ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

徒然に

2008年06月25日 | ノンジャンル
どうもいろいろと思考が散漫になり、ごちゃごちゃとしていて、
なかなか整理がつかない。

記事を書くときはある程度思考を整理して、まとめる意味で
文書にしているが、それすらもままならない。

精神的に不安定だとも思えないので、どうやら少しずつ
様々な視点で物事を見ることができるようになってきたの
かもしれない。

それぞれの視点から見て考えることがごちゃ混ぜになって、
どうにも整理ができないのである。

それもひとつの暫定的な状態であろうと思われるので、
散漫ながら書いておくことにする。


依存症真っ只中の時にはとにかく、何でもかんでも
周りのせいにしていた。
他人のせい、仕事のせい、世間のせい、社会のせい。。。
なんということはない、すべては自分のせいであることを
知りながらそれを認めたくなくて、お酒を飲んでは周りの
せいにしていた。自分は周りのために必死に頑張っている。
それで物事がうまくいかないなら、周りのせいにするしか
なかった。

こんなに生き辛い世の中で、自分だけじゃない、守って
いくべき家族も、会社もいつしか負担となって、飲まずには
生きていけなかった。

弱い。弱すぎる。なんと弱い人間であろうか。
常に自分を人に対して貸しがある立場、つまり滑稽にも、
人より上の立場においておかないと安心できない、
狭小な精神の持ち主である。
今、断酒しているからといって、その精神がガラッと
変わったわけでもない。
ただ、その狭小さ、弱さを自覚しているだけである。

そうして、どんどん狭小な精神の中に埋没していく私を、
繰り返し引き上げようと手を差し伸べてくれたのは
カミサンである。
何度も期待し、何度も裏切られ、何度も悩んだあげく、
自分だけならともかく、子供達まで共々に地獄へ引きずり
込むことは何があってもできないと覚悟を決め、
自分ひとりででも、子供たちは守り抜くという一点で、
私に離婚を迫った。

彼女が強い人間だからではない。崖っぷちまで私が
追い込んだ結果、彼女が他にはもうどうしようもない上での
決断であった。

自分でも自分をどうしようもなかった私が、その必死の
覚悟に触れて、正気を取り戻した。
追い詰められて、初めて自分が本当に望んでいることを
はっきりと気づかされた。
酔った頭で、消えてしまいたいと思っていた自分は、
本当は、家族の一人として、皆の笑顔の中で暮らして
いきたいと望んでいることに気づかされた。

昔のこと、過去のこと、済んでしまったことは取り返せない。
償いなどと、口にするのもおこがましいが、家族の笑顔、
楽しい家庭という、自分の本当に望んだものを実現して
守っていくこと、そして、次の世代、また次の世代へと、
その恵みの連鎖を繋げて行く事。
今を生きるのはそのためであり、これからもそれに
変わりはない。

私が病気だと知ったとき、家族はそれぞれの出来る限りの
ことで私を助け、支えてくれた。
私が病気と闘い、立ち直って家族を守っていく決断を
したからこそ、同時に家族に守られた。
人は、一人では生きていけない。だが、一人立つ、自立の
覚悟がなければ、支えてくれるものはいない。
支えあって生きていくのであって、互いに依りかかって
生きるのではない。
片方が倒れたとしても、もう片方はしっかりと立って
いなければならない。
共に倒れたなら、その家族は成り立たなくなってしまう。

カミサンがある時、私に言った事がある。
「本当にどうしようもなかったけれど、もう済んだこと。
 今が大事。これからが大事。」
どれほど救われたことか知れない。

断酒が償いとは、彼女にすれば笑止であろう。私自身、
それほど図々しい人間ではない。

今を生きる、これからを生きる、未来を生きる。

償いということは、私にとっては、次の世代、その次の世代を
見守って、家族の恵みの継承を実感できた時のことであると
思っている。

人間は、自分のためだけに生きていけるほど強くはない。
生きていく手段である断酒も、自分のためだけであれば
続かない。
いかに生きるのか、生きて何をなすべきなのかを考え、
行動していく中では、断酒は取り立てて考えることではなく、
必然であり当然なのである。

本音を言えば、断酒継続は、褒められることでも、
誇れることでもないと思っている。
それでも、継続できていること、節目を迎えられることは、
自身にとっての励みともなり、それが同じく断酒によって
今を生きる人たちへの励みとなるのであれば、
本当に嬉しい事である。

誰のせいでもない、自分のせいでなった病気である。
過去は消せないが経験も消えない。
弱いながらも、支えられながらも、過去を抱きしめて、
経験を昇華させながら、今を生きる。これからを生きる。
そして未来を生きる。

思考はごちゃごちゃで散漫ではあるけれど、3年を過ぎて、
ありのままの自分を受け留め、ひとつ積み重ねるごとに、
ひとつ前へ進む、成長していく日々でありたいと、心静かに
願うのである。