6月7月といえば、一年のうちで最も辛い時期ではあるのだが、
今年は何となく落ち着いているという事に以前触れた。
ただ、やはり、些細な事が気に掛かりだすと、
それに囚われがちな自分の状況も、時期的なものに深く
関わっているようである。
一年に一度は、この辛い時期に自分の原点を振り返って、
確認をしなおすという事が必要なのかもと感じている。
ろくに食べないで、連続飲酒へと陥ってしまっていた5月には、
気力も体力もほぼ限界であった。
どう考えても、お酒が諸悪の根源とわかっていながら、それを
認める事ができず、アルコールの支配下で、もがいていた。
自身の健康、家庭生活、社会生活が崩壊するギリギリの
ところで、お酒を断つしかないことを認め、本当に極端では
あったが、ある日突然、ピタリとお酒を断った。
途端に、離脱症状が出て、寝汗、不眠、幻覚、幻聴に悩まされ
ながら、かろうじて理性を失わずに、戦いを続けた。
脳内では、いわゆるショートがあちこちで起こっているらしく、
時には幻惑に呑まれてしまいそうになりながら、それが現実
ではない事を自覚し、自身の行動を制御していた理性も、
数日にわたる不眠不休の戦いの中で、いつしか消耗していった。
精神力、体力の限界がやってきたとき、束の間であったが、
理性が凌駕され、幻惑に翻弄され、10階から、落ちていても
おかしくない、際どい線に立っていた。
崖っぷちで、片足で立ってバランスを取っているような
ものであった。
全ての幻惑は、お酒を飲ませようとし、病院へ行かせまいと
していた。
それを振り切れずに、再びアルコールを入れていたら、
今の自分は無い。
おかしな話だが、その時は、たとえ死んでも飲まないという、
固い決意があった。
一方的に打ちのめされているボクサーが、ふらふらの状態に
ありながら、「絶対勝つぞ」と思っているのと似たような
ものであった。
このまま、死んでもいいかと、何度も思った。
幻惑を冷静に見つめる中で、自分の脳の状態に大いに疑問を
感じていたし、これをそのままにしておくことは、危険だと
さえ感じていた。
だが、まだ死ねないという思いが強かった。
自分を必要としている子ども達がいる。
まして、その父親が狂い死にしたなどという、負い目や
一生の傷を、残すわけにはいかない。
一旦、全てを擲つくらいの覚悟で、病院へと身体を運んだ。
抗酒剤、診察、筋肉注射2本、点滴、再び筋肉注射、
処方薬の服用と、もうどうにでもしてくれと思わんばかりの
処置が終わり、家に辿り着いた時は、廃人同然であった。
一ヵ月半に渡る休職と、毎日通院の後、復職し、徐々に
ギアアップをという考えであったが、実際は、休職前と
ほぼ変わらない状況が待っていた。
苦しみながら、一つの整理をつけるために、体験の記録を
書き始め、お正月までかかって、書き上げた。
この記録は大きな財産となっている。
その後も、自身の変遷を見ていく為に、折に触れて
感じたこと、考えた事等を、雑考察として、その都度
書き留めていった。
自身のために始めた事であったが、何らかの役に立つ事も
あろうかと、断酒一年を前に、ネット上で公開する事とした。
記事は配分上、1月から掲載しているが、実際に公開を
始めたのは、4月頃であった。
どちらかといえば、無我夢中の状態の中で、慌しく過ぎ去って
行った断酒一年であったが、多くの事を学び、多くの事を
成した一年であったと思う。
そして、その一年が、自身にとっての、大きな原点となっている。
今、断酒二年が過ぎ、振り返るに、本当に危ういギリギリの
ところに立っていた自分が見える。
そして、紙一重の差で、かろうじて現在、生存している自分も
よく見えるのである。
我々にとって、断酒は、生存の絶対条件ではあるが、
少なくとも、生きる事を選択した以上は、断酒自体も、
自ら選んだ道なのである。
「飲めたらなあ」と思う場面や機会は、嫌になるほどあるが、
「飲みたいなあ」と思ったことはこれまで殆んど無い。
断酒を継続する為の手段、方法を云々する以前に、自ら選んだ
道であるという原点を見つめなおすという事が、自身にとっては、
最も重要で、肝要な事なのである。
この生きる事を選んだという、原点確認を怠らなければ、
何を迷う事も無く、おのずと、断酒は継続的についてくるもの
だと思っている。
夏を迎える前のこの季節、自分にとって最も辛い記憶の時期に、
原点復帰する事が、これからも不可欠のようである。
今年は何となく落ち着いているという事に以前触れた。
ただ、やはり、些細な事が気に掛かりだすと、
それに囚われがちな自分の状況も、時期的なものに深く
関わっているようである。
一年に一度は、この辛い時期に自分の原点を振り返って、
確認をしなおすという事が必要なのかもと感じている。
ろくに食べないで、連続飲酒へと陥ってしまっていた5月には、
気力も体力もほぼ限界であった。
どう考えても、お酒が諸悪の根源とわかっていながら、それを
認める事ができず、アルコールの支配下で、もがいていた。
自身の健康、家庭生活、社会生活が崩壊するギリギリの
ところで、お酒を断つしかないことを認め、本当に極端では
あったが、ある日突然、ピタリとお酒を断った。
途端に、離脱症状が出て、寝汗、不眠、幻覚、幻聴に悩まされ
ながら、かろうじて理性を失わずに、戦いを続けた。
脳内では、いわゆるショートがあちこちで起こっているらしく、
時には幻惑に呑まれてしまいそうになりながら、それが現実
ではない事を自覚し、自身の行動を制御していた理性も、
数日にわたる不眠不休の戦いの中で、いつしか消耗していった。
精神力、体力の限界がやってきたとき、束の間であったが、
理性が凌駕され、幻惑に翻弄され、10階から、落ちていても
おかしくない、際どい線に立っていた。
崖っぷちで、片足で立ってバランスを取っているような
ものであった。
全ての幻惑は、お酒を飲ませようとし、病院へ行かせまいと
していた。
それを振り切れずに、再びアルコールを入れていたら、
今の自分は無い。
おかしな話だが、その時は、たとえ死んでも飲まないという、
固い決意があった。
一方的に打ちのめされているボクサーが、ふらふらの状態に
ありながら、「絶対勝つぞ」と思っているのと似たような
ものであった。
このまま、死んでもいいかと、何度も思った。
幻惑を冷静に見つめる中で、自分の脳の状態に大いに疑問を
感じていたし、これをそのままにしておくことは、危険だと
さえ感じていた。
だが、まだ死ねないという思いが強かった。
自分を必要としている子ども達がいる。
まして、その父親が狂い死にしたなどという、負い目や
一生の傷を、残すわけにはいかない。
一旦、全てを擲つくらいの覚悟で、病院へと身体を運んだ。
抗酒剤、診察、筋肉注射2本、点滴、再び筋肉注射、
処方薬の服用と、もうどうにでもしてくれと思わんばかりの
処置が終わり、家に辿り着いた時は、廃人同然であった。
一ヵ月半に渡る休職と、毎日通院の後、復職し、徐々に
ギアアップをという考えであったが、実際は、休職前と
ほぼ変わらない状況が待っていた。
苦しみながら、一つの整理をつけるために、体験の記録を
書き始め、お正月までかかって、書き上げた。
この記録は大きな財産となっている。
その後も、自身の変遷を見ていく為に、折に触れて
感じたこと、考えた事等を、雑考察として、その都度
書き留めていった。
自身のために始めた事であったが、何らかの役に立つ事も
あろうかと、断酒一年を前に、ネット上で公開する事とした。
記事は配分上、1月から掲載しているが、実際に公開を
始めたのは、4月頃であった。
どちらかといえば、無我夢中の状態の中で、慌しく過ぎ去って
行った断酒一年であったが、多くの事を学び、多くの事を
成した一年であったと思う。
そして、その一年が、自身にとっての、大きな原点となっている。
今、断酒二年が過ぎ、振り返るに、本当に危ういギリギリの
ところに立っていた自分が見える。
そして、紙一重の差で、かろうじて現在、生存している自分も
よく見えるのである。
我々にとって、断酒は、生存の絶対条件ではあるが、
少なくとも、生きる事を選択した以上は、断酒自体も、
自ら選んだ道なのである。
「飲めたらなあ」と思う場面や機会は、嫌になるほどあるが、
「飲みたいなあ」と思ったことはこれまで殆んど無い。
断酒を継続する為の手段、方法を云々する以前に、自ら選んだ
道であるという原点を見つめなおすという事が、自身にとっては、
最も重要で、肝要な事なのである。
この生きる事を選んだという、原点確認を怠らなければ、
何を迷う事も無く、おのずと、断酒は継続的についてくるもの
だと思っている。
夏を迎える前のこの季節、自分にとって最も辛い記憶の時期に、
原点復帰する事が、これからも不可欠のようである。
ありながら、「絶対勝つぞ」と思っているのと似たような
ものであった。
とてもいい表現をなさいますね。
私の「原点の日・7月24日」がきます。
お互いに、
原点確認を怠らずに過ごして行きましょう。
新たな決意のもとに迎えられることを
祈っています。
原点確認。断酒というよりも、生きていく為に
必要な事だと思っています。