Various Topics 2

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※旧Various Topics(OCN)

ユニテリアンと科学と政治-3(ジョセフ・プリーストリーとギロチンで命を落としたアントワーヌ・ラヴォアジエ)

2022年12月12日 | 人物

魔女裁判が衰退した背景-錬金術とフリーメイソン - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

の末尾で紹介した

アントワーヌ・ラヴォアジエ

アントワーヌ・ラヴォアジエ - Wikipedia

彼の名前を偶然見ることになりました。

それは、ユニテリアンで、ルナー・ソシエティのメンバーのジョセフ・プリーストリーのウィキぺディアで。

ジョゼフ・プリーストリー - Wikipedia

ジョゼフ・プリーストリー(Joseph Priestley, 1733年3月23日 - 1804年2月6日[1])は、18世紀イギリスの自然哲学者、教育者、神学者、非国教徒の聖職者、政治哲学者で、150以上の著作を出版した。気相の酸素の単離に成功したことから一般に酸素の発見者とされているが、カール・ヴィルヘルム・シェーレとアントワーヌ・ラヴォアジエも酸素の発見者とされることがある[2]。その生涯における主な科学的業績として、炭酸水の発明、電気についての著作、いくつかの気体(アンモニア、塩化水素、一酸化窒素、二酸化窒素、二酸化硫黄)の発見などがあるが、最大の功績は「脱フロギストン空気」(酸素)の命名である。1774年夏、酸化第二水銀を加熱することによって、得られる気体が燃焼を激しくすることを発見し、その気体の中でネズミが長生きすることを発見した。当時フロギストン(燃素)説の時代であったので、「脱フロギストン空気」と考え、同年ラヴォアジエに話した。この気体が酸素である。この実験を追実験することによってラヴォアジエは燃焼の化学的プロセスを解明することになった。しかしプリーストリー自身はフロギストン説に固執し、化学革命を拒否したため、科学界で孤立することになった。

 

ジョセフ・プリーストリーは、神学者でもありながら、フランス革命を支持しました。

おそらく生きていたら酸素の発見者の一人となっただろうラヴォアジエは、フランス革命でギロチンで亡くなりました。

ラヴォワジェ (y-history.net)

 17世紀はニュートン力学に見られるように物理分野では大きな進歩があったが、物質観に関しては依然として”土、水、空気、火”という4つの基本物質からなっているという理解に留まり、錬金術の段階を脱していなかった。18世後半になってようやく水素の発見(1766年、イギリスのキャヴェンディッシュ)、酸素の発見(1772年、スウェーデンのシェーレ)があり、フランスのラヴォワジェによって元素と化学反応の原理がが燃焼実験の結果、明らかになった。定量的研究を重ねたラヴォワジェは1777年に燃焼とは空気の一成分と物質の結合であることを発見し、ついに空気が酸素と窒素からなることを明らかにした。1785年に水の分解実験に成功し、1789年にそれらの知見をまとめて『化学原論』を発表し、物質の究極的な構成要素を「元素」と名付け、水素、酸素、窒素など33種類の元素を列挙し、あわせて「質量保存の原則」を明らかにした。このラヴォワジェの業績は、錬金術から化学に変化させ、近代科学を真に成立させたと言える。

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