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「1933年にムッソリーニ政権が起こした強制ワクチン被害」と「コロナワクチン被害」

2024年07月12日 | 福祉・医療

エンリコ・マッティの1962年に飛行機事故(のちに事故ではなく事件であったことがわかる)は、グラディオ作戦ネットワークの起こした事件だったのではないかと思いながら、このブログ記事に載せたWikipediaを見ていました。

イタリアのテロ事件(グラディオ作戦)の二人の日本人被害者 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

このリストについて、ブログ記事には「イタリアのテロ」と書きましたが、正しくは「イタリアの虐殺」。

List of massacres in Italy
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_massacres_in_Italy 

 

このリストに、本来「虐殺」というわけではない事件が載っていましたが、「ムッソリーニ・ファシスト政権の事件」ということでWikipediaに載せた人がいるのでしょう。

Strage di Gruaro - Wikipedia

Google翻訳:

グルアーロ虐殺では、1933年4月から5月にかけてヴェネチア州グルアーロで、ワクチンの試験中の誤った手順により28人の子供が死亡した[1]。

 歴史

当時のイタリア王国当局は、新たに開発され、これまでテストされたことのなかったジフテリアワクチンをテストするためにグルアーロの町を選択しました。町医者の反対にもかかわらず、生後13か月から8歳までの253人の子供がこの予防手術に集められた。

しかし、ワクチンの投与直後、彼らは異なる性質と重症度の症状を経験し始めました。彼らは直ちにポルトグルアーロ病院と、パドヴァのジーノ・フロンターリ教授が管理する小児病院に入院し、緊急措置が講じられたにもかかわらず、28人が死亡した。 後に、ナポリの国立血清療法研究所の研究室で調製された血清の容器が正しく準備されていなかったため、患者はまだ活動し弱毒化されていない細菌にさらされていたことが判明した。

ファシストイタリア当局はこの事件を沈黙させ、この事件に対する司法捜査は開始されなかった[2][3]。


原文:

La strage di Gruaro causò la morte di 28 bambini a Gruaro, in provincia di Venezia, tra l'aprile e il maggio 1933 a causa di un'errata procedura durante la sperimentazione di un vaccino[1].

Storia

Le autorità dell'allora Regno d'Italia selezionarono l'abitato di Gruaro per sperimentare un vaccino contro la difterite di nuova concezione e mai testato prima; nonostante la contrarietà del medico del paese, 253 bambini di età compresa tra i 13 mesi e gli otto anni furono reclutati in questa operazione profilattica.

Subito dopo la somministrazione del vaccino, però, iniziarono ad avvertire sintomi di diversa natura e gravità; furono prontamente ricoverati presso l'ospedale di Portogruaro, e l’ospedale pediatrico gestito dal Prof. Gino Frontali, a Padova dove, nonostante la messa in opera di misure di emergenza, 28 di loro spirarono.

In seguito si scoprì che un contenitore di siero, preparato in un laboratorio dell’Istituto Sieroterapico Nazionale di Napoli, non era stato correttamente preparato, esponendo perciò i pazienti al batterio ancora attivo e non attenuato.

Le autorità dell'Italia fascista fecero passare sotto silenzio l'episodio e nessuna inchiesta giudiziaria venne aperta sull'accaduto[2][3].

 

コロナワクチンは「治験ではない」といいながら、2025年まで治験する予定のワクチンだったので、このワクチンの事実上の強制接種を決めた人たちは、やはり「ファシスト」と言っても良いのでしょうね。

(「予防接種があるから助かる人がでてきた」ということもあるので、医療業界も治験を要し、一般人も恩恵を得る。とはいえワクチンは金の卵にもなる-第二次世界大戦でナチスと日本が行った人体実験はやはり戦争の目的の一つだったのではないでしょうか。)

今もワクチンを打って死亡したり、後遺症を残した人達のほとんどは「ワクチンの因果関係が認められない」と言われています。

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