三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

女性失明事件の加害者に「目には目を」の刑執行へ イラン

2009年02月27日 | 厳罰化

女性失明事件の加害者に「目には目を」の刑執行へ イラン
イランの裁判所で、女性の顔に酸をかけて失明させたとして有罪となった加害者が、イスラム法の「目には目を、歯には歯を」の原則に従い、同じ方法で失明させる刑罰を受けることが確定した。女性の弁護士によれば、数週間以内に執行される見通しだ。
被害を受けたのはアメネ・バハラミさん(31)。2002年、大学で電子工学を学んでいた24歳の時、同じ大学に通う当時19歳のマジド・モバヘディ受刑者に出会った。モバヘディ受刑者はバハラミさんに近づこうとしたが、拒否されるといやがらせを繰り返し、「結婚を承諾しなければ殺す」などと脅迫した。
2004年11月、勤務先の会社から帰宅しようとバス停へ向かっていたバハラミさんを同受刑者が襲い、顔に酸を浴びせた。バハラミさんは重傷を負って視力を失った。同受刑者は2週間後に自首して犯行を自供。2005年に有罪を言い渡され、以来収監されている。バハラミさんの弁護士によると、同受刑者に反省の色はみられず、「愛しているからやった」などと話しているという。
イランでは通常、被害者が加害者に「血の代償」と呼ばれる賠償金の支払いを求めることができるが、バハラミさんはその代わりに、モバヘディ受刑者の目に酸をかけて失明させる刑罰を要求。昨年末に地裁がこれを認める判決を下し、同受刑者が控訴していたが、高裁が今月、棄却を決めた。
一部の人権団体などからは「残酷すぎる」と批判の声が上がっているが、バハラミさんは「復しゅうが目的ではない。今後同じ思いをする人がないようにとの願いから決めたこと」と説明している。
2月20日
うげげ、いくら何でもこんな刑罰に賛成する人なんていないと思ったら、ネットでは賛否半ばするようである。

肯定的なもの。
「被害者からすると当然の報い」
「やはりここまでしないと人は過ちを犯してしまうんでしょうね」
「これはものすごい抑制力になるんじゃないのかな」
「いかに日本の刑罰が軽いものか考えさせられます」
「いいですねぇ(^-^)。やっぱり加害者の人権より被害者のことを考えないと」
「こういうの、ありだと思いますッ!」

否定的なもの。
「なんと原始的な刑罰だ」
「公的な裁判で失明させるというのは残酷と言うのもわかる気がする」
「罰といっても、ここまでやるか。。。。」
「いくらなんでも国家がこんな野蛮なこと許すのか 信じられない」

どちらでもないもの。
「良いとも悪いとも言えん」
「これも宗教から来るその国や地域の文化でしょうから、特にああのこうのはありません」

トンチンカンなもの。
「何かこの女性にはフェミニズムに類似の独善的な意識が感じられる」

人権嫌いの人たちはこんなことを言っている。
「加害者に同じ刑罰を加えることが何故!残酷なのだろうか? 抗議した一部の人権団体ってのの良識ってか常識を疑う」
この人の良識を疑う私の常識がおかしいのかと不安になる。

「この「血の代償制度」も間違ってはいないと思います。
人権団体が「やりすぎではないか」と言っていますが、失明させられた方から考えるとでは「やりすぎないとはどういうことか」と思って当然だと思います。
国によって法律も考えも民族も違いますからこれを日本に導入、という訳にはいかないと思いますが、今の制度をかえる余地はかなりあるとおもいます」

「血の代償」というのは報復ではなく、賠償金のことだと書いてあるんですけど。

「人権団体ってなに?残酷過ぎるって普通に生活しているのに光を奪われた彼女の方がどれだけ残酷か。私はこの刑に賛同しますよ。しかもこの加害者は反省していないわけだし。日本の司法なんて甘過ぎます」
この記事へのコメントは「すごいし、素晴らしですねー」というようなものがほとんど。
日本でもこういう刑罰を導入すべきだと本気で思っているのだろうか。

あるブログ
「でも、これ、普通に考えたら刑を執行した人のほうがPTSDになりそうですよ」
と書いてあるように、賛成する人は執行人のことを考えていない。
じゃ、あなたは加害者をベッドか椅子に縛りつけ、暴れる加害者を押さえ込み、大声を上げている加害者が必死でつむっている目をこじあけて酸を注ぐことができるのかとお聞きしたい。
↑のブログでは続けて
「これじゃこの刑が執行されたあと、おそらくこの被害者の方が生きづらくなると思いますよ。
もちろん理解して下さる方もいらっしゃるかもしれませんが、中には”恐ろしい人だ”と思う人もいると思います。
正直、私の友達でこれをやったコがいたら、友達を止めるまでにはいかないにしても、ちょっと引きますね・・・・」

とあるが、そんな人がいたらたしかにちょっとねと思う。

↓のブログ
「これなら、子供を殺された被害者遺族は、加害者の命より、同じ苦しみを味わえと、子供が赤子でも手にかけるのが許されるのかな?
加害者の人権より被害者のことを考えろと言うなら、こうなるよね。
誤って車で親子を轢いて殺してしまったとして、目には目を、と、運転した人とその子供を、車で轢き殺すのかな?」

とあって、これもまともな意見だと思うのだが、批判的なコメントに「スミマセン」と謝っているのは不思議である。

被害者は「復しゅうが目的ではない。今後同じ思いをする人がないようにとの願いから決めたこと」と、復讐ではなく犯罪抑止のためなんだと言っているが、↓のブログが
「僕がちょっと気になったのは、犯人が自首しているという事。こういう判決が出ると、罪を犯した者は今後自首などしないと思うけど・・・」
と指摘するように、厳罰では犯罪抑止にはならないと思う。
そして、このブログでは死刑に論及している。
「ただ、このニュースだけを見て、日本人がイラン人は残酷だという事はできないと思う。
イラン人から、日本には死刑制度があるじゃないかと言われれば、我々は何と反論できるだろうか?  目など体の一部どころか、人の生命まで奪ってるじゃないかと言われればその通りだ」

まことにもっともな意見である。

聖書に「目には目を歯には歯を」という言葉がある。
イスラム法ではどういう解釈がされているのか知らないが、ある牧師さんの話だと、復讐を禁じて報復の拡大を防ぐという意味なんだそうだ。
またあるクリスチャンに聞くと、新約聖書には「目には目を」につづけて「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」とあり、さらに「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」とイエスは言っている。
本田哲郎神父は、愛するとは相手の人を尊重して、大切にすることだと言われている。
こんな残酷で非人間的な刑罰を肯定する人は、当事者ではないからこそ、ノー天気に報復を美化できるんだろうと思う。

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湯浅誠『貧困襲来』『反貧困』 2

2009年02月24日 | 

湯浅誠『貧困襲来』にこういう事例があげられている。
「夫の多重債務が原因で離婚して母子家庭となり、パートで働いても十分な収入が得られずに保育料を滞納してしまい、福祉事務所へ相談に行ったら追い返され、生活を維持するために自らも多重債務者になる」
この女性は一体どうしたらいいのかと思うが、自己責任で片付けられてしまいがちである。

しかし、貧困は自己責任ではなく、政治、企業、マスコミの責任である。
1995年、経団連が「新時代の「日本的経営」」で、非正規労働を増やして人件費を軽減し、企業業績を好転させようと提唱した。
「社員の生活の面倒を見るのは会社の責任ではない。将来社長になるような一握りの正社員以外は、全員使える間は使うけど、使えなくなったらしらない」
派遣の経費は、会社の経理上、人件費ではなく材料調達費なんだそうで、人間が材料になっているわけだ。

人件費を削ることによって企業は業績をあげてきた。
企業業績は2006年度には売上高、経常利益ともに過去最高を記録しているが、労働分配率(経常利益等に占める人件費の割合)は1998年をピークに減り続けている。
「90年代半ばを境に、生産性と人件費の伸び方に大きな違いが見られる。それまでは生産性が伸びれば人件費も伸びていた。しかし、90年代半ば以降は、生産性が伸びても人件費は伸びない。むしろ減っている。企業は人件費を抑えることで生産性を伸ばしてきたからだ」

おまけに、5%に増えた消費税は法人税引下げを補完する財源として使われた。
法人税収が20兆円から10兆円に減った分、消費税収が10兆円増えているわけで、ちょうどプラスマイナスゼロになっている。

では、儲けはどこに行ったのかというと、森永卓郎氏はこう言う。
「2002年1月から景気回復が始まり、名目GNPが14兆円増える一方、雇用者報酬は5兆円減った。だが、大企業の役員報酬は一人あたり五年間で84%も増えている。また、株主への配当は2.6倍になっている。ということは、パイが増える中で、人件費を抑制して、株主と大企業の役員だけで手取りを増やしたのだ」
1983年までの所得税の最高税率は75%だったのが、1999年には37%、2007年度より40%と半分に減っている。

政府の無策が貧困を生み出しているのに、政府は貧困の存在を認めない。
生活保護基準以下で暮らす人全体のうち、実際に生活保護を受けている人がどれだけいるか、その割合を捕捉率という。
アメリカでは8人に1人が貧困。
しかし、日本では捕捉率を40年以上調べていない。
なぜかというと、政府が貧困の存在を認めると何らかの政策をしないといけないからである。
「政府は貧困と向き合いたがらない。貧困の実態を知ってしまえば、放置することは許されない。なぜならば、貧困とは「あってはならない」ものだからだ」
「足りないのは、本人たちの自助努力ではなく、政府の自助努力であることが明らかになってしまう」
「財政出動を要求する事態になってしまう。だから見たくない、隠したい―こうして、政府は依然として貧困を認めず、貧困は放置され続けているのだ」

政府が実際にやっていることと言えば、
「〈貧困〉者の間に格差(違い)があれば、低いほうに合わせる。これが政府の鉄則だ。「本当にそれで暮らしていけるのか?」「それで人間的な暮らしを保障したことになるか?」といった疑問は最初から封じられている」
大企業や金持ち寄りの政策としか言いようがない。

マスコミは自己責任論を振りかざす。
日本テレビの水島宏明氏はこう言う。
「日本では専門家による貧困・福祉の研究成果が一般の人たちや政治家らの関心事とならずに、庶民の井戸端会議での感情的な議論そのままで貧困対策を議論し合っている傾向がある。マスコミも同様で、先進国としてはあまりにお寒い現状だ」
感情論で断罪する
という点では、治安が悪化している、犯罪が増えている、厳罰化しなくては、と一緒。

貧困にある人たちは怠け者だったわけでも、先のことを考えていなかったわけでもない。
「本当に悲惨なのは、この「あんたのせい」を、本人が「たしかに自分のせい」と納得してしまうことだ」

「ネットカフェで暮らす健康な男性が「今のままでいいんスよ」と言っている。これはしばしば人々の反発を買う。「現状に甘んじている」「向上心がない」「覇気がない」「根性がない」……このテーマであれば、人々はいくらでも饒舌になれるだろう。まさに自己責任論がもっとも得意とする場面である」


野宿者支援をしている人に、路上生活が10年以上になる人は「今のままでいい」と言う人が多い、どうしてだろうかと聞いたことがある。
あきらめているからだそうだ。
夢や希望を持っても失望するだけだということを骨身に染みて知っている人は夢を持とうとしない。
頑張るためには条件がいるのである。

「彼/彼女らは、よく言われるように「自助努力が足りない」のではなく、自助努力にしがみつきすぎたのだ。自助努力をしても結果が出ないことはあるのだから、過度の自助努力とそれを求める世間一般の無言の圧力がこうした結果をもたらすことは、いわば理の当然である。自己責任論の弊害は、貧困を生み出すだけでなく、貧困当事者本人をも呪縛し、問題解決から遠ざける点にある」
そうして人々は問題の所在を見失い、正社員と派遣社員、福祉事務所職員と生活保護受給者、外国人研修生と日本人失業者などが対立し、双方が引き下げあう「底辺の競争」をしている。

「〈貧困〉は自己責任論と相容れない、〈貧困〉は自己責任論の及ばない領域ということだ。〈貧困〉に陥った人に対しては、人はそれが「本人の責任か」を問う前に、その状態を解消しなければならない」
「十分な生活保障があって初めて「そこから先は自己責任」と言える」

ところが、現実は逆になっている。
日本の社会保障給付金は税金の41.6%しか使われていない。
EU平均並みにするにはあと43兆円が必要なわけで、それだけ少ないことになる。

湯浅誠氏はたとえば、安心して働けるように保育園を充実させる、公営住宅をたくさん建てて家賃負担を軽くする。大学の授業料を安くして将来に向けた負担を軽くする、といった提案をしている。
日本の最低賃金は先進国の中で最低なんだそうだし、消費税を増やすより所得税の最高税率を引き上げるべきだし、最低生活費は引き下げるべきではないと、私も思う。
ネットカフェ難民対策として東京都が「低所得者生活安定化プログラム」と命名した取組みの年間予算は10億円。
定額給付金の2兆円があれば、かなりの対策ができるのではないかと思う。
もっともいくらお金を費やしても、それを有効に使わなければ意味がないわけで、実際のところ、再チャレンジ政策の一環であるフリーター就労支援対策として設置された若年向けハローワーク運営の委託を受けたリクルートは、日給12万円の人件費を計上していたそうだ。

湯浅誠氏はこう言う。
「期待や願望、それに向けた努力を挫かれ、どこにも誰にも受け入れられない経験を繰り返していれば、自分の腑甲斐なさと社会への憤怒が自らのうちに沈殿し、やがては暴発する。精神状態の破綻を避けようとすれば、その感情をコントロールしなければならず、そのためには周囲(社会)と折り合いをつけなければならない。しかし社会は自分を受け入れようとしないのだから、その折り合いのつけ方は一方的なものとなる。その結果が自殺であり、また何もかも諦めた生を生きることだ」
秋葉原通り魔事件を連想させる。
犯罪も貧困と無関係ではない。

最後に文句を一つ。
反貧困キャンペーンのシンボルマーク「ヒンキー」というオバケキャラクターの説明にこうある。
「ヒンキーは、世の中みんなが無関心だと、怒ってどんどん増殖して行きますよ。世の中の人たちがヒンキーに関心を寄せて、ヒンキーをどうするかと議論し、あの手この手を考えていけば、ヒンキーはいずれ安心して成仏してくれます。ヒンキーを成仏させてやってください」
「成仏させる」なんて水子供養じゃあるまいし、と思ってしまった。
言わんとすることはわかるんですけどね。

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湯浅誠『貧困襲来』『反貧困』 1

2009年02月21日 | 

湯浅誠氏の講演を聴いて大変おもしろかったので、湯浅誠氏の著作『貧困襲来』『反貧困』を読む。

湯浅誠氏は「働いているのに食べていけない」という相談が増えたと言う。
ワーキング・プアとは、憲法25条で保障されている最低生活費(生活保護基準)以下の収入しか得られない人たちのことである。
最低生活費は、東京二三区に住む20代、30代の単身世帯だと月額13万7400円、夫33歳、妻29歳、子4歳の一般標準世帯だと22万9980円。
大都市圏で年収300万円を切る一般標準世帯がワーキング・プアということになる。
年間を通して働いているのに年収200万円未満という人が1000万人を超えていて、総世帯数の18.9%。
貯蓄なし世帯は23.8%である。
ちなみに、平均所得金額は563万8000円。
国民健康保険料の長期滞納者34万世帯のうち、年収200万円未満が67%。
過去一年間で、具合が悪いところがあるのに医療機関に行かなかったことがある低所得者(年収300万円未満、貯蓄30万円未満)は40%、深刻な病気にかかった時に医療費が払えないと不安をもつ人は84%。
600万人から800万人が生活保護制度から漏れている。
雇用保険に加入していない労働者が増え、1982年には59.5%が失業給付を受け取っていたが、2006年には21.6%。
厚生年金、雇用保険、健康保険、労災保険といった社会保険のセーフティネットに穴が空いてしまっていて、一度貧困に落ちると元にはなかなか戻れない。
もっとも、『貧困襲来』の発行が2007年7月、『反貧困』は2008年4月発行だから、現在の状況はいっそうひどくなっているはずだ。

ワーキング・プアという言葉を使いたくない、「働く貧困層」と言うべきだと湯浅誠氏は言う。
ニート、フリーター、ホームレスなどにしてもそうだが、カタカナだときれい事になって、生活保護を受けながらパチンコをしている人、昼間から酒を飲んでいるホームレス、まともに働かずに気楽に生きているフリーターetc、そういうふうに見てしまいがちである。
実態が見えなくなってしまう。

「〈貧困〉というのは、お金だけの問題じゃない」
がんばれなくなっている人に「自分たちもがんばってきたんだから、お前もがんばれ」という言い方をし、自己責任論によって切り捨ててしまう。
しかし、今までは国が守ってくれない分、企業と家族が守ってくれたわけで、一人でがんばってきたわけではない。
「企業と家族に助けられてきた人たちは、立派に日本型福祉を受けてきた。けっして「一人でがんばって」きたわけではない。十分に支えられ、守られてきた」

現在は企業や家族からも排除されている人が増えている。
企業は社宅などの福利厚生を大幅に削っているし、家族も支えきれなくなっている。
いざとなると頼れる人がいる、たとえば家族と暮らしている人と、自分のアパートさえなくて寮やネットカフェを転々としている人とでは、月収10万円でも、その生活は違う。
ネットカフェ難民調査によると、「困ったことや悩み事を相談できる人はいますか」という問いに対して、「親」と答えたのは2.7%、「相談できる人はいない」が42.2%。
「多くの場合、自分の想定する範囲での「客観的状況の大変さ」や「頑張り」に限定されている」「得てして自他の〝溜め〟の大きさの違いは見落とされる。それはときに抑圧となり、暴力となる」
国、社会、企業、家族が支えてくれなくなって、最後のセーフティネットが刑務所というのが現況である。

貧困はその人だけの問題ではない。
貧困かどうかを公式に決めるのは、日本では生活保護が基準となる。
生活保護以下の収入で生活している人がいる、本当に必要ではない人まで生活保護を受けている、生活保護を受けているのにパチンコばかりしている人がいる、だから生活保護費を引き下げるべきだという意見がある。
これは間違い。
「最低生活費の切下げは、生活保護受給者の所得を減らすだけには止まらない。生活保護基準と連動する諸制度の利用資格要件をも同時に引き下げるため、生活保護を受けていない人たちにも多大の影響を及ぼす」

最低生活費としての生活保護基準を基点として低所得者向けサービスが定められている。
たとえば公立小中学生の13%が受けている就学援助は、多くの自治体で収入が生活保護基準の1.3倍までと設定している。
地方税の非課税基準も生活保護基準を下回らないように設定されている。
「低所得者向けサービスを受けられなくなった世帯にとって、それは実質的な負担増を意味する」
生活保護費を引き下げることは、150万人の生活保護受給者だけの問題ではないのである。

貧困と児童虐待・進学・自殺・自己破産などとは関係がある。
児童虐待であるが、3都県の児童相談所で一時保護された510件の中、生活保護世帯・市町村民税非課税・所得税非課税の家庭は44.8%。
リーロイ・H・ベルトン氏はこう断言している。
「20年以上にわたる調査や研究を経ても、児童虐待やネグレクトが強く貧困や定収入に結びついているという事実を超える、児童虐待やネグレクトに関する真実はひとつもない」
「児童虐待やネグレクトを減らすためには、少なくとも貧困ラインの上まで家族の収入を増やす」
ことだ。

生まれ育った家庭の貧困は子どもの学歴にも影を落としている。
大学卒業までの子育て費用は1人あたり平均2370万円かかる。
生活保護世帯の高校進学率は約70%。
「貧困家庭の子どもは、低学歴で社会に出て」「低学歴者に不利益が集中し、そのまま次世代に引き継がれてしまっている」、つまり貧困が親から子へと連鎖しているわけである。

自殺も貧困と無関係ではない。
遺書を残した自殺者1万446人の中で「経済・生活」を自殺の理由としている人が3010人いることから、3割の約1万人が生活苦を理由として自殺していると推計されている。

多重債務者も同じ。
 自己破産した人の借入れの要因
生活苦・低所得24.47%
病気・医療費  9.06%
失業・転職    7.17%
給料の減少   4.65%

 破産申立者の月収
5万円未満   33%
5万円以上10万円未満14%

つまり、貧困が原因でサラ金から借り、自己破産した人が半数なのである。
サラ金から借りなくても生活が成り立つなら、サラ金に手を出さない。
「結局「借りた金は返さなきゃいけない」という律儀な人たちが、高すぎる違法金利を支払っていることを知らないまま、少ない所得の中からお金を返しつづけて、〈貧困〉に陥っている」
「その人たちは、自己破産しても、またどこかからお金を調達しないと生活できない。でも一度自己破産したら、もうサラ金はお金を貸してくれない。お金を貸してくれるのは、はるかに高い金利をむさぼるヤミ金だけだ」

というため息状態はどんどん加速しているわけです。

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英国王室と皇室と貧困

2009年02月18日 | 

スティーヴン・フリアーズ『クイーン』という映画は、ダイアナ妃が交通事故で死んで国葬が行われるまでの王室、特に女王を描いたもの。
のぞき趣味的ではあるが、女王に敬意を払っているように感じた。
ピーター・ディキンスン『キングとジョーカー』は1976年出版の小説。
エドワード7世の長男アルバート・ヴィクターが肺炎で死なず、ビクター1世として王位に就き、孫のビクター2世が国王という世界の話。
エドワード7世は女好きだし、ビクター2世は妻妾同居しているし、王室の血を引く人物が突然登場したりというわけで、王制批判の小説かというと、そうではない。
やはり王室に好意的である。

英国民は王室をどう思っているか、ディキンスンはこう言う。
「半分の者は王室を晴れがましい〝のぞきからくり(ピープショー)〟と見、半分の者は交通渋滞をひき起こすお金のかかる存在だと思っている」
「ピープショー」とはのぞきからくりの見せ物というより、H系のほうではないだろうか。
雑誌の新聞広告の見出しを見ると、皇室報道はピープショーだなと思う。
国を憂えているふりをしながら、よその家のもめごとに口をはさんで楽しんでいるとしか思えない。
日本の皇室報道はイギリスに似てきたのかもしれない。

「ガラスの家」に住む人たち、すなわち王族は「内輪の顔」と「よそゆきの顔」を使い分けると、ディキンスンは登場人物に語らせる。
そうしないと自分が保てないからなのだが、それを許さないのが皇室批判記事を書く人たちだと思う。
雅子妃非難をする人たちはウツ病がどういう病気かをわかっていない。
あるウツ病の人は医者から「薬をやめるなんてことは目標にしちゃいけませんよ」と言われたそうだ。
そんなに簡単に治るような病気ではない。

ところが雅子妃非難は、自分の責任を考えていない、どうしてもっと頑張ろうとしないのかということで、自己責任論ともつながっている。
たとえば、派遣切りや路上生活するのは本人の責任もあるという暴論と同じ発想のように思う。
湯浅誠氏は『貧困襲来』に
「本当に悲惨なのは、この「あんたのせい」を、本人が「たしかに自分のせい」と納得してしまうことだ」
とある。
これは貧困についてなのだが、ウツ病患者にもあてはまる。
「自分のせいだ」と思い込んで、自分を追い詰めてしまう。

「〈貧困〉は自己責任論と相容れない、〈貧困〉は自己責任論の及ばない領域ということだ。〈貧困〉に陥った人に対しては、人はそれが「本人の責任か」を問う前に、その状態を解消しなければならない」
同様に、ウツ病になったのなら本人の責任を問う前にまずはその状態を何とかしなければならない。
なのに、追い込まれている状態をそのままにして、みんな頑張っているんだ、自分で何とかしろというのは無茶だと思う。

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重松清『青い鳥』

2009年02月15日 | 

映画『青い鳥』がよかったので、原作の重松清『青い鳥』を読んだ。
重松清氏の小説はあざとい、いかにもというところがあるのだが、泣かせる。
『青い鳥』は連作短編集、いずれも泣きました。
8編とも中学生(元中学生もいるが)が語り手で、臨時教師の村内先生が出てくる。
映画では阿部寛が演じる村内先生は「小太りで、少し髪が薄くなった先生は、手の振り方もオジンくさい」、吃音がきつくて、カ行とタ行と濁音で始まる言葉は必ずどもる。

「青い鳥」は、いじめられた野口という子が自殺未遂をし、そして引っ越したあとのクラスに、村内先生が臨時の担任として来る。
「忘れるなんて卑怯だな」と言って、野口の机と椅子を持ってこさせる。
語り手の中2と村内先生との対話。(どもったとこは省略)
「先生はクラスでいちばんあの子のことをたいせつにしてやるんだ」
「でも、本人はいないじゃないですか。なにやったって、本人にはわかんないじゃないですか」
「でも、野口くんはいなくても、みんなはいるから。みんなの前で、野口くんをたいせつにしてやりたいんだ」
ぼくらに罰を与えているのかという語り手の問いに、村内先生は「責任だ」と答える。
「野口くんは忘れないよ、みんなのことを。一生忘れない。恨むのか憎むのか、許すのか走らないけど、一生、絶対に忘れない」
「一生忘れられないようなことをしたんだ、みんなは。じゃあ、みんながそれを忘れるのって、ひきょうだろう? 不公平だろう? 野口くんのことを忘れちゃだめだ、野口くんにしたことを忘れちゃだめなんだ、一生。それが責任なんだ。罰があってもなくても、罪になってもならなくても、自分のしたいことには責任を取らなくちゃだめなんだよ」

誠実に生きることだと思う。
「おまもり」の語り手の父親は12年前に交通事故を起こし、相手を死なせてしまう。
父親は慰謝料を払い、山梨県まで何度も足を運んでひたすら詫びた。
しかし、土下座をしても家の中にすら入れてもらない。
それでも毎年命日に近い日曜日には墓参りをし、菓子折を持ってお詫びに行く。
語り手はこう言う。
「自分の父親が、誰かに憎まれて、恨まれて、謝っても許してもらえないまま一生生きていくなんて―これほど悲しいことがあるだろうか」
だけども、父親は死なせたことを忘れず、謝ることをつづける。
悪人であろうとする。
本気でしゃべっている「たいせつ」な言葉はいつか必ず相手に通じる。
でも、悪人でいるのはつらい。
悪人にはなれないなと思う。

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キネマ旬報2008年ベストテン特集号

2009年02月12日 | 映画

キネマ旬報のベストテン特集号を買う。
『青い鳥』が日本映画20位とは低すぎる。
どうしてベストテンに入っていないだろうか、見ていない人が多いのではと思ってしまった。
ベストテン選考委員ははたして一年間に何本映画を見ているのだろうか。
封切り本数は、日本映画が418本、外国映画は388本。
全部の映画を見るのはいくら何でも無理。
見ていない映画は採点表を×にしたらどうだろう。
×だらけになったら格好悪いけど。

日本映画は62人によって119本、外国映画は63人によって158本が選ばれている。
そのうち1人しか投票していない作品は、日本映画は46本、外国映画は58本、つまり三分の一は1人しか選んでいないことになる。

選んだ作品のうち何本ベストテンに入っているかというと、日本映画は品田、新藤、轟の三氏の7本、外国映画は稲田、金澤、黒田、品田、芝山、高崎、轟、森直人の八氏の6本が最高。
品田、轟両氏の好みはきわめてオーソドックスということになる。
キネ旬編集部はどちらも7本、スクリーン誌のベストテンもキネ旬ベストテンと7本が一緒。
何人かで選んだ作品と、何十人で選んだ作品は似たり寄ったりになるということか。
逆に1本もベストテンに入っていないのは、日本映画は浦崎、野村、渡部の三氏、外国映画は秋本、山田、渡辺、渡部の四氏で、1本だけベストテンに入っている人が11人もいる。
これらの人の好みが特別に変わっているわけではない。
ちなみに、観客が私一人だった『ハロウィン』は102位、『劇場版メジャー』は選外だった。

キネマ旬報ベストテン特集号が何十冊かあるので、古いものは処分しようと古本屋に電話していくらで引き取るか聞いてみた。
そしたら、10円か20円だと言う。
売れないので100円ぐらいの値段をつけるしかないそうだ。
30年前には神田の古本屋で3千円ぐらいしてたのに。
トホホでした。

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萩原朔美『死んだら何を書いてもいいわ』

2009年02月09日 | 

私は小説好きだが、詩のよさはさっぱりわからない。
が、伝記は詩人のものもおもしろい。
ゴシップ好きなものですから。

萩原葉子『父・萩原朔太郎』を読むと、萩原朔太郎という詩人は自分一人では何一つできず、マザコンで、アル中で、生活無能力者で、社会不適応者で、はた迷惑な天才である。
妻は夜遊びし、男を作り、離婚するのだが、仕方ない気もする。
もっともこの母親もちょっとしたもんで、娘二人が高熱の時でもダンスホールに出かけて行ってしまう。
母親に捨てられた娘の萩原葉子は祖母の家でいじめられて育つ。
そうした自分の半生を書いた萩原葉子『蕁麻の家』はさすがに読む気がしない。

で、萩原葉子の一人息子である萩原朔美が母親のことを書いた『死んだら何を書いてもいいわ』を読む。
母親から電話がかかり、脚が思うように動かなくなったという。
「一緒に暮らせないかしら」と遠慮がちに言われ、同居することとなる。
そして、186日間暮らして萩原葉子はなくなる。
母親の思い出を書いたのが『死んだら何を書いてもいいわ』である。

萩原葉子は夫とケンカばかりして離婚するのだが、萩原朔美によると「父親が文学者の娘は、結婚生活がうまくいっていない場合が多い」そうだ。
太田治子、幸田文、広津桃子、津島佑子、室生朝子、森茉莉、そして萩原葉子と名前を挙げているが、個人情報をばらしていいのだろうか。
「父親の偉業を周辺から聞かされれば、娘はどんどんイメージを広げて父親を神格化してしまう」

なるほどと思ったのが、老化のこと。
「老化というのは、脚から始まるものではないのだ。老化は意欲の低下なのだ。仕事も趣味も学ぶことも一生終わることはない。終わるのは意欲だけなのである」
「きっと、老化というのは弱った体力が意欲を道づれにしようとする日々のことなのだ」

たしかにその通りだなと思う。
衰えた母親の姿を見、そして1946年生まれの萩原朔美自身が意欲の衰えを感じたのだろう。
実感がこもっている。

そして介護。
親不孝と自ら言う萩原朔美は
「親の介護という行為は、何をどうやっても、うまくいったというカタルシスのないものだと思う。残念だけど、ああすればよかった、こうすればよかった、と思い返すことだらけの行為なのだ」
「子供は親が居なくなって、初めて子供を自覚するのである」

私の両親は元気なので介護は未体験だが、これまた多分その通りだろうなと予想している。
知り合いのお父さん(90歳)が認知症なんだそうで、知り合いは「以前は早く死ねと思ったこともあったが、今は一日でも長生きしてもらいたい」と言う。
その気持ちはすごくわかる。
私自身、いかに親に頼っているかを思う。
親が死ぬというのは何か頼りないというか、心細いというか、ひとりぼっちになるというか、そういう感じがする。
萩原朔美にしても、80すぎた親の家の合い鍵を持たず、4歳の娘が祖母に会ったのは一回きりという、母親とはそういう疎遠な関係だったのだが、巨大な存在である親が小さくなり、そうして死んでいくということは、年だからとかと割り切れることではない。
本を書くということで自分の気持ちを整理したくなったのだと思う。

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永沢光雄の本

2009年02月06日 | 

永沢光雄『風俗の人たち』にこんなことが書いてある。
「永沢さんの文章って実用的じゃないですよね。あれを読んで風俗に行きたいなんて絶対思いませんもん。第一、ピンサロの店長の生い立ちなんか読んで喜ぶ人なんているんですか」
たしかに「××ちゃんの濃厚プレイにあえなく昇天」なんてことは全然書かれていないし、池袋の立ち飲み屋の話なんて風俗とはまったく関係ない。
インタビューしている永沢光雄氏自身がぼやき、インタビューされてる店長がぼやく。
実用性はないからこそ、筑摩書房というお堅い出版社から本が出たわけでもある。
この本は90~96年に雑誌に連載されたもので、バブルの崩壊とエイズ騒動で風俗の客がごそっと減った時期である。

永沢光雄氏のぼやきの絶妙さ、風俗の店長の愚痴、これを小説化したら直木賞ぐらい簡単に取れそうだと思った。
で、『すべて世は事もなし』という短編集を読む。
ぼやき小説もあるが、泣かせるちょっといい話が多い。
登場人物がいい人すぎて現実感がない話もある。
男二人、女一人の聖三角関係の話など。
でも、これは永沢光雄氏の願望という気がする。
というのが、永沢光雄氏は風俗やAV女優のことを書いているんだから軽いのかと思っていたからである。
ところが、『声をなくして』を読んで、永沢光雄氏は重たいものを抱えていたんだなと知った


永沢光雄氏は2002年、下咽頭がんの手術で声帯を除去したために声を失う。
2005年、闘病生活を綴った『声をなくして』を出版した。
そして、2006年にアルコールによる肝機能障害のため死去、47歳。
この人はもうじき死ぬんだとわかって読む『声をなくして』は重たい。
ガン患者の闘病記だから重たいのではなく、永沢光雄氏はウツ病でアル中。
とにかく飲んでばかりいる。
一種の自殺ではないかというぐらい飲む。
「いずれ、何かの形で書くつもりだが、私の家も相当なものだった。血、涙、叫び。血、涙、叫び」
あとがきがまた重たい。
夫を気づかいながらも、夫の好きにさせている妻の思いも伝えている本である。

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江森一郎『体罰の社会史』

2009年02月03日 | 

江森一郎『体罰の社会史』は1989年発行の本。
江森一郎氏が体罰史という観点を思いついたのは、戸塚宏『私はこの子たちを救いたい』に「日本の歴史が二千年あるとしても、体罰を否定しているのは、最近の三十年間だけで、あとの1970年間は、肯定されているのである」と言っていることだという。
江森一郎氏の考えは正反対に近い。

江戸時代以前にあって体罰否定論者はおそらく最澄と道元だろうということである。
江戸時代の初めごろから体罰が忌まれるようになった。
なんと水戸黄門様も体罰反対をはっきり表明しているそうだ。
闇斎、素行、藤樹、蕃山といった儒学者や心学者も体罰を否定している。
熊沢蕃山はこう書いている。
「聞いたことも見たこともない事を、読もうとする気もない子にまずい教え方で読ませれば、先にやったことは忘れてしまうのは当然だ。それを覚えが悪いの、忘れてしまったのと打ちたたきするのは、「不仁」である。(教育方法を)知らないのである」

体罰を否定しているからといっても、厳しく育てるべきだとする点ではほとんど一致している。
しかし、折檻することは、親子の感情を損ね、子どもの性格を表裏あるものにするとして否定的だった。
18世紀後半になると、青陵、大塩平八郎などの体罰肯定論が出てくる。

明治初年に出た『日本教育史資料』によれば、体罰規定のある藩校と郷校は維新期に存在した270藩のうち6校である。
しかも、このうち数藩については明治になってからの規定の可能性があるという。
体罰が否定されるということは現実には体罰が行われていたからであり、藩校に体罰規定がないから体罰がなされなかったわけではない。
薩摩藩、熊本藩、会津藩では、青少年自治組織では「粗暴・残酷な罰(大体集団的リンチがある)」が行われていたが、「一般的傾向とは言えない」と江森一郎氏は言う。
また、寺子屋でも体罰はあまりなされていないそうだ。
「江戸の寺子屋では一般的には体罰に対してきわめて慎重であり、羞恥心に訴えたり、恐怖心を適度に利用したりすること自体が主だったと考えるべきである」

日本に来た外国人の多くは、日本では子どもに対する体罰がほとんど行われていないことを書き記している。
1620年ごろ、イエズス会士フロイスは「日本では、むち打ちは滅多に行わない」と述べている。
1775年に来日したツンベルクは「彼等(日本人)は、決して児童を鞭つことなし」と書いており、幕末のシーボルトは「少なくとも知識階級には全然体刑は行われて居ない、是がため、私は我国で非常に好まれる鞭刑を見たことがなかった」と書き、オールコックは「(日本人)は決して子どもを撲つことはない」と述べている。
このように、日本では子どもが甘やかされ、大事にされていることに驚いている。
ただし、それには美化という側面もあることを江森一郎氏は注意している。
「特に江戸期の日本人は子どもを溺愛し、甘やかすことが一般的で、体罰もあまりひどいものではなかった」

明治12年に制定された「教育令」には体罰禁止規定が明文化されている。
「学校体罰法禁の西欧最先進国であるフランスでさえ、教育令の規定より八年遅れている。それは、わが国の伝統思想の中に国民のエートスとして、体罰を残酷とみる見方が定着している」

体罰が肯定されるようになるのは日露戦争前後が一つの節目だと、江森一郎氏は言う。
「産業革命によって生じる矛盾の深刻さ、それが温床となって体罰的雰囲気が瀰漫してくる」

「体罰の乱用に決定的影響を与えたのは、帝国陸・海軍の教育(調教?)方法であったろう」

軍隊が教育の場のモデルとなった。
「上下(先輩、後輩)関係を根幹としたうっぷんのはけ口として、私的制裁・体罰の場を用意することになったのであろう。この典型が森(有礼、文部大臣)がもっとも重視して軍隊モデルに改造した新教育の寄宿舎生活の場であったことはよく知られている」
「しだいに蔓延する当時の教師による体罰の根源はここにあったのである」

明治以降、体罰が肯定されるようになったのは、体罰が当然視されている欧米の影響もあるのではないかと思う。
「わが国の近世(江戸時代)教育史に比べると、「西欧の教育史は体罰史である」と言ってもよいほど体罰で色どられている。(ちなみに、中国近世においてもそうだった。)」
ルソーやペスタロッチも体罰完全否定論者ではなかったそうだ。
フランスでは今日でも「家庭での体罰は必要悪と考えられ、そのために毎年10万本以上のむちが売られているという」

学校での体罰、軍隊での私的制裁は禁じられていたが、タテマエと実態は乖離している構造は戦後も変わらないと、江森一郎氏は言う。
体罰によって子どもがケガをしたり、殺されるという事件が今でも時々あるが、その際に子どものほうが悪いという論調が見受けられる。
子どもには厳しくするほうがいいという考えは日本の伝統とは違うんだということを知るべきだと思う。

コメント (37)
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