三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

『アルキメデスは手を汚さない』と『かれら』

2014年05月28日 | 

小説は風俗を扱った個所から古びていく、という言葉があるそうだが、小説の風俗描写はその時代や社会の貴重な史料だと思う。
もっとも、本当に社会の風俗なのかどうか、作者の創作かはわからないが。
そして、小説が古びるのは風俗描写ではなく、文章や言葉からだと思う。

いい例は、最近読んだ本の小峰元『アルキメデスは手を汚さない』である。

江戸川乱歩賞受賞作で、昭和48年発行。
関口苑生『江戸川乱歩賞と日本のミステリー』によると、単行本でおよそ34万部、文庫では65万部も売れたという。
『文学賞メッタ斬り!』の脚注に、「学園を中心にして起こる不可解な事件がテンポよく起こり、リーダビリティの高い爽快な青春推理小説。ラストに、最も不可解な謎とタイトルの意味がわかり、あっと驚かされ、青春の苦さ辛さを実感させる。(ニュースな本棚 青春童貞ライ麦畑)」とあるので読んでみました。

和田誠の表紙デザインはいいが、肝心の中身があまりにもつまらなくて、こんな高校生たちが実際にいるわけないじゃないかと思った。

近ごろの若い者は何を考えているのか、というくさみがする。
石原慎太郎『太陽の季節』の推理小説版といった感じのお話。
登場する高校生たちは、全学連の演説、もしくはヒッピーみたいな話し方をする。そんなふうにしゃべる高校生がいたとは思えない。
大阪での話なのにみんな東京弁でしゃべっていて、高校生の一人だけが何やら妙な大阪弁を使うのも白ける。
死んだ女子高生を担任の教師や同級生は「美雪君」と言うのも古くさい。
これは作者の小峰元氏が大正10年生まれの52歳だということもあるかもしれない。
もっとも、私が高校生のときに読んだらどうだったか、とは思います。



ジョイス・キャロル・オーツ『かれら』も昭和48年に出版されている。

古くさい訳語が時代を感じさせます。

 ルビ
虚構「フィクション」
強迫観念「オブセッション」
美容室と婦人用品店「サロンとブティック」
棒雑巾「モッブ」
展示場「ショー・ルーム」
今ならこれらはわざわざ日本語に訳さないと思う。
鎧戸「ブラインド」
よろい戸とブラインドは別なものという気がする。

 注
「ソリテール(一人でやるトランプ遊びの一種)」
ソリティアのことか。
「パンチボード(板にあけた無数の穴に詰めてある紙片を一つずつ突き出して番号などで景品を当てるゲーム用具)」
ビンゴ?
「グレイハウンド(アメリカ全土にわたって運行しているバス会社)」
「ショッピング・カート(買物用の二輪の手押車)」
「ニュー・イングランド(メイン州など米北東部の六州)」
「既視感(ある光景を見て、前に見たように感じる一種の錯覚)」
今なら注は不要かもしれない。
「エホバの証者(米国におこった、終末論と平和主義の教団)」
以前はこういう訳語だったのか。
「ブタ(俗語で「好色な女」の意)
ビッチだろうか。

洋画の題名は英語の題名をそのままカタカナにしたものが多いが、いつからそうなったのだろうか。
キネマ旬報ベストテンを見ると、昭和48年あたりからではないかと思う。
今は意味がわからないカタカタ英語が当たり前のように使われていて、意味を調べるのも面倒くさい。
そんなときは昔はよかったと思ってしまう。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

若林秀樹「袴田事件の「再審開始決定」と刑事司法改革」

2014年05月23日 | 死刑

「FORUM90」VOL.135に、若林秀樹「袴田事件の「再審開始決定」と刑事司法改革」という文章があった。
ご紹介します。
「袴田事件からみた刑事司法等の課題」として5つあげられている。

1,代用監獄制度の廃止と、取調べの全過程の録音・録画
袴田さんは20日間にわたって平均12時間の取調べをされた。
暴力、脅し、食事制限、取調室への便器の持ち込みなど、あらゆる手段を使って自白を強要した。
供述調書44通を静岡地裁は排除したが、1通だけを証拠採用、この調書によって死刑判決が出された。
代用監獄制度は廃止すべきだし、取調べの全面可視化をするべきである。

2,証拠の全面開示

今回の再審請求審で、新たに検察が開示した証拠は600点以上。
この証拠によって、これまで認定された「事実」が間違っていることが明らかになった。
ズボンの寸法札の「B」は大きさではなく、色を表す記号だった。
味噌タンクの事件当時の味噌量では、5点の衣類を隠すことができなかった。
裁判所の認定が間違っていることを検察は知っていながら、証拠を隠し、袴田さんを「死刑だ」と主張したのである。
若林秀樹氏は「死刑事件における冤罪は、国家による殺人行為である」と書いているが、そのとおり。
私には検察官たちは袴田さんを殺意を持って殺そうとしたとしか思えない。

3,再審制度の見直し
日本では再審が認められることはほとんどない。
イギリスでは刑事再審委員会があり、日本でも独立した調査権限のある組織も検討すべきである。
これまた私が考えるに、裁判官は裁判所が下した判決を覆すことには抵抗があるだろうから、裁判員によって再審するかどうかを決めたらどうかと思う。

4,検察の再審開始決定に対する上訴権の禁止
欧米では、無罪判決の場合、原則として検察の上訴は認められていない。
圧倒的権力を持つ国家に対して、個人の利益を守るためである。
これは、裁判とは犯罪者を罰することだとか、被害者の復讐を国家が代わりに行なうのが裁判だと考える人が多い日本とは、裁判に関する考えが違っているということなんでしょうね。

5,マスコミの報道の在り方
袴田事件の場合、マスコミは逮捕される前から犯人扱いで実名を報道し、捜査機関の発表を垂れ流していた。
若林秀樹氏は検察の異議申し立てについて、「検察が異議申し立てをするのは何故であろうか。私はそれが理解できないし、自らが正しいと思うのであれば、再審公判で主張すればいいのである」と書いている。
再審で勝つ自信がないんだろうと思います。
袴田事件の再審開始決定、そして死刑の執行停止、さらには拘置の執行の停止に対して、私の知る限り、批判するメディアはなかったと思う。

ところが、
「驚くことに死刑制度の廃止についての論調は、ほぼ皆無である」
「刑事訴訟法」475条には「(死刑の執行)の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない」とあり、「但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない」とはあるものの、ベルトコンベアや乱数表のように自動的に客観的に執行していたら、袴田巌さんはとっくの昔に死んでいる。
たしかに不思議だと思う。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ジュゼッペ・トルナトーレ『鑑定士と顔のない依頼人』

2014年05月16日 | 映画

ジュゼッペ・トルナトーレ『鑑定士と顔のない依頼人』は後味がものすごく悪い映画である。
知人は「人間不信になる」と言っていた。

家に帰ってからチラシを見たら、「バッドエンドなのか。ハッピーエンドなのか」とある。

どういうことかと思い、ネットで映画評をあれこれ見ていたら、最後のいくつかのモンタージュがどういう時系列なのかが気になった。

1,ベッドシーン

2,プラハ
3,施設で車イスに乗り、表情のない顔をしている
4,回転する機械

1→2→3・4という順番だと最初は思った。

しかし考えてみると、女は15歳から家に閉じこもり、人と会わない生活をしていたにもかかわらず、ずいぶん積極的で激しいベッドシーンである。
いくら童貞老人とはいえ、疑問を感じないのかと思った。
ひょっとしたら3→4→2→1なのかもしれない。
回転する機械で回復し、女と再会して……。
これならハッピーエンドである。

そこで原作を読んでみました。

といっても、映画の原作小説ではないし、脚本でもないし、ノベライズでもない。
アイデアを思いついて、それを短編小説という形でまとめたもので、それが脚本に発展したのだという。

最後はどういう順番かというと以下の通り。

入院→退院→警察の前→プラハ→ナイト・アンド・デイ

女が仮に主人公と会いたいと思ったとしても、異国の店にいるとは思いもしないだろう。

「あなたを愛しているの。どんなことがあっても、忘れないでね」という女の言葉を信じ、女がよく話していたレストランで待ち続けるなんて、精神に異常を来しているとしか思えず、これはまたこれで後味が悪くて、バッドエンディングでした。

 

 

コメント   トラックバック (1)
この記事をはてなブックマークに追加

理不尽な世界に

2014年05月14日 | 日記

梯久美子『百年の手紙』に由比忠之進という人のことが書かれていた。
昭和42年11月、「佐藤総理に死をもって抗議する」という抗議書を残し、総理官邸前で自分の胸にガソリンをかけ、火をつけて焼身自殺した。
アメリカの北ベトナムへの爆撃を支持への抗議自殺である。
そんなことがあったなんてまったく覚えていない。

昭和61年、中学2年生の鹿川裕史くんはイジメが原因で自死している。

ただ俺が死んだからって他のヤツが犠牲になったんじゃいみないじゃないか。

同じように遺書を残して自死したイジメ被害者は少なくない。
死をもって抗議しても、世界は変わらない。
どのようにして伝えていくか。
どうしたら伝わるのか。

田沼武能『難民キャンプの子どもたち』にこのように書かれている。

ゲリラは人を殺す感覚が麻痺している。少しでも逆らえば、すぐ殺してしまうのだ。襲撃の対象となる人たちは政治とは関係のない、平和に暮らす一般の人なのに、金品はもちろん、子どもたちまで誘拐されていく。

ナイジェリアのイスラム過激派が学校を襲撃し、多数の女子生徒を連れ去ったという事件があった。
コロンビアのゲリラは麻薬マフィアだし、アフリカの反政府軍と称する中には単なる強盗団も多い。
彼らに対してどうすればいいのか。

あるいは独裁国家。
グアテマラの親米独裁政権は何十年も富を独り占めし、国民を弾圧し、先住民を迫害した。
ゲリラと見なされた人は拉致されて拷問、約800万人の人口のうち20万人が虐殺されたという。
暴力には暴力で対するしかないのか。

地上に天国を実現することを好まぬ者がいるであろうか。しかしながら、その企ては必ず地獄を生み出すことになる。(関雅美『ポパーの科学論と社会論』)。

でも、アンゴラは27年間の内戦が終結した後、ダイヤモンドや石油の輸出によってアンゴラ経済は拡大しているそうだ。
100日間で80~100万人が虐殺されたルワンダも復興し、経済成長率も高いという。

なんとかなるのかもしれない。

コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

植木理恵『ウツになりたいという病』

2014年05月10日 | 

小学校の教師をしている知人(50代)の話だと、ウツ病になってやめる若い先生が多いという。
ある日突然、学校に来なくなってやめてしまう。
知人は「自分たちの若いころのウツ病とは違う。早く治して学校に行かなくてはと思っていた。しかし、今の若い人はそうじゃない」と言う。
植木理恵『ウツになりたいという病』に「ウツもどき」が増えているとあり、知人が言っているのはこれかもしれないと思った。

植木理恵氏のところに相談にくる人の約6割が「ウツもどき」だという。
「もどき」といっても、本人は本当に苦しんでいるから仮病ではない。
表面上はウツ病に酷似しているけれど、専門家から見ると本質的に何かが違う。

ウツ病の人は、ウツという病気に自覚的でなく、まったと別の内科的症状を探っていったらウツ病が潜んでいたりするのですが、ウツもどきの人は反対にウツ病に対してかなり意識的でいろいろな知識を持っていることが多いのです。


「ウツもどき」の特徴(ウツ病との違い)
①ウツもどきは薬が効かず、ちょっとしたきっかけで簡単によくなる
②子どものころに親と確執があったというような何らかの精神的経歴を従来のウツ病の人は持っていることが多いのに対し、ウツもどきはそうした来歴がなく突然ウツ状態になるケースが多い
③ウツ病の人は、仕事がスローになったり、認知症の初期症状に似たものが出てきたりと、発症する前に何らかのサインを発しているが、ウツもどきにはそうした兆候が見当たらない

「ウツもどき」の三つのタイプ
①ウツになりたい病 ウツ病というラベルを貼られることを望む
②アイデンティティの不安定さからくるウツ的症状
③新型ウツ

この中で新型ウツというのが興味深い。
新型ウツとウツ病の違いをいくつか。

新型ウツの人は見るからに印象が暗い。
ウツ病の人は暗いというよりボーッとした感じを受けることが多い。

新型ウツの人は薬物療法がほとんど効かない。
ウツ病の人は薬物療法で治ることが多い。

新型ウツの人は問題は自分にはない、いつも悪いのは親であり、友人であり、同僚や上司であるという他罰的傾向が強いから、自分に問題があると見なされると理不尽な気持ちになる。
ウツ病の人は自分を責める。

新型ウツの人は自己評価が高い人が多い。
ウツ病の人は自己評価があまり高くない。

新型ウツの人は、主観性が強いので客観的視点が欠けている。
ウツ病の人は客観的にものごとを見られる傾向がある。ただ、他人の目に敏感であるから、自分がウツ病だということを認めようとしない。いきなり「私はウツです」と言って診察してもらうことは少ない。

ウツ病の人は自分が病気であることに否定的なので、カウンセリングをすっぽかしたり、ウツ病と向かい合うことから逃げ腰の姿勢で治療を受ける傾向があります。


新型ウツの人は他人に責任を転嫁していくので、ウツ症状を起こしやすい本来の要因を自分の中に探ろうとしないため、人間的な成長がなかなかない。
ウツ病の人は呻吟しながらも自分の内面を見つめていくので、ウツから回復した時には人間的成長がある。

その他、新型ウツの特徴。
新型ウツの人は、会社に行っている間はウツになるけれども、週末になると趣味の釣りやダイビングなどに出かけるという、傍から見ると本当にウツ状態なのかと思ってしまうようなことをする。しかし、会社に出勤するとウツ状態に陥ってしまう。
新型ウツの人には情に響くようなはげましは通用しない。ムッとされたり、不機嫌になったりする。それは「あなたに問題があるんですよ」というニュアンスになってしまうから。

ということで、新型ウツの本人はしんどい思いをしているんだろうけど、『ウツになりたいという病』を読むと、いやなことをしたくないだけという感じがしました。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』(2)天皇の政治的行為

2014年05月05日 | 戦争

昭和天皇は、憲法に忠実に従い、憲法の条規によって行動する立憲君主の立場を貫いたと言われている。
二・二六事件と終戦の時との二回だけは積極的に自分の考えを実行させたが、開戦に際しては、憲法を尊重したために自分が望まなかった開戦を阻止できなかったことになっている。
しかし、昭和天皇は自分の考えをきちんと伝えており、「政治的行為」をしていることが、豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』を読むとよくわかる。

『昭和天皇独白録』で、終戦の「聖断」に踏み切るにあたって決心を左右した要件として、

敵が伊勢湾附近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込が立たない。これでは国体護持は難しい、故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和をせねばならぬと思つた。

と昭和天皇は述べている。

昭和天皇は国体を護持するために、新憲法施行後も能動的君主として政治に介入した。
サンフランシスコ講和条約・安保条約(1951年9月)が調印されて十日後に行われたリッジウェイとの第三回目の会見で、昭和天皇は

有史以来未だ嘗て見たことのない公正寛大な条約(講和条約)が締結された。

と喜ぶとともに、

日米安全保障条約の成立も日本の防衛上慶賀すべきことである。

と述べた。

この講和条約は、第三条でアメリカによる事実上の沖縄支配が規定され、第六条で二国間の駐留協定の締結を認めることによって安保条約が根拠づけられ、十一条で東京裁判の結果を日本が受諾したことを明記している。

旧安保条約の内容は、日本には米軍に基地を提供する義務があるが、米軍の日本駐留はあくまで権利であって、米軍には日本防衛が義務づけられていない一方で、米軍には日本の内乱に介入する権利がある。

さらに、米軍は日本の基地を利用することができるが、基地については提供地域が特定されない「全土基地化」の権利が米軍に与えられている。
また、米軍には事実上の「治外法権」が保証されている。
そして、この条約には有効期限が設定されておらず、失効には米政府の承認を必要とする。
しかも、米軍の駐留はあくまでも「日本側の要請」に応えるアメリカが施す「恩恵」とされた。

アメリカとしては、占領期と同じように米軍が日本に駐留し、基地や国土を自由に使用できる権利を確保することが目標だったのだが、昭和天皇はダレス国務長官に「衷心からの同意」を表明している。
これだけの不平等条約である安保条約を昭和天皇は吉田茂に圧力をかけて「自発的なオファ」による米軍への無条件的な基地提供という方向にさせている。

独立後の日本の安全保障体制がいかに枠組まれるかということは、「国家元首」として自ら乗り出すべき最大のイッシューとみなされたのであろう。なぜなら、天皇制にとって最も重大な脅威とは内外からの共産主義の侵略であると認識されていたからである。

と豊下楢彦氏は説明する。

松平康昌が「一番協力されたのは陛下ですよ」と述懐したように、占領協力に徹することによって、戦犯としての訴追を免れ、皇室を守り抜くことに成功したのであった。戦後直後の危機を切り抜けた昭和天皇にとって、次に直面した最大の危機は、天皇制の打倒を掲げる内外の共産主義の脅威であった。この脅威に対処するために昭和天皇が踏み切った道は、「外国軍」によって天皇制を防衛するという安全保障の枠組みを構築することであった。

「内乱への恐怖」を持ちつづけた昭和天皇は、ソ連や共産主義を恐れ、天皇制を守るためにアメリカの庇護をアメリカ側に訴えたのである。

要するに、天皇にとって安保体制こそが戦後の「国体」として位置づけられたはずなのである。


国体護持のために終戦の決断をしたように、安保という国体を維持するためにさまざまな働きかけを昭和天皇はしている。

朝鮮戦争の時、マーフィー駐日アメリカ大使に次のように訴えている。

朝鮮戦争の休戦や国際的な緊張緩和が、日本における米軍のプレゼンスにかかわる日本人の世論にどのような影響をもたらすのかを憂慮している。(略)
日本の一部からは、日本の領土から米軍の撤退を求める圧力が高まるであろうが、こうしたことは不幸なことであり、日本の安全保障にとって米軍が引き続き駐留することは絶対に必要なものと確信している。

55年8月、重光葵が訪米する前の発言。

陛下より日米協力反共の必要、駐屯軍の撤退は不可なり。(『重光葵手記』)

58年10月、マケルロイ国防長官に。

強力なソ連の軍事力に鑑みて、北海道の脆弱性に懸念をもっている。

キューバ危機が終息した62年10月、スマート在日米軍司令官に。

世界平和のためにアメリカが力を使い続けることへの希望を表明した。

内外の共産主義が天皇制の打倒を目指して侵略してくるであろうという恐怖感、こうした脅威を阻む最大の防波堤が、昭和天皇にとっては米軍の駐留だった。

天皇にとっては、東京裁判と安保体制は、「三種の神器」に象徴される天皇制を防衛するという歴史的な使命を果たすうえで、不可分離の関係にたつものであった。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』(1)マッカーサーの意図

2014年05月01日 | 戦争

『マッカーサー回想記』に、昭和天皇がマッカーサーと会見した際に、

私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためおたずねした。

と言ったので、マッカーサーが感激したことが書かれてある。
豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』を読み、この「天皇発言」にどういう意味があるか理解できた。

マッカーサーは東京裁判の主席検察官キーナンに、昭和天皇は「この戦争は私の命令で行ったものであるから、戦犯者はみな釈放して、私だけ処罰してもらいたい」と言ったと語ったと、田中隆吉元陸軍少将は書いている。
ヴァイニング夫人や重光葵も、マッカーサーから「責任はすべて自分にある。全責任を負う」と昭和天皇が語ったと聞かされている。
ただし『マッカーサー回想記』には、数々の「誇張」「思い違い」「まったく逆」があるそうで、昭和天皇が本当にこのように発言したかは疑わしいそうだ。

通訳をした奥村勝蔵の手記した会見記録によると、天皇の戦争責任にかかわる発言は

コノ戦争ニツイテハ、自分トシテハ極力之ヲ避ケ度イ考デアリマシタガ、戦争トナルノ結果ヲ見マシタコトハ、自分ノ最モ遺憾トスル所デアリマス。

とあり、「全責任を負う」という発言は見られない。

マッカーサーの意図は何か、豊下楢彦氏はこのように説明している

極東諮問委員会の代表団や『ライフ』誌、NHKなど〝表舞台〟においては、自分は戦争に反対であったが軍閥や国民の意思に抗することはできなかったとの「天皇発言」が活用され、だからこそ天皇に戦争責任はなく免訴されるのが至当である、とのアピールが展開された。他方〝裏舞台〟においては、戦争が自らの命令によって行われた以上は全責任を負うとの「天皇発言」がキーナンや田中隆吉に〝内々〟に伝えられることによって、天皇を絶対に出廷させてはならないという両者の決意と覚悟が固められ、〝法廷対策〟におちて見事な成果がもたらされたのである。

「戦争に反対だった」と「戦争の全責任を負う」という相反する「天皇発言」を、マッカーサーは「東京裁判対策」として駆使したと、豊下楢彦氏は指摘する。
つまりマッカーサーは、昭和天皇の戦争責任の回避と日本の占領統治のための天皇の政治利用を意図した。

一方、昭和天皇がマッカーサーと何度も会見した狙いは、自らの戦争責任の回避と日米安保体制の確立であり、マッカーサーと利害が共通していた。
戦争責任については、自らの意図に反する形で宣戦の詔勅を利用したと東条や軍部を非難し、自分は平和主義者だと強調した。
そして、東条らに全責任を負わせ、昭和天皇を不訴追にした東京裁判を肯定、賛美した昭和天皇は、マッカーサーに謝意を述べている。

戦争裁判に対して貴司令官が執られた態度に付、此機会に謝意を表したいと思います。


なぜ昭和天皇が靖国神社に参拝しなくなったかというと、「富田メモ」によるとA級戦犯が合祀されたからであり、自らの意思なのである。

私は、或る時に、A級(戦犯)合祀され、その上、松岡、白取までもが。(略)だから、私はあれ以来参拝をしていない。それが私の心だ。


太平洋戦争は昭和天皇の「意を体した」戦争であったか。
1941年12月1日の御前会議について、昭和天皇は『独白録』で、「反対しても無駄だと思つたから、一言も云はなかつた」と述べている。
昭和天皇の「意に反した戦争」で戦死した人たちは、「天皇のために」戦ったわけではないのだから無駄死だったことになる。
そのことについて豊下楢彦氏はこういう指摘をしている。

天皇は平和主義者であったと主張する立場と、あの戦争は「自存自衛の戦争」であり、そこで倒れた「英霊」のために首相は靖国神社に公式参拝すべきであると主張する立場とが、何ら自己矛盾を惹き起こすこともなく〝共存〟するという、まことに奇妙な〝ねじれ〟現象が長く続いてきたのである。


そして、日本の安全保障について、昭和天皇は米軍による防衛の保障をマッカーサーに求めた。
昭和天皇は第四回会見で

日本の安全保障を図る為にはアングロサクソンの代表者である米国がそのイニシアティブをとることを要するのでありまして、その為元帥の御支援を期待しております。

と発言し、マッカーサーは次のように答えている。

日本としては如何なる軍備を持ってもそれでは安全保障を図ることは出来ないのである。日本を守る最も良い武器は心理的なものであって、それは即ち平和に対する世界の輿論である。自分はこの為に日本がなるべく速やかに国際連合の一員となることを望んでいる。日本が国際連合において平和の声をあげ世界の平和に対する心を導いて行くべきである。

安倍首相をはじめとする集団的自衛権、憲法改正を企む人たちに、マッカーサーのこの言葉を教えてあげたい。

また、現在の憲法はアメリカの押し付けだとして否定する人がいるが、憲法がマッカーサーによって「押し付け」られなければ、憲法改正作業は英米中ソを含む連合諸国11カ国で構成される極東委員会が担うことになり、天皇制が廃止された可能性もあると豊下楢彦氏は言う。

この会見の歴史的な意義は、天皇によるマッカーサーの「占領勢力」への全面協力とマッカーサーによる天皇の「権威」の利用という、両者の波長が見事に一致し、相互確認が交わされたところに求められるべきであろう。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加