なのか」と寂しい想いに囚われていた。

恋であれ、友情であれ、家族であれ、仲間であれ、
自分自身を省みれば、結局一人ではないか。

母親の墓前で、独り言のようにつぶやきながら、
あふれる涙を止めようがなかった。

何が辛いとか、悲しいとか、寂しいとかではなく、
ただ、母親の前で泣きたかった。

その時、初めて母親が何を考えていたのかが
少しわかった気がした。

そして帰る時には自分なりに頑張ると告げた。

山あいの緩やかな清流に、カメコの骨をまいた。
広い、きれいな場所で、自由にいさせてやりたいと
カミサンとも話をしていたからだ。

もう何ともぐちゃぐちゃな想いであったが、帰る時には
何となくスッキリしていた。

一日を、できる範囲で精一杯生きる。
それを積み重ねていくしかないのである。