ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

告知

2014年10月20日 | ノンジャンル
ガンで、余命何年と告知される方がいいか、
知らずに最期を迎えるのがいいか。

これはその人それぞれであろう。

私は無論、告知してほしい方だが、かといって
それを周りに押し付けるつもりは毛頭ない。

アルコール依存症と診断された時は、正直言って
ガンの告知と同じくらいの衝撃があった。
同時に、なんだかホッとしたのも事実である。

このまま飲み続ければ、余命は一年もない。

確かに衝撃的な診断だが、決定的に違うのは、
断酒をすれば、少なくとも余命を延ばすことが
確実にできるという点である。

その診断を待たずとも、自分自身の実感として、
このままではそう長くは生きられないという
自覚はあった。

それでも、もうお酒を飲めなくなることの恐怖の方が
強かった。 恐るべき脳の暴走である。

まともな人なら、余命一年を宣告され、それを
断酒によって延ばすことができると知れば、
是非もなく、断酒するに決まっている。

まともでないから、飲めなくなることへの恐怖が
勝って、飲み続ける、あるいは断酒しても続かない
こととなる。

振り返れば、断酒を開始した2-3年ごろまでは、
まだまだ、まともな頭ではなかったように思う。
それ以前の飲んでいた頃は、もはや論外である。

偉いわけでも、意志が強いわけでもない。
そのまま死ぬか、余命を延ばすかという選択肢に
おいて、子供たちのためにも、余命を延ばすことを
選んだに過ぎない。

ごく当たり前の選択なのである。

それを、何か特別なことと思い、周りの人にも
そう評価してほしいと思うなら、まだまだまともな
頭ではない。

いずれにせよ、選択の余地がある以上、この病気に
関しては、率直な告知が大前提なのである。

秋の夕暮の空を眺めて、そろそろ一杯飲みたいと思うのか、
きれいな空だと写真を撮ろうと思うのか、穏やかに
眺め続けているのか。

まともか、まともでないかは瞭然なのである。





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