三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

マイク・ニコルズ『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』

2008年05月29日 | 映画

マイク・ニコルズ『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』は、どうにもうさんくささを感じさせる映画だった。
なにせテキサスの極右富豪が好意的、肯定的に描かれるのだから。

ソ連のアフガニスタン侵攻を食い止めるため、下院議員のウィルソンは下院の国防歳出委員会のメンバーを味方につけて、アフガン支援の秘密予算の大幅増額を図る。
当初500万ドルだった支援額は、7年のうちに10億ドルという規模に達した。
そうしてアフガニスタンからソ連を追い出し、ソ連の崩壊、ひいてはベルリンの壁の崩壊、つまりは「冷戦の終焉」をもたらしたとして、ウィルソンは表彰されたことになった。
アフガニスタンからソ連を追い出したまではよかったが、その後の対策をおこたったために、9・11が起きたというお話である。
この映画はチャーリー・ウィルソン、そしてアメリカの自画自賛映画としか思えない。

チャーリー・ウィルソンはパキスタンのアフガン難民キャンプでの難民たちの惨状を目の当たりにして、ゲリラへの支援を決意する。
しかし、たとえばタイのカンボジア難民キャンプを視察し、親ソのベトナムに後押しされているヘンサムリン政権を打倒するためにポルポト派に武器を供与するのと同じ話になってしまう。
あるいは、ゴマのルワンダ難民に話を聞いて、フツ族に支援するということも起こりうる。
悲惨な状態を見てかわいそうと思い、許せないと義憤を感じるのは情だが、しかし感情論で政策を決めていいものかと思う。

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「リンクしました」というメールが来て、ああ、また出会い系かと思って、他の迷惑メールと一緒に削除したのだが、削除する瞬間にちらっと見たら、どうもまともなメールなようだった。
完全に削除したメールがどこかに残っているなんてことはないのだろうか。

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手塚治虫『ブッダ』

2008年05月26日 | 仏教

『ブッダとそのダンマ』を読んで今さらながらに思ったのが、手塚治虫『ブッダ』に描かれた晩年の釈尊がいかにトホホかということである。

『ブッダ』では、悟っているはずなの釈尊がやたらと嘆き、悲しみ、悩む。
シャカ族が滅び、タッタの遺体を抱きながら釈尊が、「これを見てください ブラフマンよ!! 天地の霊よ!! 私がいままで何十年も人に説いてきたことはなんの役にも立たなかったのですか!?」と泣きわめくんですぜ。
そして、「私は一生なんとむだなことをしてきたんだ」と愚痴り、「ブラフマン!! どこにおられるのです なぜ私に答えてくださらない!? ブラフマンどうか…どうか私をみちびいてください!!」と懇願する。
これじゃとてもじゃないが目覚めた人とは言えない。

アジャセの病気を治した時、釈尊はこう言う。
「わかったぞ~っ 人間の心の中にこそ…神がいる…神が宿っているんだ!!」
ぎえっ、心の中に仏ではなくて神がいるとは。

釈尊はブダガヤで悟りを開いたあと、さらに仏性ならぬ神性を悟り、これで最終解脱したのかと思ったら、そうは問屋が卸さない。
舎利弗と目連が死んだという知らせを聞いて釈尊は、わしは信じたくないぞっ うそだ」と口走り、そして「わしをこの世に残して旅立った?…わしはどうすればよいのだ……」なんて泣きごとを言うんだから、しっかりしてよと言いたくなる。
人間的と言えば人間的ではあるが、これじゃあね。

そして死んだ後もブラフマンに、「私が去ったあと…私の一生をかけて説いた話は…どうなるのですか!! 百年たち千年たったあと忘れさられてしまうのですか!!」と、自分が自分がと執着まるだしで問いただす。
こういうのを我執と言うんじゃなかったかいな。
死んでも我執はなくならないというたとえですよ、というのであればいいのだが、まあ、そういうことはないでしょう。

で、釈尊はどうしてブラフマンに恨み言を言ったり、教えてもらおうとするのか。
それは手塚治虫の仏教観はバラモン教的だからだと思う。
アンベードカルと違って、手塚治虫は超自然主義・創造神・梵我一如・霊魂信仰・魂の輪廻転生・死後の世界信仰などを肯定する。

たとえば、リータが死んだ後のアナンダと釈尊との問答。
「ねえブッダ…死んだリータはどこへいったんでございましょう…」
「そうだな…たぶん自然の精気の中だ…」
「セイキ」
「こまかい こまかい目に見えないようなつぶにわかれて 大空の中へちっていったのだ 私もおまえもいずれそこへいく そしてリータとまじりあう……」
「ほんとうですか!?」
「…それが宇宙の法則だ」
「じゃあ いつかリータに会えますね!?」
「たぶんな……」

いかにもニューエイジ的生命論だが、『火の鳥』「未来編」でも、最終的にすべての生命が火の鳥の中で一体となる。
これは梵我一如である。

あるいは『ブッダ』では、ブッダとして人々を教え導く釈尊自身の導師がブラフマンだということ。
これじゃ釈尊の説いた教えはバラモン教の一派だということになってしまう。
実は釈尊が導師なのではなく、本当の導師はブラフマンだという構造、これも『火の鳥』「未来編」と共通する。
「未来編」の主人公は世界を創造する神になるが、しかし彼は真の神ではない。
この二重構造は、創造神を創造した本当の神、至高神がいるというグノーシス主義と同じものである。

ちなみに手塚治虫『ブッダ』は潮出版社から出版されている。
潮出版社の意向に従ってこういうブッダ像を作ったのかしらん。

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B・R・アンベードカル『ブッダとそのダンマ』

2008年05月23日 | 仏教

『ブッダとそのダンマ』はアンベードカルが書いた仏教入門書。
とは言っても、そんなに読みやすくはない。

この本によると、釈尊の出家の動機はコーリヤ国との戦争を避けるためである。
シャカ族の国とコーリヤ国とは国境を流れる川の水利権を争っていたが、とうとう怪我人が出る衝突があり、宣戦布告をするかどうかが話し合われた。
釈尊は「戦争はいかなる問題をも解決しない。戦争を起こすことは我々の目的にそわない。別の戦いの種を蒔くだけだ。殺人者は殺人者を生み、征服者は己の征服者を作り、略奪者は己を略奪する者を生む」と言い、話し合いで解決するよう提案した。
釈尊の案は否決され、主戦論が可決された。
あくまでも戦争に反対する釈尊は、一族が社会的にボイコットされ、一族の土地を没収されないよう、出家して国を去ることにした。

こういう話は聞いたことがなかったので驚いたが、解説を読むと、アンベードカルの創作だそうだ。
釈尊の出家は四門出遊というたとえ話で示されるような苦しみからの脱却ではなく、政治的に強制されたものだと、アンベードカルは主張するのである。

釈尊が出家したあと、コーリヤ国との戦いに反対する示威運動が起こり、和睦をすることになり、争いは平和裡に解決した。
和解したのにどうして出家を続けるのか、戦争が終わったのだから、自分の問題も消滅したのだろうか、と釈尊は自問する。
「戦争は元々対立なのだ。それはより大きな問題の一部に過ぎない。この対立は王や国同士との間だけではなく、貴族とバラモン、家族間、母と子、子と母、父と子、姉弟間、仲間同士の間で起こっていることだ。国家間の対立は時折のものだが、階層間の対立は恒常で絶え間がない。これこそこの世の悲しみ苦難の根元なのだ」
「私の問題は一層深まったのだ。この社会的対立という問題の解決を見出さなくてはならない」
このようにアンベードカルは説明する。

不可触民の地位向上を第一に考えるアンベードカルとしては、個人的苦悩よりもまずは社会の問題に目を向けるのも当然だろう。
だからといって、個人の心を問題にしないわけではない。
「ブッダの教えで最初の際立った特色は、あらゆるものの中心に〝心〟をおいたことである。〝心〟は物事に先んじ、支配し造り出す。もし〝心〟を完全に把握すれば全ての事も把握できる」
「第二の特色は、我々の内外に起こるすべての善悪は心が生み出す」

アンベードカルの一生は不可触民への差別をなくす社会作りに捧げられたと言える。
そのためには制度を変えるだけではなく、人の心をも考えいかなければならないとアンベードカルは考えたのだと思う。

アンベードカルは、釈尊の教えは超自然主義、創造神、梵我一如、霊魂信仰、魂の輪廻転生、カルマ信仰、供犠信仰、死後の世界信仰などを否定していると言うが、しごくもっともである。

カルマ信仰とは前世の行為によって現在の生活が決められているという考えである。
「前世カルマ説は全くもってバラモン教義そのものである。現世に影響をおよぼす前世のカルマはバラモンの霊魂説と全く合致するがブッダの非霊魂説とは全然一致しない。これは仏教をヒンズー教と同じものにしようと考えた何者かか、仏教とはいかなるものかを丸で知らない者によって持ちこまれたものである」
「前世カルマが来世を支配するというヒンズー教義は正に邪悪なものである。このような教義を作り上げた目的は何であったのか。考えられる唯一の目的は、国あるいは社会が貧しく身分の低い人びとの悲惨な状態に対し責任逃れするためである」

貧しい人々の状態に対して前世カルマ説で「責任逃れ」をしたのではなく、その状態を維持するために積極的に前世カルマ説を説いていたのが日本仏教である。

面白いと思ったのが、第一結集のことである。
釈尊の入滅後まもなく、釈尊の教えと律を正しく記録するため、摩訶迦葉が中心となって聖典を編纂した(といっても文字に書きとめたわけではなく暗記)。
摩訶迦葉は阿難に教えを繰り返し読誦させ、次に優波離に戒律を繰り返し読誦させた。

アンベードカルは
「カッサパ(摩訶迦葉)は三番目に誰かにブッダの生涯の重要な出来事を記録するよう計ってみればよかったのに、彼はそれをしなかった」
「もしカッサパが記録を集めていれば今日我々はブッダの立派な伝記を手にしていたろう。だが彼はどうしてそうしなかったのか?」

と言う。
なるほどもっともな問いである。

アンベードカルはこの疑問の唯一の答えは「ブッダが自らを何ら特定の位置に置かなかったからである」と言う。
釈尊の遺言に「人に依るな法に依れ」という言葉があるが、釈尊は教団の後継者を決めなかった。
釈尊がブッダになったのは法によってであるから、釈尊の事跡よりも法を正しく伝えることのほうが重要なわけである。

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ダナンジャイ・キール『アンベードカルの生涯』

2008年05月20日 | 仏教

インドの初代法相であり、インド憲法の父と言われているアンベードカルの伝記を読む。
不可触民の出身であるアンベードカルは不可触民のために戦い、そしてインド仏教を再興した人である。

アンベードカルはガンジーと親しいのかと思っていたら、かなり強烈にガンジーを批判し、「ガンディーそのものを信用していない」とまで言い切っている。
どうしてかというと、ガンジーはカースト制を肯定しているからだ。
ガンジーはこう言っている。
「私は生まれながらにしてヒンズーであるばかりでなく、自ら選び、自らの信条によってヒンズーである。私の考えるヒンズーイズムには上下の差別はない。しかるにアンベードカル博士は、四姓制と闘うと言っている。その限りでは私は彼に組するわけにはゆかぬ」
そして、州政府閣僚にハリジャンが入閣することにガンディーは反対している。
だからアンベードカルは、「ガンディーは労働者階級や貧しいものの利益を擁護する男ではない」と断言している。
ガンジーにはちょっとがっかり。

「不幸なことに、インド国民は伝統的に余りに信心深く、理知に乏しいきらいがある。他所の国では気狂い扱いにされるような並外れた、エキセントリックなことをする人間が、この国ではマハトマ(偉大な人)とか、ヨーギとかいった評価を受けてしまう。そして民衆は羊飼いに従う羊のようにその後についてゆく」
というアンベードカルの言葉はガンジーを皮肉っているわけではないが、次の言葉と合わせるとガンジーを念頭に置いていたことがわかる。
「ガンディー時代になると、指導者たちは半分裸の格好を得意がり、インドを古代的遺物の標本にしようとしている。(略)ガンディー時代はインドの暗黒時代である」
もっともインドではサイババやオショーみたいな人間がゴロゴロしているのだが。

そして、アンベードカルはある集会で自分に向けられた演説に対し、
「この演説は、余りに私の仕事や私のことを誉めすぎている。諸君は、諸君と変わらない普通の人間を神のように崇めようとしている。英雄崇拝思想は、その芽の内につみ取らなければ自滅をもたらすだろう。個人の神聖化によって、諸君は自分の安全や救済を一個人に委ねることになり、依頼心と自らの義務への無関心さを招く結果になる。個人崇拝に陥るなら、諸君の運命は人生の大海に浮かぶ流木となんら変わることがなくなる」
と言っているが、これもガンジーを連想させる。
英雄崇拝(カリスマ信仰)批判は普遍的真理である。

『アンベードカルの生涯』のあとがきによると、アンベードカルは今では黙殺されており、アンベードカルの著作は手に入りにくいそうだ。
アンベードカルが生きていたころのインドの人口は3億人、不可触民は6000万人、5人に1人だと、『アンベードカルの生涯』には書いてあり、ウィキペディアでは、カースト以下の人は1億人とある。
実際にはどれくらいの人口なのかはわからないが、インドの仏教徒は約800万人というから、不可触民の人数に比べるとあまりに少数である。
B・R・アンベードカル『ブッダとそのダンマ』の解説によると、一部の地方を除き、マハール=カースト(アンベードカルが属するカースト)以外からの改宗者の数はまだ限られている」そうだ。
不可触民といっても、その中にまたいろんなカーストに分かれていて、それぞれ考えが違うということらしい。

ネットで検索したら、アンベードカルの肖像画を売っていた。
まだまだ人気があるように思うが、「アンベードカルを菩薩として崇拝することによって団結を維持しているのが現状である」ということである。
いささか寂しい。

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森達也『死刑』

2008年05月17日 | 死刑

死刑について、漫画家、死刑廃止議員連盟の議員、弁護士、執行に立ち会った刑務官と検事、元死刑囚、教誨師、ジャーナリスト、被害者遺族、そして光市事件の被告といった人に聞いて考えた本。

亀井静香氏へのインタビュー、少々長いが亀井氏の答えの一部を以下引用。
「死刑はいくら国家がやるにしても、生きているものの命を奪うことに違いはない。人を殺しちゃいけませんという法律をつくるその国家が人を殺すのなら、これは明らかな矛盾です。
死刑制度があっても殺人事件は減りません。つまり犯罪抑止にはなっていない。これはもう、客観的に歴史的に証明されているわけです。ならば何か残るのか。報復感情ですね。自分の親兄弟などを殺された場合の親族の苦しみ。相手を八つ裂きにしてやりたいという怒り。人間としては当たり前の感情です。そういう人たちの気持ちを和らげる努力は、国家としても社会全体としても、いろんな形ですべきだと思いますよ。しかし遺族の報復感情を国家権力の行使という形でやるべきではない。
そんな報復感情の延長にあるのが戦争です。
ブッシュがそうですね。9・11の報復感情だけでイラクに侵攻してしまった。憎しみはわかります。わかるけれども、遺族が全員応報を求めているわけじゃない。自分の親しい、愛しい人が殺されたことで、やはり人の命は大事なんだと、犯人の命までとることは求めないという人も実際にいるわけですからね。人間って知らずに誰かを害したりしている場合がきっとあるわけです。だからね、自分は絶対的な被害者だという立場をとるのは、やっぱり私は間違いだと思う。とはいえ犯罪被害者や遺族の方がそういう感情を持つことを、けしからんと言ってるんじゃないですよ。そうではない。でもやっぱりね、人間ってそんな存在なんですよ」
すごく真っ当な死刑反対論。
亀井氏の死刑論に反駁することは難しいと思う。
しかし、感情的に納得できるかどうかは別だが。

死刑廃止を訴えることは政治家として損ではないかという森達也氏の問いに、亀井氏は、
「俺は損得で政治やってないから」
「損得で政治やるなら郵政民営化に賛成していますよ」

と答える。

さらにこんなことも言っている。
「警察官僚出身だからこそ、冤罪がいかに多いかを私は知っています。
私自身がね、誤逮捕しかけたことが過去に二回あるんです。つまり冤罪です。起訴されてからも裁判官は検面調書(検察官が取った調書)を何よりも優先する。目の前で被告人が『検事から誘導されて言ったんです』と主張しても聞く耳を持たない。あれはひどい」
説得力がある。

検事を不正行為を内部告発しようとしたが、詐欺罪と暴力団からの接待を受けたとして収賄罪で逮捕された三井環(元大阪高検公安部長)氏は
「裁判官はね、昔から検察依存なんです。これが強くなってきた。検事が勾留請求する、あるいは逮捕状請求するでしょ。これ、いわゆる自動販売機やからね。裁判所は言われるまま、検事が反対したら保釈も認めない。(略)なぜ検事が保釈を嫌がるかというと無理しているからですわ。だから保釈させずに罪を作る。たとえば中小企業の社長が逮捕されたとき、ずっと拘束されていたら会社は倒産しますよ。だから保釈ほしさに、やってなくても認めてしまう。認めれば保釈されますから。こうして実際は無罪なのに有罪になってしまう」
と語っている。
これまた内部告発。


なぜ死刑はやめるべきだと主張しているのかという問いに亀井氏は、
「何かなあ。家が貧乏だったからかなあ」
「肉や魚食ったりなんてことは全然ない。ただうちの場合、親子兄弟、貧しいだけに仲良かった。……だから俺なんか、もしも貧しくて愛情の薄い家庭に生まれていたら、人殺しやって死刑になっていたかもしれない。たまたま周りの人に恵まれて生きてきた。これは自分の力じゃねえのよ。……今はね、弱者が強者に対して反抗しない時代になっている。(鬱憤が)下へいっちゃう。だから死刑囚なんて殺しちゃえってなっちゃう。弱いものを仕置きして満足している。ひどい時代になったと俺は思うよ」
ひょっとしたら自分だってという想像力、冤罪で捕まる人の痛みを感じる繊細さを、失礼だが亀井氏が持っているとは思わなかった。

しかし、亀井氏は悲観していないと言う。
「死刑囚の命であろうと人間の命を大事にするということ、そういう心が芽生えることによって、凶悪犯罪というものはなくなっていくと思いますね」

死刑囚の教誨をしているT神父の言葉はひたすら重い。
T神父は最初に執行に立ち会ったとき、もうすぐ処刑される人を目の前にして「壊れました」と言う。
「そのとき僕は、たぶんどこかが壊れたと思う。それは今も感じる。(略)あの執行の日以来、何かが壊れました。そうとしか思えない。たとえば車を運転しながら、何の脈略もなく涙が溢れてくることがあるんです」
死刑囚の教誨は生きるためではなく、おとなしく殺されていくために行なう。
宗教者として矛盾することをしなければならない。
T神父は「できることなら教誨師を辞めたい。本当にそう思う」とまで言う。
そうは言いながらも、T神父は執行の時に死刑囚を抱きしめる。
ため息。

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死刑について考える19 自殺的殺人

2008年05月14日 | 死刑

「死刑になりたい」無差別犯罪なぜ
「死刑になりたい」。こんな動機で、見知らぬ人を襲う容疑者が相次いでいる。茨城県で3月に男が駅周辺で8人を殺傷した事件、鹿児島県で4月に自衛官がタクシー運転手を殺した事件……。犯罪を抑える狙いの死刑制度が、逆に凶行を誘発していることになるが、それはなぜか。識者の見方も割れる。
朝日新聞5月10日

カミュが死刑廃止論者とは知らなかった。
『ギロチン』という本で死刑は犯罪抑止力になる主張する人を徹底して批判しているそうだ。
「死刑がはたして殺人を決意した犯人の一人でも、たじろがせたかどうかは証明されていない」(カミュ『ギロチン』)

実際のところ、いざ人を殺す時に、もしも殺したら死刑になるかもしれないとは思いもしないだろう。
たとえば、坂出市で祖母と孫二人を殺すという事件があった。
祖母を殺そうと思っていて家に孫が二人いたわけで、だったら孫も殺したら死刑になるかもしれないと考えて、祖母を殺すのを延期してもいいはずである。
だけども、おそらく加害者は人を殺そうと興奮した状態だったために、死刑なんてことは頭に思い浮かばなかったのだと思う。

で、思い出したのが、いささか古いのだが、産経新聞の「産経抄」にこんなことが書いてあった。

本日のテーマは、内閣改造で決まりのはずだったが、書かずにはいられない。名古屋市の住宅街で、男3人が見ず知らずの31歳の女性を拉致し、金を奪って殺害、岐阜県の山林に遺体を捨てた事件のことだ。
▼女性が自宅を間近にして、ミニバンに引きずりこまれたのは24日の午後10時ごろ。夜遊びしていたわけではない。普段は午後7時半ごろ帰宅しているが、この日はたまたま午後からの仕事でおそくなっていた。幼いころ父親と死別し、母親との2人暮らしだった。
▼囲碁が趣味で、読書や料理も好きだった。「母のために家を建てたい」と将来の夢を語り、結婚話が進んでいた、と報じる新聞もあった。殺される何のいわれもない。それどころか、周囲の人たちが幸せを願わずにはいられない、親孝行に励む知的でまじめな娘さんの姿が目に浮かぶ。
▼だから余計に「金を奪うなら力のない女の方が狙いやすい」とうそぶいて、その通り実行した男たちに怒りがこみ上げてくる。か弱い女性の両手首に手錠をかけ、顔に粘着テープを巻いて身動きできないようにして、ハンマーでめった打ちにするなんて。
▼一人では何もできない人間に限って、群れると残酷なことをしでかすものだ。見知らぬ人の善意や知恵を結びつけるインターネットは、同時に悪人の連携を促し、犯行をエスカレートさせることもある。恐ろしい世の中になった。
▼事件発覚のきっかけは、男の1人が、愛知県警にかけた電話だった。罪の重さに耐えかねたというより、「死刑が怖かった」かららしい。身勝手きわまる言い分だが、その後も繰り返されたかもしれない凶行を、「死刑」が抑止したともいえる。死刑廃止論者たちはこの言葉をどう聞くだろうか。
(産経新聞2007年8月28日)

この事件が死刑に犯罪の抑止効果があることを証明しているのだったら、事件を起こす前にやめるなり、計画の段階で警察に知らせるなりしてるはずだ。

村瀬学同志社女子大教授は
「確かに、「死刑」が怖いから極悪非道なことをしないのではなく、極悪非道なことをしてしまった後で、捕まって「死刑」になるのが怖くなり、犯行の隠蔽工作にやっきになるのであろう」(『少年犯罪厳罰化 私はこう考える』)
と言っている。
名古屋市の事件の場合は隠蔽工作ではなく、情状酌量にやっきになって自首したわけだが。

死刑が犯罪抑止力にならない例として、死刑になりたいからと殺人を犯す人が少なくないことがある。
宅間守の弁護人だった戸谷茂樹弁護士の話だと、
「母親と祖母と妹の三人が殺害されるという事件がありました。犯人の清水英和は最初から『死刑にしてもらいたい』と言っていた。覚悟のうえの犯行です。しかしこのときは心神耗弱が認められて死刑にならなかった。弁護を担当した私は本人から非難されました。死刑になりたかったのに自分の意向に反した弁護活動をしたと、最後は解任されました」(森達也『死刑』)
ということがあったそうだ。

死刑になりたいからというので人を殺す事件はアメリカではいくつも報告されているそうで、朝日新聞の記事にあるように日本でも増えている。
4月22日、「死刑になりたかった」というので19歳の自衛官がタクシー運転手を殺した事件があったが、光市事件の判決ばかりが騒がれてあまり報道されなかった。
死刑が犯罪を抑止するどころか、逆に殺人事件を増やしているわけで、「死刑になりたかった」という言葉を産経抄はどう聞くのだろうか。

硫化水素による自殺が続いている。
他人を巻き添えにしてしまうこともある。
表に張り紙をして自殺する人もいるということは、自分が自殺することで他の人が死ぬこともあり得るとわきまえてはいるのだろう。
わかっていても硫化水素による死を選ぶのは、自分の命が大切ではないから、人の命のことなどどうでもいいのかもしれない。
その意味で、硫化水素による自殺は死刑になるために人を殺すのと似た心理だと思う。

死刑という命を粗末にする制度は、自分の命を大切に思えない人を新たに生み出すのではないかと思う。

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高橋哲哉『国家と犠牲』

2008年05月11日 | 戦争

戦争体験者の話を聞くと、生き延びたことの後ろめたさ、戦死者への申し訳なさを抱えておられるように感じる。
そのために、自分の体験を正当化し、美化したい思いを持つ人もいる。
そうした素朴な思いを否定するつもりはない。
ただ、
国がその思いを利用し、大義のために自らの生命を賭した死には意義があった、戦死者は殉教者だ、などと言うのは問題があると思う。

高橋哲哉『国家と犠牲』を読むと、利用の仕方には次の三つがある。
1,戦争の悲惨さを覆い隠す
2,戦争の正当化
3,再び戦争を行う

犠牲(サクリファイス)は聖化されることによって傷を隠蔽する。
高橋哲哉氏は、「戦没兵士の「尊い犠牲」を讃え、それを「敬意と感謝」の対象として美化することは」、「アジア太平洋戦争の戦場の悲惨さ、そこで死んでいった将兵の戦死の無残さ、おぞましさを隠蔽し、抹消する」効果を生みだすと言う。

戦争は美しいものではない。
ベトナム帰還兵のアレン・ネルソン氏は、戦争映画と実際の戦争との違いは戦場の音と死体のにおいだと話している。
「戦争映画では戦争の臭いを表現できない。自分にとって戦争の臭いは、死体の腐敗臭、死体が焼けこげる臭いだ」
音は何とかなるかもしれないが、死体の腐るにおいは映画館では無理。
だから、どんなに戦争の悲惨さを訴えた映画であっても、戦死の悲惨さ、無残さがどこか「尊い犠牲」と感じさせ、神聖で崇高なものとして聖化されるように思う。

靖国も戦争の現実を忘れさせるはたらきがある。
小泉元首相が靖国神社に初詣した時、会見でこう言っている。
「心ならずも戦場に赴かなければならなかった、命を落とさなければならなかった方々の尊い犠牲の上に、今日の日本があるんだということを忘れてはいけない」
高橋哲哉氏は小泉元首相の、戦没者の「尊い犠牲」の上に戦後日本の「平和と繁栄」がある、という論理は次のように展開すると言う。

旧日本軍の将兵が戦死したおかげで、その戦死の功績によって、戦後日本の「平和と繁栄」ある
 ↓
戦没者が「犠牲」になってくれたおかげで、その功績によって戦後日本が「平和と繁栄」を享受できるようになった
 ↓
戦死は「尊い」ものとして讃えられ、「尊敬」され「感謝」されるべきものとして美化される
 ↓
戦死は「平和と繁栄」のために必要だった

こうして戦死が美化されることによって、戦争が正当化される。
「(「尊い犠牲」のレトリックは)むしろ自衛戦争においてこそ、その正義を確認するために最大限の威力を発揮するのです」

そして「小泉首相の「尊い犠牲」という表現は、結局「犠牲は尊い」ということをいっている」
国家の犠牲の論理は、新たに戦争に行って死んでいく人を生みだすためのものである。

小泉元首相は記者会見でこう言っている。
「危険を伴う困難な任務に赴こうとしている自衛隊に、多くの国民が敬意と感謝の念をもって送り出していただきたい」
中曽根元首相
「米国にはアーリントンがあり、ソ連にも、あるいは外国に行っても無名戦士の墓があるなど、国のために倒れた人に対して国民が感謝をささげる場所がある。これは当然なことであり、さもなくして、だれが国に命をささげるか」
久間章生元防衛庁長官
「国家の安全のために個人の命を差し出せなどとは言わない。が、90人の国民を救うために10人の犠牲はやむを得ないとの判断はあり得る」

高橋哲哉氏は「尊い犠牲」の論理はこのように展開すると言う。

国家が国民を戦争に動員して、大量の戦死者が出る
 ↓
戦死者を国家のための尊い犠牲であったという形で聖別し、聖なるものとして顕彰し、讃えていく
 ↓
精神的打撃を受けた遺族を慰謝・慰撫する
遺族が抱く戦死の悲哀や虚しさ、割り切れなさを、「国家の物語」で埋め合わせる
 ↓
国民が遺族や戦死者に共感することにより、彼らを模範として「自分たちもそれに続かなければならない」という「自己犠牲の論理」を作り出していく
 ↓
戦争を繰り返すことが可能になる

「小泉首相の靖国神社参拝は、たんに過去の「大日本帝国」時代の戦没者にかかわるこういであるだけでなく、現在および将来の自衛隊員の死没者にかかわる行為という意味をもち始めています」

「自衛隊員の死が、現在および将来の「日本の平和と繁栄」のための「尊い犠牲」として顕彰され、聖化=聖別され、国家から最大限の「感謝と尊敬」をもって語られるとき、そこに働いているのまごうかたなく「靖国の論理」になるでしょう」

では、首相が靖国神社ではなく、無宗教の国立追悼施設を作って、そこに参拝するのだったらいいのか。
靖国と同じ論理で追悼施設が作られるなら、戦死者を利用し、新しい戦死者を作り出す装置となることに変わりはない。

こうした「尊い犠牲」というレトリックによって戦死者を聖化し、戦争を正当化する靖国の論理は欧米や韓国でも同じように行われている。

「犠牲の論理」は現在および将来の国民に「祖国のため」に「自己犠牲」の義務を果たすことを求める。
だからこそ、「尊い犠牲」という耳ざわりのいい言葉にだまされないようにしないといけない。

愛する人のために戦うと言うが、戦争を続けることは非戦闘員も死ぬ可能性が増えることである。
愛する人のために戦うのなら、戦争をとめるように行動するほうが愛する人のためになる。
悲惨な現実を直視すること、それをくり返さないこと、である。
高橋哲哉氏のこうした考えにはなるほどとうなずきました。

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もう一人のエリザベス・テイラー

2008年05月08日 | 

フランソワ・オゾン『エンジェル』を見てたら、原作者がエリザベス・テイラーとあったのには驚いた。
女優のエリザベス・テイラーが原作を書いたのかと一瞬考えたが、ああ、あれかと思いだした。

というのも、ずっと以前読んだ小林信彦『小説世界のロビンソン』に、
「1983年12月1日づけの朝日新聞夕刊によれば、「1945年以降に、英語で書かれた小説のなかで、ベスト12を選ぶとすれば、なにか」という問いを英国の書籍市場委員会が発し、三人の選者がこの問いに答えたのだそうである」
とあり、なんと選ばれた13冊の中にエリザベス・テイラー『天使』が入っているのだ。
ほかには、ジョージ・オーウェル『動物農場』、ウィリアム・ゴールディング『蠅の王』、ソール・ベロー『ハーツォグ』、グレアム・グリーン『名誉領事』、ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』、J・D・サリンジャー『ライ麦畑でつかまえた』などが選ばれており、大したものなのだ。

とはいえ、小林信彦氏も「それにしても、エリザベス・テイラーなんて作家がいたのか」と書いているぐらいで、エリザベス・テイラーという名前の小説家がいるなんて信じられず、私は冗談かと思っていたから、小説家エリザベス・テイラーの名前を再び見ることになるとは思いもしなかった。

で、エリザベス・テイラー『エンジェル』を読んでみました。
ベスト13に入るような傑作かどうかはともかく、これが面白い。
エンジェルは16歳から小説を書いているベストセラー作家。
ただし、美辞麗句がとびかう荒唐無稽な小説という設定である。
エンジェルの書く小説はまるっきりの愚作なのだが、なぜかどれもみなベストセラーになる。
おそらく乙女(にかぎらないが)の夢を描いているからだ。
著者は、それをちょっと離れたところからシニカルに見つめている。

エンジェルは、ユーモアを全然理解しない、無礼で不愉快、とことん恨みつづけるたち、とてつもない虚栄心、絶対に妥協しない気むずかしさ、辛辣、見栄っ張り、融通のきかない頑固な女etcと、著者が言葉の限りを尽くして、知り合いにこんな人がいたら逃げ出したくなるような気にさせる人間である。
文学史上最低最悪の主人公だけども、何となく憎めない、笑ってしまう。
荒れ果てた邸に住む年老いたエンジェルの姿は、ディケンズ『大いなる遺産』のミス・ハヴィシャムを連想させ、哀れみを感じ、いとおしく思えてくる。
著者がエンジェルに悪意を持っていないし、さりげないユーモアをまじえた文章を読んでいると、読者もこういう人はいるなと思い、ひょっとして自分もそうかもと思ったりもする。
映画よりも原作のほうがおすすめ。

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武田和夫『死者はまた闘う』2

2008年05月05日 | 死刑

武田和夫氏の死刑論は、私たちはどういう社会を望むか、という視点から述べられて新鮮だった。

「誤判を百パーセント取り除くことは不可能である以上、死刑制度があれば必ず、無実で死刑に処せられる人が出るだろう。つまり、凶悪犯罪に対する被害者感情を癒すために死刑を存置すれば、無実でありながら国家に殺される人が出るのは避けられない。逆にそのような国家の過ちをなくそうと思えば、許しがたい凶悪事件の犯人を死刑にできなくなる。
ここでもまた、「どのような国家、社会を望むのか」ということが問われることになる。あくまで凶悪な犯罪への報復を優先する社会か、不正、不当に生命を奪われるような人を、決して出さない社会か。死刑存廃論議は、つまるところ私たちがいかなる社会を選ぶのかという問題に帰着するのだ。その場合、どちらの選択が、ほんとうに人間をたいせつにする社会なのかということを検証し、そして自分たちはどのような社会を欲するのかということを、本音でぶつけ合わない限り、膠着した論議にならざるをえないのではないかと思う」

では、武田氏はどのような社会を選ぶのか。
「死刑廃止とは、ただ死刑囚を生かすことではない。すべての人が、共に生きられる社会をつくることなのだ。私はやはり、この社会が、どのような人にとっても、生きるに値する場所であってほしい」

私も同じ考えなのだが、しかしながら被害者遺族はそうはいかないだろうと思う。
孫を殺された松村恒夫氏(あすの会幹事)は森達也氏の質問に「同じ空気を吸いたくないんだ」と答えている。
理屈ではなく、生理的なその感覚は多くの被害者に共通するものだろう。


「少年審判への遺族傍聴 法改正に賛否両論
 少年事件の被害者側が、意見陳述で少年に暴言を吐いたり、ネットで実名公表したりするケースがあることが、日弁連の調査で分かった。被害者側の審判傍聴を認める少年法改正案が国会に提出されているが、こうしたケースもあることから、関係者の間では賛否両論が出ている
」(J-CASTニュース5月3日

「被害者の親族らが、柵越しに少年の背後から頭を蹴りつけ、「出てきたらどうなるかわかっとるんやろな」と脅したこともあった」
というのはさすがにどうかとは思うが、そうせざるを得ない気持ちを否定するつもりはない。

森達也『死刑』の中で、『モリのアサガオ』漫画家の郷田マモラは「敢えて言うのなら、……死刑は必要だと考えています」と言い、宅間守氏の弁護人だった戸谷茂樹弁護士「私はもともと、死刑は廃止すべきと考えていました。でも今回のケースでは、あってもいいのかなあという気がしないでもない」と答えているのには意外だった。
しかし、二人とも被害者遺族のことを考えると死刑廃止とは言い切れないが、かといって死刑がいいとも思わない、そのあたりがもやもやしている。
被害者の処罰感情は理屈では片付かないものがある。

しかしながら、松村氏の孫を殺した加害者は死刑ではなく懲役15年だから、いつかは刑務所から出てくる。
少年による殺人事件でも、加害少年は社会に戻ってくる。
その時に遺族の方たちはどうしようと考えているのだろうか。
すべての殺人に対して死刑に処するよう求めるのか、あるいは加害者にどう生きてもらいたいかという道を選ぶのか。

山本譲司氏は、犯罪被害者となった女性の言葉を紹介している。
「これから刑を終えた加害者が、どのような生き方をするのか。そこにこそ遺族が本当に救われる、一番の鍵があるように思えてなりません」『少年犯罪厳罰化 私はこう考える』

村瀬学同志社女子大教授は、
「もしも、どんなにひどいことをした者がいるとしても、そのひどいことに見合った「反省」をし「更生」したことがわかるなら「赦して」あげてもいいと多くの人は思うだろう」『少年犯罪厳罰化 私はこう考える』
と言っている。
私もそう思うのだが、甘いと言われると困ってしまう。

武田氏の「どのような社会を欲するのか」という問いは死刑問題だけではなく、もっといろんな意味で問われる問題である。
たとえば、施設コンフリクト
コンフリクトなんて英語を使わなくていいのにと思うが、どういう意味かというと、「社会福祉施設を新しく建てようとする時に、住民や地域社会が強い反対運動が起こって」「そのため建設計画がとん挫してしまったり、建てるかわりに大きな譲歩を余儀なくされるという、施設と地域間での紛争」のことなんだそうだ。

身体傷害者、知的傷害者、精神障害者、あるいは高齢者、さらには薬物やアルコール依存者、出所者のための自立支援、社会復帰のための施設が近所にできることにどうして地域の人が反対するのか不思議である。
気味が悪いとか犯罪に巻き込まれないか不安だとかいったことが理由らしい。
つまりは、自分の世界に異物が侵入してほしくないということである。
「すべての人が共に生きられる社会」を望んでいるわけではないし、「この社会がどのような人にとっても生きるに値する場所」とは思っていないわけだ。

反対する人は、自分の家族や知人に障害者がいたらとは考えないのだろうか。
身近に障害者がいなくても、この人たちはどこでどのように生きていけばいいのかに思いを寄せないのだろうか。

自分の世界を脅かす異物、不適合者を排除し、切り捨てることは死刑の論理と同じである。
武田氏は、
「死刑のある社会とは、正当な理由があれば人を殺す社会なのです」
「死刑廃止とは、どのような理由があっても殺人行為は例外なく悪だと認めることです」

と言うが、「死刑」を「障害者排除」と置き換えてもおかしくない。

武田和夫氏、そして永山則夫氏の言葉を借りるならば、殺人者が「自己のとらえ直し」をし「生き直し」をするのできる社会、そして私たちが死刑囚の「生き直し」を共にする社会、それは「この社会がどのような人にとっても生きるに値する場所」になると思う。

「償いの気持ちは加害者の新たな将来を作ろうという意欲の中でのみ生じ、その意欲が継続することによって初めて具体化するものではなかろうか。排除からは生まれない」
「社会的排除が逆効果をもたらすことを、私たちは過去の経験から嫌というほど知っている」
(藤原正範大学准教授、元家庭裁判所調査官『少年犯罪厳罰化 私はこう考える』)

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武田和夫『死者はまた闘う』1

2008年05月02日 | 死刑

武田和夫『死者はまた闘う』は、永山則夫の支援に関わった人が書いた本。
永山則夫は1968年10月10日から11月5日にかけて4人を殺し、さらに11月17日には静岡の三菱銀行に行き、盗んだ通帳で金を引き出そうとした。
事情を察知した銀行員は永山則夫を別室に連れて行き、警察に通報したが、永山則夫は銀行員にピストルを向けて牽制し、そのすきに逃亡した。
顔をはっきり見られているし、多数の指紋が残されているにもかかわらず、永山則夫自身が1973年に法廷で告白するまで、静岡事件は犯人不明とされ、その後も起訴されていない。

捜査本部はどうして連続射殺事件と静岡事件を結びつけなかったのか。
そして、永山則夫による事件だと明らかになったにもかかわらず、不起訴のままにして審理しなかったのはなぜか。
「少年法」改正のためらしい。

事件の一年前から「少年法」が改正されようとしたが、世論の批判を浴びて行き詰まっていた。
「各方面からの批判によって動きを封じ込まれた法務省がなんとか世論を逆転させて、改正を軌道に乗せようと待機していた」
その状態を打開するために永山則夫の事件が利用されたのである。
「少年事件である永山事件が重大化すれば、改正によってきわめて有利な環境がつくられる状況にあった」
しかし、この時には「少年法」改正はなされなかった。

「少年法」改正がふたたび動き出すのは、1997年の神戸の酒鬼薔薇事件によってである。
そして、永山則夫の死刑執行もこの事件と関係がある。
死刑執行の直前の6月に14歳の少年が逮捕された。
「事件後30年もの間生き続けた彼の死刑を執行する絶好の機会として、神戸の少年事件が利用されたのだ」

法務省は永山則夫の裁判を別のことでも利用している。
1977年、法務省は「過激派事件の裁判促進のため、必要的弁護事件でも一定期間弁護人なしで審理を進められることにする」という刑事訴訟法の改正をしようとする。
しかし、この改正案は過激派対策よりも、永山則夫が弁護人をしばしば解任し、審理がストップしたことへの対策である。
弁護人抜き裁判の法案化の動きに対して、刑事訴訟法改悪に反対する市民運動が活発となり、結局は審議未了で廃案となっている。

法務省、検察は事件を利用して社会不安を煽り、世論を動かして厳罰化を進めようとしたわけだ。
マスコミもことさら話題にして社会問題化している。
この点は光市事件と似ている。

違いはというと、永山則夫の事件のころ、「法務省による「少年法」改正の動きに一貫して批判的だったのは最高裁であった」そうだ。
最高裁も厳罰化の一翼を担っている現在の状況とは大違いである。

そしてもう一つの違いは、永山則夫は両親に棄てられるという非常に悲惨な環境で育っていることから世間の同情をかっていた。
そして、永山則夫の思想に共感し、影響を受ける人が多かった。
しかし、今は加害者への同情、共感はあまり見られないように思う。
社会が犯罪者への共感を失ったことについては、『犯罪不安社会』で芹沢一也氏が論じている。
どうして犯罪者に対する共感を失い、犯罪者は憎悪の対象となったのか。
このことは武田和夫氏の「私たちがかいかなる社会を選ぶのか」という問いにつながってくる。

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