ALQUIT DAYS

The Great End of Life is not Knowledge but Action.

走り続ける

2008年06月21日 | ノンジャンル
新卒で就職してからというもの、これまでに転職の
経験はない。
どちらかといえば飽き性な私が、長年に渡ってひとつところで
頑張ってこれたのは、その多様な仕事内容と、自由な環境に
負うところが多い。

決まった業務を繰り返し行う仕事であれば、こうは
いかなかったであろう。

良く言えば、常に新規営業の企画、立案をしながら、
あらゆる分野の人とのつながりを構築し、自身も勉強をして
事業化に向け努力するという事を行ってきた。
悪く言えば、なんでもやります課にいるようなものである。

一つの事業はやはり3年、5年というスパンで移り変わって
いくものだが、この10年を振り返ると、殆んど毎年、
立ち上げ、中断、終息という事が多く、もう少し長期安定継続
というものがないのかと、嘆息している状況である。

立案、企画、折衝、人事、経理、広報、提携、供与、調査、
審査、検証、監査、交渉、出張、視察、研究、開発、プレゼン、
立会い、接待、斡旋、受注、業務、貿易実務、契約草案、締結、
更改、合弁、投資、特許、経営、統括、管理。。。

業務内容を挙げていくときりがない。大手の会社ならきっちりと
部門が別れて、専門的に機能しているだろうが、一人が何役も
こなさなければならない現状は、少数精鋭の人材群とはいえ、
個々にかかる負担は過大なものとなる。

それでもやり甲斐は非常に大きいので、それが個々の支えとも
なっているとは思うのだが。

与えられる業務を着実に遂行していく事は、日々の継続的
安定感と規則性をもたらすが、同時に倦怠も知らず知らずの
うちに蓄積される。
常に新鮮な仕事の機会は、活性化と向上心を生み出すが、
その新規事業が安定継続に至らなければ、なかなか達成感が
得られず、危機感に曝される事が常態化してしまう事になる。

いずれの場合も、偏りが問題となっていく事は間違いない。
事業の拡大、新たな展開にエネルギーを注ぐ者が、
その後一定期間、継続的安定感に身を置くというのが最も
理想的なのだが、現実はなかなかそううまくは行かない。

本音を言えば、せめて3年ほどの安定期間が欲しいものだが、
現実は毎年波乱の繰り返しとなるであろう。
性分としては、波乱の方が合っているのかもしれないが、
いい加減、少しは落着いた年がないものかと、精魂尽き果てた
ような感に襲われる事がある。

このところ月日の経つのが加速度的に早く感じるのも、
ここのあたりが深く関係しているようである。
こうして、落着きのない日々を重ねて年を取っていくのかと
思えば、淋しくもあるが、同時に年を重ねる毎に、その役割
というか、成すべき事があるはずなので淋しくもない。

走っているうちは、どれほどの汗をかいて、どこまで来たのか
をあまり意識していない。
止まった時に吹き出る汗と、感じる渇きと、振り返って見る
道の遠さで、初めて気付くものであり、いつかその時が
来るまでは、やはり走り続けるのである。

人生とはそんなものであるかもしれない。