ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

スイッチオン

2008年06月22日 | ノンジャンル
普段飲まずに過ごしていると、つい忘れがちなのだが、私は
決して消す事の出来ない回路を頭に持っている。

アルコールに対し、全く無力となる、いわゆる制御不能
回路である。
この回路を閉じる事、すなわちスイッチをオンにする事は、自ら
制御を失わしめることを意味する。
そしてその回路を閉じるには、たった一杯のお酒で十分なのである。

その一杯が自分の意志であろうと、事故であろうと、スイッチを
オンにする事には変わりが無い。

どうもこの辺に、おかしな自信の様なものが出てきている気がする。
接待や酒席で、目の前に一杯のお酒があっても、それに手をつける
気は毛頭無いが、仮に知らずに飲んでしまったというような、
不測の事態であれば、自らが飲みたいと思って飲むのとは違うの
だからという、厳しく言えば油断があるように思える。

そういった事故が無いように注意はしているものの、万が一
そうなったとしても、事故として割り切り、その後はまた
変わらずに飲まないで過ごせるという、誤った自信がどこかに
あるのではないかと、反省をした。

一杯のお酒がスイッチを入れる以上、それがどういう事になって
いくのかは、予想できない。だからこそ、万が一にも一杯のお酒に
手をつけてはならない。必然であろうと偶然であろうと、
この一点は絶対にはずせない根本的な事なのである。

今一度謙虚に、真摯に、そして素直にこの点を自身の内に確認し、
刻み直しておくべき時かも知れない。
何が何でもその一杯に手をつけない、その一杯から身を守る
という原点を、改めて肝に銘ずるべきなのである。

昨夜の酒席で、目の前にビールの注がれたグラスを置かれ、
そのグラスを眺めながらそんな事を考えていた。
今の自分の余裕は、これまでの経験の積み重ねで出来てきたもの
であるけれども、その余裕が、油断へと質を変える時が、最も
警戒心を高めておくべき時なのである。

勝つために兜の緒を締め、勝てばさらに締め直すという事を
これからも繰り返していかねばならない。
大丈夫と、たかをくくる時が油断の時なのである。