Various Topics 2

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※旧Various Topics(OCN)

Grasia Mendes Nasi-2(コンベルソ脱出ルートとユニテリアンとルナーソサエティ)

2023年01月29日 | コンベルソ、イエズス会、クエーカー、オカルティズム

Grasia Mendes Nasi-1(欧州ユダヤ人ビジネスネットワークの始まりはナシ家(=メンデス・ベンヴェニステ家)か?) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

でコンベルソを逃すルートは、そのまま第二次世界大戦にもつかわれたと思います。

第二次世界大戦中、ポルトガルが中立国であったからと言わればそれまででしょうが、ポルトガルは「著名なユダヤ人」を米国に逃げさせる重要な場所となっていました。

この経路でユダヤ人を逃す手伝いをした一人は、ウルズラ・ハーシュマンの弟アルベルト。

Albert O. Hirschman - Wikipedia

抜粋Google翻訳:

1936 年の夏、ハーシュマンはスペイン内戦でスペイン共和国を代表して戦う志願兵として 3 か月を過ごしました。 第二次世界大戦中、フランスが 1940 年にナチスに降伏した後、彼は緊急救援委員会のバリアン フライと協力して、ヨーロッパの主要な芸術家や知識人の多くが米国に逃亡するのを助けました。 ハーシュマンは、占領下のフランスからピレネー山脈の小道を通ってスペインへ、そしてポルトガルへと彼らを導く手助けをした[5][8]。 救出された人々には、マルク・シャガール、ハンナ・アーレント、マルセル・デュシャンが含まれていた[8]。

参考:

クロコダイルクラブースピネッリグループとハーシュマン姉弟 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

それに協力したのは、ユニタリアンの組織。

Unitarian Universalist Service Committee - Wikipedia

ユニテリアン ユニバーサリスト サービス委員会 (UUSC) は、災害救援を提供し、世界中で人権と社会正義を促進するために活動する、ユニテリアン ユニバーサリスト協会の非営利の無宗派準会員組織です。 UUSC は 1940 年 5 月にユニテリアン サービス委員会として設立され、ナチスの迫害によって危険にさらされたヨーロッパの難民を支援することを目的としていました [1]。

創設者のロバート・デクスターは、10年以上アメリカ・ユニテリアン協会の外交官を務め、特にユニテリアン信者が多いチェコスロバキアでの難民の窮状に心を動かされていた[2]。 ] 組織はリスボンに事務所を設立し、そこに配置された最初のアメリカ人ユニテリアンは、マサチューセッツ州ウェルズリー ヒルズのユニテリアン教会の牧師であるウェイトスティル ヘイスティングス シャープ牧師とその妻マーサでした。

(中略)

今日、UUSC は人道的取り組みの調整と世界中の人権侵害の記録に関与しています。 そのプログラムは、移民の正義、気候/災害の正義、および国際的な正義と説明責任に焦点を当てています。 近年、この組織は、米国の移民政策、気候変動、先住民コミュニティの環境正義、ハイチの市民社会組織の支援、ロシアによるウクライナ侵攻の影響を受けたコミュニティへの支援など、さまざまな問題に積極的に取り組んでいます。 ロヒンギャ人口を含む少数民族に対してビルマ軍が犯した人権侵害と戦争犯罪の説明責任を主張する。

ユニテリアンについては過去これらの記事を書きました。

ユニテリアンと科学と政治-1(ダーウィン&ウエッジウッド) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ユニテリアンと科学と政治-2(エラスマス・ダーウィンとマシュー・ボールトンとLunar Society) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ユニテリアンと科学と政治-3(ジョセフ・プリーストリーとギロチンで命を落としたアントワーヌ・ラヴォアジエ) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ユニテリアンと科学と政治-番外編(トランシルバニアのユニテリアン創設者とエリーザベト・バートリの叔父) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

この2本目の記事に、ルナーソサエティ

ルナー・ソサエティ - Wikipedia

抜粋:

ルナー・ソサエティ(ルーナー・ソサエティ[1]、The Lunar Society of Birmingham)はバーミンガムを中心としたミッドランド地方において有力な学識者、自然哲学者、事業経営者、発明家、化学者、作家らが組織した非公式の交流団体であり、会合が1765年から1813年までの間に定期的にバーミンガムのソーホー・ハウスで開かれていた。当初ルナー・サークルと呼ばれていたが、1775年に正式にルナー・ソサエティとなった。

ルナー・ソサエティという名称は、その会員たちが月に一回満月の夜に集会を開いていたことから由来している。

グラシア・メンデス・ナシの結婚前の苗字はLunaでした。(旧、クリスチャン名は、Beatriz (Beatrice) de Luna Miques)

 

仮置き:

イビサ島における隠れユダヤ人の歴史について — Tetrahedron Institute of Human Relations

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