小説は風俗を扱った個所から古びていく、という言葉があるそうだが、小説の風俗描写はその時代や社会の貴重な史料だと思う。
もっとも、本当に社会の風俗なのかどうか、作者の創作かはわからないが。
そして、小説が古びるのは風俗描写ではなく、文章や言葉からだと思う。
いい例は、最近読んだ本の小峰元『アルキメデスは手を汚さない』である。
江戸川乱歩賞受賞作で、昭和48年発行。
関口苑生『江戸川乱歩賞と日本のミステリー』によると、単行本でおよそ34万部、文庫では65万部も売れたという。
『文学賞メッタ斬り!』の脚注に、「学園を中心にして起こる不可解な事件がテンポよく起こり、リーダビリティの高い爽快な青春推理小説。ラストに、最も不可解な謎とタイトルの意味がわかり、あっと驚かされ、青春の苦さ辛さを実感させる。(ニュースな本棚 青春童貞ライ麦畑)」とあるので読んでみました。
和田誠の表紙デザインはいいが、肝心の中身があまりにもつまらなくて、こんな高校生たちが実際にいるわけないじゃないかと思った。
近ごろの若い者は何を考えているのか、というくさみがする。
石原慎太郎『太陽の季節』の推理小説版といった感じのお話。
登場する高校生たちは、全学連の演説、もしくはヒッピーみたいな話し方をする。そんなふうにしゃべる高校生がいたとは思えない。
大阪での話なのにみんな東京弁でしゃべっていて、高校生の一人だけが何やら妙な大阪弁を使うのも白ける。
死んだ女子高生を担任の教師や同級生は「美雪君」と言うのも古くさい。
これは作者の小峰元氏が大正10年生まれの52歳だということもあるかもしれない。
もっとも、私が高校生のときに読んだらどうだったか、とは思います。
ジョイス・キャロル・オーツ『かれら』も昭和48年に出版されている。
古くさい訳語が時代を感じさせます。
ルビ
虚構「フィクション」
強迫観念「オブセッション」
美容室と婦人用品店「サロンとブティック」
棒雑巾「モッブ」
展示場「ショー・ルーム」
今ならこれらはわざわざ日本語に訳さないと思う。
鎧戸「ブラインド」
よろい戸とブラインドは別なものという気がする。
注
「ソリテール(一人でやるトランプ遊びの一種)」
ソリティアのことか。
「パンチボード(板にあけた無数の穴に詰めてある紙片を一つずつ突き出して番号などで景品を当てるゲーム用具)」
ビンゴ?
「グレイハウンド(アメリカ全土にわたって運行しているバス会社)」
「ショッピング・カート(買物用の二輪の手押車)」
「ニュー・イングランド(メイン州など米北東部の六州)」
「既視感(ある光景を見て、前に見たように感じる一種の錯覚)」
今なら注は不要かもしれない。
「エホバの証者(米国におこった、終末論と平和主義の教団)」
以前はこういう訳語だったのか。
「ブタ(俗語で「好色な女」の意)
ビッチだろうか。
洋画の題名は英語の題名をそのままカタカナにしたものが多いが、いつからそうなったのだろうか。
キネマ旬報ベストテンを見ると、昭和48年あたりからではないかと思う。
今は意味がわからないカタカタ英語が当たり前のように使われていて、意味を調べるのも面倒くさい。
そんなときは昔はよかったと思ってしまう。
「FORUM90」VOL.135に、若林秀樹「袴田事件の「再審開始決定」と刑事司法改革」という文章があった。
ご紹介します。
「袴田事件からみた刑事司法等の課題」として5つあげられている。
1,代用監獄制度の廃止と、取調べの全過程の録音・録画
袴田さんは20日間にわたって平均12時間の取調べをされた。
暴力、脅し、食事制限、取調室への便器の持ち込みなど、あらゆる手段を使って自白を強要した。
供述調書44通を静岡地裁は排除したが、1通だけを証拠採用、この調書によって死刑判決が出された。
代用監獄制度は廃止すべきだし、取調べの全面可視化をするべきである。
2,証拠の全面開示
今回の再審請求審で、新たに検察が開示した証拠は600点以上。
この証拠によって、これまで認定された「事実」が間違っていることが明らかになった。
ズボンの寸法札の「B」は大きさではなく、色を表す記号だった。
味噌タンクの事件当時の味噌量では、5点の衣類を隠すことができなかった。
裁判所の認定が間違っていることを検察は知っていながら、証拠を隠し、袴田さんを「死刑だ」と主張したのである。
若林秀樹氏は「死刑事件における冤罪は、国家による殺人行為である」と書いているが、そのとおり。
私には検察官たちは袴田さんを殺意を持って殺そうとしたとしか思えない。
3,再審制度の見直し
日本では再審が認められることはほとんどない。
イギリスでは刑事再審委員会があり、日本でも独立した調査権限のある組織も検討すべきである。
これまた私が考えるに、裁判官は裁判所が下した判決を覆すことには抵抗があるだろうから、裁判員によって再審するかどうかを決めたらどうかと思う。
4,検察の再審開始決定に対する上訴権の禁止
欧米では、無罪判決の場合、原則として検察の上訴は認められていない。
圧倒的権力を持つ国家に対して、個人の利益を守るためである。
これは、裁判とは犯罪者を罰することだとか、被害者の復讐を国家が代わりに行なうのが裁判だと考える人が多い日本とは、裁判に関する考えが違っているということなんでしょうね。
5,マスコミの報道の在り方
袴田事件の場合、マスコミは逮捕される前から犯人扱いで実名を報道し、捜査機関の発表を垂れ流していた。
若林秀樹氏は検察の異議申し立てについて、「検察が異議申し立てをするのは何故であろうか。私はそれが理解できないし、自らが正しいと思うのであれば、再審公判で主張すればいいのである」と書いている。
再審で勝つ自信がないんだろうと思います。
袴田事件の再審開始決定、そして死刑の執行停止、さらには拘置の執行の停止に対して、私の知る限り、批判するメディアはなかったと思う。
ところが、「驚くことに死刑制度の廃止についての論調は、ほぼ皆無である」
「刑事訴訟法」475条には「(死刑の執行)の命令は、判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない」とあり、「但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない」とはあるものの、ベルトコンベアや乱数表のように自動的に客観的に執行していたら、袴田巌さんはとっくの昔に死んでいる。
たしかに不思議だと思う。
ジュゼッペ・トルナトーレ『鑑定士と顔のない依頼人』は後味がものすごく悪い映画である。
知人は「人間不信になる」と言っていた。
家に帰ってからチラシを見たら、「バッドエンドなのか。ハッピーエンドなのか」とある。
どういうことかと思い、ネットで映画評をあれこれ見ていたら、最後のいくつかのモンタージュがどういう時系列なのかが気になった。
1,ベッドシーン
2,プラハ
3,施設で車イスに乗り、表情のない顔をしている
4,回転する機械
1→2→3・4という順番だと最初は思った。
しかし考えてみると、女は15歳から家に閉じこもり、人と会わない生活をしていたにもかかわらず、ずいぶん積極的で激しいベッドシーンである。
いくら童貞老人とはいえ、疑問を感じないのかと思った。
ひょっとしたら3→4→2→1なのかもしれない。
回転する機械で回復し、女と再会して……。
これならハッピーエンドである。
そこで原作を読んでみました。
といっても、映画の原作小説ではないし、脚本でもないし、ノベライズでもない。
アイデアを思いついて、それを短編小説という形でまとめたもので、それが脚本に発展したのだという。
最後はどういう順番かというと以下の通り。
入院→退院→警察の前→プラハ→ナイト・アンド・デイ
女が仮に主人公と会いたいと思ったとしても、異国の店にいるとは思いもしないだろう。
「あなたを愛しているの。どんなことがあっても、忘れないでね」という女の言葉を信じ、女がよく話していたレストランで待ち続けるなんて、精神に異常を来しているとしか思えず、これはまたこれで後味が悪くて、バッドエンディングでした。
梯久美子『百年の手紙』に由比忠之進という人のことが書かれていた。
昭和42年11月、「佐藤総理に死をもって抗議する」という抗議書を残し、総理官邸前で自分の胸にガソリンをかけ、火をつけて焼身自殺した。
アメリカの北ベトナムへの爆撃を支持への抗議自殺である。
そんなことがあったなんてまったく覚えていない。
昭和61年、中学2年生の鹿川裕史くんはイジメが原因で自死している。
同じように遺書を残して自死したイジメ被害者は少なくない。
死をもって抗議しても、世界は変わらない。
どのようにして伝えていくか。
どうしたら伝わるのか。
田沼武能『難民キャンプの子どもたち』にこのように書かれている。
ナイジェリアのイスラム過激派が学校を襲撃し、多数の女子生徒を連れ去ったという事件があった。
コロンビアのゲリラは麻薬マフィアだし、アフリカの反政府軍と称する中には単なる強盗団も多い。
彼らに対してどうすればいいのか。
あるいは独裁国家。
グアテマラの親米独裁政権は何十年も富を独り占めし、国民を弾圧し、先住民を迫害した。
ゲリラと見なされた人は拉致されて拷問、約800万人の人口のうち20万人が虐殺されたという。
暴力には暴力で対するしかないのか。
でも、アンゴラは27年間の内戦が終結した後、ダイヤモンドや石油の輸出によってアンゴラ経済は拡大しているそうだ。
100日間で80~100万人が虐殺されたルワンダも復興し、経済成長率も高いという。
なんとかなるのかもしれない。
小学校の教師をしている知人(50代)の話だと、ウツ病になってやめる若い先生が多いという。
ある日突然、学校に来なくなってやめてしまう。
知人は「自分たちの若いころのウツ病とは違う。早く治して学校に行かなくてはと思っていた。しかし、今の若い人はそうじゃない」と言う。
植木理恵『ウツになりたいという病』に「ウツもどき」が増えているとあり、知人が言っているのはこれかもしれないと思った。
植木理恵氏のところに相談にくる人の約6割が「ウツもどき」だという。
「もどき」といっても、本人は本当に苦しんでいるから仮病ではない。
表面上はウツ病に酷似しているけれど、専門家から見ると本質的に何かが違う。
「ウツもどき」の特徴(ウツ病との違い)
①ウツもどきは薬が効かず、ちょっとしたきっかけで簡単によくなる
②子どものころに親と確執があったというような何らかの精神的経歴を従来のウツ病の人は持っていることが多いのに対し、ウツもどきはそうした来歴がなく突然ウツ状態になるケースが多い
③ウツ病の人は、仕事がスローになったり、認知症の初期症状に似たものが出てきたりと、発症する前に何らかのサインを発しているが、ウツもどきにはそうした兆候が見当たらない
「ウツもどき」の三つのタイプ
①ウツになりたい病 ウツ病というラベルを貼られることを望む
②アイデンティティの不安定さからくるウツ的症状
③新型ウツ
この中で新型ウツというのが興味深い。
新型ウツとウツ病の違いをいくつか。
新型ウツの人は見るからに印象が暗い。
ウツ病の人は暗いというよりボーッとした感じを受けることが多い。
新型ウツの人は薬物療法がほとんど効かない。
ウツ病の人は薬物療法で治ることが多い。
新型ウツの人は問題は自分にはない、いつも悪いのは親であり、友人であり、同僚や上司であるという他罰的傾向が強いから、自分に問題があると見なされると理不尽な気持ちになる。
ウツ病の人は自分を責める。
新型ウツの人は自己評価が高い人が多い。
ウツ病の人は自己評価があまり高くない。
新型ウツの人は、主観性が強いので客観的視点が欠けている。
ウツ病の人は客観的にものごとを見られる傾向がある。ただ、他人の目に敏感であるから、自分がウツ病だということを認めようとしない。いきなり「私はウツです」と言って診察してもらうことは少ない。
新型ウツの人は他人に責任を転嫁していくので、ウツ症状を起こしやすい本来の要因を自分の中に探ろうとしないため、人間的な成長がなかなかない。
ウツ病の人は呻吟しながらも自分の内面を見つめていくので、ウツから回復した時には人間的成長がある。
その他、新型ウツの特徴。
新型ウツの人は、会社に行っている間はウツになるけれども、週末になると趣味の釣りやダイビングなどに出かけるという、傍から見ると本当にウツ状態なのかと思ってしまうようなことをする。しかし、会社に出勤するとウツ状態に陥ってしまう。
新型ウツの人には情に響くようなはげましは通用しない。ムッとされたり、不機嫌になったりする。それは「あなたに問題があるんですよ」というニュアンスになってしまうから。
ということで、新型ウツの本人はしんどい思いをしているんだろうけど、『ウツになりたいという病』を読むと、いやなことをしたくないだけという感じがしました。
昭和天皇は、憲法に忠実に従い、憲法の条規によって行動する立憲君主の立場を貫いたと言われている。
二・二六事件と終戦の時との二回だけは積極的に自分の考えを実行させたが、開戦に際しては、憲法を尊重したために自分が望まなかった開戦を阻止できなかったことになっている。
しかし、昭和天皇は自分の考えをきちんと伝えており、「政治的行為」をしていることが、豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』を読むとよくわかる。
『昭和天皇独白録』で、終戦の「聖断」に踏み切るにあたって決心を左右した要件として、
と昭和天皇は述べている。
昭和天皇は国体を護持するために、新憲法施行後も能動的君主として政治に介入した。
サンフランシスコ講和条約・安保条約(1951年9月)が調印されて十日後に行われたリッジウェイとの第三回目の会見で、昭和天皇は
と喜ぶとともに、
と述べた。
この講和条約は、第三条でアメリカによる事実上の沖縄支配が規定され、第六条で二国間の駐留協定の締結を認めることによって安保条約が根拠づけられ、十一条で東京裁判の結果を日本が受諾したことを明記している。
旧安保条約の内容は、日本には米軍に基地を提供する義務があるが、米軍の日本駐留はあくまで権利であって、米軍には日本防衛が義務づけられていない一方で、米軍には日本の内乱に介入する権利がある。
さらに、米軍は日本の基地を利用することができるが、基地については提供地域が特定されない「全土基地化」の権利が米軍に与えられている。
また、米軍には事実上の「治外法権」が保証されている。
そして、この条約には有効期限が設定されておらず、失効には米政府の承認を必要とする。
しかも、米軍の駐留はあくまでも「日本側の要請」に応えるアメリカが施す「恩恵」とされた。
アメリカとしては、占領期と同じように米軍が日本に駐留し、基地や国土を自由に使用できる権利を確保することが目標だったのだが、昭和天皇はダレス国務長官に「衷心からの同意」を表明している。
これだけの不平等条約である安保条約を昭和天皇は吉田茂に圧力をかけて「自発的なオファ」による米軍への無条件的な基地提供という方向にさせている。
と豊下楢彦氏は説明する。
「内乱への恐怖」を持ちつづけた昭和天皇は、ソ連や共産主義を恐れ、天皇制を守るためにアメリカの庇護をアメリカ側に訴えたのである。
国体護持のために終戦の決断をしたように、安保という国体を維持するためにさまざまな働きかけを昭和天皇はしている。
朝鮮戦争の時、マーフィー駐日アメリカ大使に次のように訴えている。
日本の一部からは、日本の領土から米軍の撤退を求める圧力が高まるであろうが、こうしたことは不幸なことであり、日本の安全保障にとって米軍が引き続き駐留することは絶対に必要なものと確信している。
55年8月、重光葵が訪米する前の発言。
58年10月、マケルロイ国防長官に。
キューバ危機が終息した62年10月、スマート在日米軍司令官に。
内外の共産主義が天皇制の打倒を目指して侵略してくるであろうという恐怖感、こうした脅威を阻む最大の防波堤が、昭和天皇にとっては米軍の駐留だった。
『マッカーサー回想記』に、昭和天皇がマッカーサーと会見した際に、
と言ったので、マッカーサーが感激したことが書かれてある。
豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』を読み、この「天皇発言」にどういう意味があるか理解できた。
マッカーサーは東京裁判の主席検察官キーナンに、昭和天皇は「この戦争は私の命令で行ったものであるから、戦犯者はみな釈放して、私だけ処罰してもらいたい」と言ったと語ったと、田中隆吉元陸軍少将は書いている。
ヴァイニング夫人や重光葵も、マッカーサーから「責任はすべて自分にある。全責任を負う」と昭和天皇が語ったと聞かされている。
ただし『マッカーサー回想記』には、数々の「誇張」「思い違い」「まったく逆」があるそうで、昭和天皇が本当にこのように発言したかは疑わしいそうだ。
通訳をした奥村勝蔵の手記した会見記録によると、天皇の戦争責任にかかわる発言は
とあり、「全責任を負う」という発言は見られない。
マッカーサーの意図は何か、豊下楢彦氏はこのように説明している。
「戦争に反対だった」と「戦争の全責任を負う」という相反する「天皇発言」を、マッカーサーは「東京裁判対策」として駆使したと、豊下楢彦氏は指摘する。
つまりマッカーサーは、昭和天皇の戦争責任の回避と日本の占領統治のための天皇の政治利用を意図した。
一方、昭和天皇がマッカーサーと何度も会見した狙いは、自らの戦争責任の回避と日米安保体制の確立であり、マッカーサーと利害が共通していた。
戦争責任については、自らの意図に反する形で宣戦の詔勅を利用したと東条や軍部を非難し、自分は平和主義者だと強調した。
そして、東条らに全責任を負わせ、昭和天皇を不訴追にした東京裁判を肯定、賛美した昭和天皇は、マッカーサーに謝意を述べている。
なぜ昭和天皇が靖国神社に参拝しなくなったかというと、「富田メモ」によるとA級戦犯が合祀されたからであり、自らの意思なのである。
太平洋戦争は昭和天皇の「意を体した」戦争であったか。
1941年12月1日の御前会議について、昭和天皇は『独白録』で、「反対しても無駄だと思つたから、一言も云はなかつた」と述べている。
昭和天皇の「意に反した戦争」で戦死した人たちは、「天皇のために」戦ったわけではないのだから無駄死だったことになる。
そのことについて豊下楢彦氏はこういう指摘をしている。
そして、日本の安全保障について、昭和天皇は米軍による防衛の保障をマッカーサーに求めた。
昭和天皇は第四回会見で
と発言し、マッカーサーは次のように答えている。
安倍首相をはじめとする集団的自衛権、憲法改正を企む人たちに、マッカーサーのこの言葉を教えてあげたい。
また、現在の憲法はアメリカの押し付けだとして否定する人がいるが、憲法がマッカーサーによって「押し付け」られなければ、憲法改正作業は英米中ソを含む連合諸国11カ国で構成される極東委員会が担うことになり、天皇制が廃止された可能性もあると豊下楢彦氏は言う。