三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

島田裕巳『0葬 あっさり死ぬ』

2015年01月28日 | 仏教

島田裕巳『0葬』は副題が「あっさり死ぬ」なので、死に方について書かれているのかと思ったら、「遺体の処理」方法についての本でした。

人が死ぬと、葬儀を行い、火葬にして、遺骨は墓に納める。

しかし、費用がかかりすぎる、葬儀の簡略化の流れは時代の必然だと島田裕巳氏は言うわけです。

極端な言い方をすれば、もう人を葬り、弔う必要はなくなっている。
遺体を処理すればそれでいい。そんな時代が訪れている。
それは、自由だということである。
自由であるということは、拘束がないということであり、同時に寄る辺がないということである。
都会に生きる人間は、何よりも自由を最優先し、死者との関係を遠ざけることで、みずからも死後に消え去っていくという道を選んだ。
そして、死後に生者とともに生きないと決めた人間には、その人間にふさわしい死に方があり、弔われ方があり、死後の処理のされ方がある。

あらゆるものを消費の対象にする資本の論理は、人を葬ることを経済行為に結びつけて金を使うことを強いるし、都会の寺院は維持費が高いので、布施や戒名料は高くなった。
だから、葬儀をせず、火葬した後に遺骨を引き取らない0葬を島田裕巳氏は提唱する。

で、171ページになって、島田裕巳氏は「葬送の自由をすすめる会」の会長をしていると書いており、ああ、そうかと思いました。
自然葬は遺骨を細かく砕いて海や山、あるいは川などに撒くものです。
0葬とは自然葬の先にあるもので、火葬場に直行し、荼毘に付した後、遺骨を引き取らない。

遺体は適切に処理し、後に面倒がかからないようにする。
それこそが、死にゆく者にとっては自らの「死後の不安」を根本的に解消することにつながり、生きている者の負担を軽減する道なのである。


島田裕巳氏は金銭的理由から「遺体の処理」についてそういう主張をしているわけですが、そんなに負担なのかと思いますし、そうした負担もある意味大切だと私は考えます。
それに、残された者は「遺体の処理」と割り切って、儀礼的なものをすべて排除できるものではないでしょう。
なぜなら一人称の死と二人称の死、三人称の死とは違うからです。
このことは尊厳死にも言えることですが、知らない人(三人称の死)なら経済的な観点から適切に処理すればいいということになります。
しかし、自分自身(一人称の死)は延命治療を求めない人でも、家族(二人称の死)には生きていたいと思うものです。

上野顕太郎『さよならもいわないで』を某氏からいただきました。
上野顕太氏の奥さんが突然亡くなる前後のことを書いた漫画です。
夫婦とも特に宗教を信じていたわけではないので、坊さんにお経をあげてもらうことはせず、親しい人が集まるお別れ会をする。
来てもらうだけでいいと思っていたが、葬儀業者が「何か形があったほうが送り手は安心するものだ」と言うので、参列者に花か線香をあげてもらう。
お棺が火葬場の釜に入る時に合掌する。
そして日々の儀式は必要だと考え、燭台、香炉、キンを買って、毎朝、ロウソクに火を灯し、線香をたき、合掌する。
奥さんは「お墓はいらない、散骨してほしい」と言っていたが、お墓を建立し、墓参りに行く。
宗教を信じていないという上野顕太氏が合掌することに違和感を持つ人はいないと思います。

それと地域性です。
宗教や人間関係についての考え方は、同じ大都会ではあっても、東京と大阪では違うし、地方はもっと東京とは事情が違います。
東京の人に聞くと、直葬をするほとんどの人は地方から出てきて、菩提寺や墓のない人で、寺の境内に墓を持っている人は葬儀や法事はきちんとしているそうです。

島田裕巳氏は、大学4年生のときにヤマギシ会の運動に参加し、共同体で生活したことがあるそうです。
『0葬』には明らかな間違いが散見します。
浄土教信仰の起源は中国だ、インドの輪廻転生の考えからすれば、死後に極楽浄土に生まれ変わることを目指す浄土教信仰はあり得ないとか、末法思想は中国で生まれたといったことは、ちょっと調べたらわかる間違いです。
0葬の主張にどれだけ正しい根拠があるのかと思います。
だけども、ネットで調べると好意的な書評を見かけるし、島田裕巳氏の影響は大きいらしいそうです。
0葬や尊厳死を肯定的に考えている人は、実状ではなくイメージだけで判断しているように感じます。

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2 コメント

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Unknown (はるな)
2015-03-03 11:55:52
火葬をしておいて遺骨を引き取らないのが、なんで自然葬の先なんだ。前だろう。こんな行為は、ただの債務不履行であって死者を冒涜しているだけ。
返信する
債務不履行とはどういうこと? ()
2015-03-04 21:03:13
電車の中の忘れ物にいろんな変わったものがあり、その一つが骨壺です。
これは忘れたのではなく、邪魔だから網棚に置いていくんだそうですね。
たしかに冒涜です。
返信する

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