ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

なんぼのもんじゃい

2019年08月25日 | ノンジャンル
地位や名声、富や権力に対して、それを揶揄する
大阪弁である。

そういった身を飾るものを剥がして、
裸の一人として見たときに、なんぼのもんや、
つまり、どれほどの人間かという
問いかけである。

この、なんぼ自体を誤解して、囚われている
者が多いが、いわゆる権威に対し、
現実の生きる力、日々の生活という事を
第一義として来た大阪の心意気なのである。

どれほどの地位や権力があろうと、
富や名声があろうと、人として見た時に
なんぼやという事である。

商いというのは、もちろんのことながら
人との関わり合いである。
孤独な商いというのはない。

その関わりの中で、その人の生き方が
なんぼのもんやという事なのである。
商売の地域性がそこに如実に表れている。

物質的な価値を計る「いくら」という
意味もあるが、ここではどれほどの人物か
という事だ。

人に対してなんぼのもんじゃいという
揶揄は、そのまま自身に対しての
問いかけとなる。

昨日、やっとお墓参りに行けた。
この10年で、誤解のなんぼは随分上がった。
だが、なんぼのもんじゃいの問いかけには、
まだまだとしか答えられない。

それは、おそらくこれからも変わることが
ないかもしれない。
だが、それで良いと思っている。

どんなもんじゃいと吠える時、
即、なんぼのもんじゃいと自身の内に
返ってくることを知っているからである。





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