ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

子供の話

2006年03月29日 | ノンジャンル
19日の月例会で、娘が話をした事が、かなり反響を呼んだらしい事を、
25日の診察で院長先生に聞かされた。

患者の中には社会の信用を失い、仕事を失って、結果、家族を失った
人も多いのだが、その人達にとって、子供が話すことというのは、
他の同じ患者の話よりも、素直に聞けるらしい。息子や娘が
ありながら、共に暮らす事も出来ない中で、お酒を飲まない生活を
していくというのは、想像以上に淋しい事かもしれない。

そのお酒で、失ってしまった事を考えるにつけ、飲もうとは
思わないまでも、悔恨と、現実の淋しさとで、やりきれない事も
多いであろう。

前にも述べたように、例会に患者の伴侶や、親が参加する事は
あっても、子供が参加するという事は、非常に珍しいのだそうだ。
今回が初めてではなかったかと先生も仰っていた。
子の立場から、お酒を飲まなくなった親の事について話す事は、
それ自体、お酒を飲まないという事への率直な話であり、
感想である。
今、飲まないで一日一日を過ごす人にとって、何よりの話と
なったのであろう。

「物怖じせず、あっけらかんと、深刻な話ではなく、思った事を
素直に話してくれた事で、本当に他の患者さんにとって、貴重な
例会となった。」と、先生から格別なお言葉を頂いた。
「どうぞ、娘さんを褒めてあげてください。」との言伝を
そのまま、娘に話すと、照れ臭そうではあったが、
「また予定が無ければ、例会に行って、話してもいいよ。」
と笑っていた。

それぞれの、本人の立場での体験談については、それぞれの
異なるものではあるが、聞く側にとっては、共感できるものも
あれば、反駁したくなるようなものもある。
「あそこまで行かなくて良かった。」とか、「まだ自分の方が
ましかな。」とか、どうしても比較してしまう事も
多々あるであろう。
実際に、夫婦であっても、相手の言うことを素直に聞けないで、
お酒をやめている今尚、ぶつかるケースもままある。

そんな中、子供の立場で、お酒をやめている親について話を
する時、その話を素直に聞けるというのも、うなずける
ものがある。
子供の為に立ち直ろうと、お酒をやめ続けている人も多いのだ。
その子供に、お酒を飲まない自分を評価してもらえる事は、
何より嬉しいに違いない。

事実、私が、何よりも嬉しい思いをし、覚悟を新たに
したのである。