Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

アフリカと欧州-2(国連のトップのアフリカ人)

2024年07月13日 | 人物

前回書いた「エチオピア」ですが、エチオピア出身と言って私の年代(60年代生まれ)がすぐ思い浮かべるのは、国語の教科書にも載っていた「アベベ選手」

アベベ・ビキラ - Wikipedia

現在で有名なのは、WHOのテドロス事務局長ー

テドロス・アダノム - Wikipedia

WHOの新型コロナウィルスアウトブレイクの対応-テドロス事務局長の苦悩 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

アフリカでのコロナワクチン治験案・アフリカのビデオを見て - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

WHOと言えば、国連の事務総長を務めたコフィ・アナン(ガーナ人)は、最初はWHOで働いていました。

彼の妻は、ラウル・ワレンバーグの姪でした。

コフィー・アナン - Wikipedia

Nane Annan – Wikipedia

ナチスドイツとホロコーストー11(ラウル・ワレンバーグ) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

クリーンなイメージの国スウェーデンの二つの顔(2020年4月2日の記事更新) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

彼らはそれなりに優秀で立派な方たちなのだと思いますが、なぜ自国やアフリカの発展を飛び越えて、国連?

 

これは、移民・難民のドキュメンタリーですが、これに寄せられるのコメントは読まれるべきものだと思います。

European migration? How a continent is sealing itself off | DW Documentary (youtube.com)

を見て、そしてコメントを見てください。

 

コメント4つのGoogle翻訳:

なぜいつも貧困層や人種差別主義者がヨーロッパ諸国を代弁するのか、そして彼らが全員政治難民ではないことには全く同意するが、なぜアフリカの指導者たちはこうした議論に参加しないのか?アフリカの指導者たちは実際に人々の流出を阻止し、雇用を創出し、自国民を守ることができる。ヨーロッパの人たちよ、憎しみと自由を混同してはいけない。念のため付け加えておくと、アフリカの指導者たちは貧困支援などと呼ばれ、毎年ヨーロッパ諸国からお金を受け取っている。こうした人々が質問に答え、そのお金を使って人々を守り、難民キャンプを作るべきだ。難民である哀れな魂は、あらゆる憎しみや人種差別に対処しなければならない。腐敗したアフリカの指導者たちは神のように生きている。今こそ、アフリカの指導者たちに質問を投げかける時だ。」

「もしこれらの人々が未来であるなら、なぜアフリカで自分たちの未来を作らないのか。アフリカは大きな大陸だ。アフリカには彼らが選べる 59 の国がある。移住先として選べるアラブ諸国もたくさんある。ヨーロッパの人々は、これらの人々がもたらす嘘やトラブルにうんざりしている。」

私がとても怒っているのは、アフリカには文字通り何でもあるのに、独裁政権のせいで国民が極貧だということだ。そして、すべての多国間開発機関は、この問題が主な問題であるにもかかわらず、それを注意深く避けている。EUはルカシェンコのような独裁者を認めない勇気があるが、アフリカとなると、途方もなく不正な選挙を喜んで承認し、移民に対する最大の味方である民主主義支持派のアフリカの野党勢力を妨害する。ボツワナのような豊かなアフリカの民主主義国の人々がヨーロッパに入ろうとしているのを見たことがないだろうか?EUがなぜこれを理解せず、1930年代風のファシズムがヨーロッパに戻ってくるのか、私にはまったく理解できない。」

「私は以前から、専門家としてEUに移住することを検討していましたが、最近は興味が薄れてきました。2022年以降、短期滞在だけでなく永住目的で東アフリカ地域に移住するヨーロッパ人が増えていることに気づきました。投資家として来る人もいれば、安定を求めてベーシックインカムで生活する個人もいます。」

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アフリカと欧州-1(エチオピアとユダヤ教徒)

2024年07月13日 | 社会(歴史・都市計画含む)

前回の記事

フランスーメランション&ド・ヴィルパン&ル・ペンの時代に - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

を書きながら、アフリカが、欧州の植民地になったり、奴隷にさせられたりした歴史がなかったとしたら、どうなっていたのだろうと、ふと考えました。

アフリカで唯一植民地にならなかったというのはエチオピア。

【アフリカで唯一】なぜエチオピアだけヨーロッパの植民地にならなかったのか? (youtube.com)

この国は結局「貧しいアフリカ」となってしまいましたが、この国にはユダヤ人が住んできました。

上の動画には、ユダヤ教徒のエチオピア人については触れられていませんが、個人的にはエチオピアが植民地にならなかった理由は、「ユダヤ人の支援」があったのも関係していると思います。動画の「フランスがエチオピアに武器を支援」という説明は、「ユダヤ系富豪の支援」ということもあったように思います。

Wikipediaから抜粋:

 
抜粋:
 
キリスト教の布教、ラビン派の改革

ベタ・イスラエルのコミュニティが現存する地域 ヨーロッパ諸国とベタ・イスラエルの間の交流は近代以前からもしばしばあったものの、その存在が広く知られるようになるのは、ユダヤ教徒へのキリスト教布教を目的とするプロテスタント系の宣教師協会、『ロンドン・ユダヤ人布教協会』の活動開始を待たなくてはならなかった。 ユダヤ教からの改宗者ヘンリー・アーロン・スターンが率いるこの団体は、1859年にエチオピアで活動を開始した。
彼らの活動の結果、1922年までに2000人のベタ・イスラエルがエチオピア正教に改宗した。(エチオピア政府との協定により、プロテスタントの布教は行われなかった)

キリスト教に改宗したベタ・イスラエルは、今日では「ファラーシュ・ムーラー」と呼ばれている。 ヨーロッパのユダヤ人たちの間では、こうしたエチオピアにおけるキリスト教の布教活動は挑発として受け取られた。ヨーロッパのラビはベタ・イスラエルをユダヤ人として承認し、最終的に1868年、国際イスラエル人協会はユダヤ系フランス人の東洋学者、ジョゼフ・アレヴィをエチオピアに調査のため派遣した。帰還後アレヴィはベタ・イスラエルについて非常に好意的な立場に立った報告を行い、世界のユダヤ人コミュニティに対しベタ・イスラエルに対する支援を呼び掛けた。彼はさらに、エチオピアにユダヤ教学校を建設すること、さらには数千人のベタ・イスラエルをオスマン帝国領シリアに入植させることなどを提案した。

これはシオニストによるパレスチナ入植計画が立てられるよりも、さらに10年以上早いものである。 しかしユダヤ人社会はベタ・イスラエルに対する関心を急速に失っていった。その原因には、ベタ・イスラエルがユダヤ人であることに対する疑いと、国際イスラエル人協会がアレヴィの提案を採決しなかったことなどが挙げられる[要出典]。
 
(中略)
 
1955年5月1日 ジャック・ファイトロヴィッチ博士は失われた十支族がエチオピアに居住するという情報に関心を持った。彼はフランス高等研究実習院時代にはアレヴィの教え子であった。
 
1904年、ファイトロヴィッチはエチオピア北部での再度の調査を呼び掛け、エドモン・ド・ロチルドから資金提供を受けた。彼はエチオピアのユダヤ人地域に渡航し、ユダヤ人たちとともに生活した。さらに彼はプロテスタント宣教師の活動を妨害することにも成功した。その後、彼は1905年から1935年にかけて、25人のユダヤ人の少年をヨーロッパに移住させた。 その後、彼はベタ・イスラエルに関する国際的な委員会を設置した。そして『ファラーシャの共同体への旅に関する覚書』(1905年)の中で、ベタ・イスラエルを紹介した[11]。そして、現地での学校建設のため、必要な資金を確保した。 1908年、45か国の首席ラビにより、エチオピアのユダヤ人をユダヤ人として認める共同宣言がなされた[6]。
 
こうして20世紀初頭には、ベタ・イスラエルの存在はヨーロッパにおける大部分のユダヤ人コミュニティにより承認された。 1921年、イギリス委任統治領パレスチナにおける最初の首席ラビ、アブラハム・イツハク・クックがベタ・イスラエルをユダヤ人として承認した。
 

イタリア統治時代~第二次世界大戦後

1935年、ベニート・ムッソリーニを指導者とするイタリアのファシスト政権はエチオピアに侵攻、併合した。

イタリア政府はベタ・イスラエルを敵視していた。本国で制定された人種法はエチオピアを含むイタリア領東アフリカにも適用された。ムッソリーニ政権は東アフリカ植民地に関するイギリスの承認を得る対価として、ヨーロッパにおける「ユダヤ人問題の解決」と、ベタ・イスラエルを含むエチオピアのユダヤ人をパレスチナに移住させることを提案した[12][13]。しかしユダヤ人地域は正式にイタリア領として併合され、ムッソリーニの提案は実行されなかった。

1948年にイスラエルが成立すると、多くのユダヤ人がイスラエルへの移住を開始した。しかしエチオピア皇帝ハイレ・セラシエはエチオピアのユダヤ人が移住することを禁止した。

イスラエルへの非合法な移住、イスラエル政府による承認

1965年から1975年にかけてイスラエルに移住したエチオピアのユダヤ人は、教育を受け観光ビザでイスラエルに非合法的に移住した人々が大多数であり、その数はわずかであった。

イスラエルにおけるベタ・イスラエルの支援者は現地のコミュニティを承認し、さらに支援組織を設立した[14]。非合法に移住した人々の一部は、こうした組織の支援によりイスラエルの市民権を得た。中には市民権を得るため、ユダヤ教への「改宗」を行った人々もいた。そして市民権を得た人々は、多くがその後に親族もイスラエルに移住させた。

1973年、ベタ・イスラエルの支援組織の指導者の一人、イエメン系ユダヤ人のオヴァディア・ハッジは、セファルディム系のラビ、オヴァディア・ヨセフにベタ・イスラエルのユダヤ人であるかどうかに関する質問を行った。これに対しオヴァディア・ヨセフは1973年2月、ベタ・イスラエルがダン族の末裔であるとし、ユダヤ人であると認めた。アシュケナジム系の首席ラビ、シュロモ・ゴレンは当初これを否定していたが、1974年には同様にベタ・イスラエルがユダヤ人であると認めた。

1975年4月、イツハク・ラビン政権はベタ・イスラエルがユダヤ人であると正式に承認し、各国ユダヤ人のイスラエル移住を目指す、帰還法の対象であるとみなした。

その後メナヘム・ベギン首相は、オヴァディア・ヨセフからベタ・イスラエルが失われた十支族の末裔であることに関して承認を得た。一方、イスラエルの主席ラビ評議会は当初、ベタ・イスラエルに対しユダヤ教への「改宗」を求めた。

 

が、悲しいかな、人種差別をするイスラエル人は多く・・・。

 

イスラエルを傲慢にしたのは誰? - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

の転載させてもらった記事:

ニューズウィーク『イスラエルの過激なアフリカ系移民排斥運動』

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2012/06/post-2569.php

イスラエルはアフリカ諸国からの不法移民が押し寄せる移民大国。貧困国からの経済難民や母国での政治的抑圧を逃れてきた亡命者など、およそ6万人ものアフリカ系移民が暮らしている。

 だが、彼らの存在はイスラエル社会にとって頭痛のタネ。犯罪の増加や社会の不安定化の元凶だとして、アフリカ系移民に対する市民の反感は爆発寸前に高まっている。

亡命希望者は砂漠の真ん中に収容

 ベンジャミン・ネタニヤフ首相は6月3日、エチオピアやガーナ、コートジボアール、南スーダンなどから来た不法移民2万5000人を迅速に国外追放するよう指示。さらにエリトリア、ソマリア、スーダンからの亡命希望者の収容施設を砂漠の真ん中に建設するよう命じた。ネタニヤフは「(国外)に送還できる人は全員、できるだけ早くそうすべきだ」と閣僚らに語ったと伝えられる。

 英BBCは、不法移民を射殺すべきだと訴える年配のイスラエル人男性や、アフリカ系移民によるセクハラや犯罪行為を糾弾し、彼らがイスラエル人の雇用と住宅を奪っていると訴える若い女性のインタビューを放映した。アフリカ系移民が「侵入者」と呼ばれることが多いなか、与党のある政治家は彼らを「癌」だと言い切った。

 イスラエル人とアフリカ系移民コミュニティの反目は数カ月前から一段とヒートアップしている。イスラエル政府は昨年12月、不法移民の侵入を食い止めるために1億6000万ドルを投じると表明。先月、テルアビブで行われた反移民デモでは一部のデモ隊が暴徒化し、対立が納まる気配はない。

 

Racism in Israel - Wikipedia

 

仮置き:

モーリタニアにある離婚女性市場へ🇲🇷世界一奇妙な市場 (youtube.com)

Divorce Mauritania Style | Unreported World (youtube.com)

モーリタニアの砂漠で金採掘者たちと4日間過ごした (youtube.com)

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