ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

あれから

2010年08月12日 | ノンジャンル
毎年この日には、様々な思いが蘇る。

世界最大の航空機事故。 日航ジャンボ機墜落。

未だに不明な事故原因、そして様々な疑惑。

事故の真実を解き明かす資料もすでにない。

わからないことだらけであるがゆえに、25年とはいえ、
遺族にとっては、今なお鮮明な記憶であろう。

高度7000メートルで、その機体はコントロールを失い、
いわば金属の塊となった。

待ったなしの、極限の状況の中で、生死をかけた
コックピット内での闘い。

ボイスレコーダーに残された、機長の厳しい言葉、叱咤激励、
ふと洩れた本音、そして最後の最後に発せられた叫び。

「バンクそんなにとるな、バカ。」
「はいじゃないが。」
「これはだめかもわからんね。」
「どーんといこうや。」
「がんばれ、がんばれ!」

翼が接触し、本体が山に激突する直前の、「もうだめだ!」

機内では、覚悟を決めた幾人かの乗客が遺書を
走り書きしていた。

「残念だ。」「幸せな人生だった。」「立派になれ。」
「しっかり生きろ。」「子供をよろしくたのむ。」
「みんな元気で。」

この事故を風化させてはならないとはよく言われるが、
それは、事故の悲惨さのみではなく、極限状態での人間の
ありかたを後世に事実として伝えていくことでもあると思う。

この事故の年は、私が大学の4回生、22歳の時である。
歳月を経るごとに、この事故が自身にとって大きな意味を
持つようになってきた。

飛行機、パイロット、機関士、キャビンクルー、そして乗客。

この凝縮された時間の中で、それぞれの生き様が
心に深く、深く刻まれていく想いがするのである。

遺族でもない私が、おかしなことを言っているようだが、
この日は特別な日であり、子供たちにも伝えていきたい
日なのである。






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2 Comments

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Unknown (レナ)
2010-08-12 23:59:03
この事件、うちの兄が、現場に 取材に 入ってます・・・・(-_-)

新聞社に 入社したてで(jetさんと、1~2つ 違いなのかしら?)、
それですと、若手は こういう現場に 速攻で 行かされますから。

今でも、「とても 口では 言い表せない」と、兄は 言っております。

東京から 大阪までの、たった 2時間弱のフライトなのに、どなたが

このような、大惨事に 遭遇すると お思いに なるでしょうか?

・・・たったの 2時間で・・・・

そう考えると、人生とは 恐ろしいものですね (-_-)

皆様の ご冥福を お祈り 申し上げます。
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Unknown (jetlinks)
2010-08-13 01:03:52
お兄様は記者でしたか。

想像を絶する経験だったと思います。

確かに、この便に乗る予定が乗らなかった人もいれば、
次の便の予定が、一本早いこの便に乗った人もいました。

事故を免れて、大阪に着いて、自宅で転倒して
亡くなった人もいました。

人の運命はなんともわからないものです。

長い、暑い夏だった記憶があります。

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