ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

自他と公私

2008年04月05日 | ノンジャンル
「自分を赦す」という事が解らない。。。という事が
引っ掛かっていたので、今日の診察で院長先生に訊いてみた。

飲んでいるとき、というよりは飲まれているときというのは、
自分の周りのせいにして、悪いのは自分ではないという、
他罰的な心情に囚われてしまっている。

断酒して、素面で自分のしてきた事を思い出したり、
人に聞いたり出来るようになって、今度は自分自身を責める、
自責的な心情に囚われる。

この自責的な心情を踏まえた上で、断酒を継続していく中で、
反省のための反省ではなく、今を、これからをどう生きていく
べきかという前向きな考えの原点となる。

つまり、自分の過去を悔やむ段階から、過去をありのままに
受け入れた上で、今を、未来を生きる為の原点、糧としていくと
いうことなのだ。

なんだ、自分の考え方で良かったんじゃないかと、拍子抜けした。
どうしても、「自分を赦す」という言葉に、自分に甘い、
都合の良い、或いは自分勝手なという意味合いが匂って、
そのあたりが引っ掛かっていたのであろう。

ともかくも、スッキリと出来て、良かったと思う。

何をしていくべきか、何が出来るのか、何をしたいのか。
していくべき事が、したい事であれば、出来るように努力して
いけば良い。
したい事と、していくべき事が相反すれば、それはしっかりと
悩んで、解決は出来なくとも、決断を必要とする場合であろう。
多くの場合、それは自他、または公私のうち、いずれを優先させる
かによって、決断は異なったものとなる。

人生の半分を過ぎた今、他と公を優先した上で、決断をして
いきたいものだ。
今の所、他とは家族であり、公とは社会であろう。

理想をいえば、身近な家族を第一に、その家族をとりまく社会へ
貢献していく事が出来たなら、まんざら捨てたものでもないと
自分のことを思えるようになるかもしれない。



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