ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

継ぐべきもの

2010年09月20日 | ノンジャンル
昨日は月に一度の院内例会であった。

さすがに先月は中止となったが、これまで中止と
なったことはない。

この5年の間、私が参加した限りでも、院長先生が学会など
他の所用で欠席されたのも一度しかない。

院長先生亡き後、初めての例会とあって、参加者も
激減するのではないかと、スタッフも心配していたようだ。

「現実にお酒をやめ続けて、回復の道を歩んでいる人たちが
いる、そのことを医療側が認識することが大切なことだ。」

「私は、体験談を聞くことが大好きなんです。」
「それが私の力にも支えにもなっているんです。」

「何があろうと、月に一度、例会をここで開く。
これはこれからも変わらないし、必ず続けていく。」

先生が大切にされた月例会。 スタッフもその意志を継いで、
これからも変わらず続けていくこととした。

盛況とは言えないまでも、多くの人たちが集まっていた。
いつにも増して、生々しい体験の数々。
老若男女、本人、家族、医療スタッフが一堂に会し、
この病気回復、啓蒙、認識を深める場を作っていく。

リレーのように、バトンが受け継がれていく。
それを自ら受け取った新しい院長先生も、自分の足で新たに
走り始めた。

そこには、止め始めの苦しみの真っ只中にいる人がいる。
ようやく飲まない生活が楽になってきた人がいる。
生きること自体の苦しみの中にいる人がいる。
飲まないで苦難を乗り越えた、喜びの中にいる人がいる。

赤の他人の話ではあるけれど、自分に関係がないと思えば、
得るものはない。
その場は、過去の自分、現在の自分、そして未来の自分を
映す鏡である。

その場から、何かを持って帰ろうと思うものなら、それが
どんな立場、どんな状況の人であっても、必ず大切なものを
お土産とすることができる。

先生が本当に、本当に大切にされてきたこの例会を、
私もこれから大切に、大切にしていきたいと思うのである。




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2 Comments

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Unknown (haru4444)
2010-09-20 18:35:31
病院例会の意義は、
「酷かった時の自分」を振り返り、そして、
「回復した先の自分」を確認させて貰える事ですね。

「何の為に行くのか」と時々思うのですが、
自分自身の為以外、何物でもないと思っています。
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Unknown (jetlinks)
2010-09-20 23:37:56
例会で体験を聞き、体験を話す。

自分自身のためであり、同時にそれが意識せずとも
他人のためにもなる。

だからこそ、大切な場なんですね。
返信する

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