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三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

憲法96条改正

2013年06月27日 | 日記

「戦争はイヤだ」とか「原発は怖いね」と、よく耳にする。
特に戦争を経験された方がおっしゃる。
「選挙で投票したい党がない」とも聞く。
私も今度の参院選はどうしようかと今から悩んでいます。

憲法96条の改正問題について、知人から『世界の憲法集』という本を教えてもらった。
『世界の憲法集』にはアメリカ、ロシア、中国など、世界18カ国の憲法の条文が載っている。
法律の素人である私には条文の意味がよくわからないので、中嶋一麿『世界の憲法・日本の憲法』を図書館で借りた。

中嶋一麿氏は、世界各国の憲法改正の手続きの方法を分類している。
1 それぞれの国の国会にあたる議会で、可決の条件として、単なる過半数よりも厳しい制限をつけているタイプ。もっとも多くの国で採用されている。総議員の三分の二以上としている国がもっとも多い。
2 議会を一度解散して、国民の審査を経た上で採決するタイプ。この場合においても、新国会の議員の三分の二以上の規定をしている国が多い。
3 議会の決議の上に、各州議会の半数以上の承認を必要とするタイプ。
4 国会の発議や審議の後に、国民投票をはかるタイプ。
5 国会の二会期にわたって、過半数以上の支持を必要とされるタイプ。
6 特別な憲法制定会議を召集する、あるいは両院合同会議で決定するタイプ。
7 国の元首に拒否権がある、あるいは元首に一任されているタイプ。
8 特別な手続きを、憲法上は明記していないタイプ。

実際はこれらのパターンを組み合わせている国も多い。
安倍首相としては96条を改正して、憲法改正のハードルを下げようというわけである。

「ガンバルクイナの96条改憲 知ってる?」というチラシをもらった。

このチラシによると、世界のほとんどの憲法が硬性憲法(改正に通常の法律よりも厳重な手続きを必要とする憲法)で、日本の憲法だけが変えにくいわけではない。

ドイツは戦後、58回も改正しているし、アメリカは6回。
しかし、ドイツの憲法は日本では法律で定めているような細かい事項も含まれているし、アメリカ合衆国憲法の改正手続きは、両院の3分の2以上か、3分の2以上の州議会の要請で憲法会議を召集し、4分の3以上の州における承認が必要である。

知人によると、『世界の憲法集』に取り上げられた国々は、日本より厳格な改正規定が定められているそうだ。
カナダは改正手続きの条文が10条あり、改正会議には先住民の代表まで召集しなければいけない。
ベルギーは改正が宣言されると、議会を解散しなければいけない。
フィリピンは国会においての発議が4分の3の投票、または選挙権者の12%以上の請願による人民発案で発議ができる。
ロシアは改正の提案が5分の3で支持されたら、憲法制定会議が招集され、制定会議の3分の2で採択、そして人民投票で過半数。
ドイツは国民主権と人権規定は改正できない。

『世界の憲法・日本の憲法』によると、憲法改正に複雑なシステムを導入している国は少なくない。
たとえば、スペインでは両院それぞれの議員の5分の3の多数により承認される。
しかし、両院で合意に達しないときは合同委員会で検討され、どちらかの議員の10分の1の議員によって請求された場合には、国民投票にゆだねられる。
また、特に憲法全体を変える場合と、重要な条項の改正について提案されたときには、各議員の3分の2の多数によって原則の承認がなされた後、国会が解散され、新しい両院でもそれぞれ3分の2以上の追認を得た後に、国民投票にゆだねられる。

ということで、憲法を改正するのが日本よりもずっと厳しい国は少なくない。
安倍晋三首相は「3分の1をちょっと超える国会議員が反対すれば、国民が指一本触れられないのはおかしい」、「憲法を国民の手に取り戻す」と訴えているが、安倍晋三首相は無知なのか、知らないふりをしているのかはともかく、「おかしい」と言っていることがおかしい。

知人は「社会の空気次第で簡単に改正できてしまう一面を日本国憲法は持っているのではないかと思います」と言う。
「ガンバルクイナの96条改憲 知ってる?」も、「改憲しやすくなると、政権交代のたびに改憲という事態も起こりかねません」と指摘している。

96条が改正されても、国民投票があるから心配ないと言う人もいる。
それについては「ガンバルクイナの96条改憲 知ってる?」にこのように説明されてある。
「国民投票を行うには、国民みんながその改訂についてよく理解しないといけません。けれども両院の過半数で発議されるなら、ほとんど審議せずに国民投票に持ち込むことも可能になります。それでは何が問題なのか国民にわかりません。
そして、国民投票運動の資金のあるなしで、あるいは領土問題などで危機感をあおり立てることで、国民の意思が誘導されることもありえます。かつてナチスドイツは国民投票をそのように利用しました。(略)
有効投票数の過半数の賛成で改憲が決まるとい規定では、棄権することや意見を書き込むことで思いを反映させることもできません。
このごろの国政選挙の投票率は、せいぜい50~60%。その「過半数」では、国民全体の25~30%の賛成で憲法が変えられてしまう事態となりかねません」

96条をまず改正して、そうして憲法全体を変えようというのなら、憲法のどこを変えたいのか、どうして変えたいのかをまずはっきり主張し、そうして議論すべきだと思う。

それと、憲法は誰のためにあるのか、ということ。
池澤夏樹氏は「憲法は国の力の方を制限して、なるべく個人を守るようにしている。それが憲法というものの役割なんだ」と『憲法なんて知らないよ』に書いているように、そもそも憲法は国民を縛るものではなく、国家権力の乱用を抑えるためにある。
法律が国民の基本的人権を侵していないかどうか、歯止めをかけるのも憲法である。
だから、憲法を変えるのは国民の権利を勝ち取るためであり、政治家の都合いいように変えるのでは本末転倒である。

安倍首相の狙いは、憲法を改正することで国民を縛ろうということではないかと思う。
自民党は参院選の公約に96条改正を明記することを見送ったらしいが、改正しないとは言っていない。
参院選で自民党が圧勝したら、96条改正→憲法改正ということになると思う。

それと、知人は「自衛隊が国防軍になれば、イギリスの王子やオランダの新国王みたいに、日本の皇族も軍隊に入るのかな? と思いました。安倍さんはどう考えているのでしょう」とも言っている。
戦前、昭和天皇は大元帥だったし、男子皇族は軍人だったのだから、平和憲法が改正され軍隊ができれば、皇族は軍人になるのが原則になるのではないかと思う。
今のところ軍人になりそうな男子皇族は一人しかいないし、戦場に赴くかどうかはわかりませんが。

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「さとり世代」なる若者

2013年06月23日 | 青草民人のコラム

青草民人さんです。

私たちの世代は、若い頃「新人類」といわれ、何を考えているのかわからないとよく言われたものだ。「いまどきの若い者は……」という言い回しは、どんな時代にも存在し、つねに先代との確執のもとになってきた。

最近の若い世代についた称号は、「さとり世代」。自分はこんなものだろうと諦めというか、無欲というか、そのような若者気質を表した表現だという。


昨年度の終わりに、卒業生の将来の夢に関する絵と文章を書いた作品が、体育館に掲示されたことがあった。そのなかには、「ぼくは、将来、生きているだろうか。病気や災害にまきこまれていないといいな。」「元気で生きていますように。」など、将来の生存に関わる不安が感じられる記述が何人かいたのに驚いた。東日本大震災を経験した世代とはいえ、あまりにも子ども離れした記述に寂寥感すら感じた。


明るい未来に希望がもてない。自分の将来像を思い描けない世代の若者たち。めまぐるしく移り変わる世の中に暮らしながら、自分を社会に押し出していく勇気と自信を失っているようにさえ感じる。


「さとり」とは、本来は、自分自身がもつ執着心や猜疑心を超越し、真実の自己の在り方を自覚することである。諦めや自暴自棄になることではない。


「さとり世代」という言葉の意味には、「どうせ自分は……だから」という諦めや「自分はこのぐらいが妥当だ」という自己否定が垣間見られる。

何年か前から、教育の現場でも、自己肯定感をもたせる指導の充実がさけばれるようになった。
自分に自信がない。人と関われない。引きこもってしまう。さりとて、一世代前の若者のように尾崎豊の歌詞にでてくるような、大人社会に対する反抗や強い憤りを表すこともない。


しかし、こうした閉塞感は、陰湿ないじめの温床となり、表面的では何も起きていないかのような状況のなかで、静かに、しかし、したたかな暴力が行われている。若いいのちが、まさに死をさとったかのように摘み取られ、世の中に衝撃を与えている。


日本の国そのものに元気がない。大きな災害を経験して、自然の脅威と人間の無力さを思い知ったということもあろうが、社会そのものが閉塞感をともなって、行き詰まっているような気がする。アベノミクスも先行きのみえない打ち上げ花火にならなければよいが。


常に強いものが勝ち、弱いものが犠牲になるというのが、世の常である。強力に経済を立て直すことが、若者の将来への希望と元気を再生させることに、本当につながるのだろうか。


何ものにも束縛されずに、自由を求めて生きるには、欲望を抑え、人と争わず、小さく生きていくこと。それが今の若者にとっての「さとり」といわしめたものなのかもしれない。そんな若者を作ってきたのは、まぎれもなく私たちであろう。


釈迦の教法ましませど、修すべき有情のなきゆえに、さとりうるもの末法に、一人もあらじとときたもう。

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阿部謹也『刑吏の社会史』2

2013年06月19日 | 

阿部謹也『刑吏の社会史』に、市民が徹底的に嫌悪したのは「刑吏その人ではなく、刑吏に象徴される権力そのものである」と、上杉聰『これで納得! の歴史』と同じような指摘がされている。


「刑吏に対する市民の嫌悪感は国家権力による公開処刑に対する市民の反感の無意識的表現であったとみることができる」
刑吏に対する差別、偏見は国家への反感が投影されたものだというわけである。

「裁判に対する民衆の不信が高まっているとき、刑吏は自らの手で無実の者の死を招き、自ら殺人者となる立場におかれた」
拷問によって自白を強要され、簡単な裁判ですぐに処刑される。
民衆は、自分もいつ処刑台に立たされるかわからないと考えた。
だから「明らかに民衆の認めがたい犯罪のばあいも観衆は受刑者に味方することが多い。特に女性や子どもが処刑されるばあいそれが著しかった」


しかし、国家権力に対して抗議の声をあげることはできない。
となると、身近にいる刑吏(権力の手先)が格好の標的となる。
拷問するのも処刑するのも刑吏だし、もともと差別されているから安心してうさを晴らすことができる。
おまけに刑吏は社会から排除された存在なのに、市民よりも豊かな生活をしている者もいるというやっかみもあり、より一層刑吏への差別は強まる。

「市民はその生活の重圧と生命の危険との原因がどこから来るのかを理解しえないまま、現実に行なわれている公開処刑で断罪されている受刑者におのが姿を見た。そのとき踝まで血に染まって死体の傍に立っている刑吏を、彼らは身ぶるいをしながら眺めた。彼らは潜在意識のなかで、刑吏に不正な裁判の執行官、国家権力の苛酷な手先をみたのである」


阿部謹也氏の分析は深読みのようにも思うが、大切な視点を提供していると思う。
「犯罪が社会的責任の問題であるということは、ひとつの犯罪が生じたとき、その犯罪に対してその社会の構成員は多かれ少なかれ何らかの責任を負っているということに他ならない。(略)ひとつの社会の歪みの表現としての犯罪の犯人はいわばその社会の歪みの犠牲者なのだが、彼は一人でその社会の歪みの全体を背負い、断罪され、刑場の露と消えてしまう。他の人々はこのような報道を目にしても自分とはかかわりのない出来事としてよみ、その日の仕事に埋没してゆく。おそらく潜在意識の底では中世都市の市民も犯罪が自分と無関係ではないことを知っていたが故に、全体を代表して犯人を処刑する刑吏に対しておそれをいだき、そのおそれが賤視へと澱んでいったのであろう」


刑吏への差別、国家と市民の関係は、中世ヨーロッパの特殊な現象ではないと思う。
権力者は市民の憤懣が直接自分たちに向かわないように、仮想敵を作って、そちらに市民の不平不満を向けようとする。
市民も、国や政治への不満を権力者に直接ぶつけるよりは、身近な存在のほうがやりやすい。
この構造はユダヤ人差別や差別がそうだし、現在の在日排斥のヘイトスピーチや公務員叩きにも通じるように思う。
公務員はろくな仕事をしないくせに高い給料をもらっていい暮らしをしている、というような。


安田浩一氏がヘイトスピーチについての談話が毎日新聞に載っている。
参加者は、必ずしも「貧しく仕事がない若者」ばかりではない。サラリーマンや主婦、公務員など多様だ。ただし「自分たちは被害者」という意識は共通する。社会の主流から排除され、言論は既存メディアに奪われ、社会福祉は外国人がただ乗り−−という思い込みや憎悪でつながる。
彼らをつなげているのがインターネットだ。ネット上で個人を攻撃する「まつり」を、そのまま路上へ持ち出している。攻撃の対象は「在日」でなくとも、「マスゴミ」「生保(ナマポ)」(生活保護受給者)でもいい。
彼らは「愛国者」を自称しているが、本当は「国から愛されたいと渇望する者たち」ではないか。経済成長が望めず、社会が不安定化する中で、自分たちが守られているという実感を求めている。だがそこには、自らが傷つけている他者の痛みへの想像力と、差別者だという自覚が決定的に欠けている。毎日新聞6月18日
国と自分の関係がうまくいかないと、「自分はちゃんとやっているのになぜ」と被害者意識を持ち、攻撃しやすい対象を求めるということか。

日本とヨーロッパの違いだと思えること。

「刑吏の名誉は19世紀にいたってようやく回復されたのだが、それはまさに近代常備軍編成のための国民皆兵政策の立場からの解放なのであった」と阿部謹也氏は言う。

日本では徴兵制が施行されても、差別はなくならなかった。

軍隊内の差別を昭和天皇に直訴した北原二等卒直訴事件は1927年。
戦後でも、1964年に発覚した信太山自衛隊差別事件、1965年に明るみに出た富士自衛隊差別事件などがある。
軍隊の中でも差別はなくならなかったわけである。

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阿部謹也『刑吏の社会史』1

2013年06月14日 | 

阿部謹也『刑吏の社会史』を読み、中世ヨーロッパの刑吏(刑罰、特に死刑の執行にあたる官吏)と日本の被差別と共通する点が少なくないように思った。

ヨーロッパの苗字の多くが職業名だそうで、「死刑執行人」「刑吏」という苗字もあるというのだから驚きである。
アングストマン(「死刑執行人」という意味を持つ)という苗字の研究者は、ドイツ語圏に107種にも及ぶ刑吏の職名を確認している。

姓名によって差別されるのは、洋の東西を問わない。
日本でも固有の姓名があるそうで、知らない人は何とも思わない姓名であっても、わかる人にはわかる。

ヨーロッパ中世社会において、《名誉ある人々》は貴族身分、市民身分、農民身分に分かれ、そして《名誉をもたない》賎民がいた。

死刑執行人、捕吏、獄丁、看守、廷丁、墓掘り人、皮剝ぎ、羊飼いと牧人、粉挽き、亜麻布職工、陶工、煉瓦製造人、塔守、夜警、遍歴楽師と奇術師、娼婦、浴場主と理髪師、乞食取締夫、犬皮鞣工、煙突掃除人、街路掃除人などである。

「これらの賎民の職業は刑吏や捕吏のように裁判権を執行し、国家秩序の維持に決定的に重要な役割を担うものから、衣服・食糧の供給、衛生、清掃、医療の実際にいたるまでほとんどが人間の社会生活に不可欠なものであった。このような重要な役割を果たしていた人々を差別し、蔑視し、極端な場合には共に飲食せず、言葉も交わさないように常時注意しながら暮らしていた」

阿部謹也氏は刑吏について、「かつてこれほど厳しい職業についた人々がいただろうか」と書いている。
14~15世紀ごろから近代にいたるまで、刑吏は蔑視され、差別される生活を強いられた。
「刑吏が過去において賎民であって、刑吏に触れた者も賎民の地位におちてしまうほど、蔑視され怖れられた存在であった」

刑吏とその家族は社会の外に置かれていたのである。
刑吏は常にそれとわかる服装をしなければならなかった。
刑吏の子供は刑吏以外の職業を選ぶことはできなかったし、娘は刑吏以外と結婚することは許されなかった。
刑吏の妻が出産しても、近所の女は誰一人として手伝わなかったし、刑吏が死んだ時、刑吏の棺をかつぐ者はいなかった。

「刑吏の棺をかつぐことは直ちに賎民におちることとみなされていたからである」
ゆりかごから墓場まで差別されたのである。

日本では被差別民が警察・刑吏・皮革・芸能などの仕事を占有していたが、中世ヨーロッパでも同じで、阿部謹也『刑吏の社会史』によると、刑吏は動物の皮剝ぎを副業としており、家畜の死骸を片付けて処理するのは皮剝ぎにまかせなければならなかった。

「溺れかけて皮剝ぎに助けられた者も名誉を失うとされていた。いうまでもなく溺れかけた皮剝ぎの子を川にとび込んで助けた者も名誉を失う」

それなのに商人は賎民から金を受け取るし、市民は皮製品を愛用した。
刑吏は死体を扱うので医者として評判が高かった。
ケガレといってもご都合主義なのである。

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上杉聰『これで納得! 部落の歴史』3

2013年06月11日 | 

差別している一般民衆が加害者なのに、の人に対してなぜか被害者意識を持っている。
の人々と同席したり、食事などをしたら、「穢れ」が伝染すると考えられていた。
「排除されていたの人々が農民に交わってくる」と、自分が穢れて「自分たち百姓がにされる」と思い、被害者意識を持つようになる。
「人は、被害者の立場に置かれたと感じるとき、容易に攻撃的となります」

明治初年に解放反対騒擾が主に西日本で起きたことを上杉聰『これで納得! の歴史』によって知った。
焼かれたり破壊された家屋は2068戸、死傷者は51人。
明治6年5月26日~6月1日にかけて岡山県で起きた事件では18人が殺されている。
5人(数えの1歳から79歳)の犠牲者のうち2人を竹槍で刺し殺した男(24歳)の自供調書が『これで納得! の歴史』に引用されているので、一部を紹介。

「追々多人数に相成り、右小一郎(被害者)並びに外四人とも、頭上(頭部)その他総身(に)疵所出来、出血致し、小一郎は疵受け候儘逃げ去り、「つや」(79歳)「しも」(43歳)「はつ」(1歳)「こむめ」(9歳)等は、右疵のため打ち倒れ候に付、竹槍を以て右の内「はつ」の横腹を突き、殺害に及び、次に「こむめ」の胸先を同様(に)突き立て候えども、その節絶命に至り候とは相覚え申さず候」

ルワンダでのフツとツチの虐殺もこういう感じだったのかもしれない。
よその国の話ではなく、関東大震災での朝鮮人虐殺も被害者意識ということでは同じ心理である。
ごく普通の生活をしている、普通の人が残酷に殺してしまう。
在特会のデモでの「朝鮮人を殺せ」というシュプレヒコールも笑ってすませるわけにはいかない。
というのも、ルワンダではフツ族向けのラジオ番組のディスクジョッキーが虐殺を扇動している。
煽り立てる人間の責任は大きいと思う。

ただし、への攻撃には「政府への強い不信感を抱いていることを見てとる必要があります」と上杉聰氏は指摘する。

徴兵令によって戦争にかり出されて命を奪われる、断髪など西洋風に変えさせられる、といったことへの不信である。

「未知の世界へ強引に引き込まれていく農民の漠然とした不安が読み取れます」
未来への不安は現在でも強いわけで、それがアジアの国々への反感、攻撃となっているのかもしれない。

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上杉聰『これで納得! 部落の歴史』2

2013年06月08日 | 

「階級社会のなかで治安を守る有効な方法の一つは、最も貧しく、差別されているグループに、さらに地位の低いグループがいる、と説得することである」(C・ダグラス・ラミス『要石』)

江戸時代は士農工商穢多非人という身分制度があったが、明治になって四民平等になった、と中学で習った。
ところが、上杉聰『これで納得!の歴史』に「江戸時代の身分は、「武士・百姓・町人」の三つが主でした。(略)歴史教科書から「士農工商」の言葉は、ほぼ完全に消えてしまいました」とある。
「四民平等」が一般的な用語として広く使われるようになるのは明治30年前後のことなんだそうで、知らないことばかりです。

そもそもは社会の「下」ではなく、「外」だった。
「江戸時代まで、は社会の「外」にありました。それは、たんに「穢れ」意識などによるものだけでなく、裁判制度、行政的な支配なども、一般社会と異なった支配・法体系のもとにあったからです。住む所も、異なる土地へと隔離されていました」
「・」には「外(ほか)」などの表現がつけられ、「こわい」「血筋が違う」「異人種」といった「穢れ」や「動物視」などもまとわりついた。

の中にも上下があり、
帯刀を許された者もいる。
しかし、「外」だから、一般の人はそのことを知らないでいた。

それが明治維新によって変わる。

「社会の「外」にあったため、一般社会の人々は、それに気付かないで過ごすことができたと考えられます。ところが賎民廃止令によっての人々が社会のなかへ入ってきたとたん、互いに比較できますので、彼らの身分観念と矛盾をきたし、刀を取り上げたのです。
つまり、社会の「外」にあれば、の「上」の姿も容認でき、矛盾しないのですが、それを社会の「内」へ組み込んだとき、に対する差別意識は「外」から「下」へとイメージが変わることを余儀なくされるのです。
こうして、に「下」という意識がつきまとうことが近代の特徴となります」

この上下関係は価値の上下になる。
「差別について今日、「下」のイメージが増えて、「下」という「価値」で表す場合が多いのですが、実はその陰に、かならず「排除」の差別が含まれていることに気付くべきだろうと思います」
の人間はたとえ金持ちであろうと社会の最下層の存在だと価値づけられる。

貧富の上下もある。
「廃止令」(「解放令」という言い方は正しくないと上杉聡氏は言う)以前のの「生活は案外豊か」だった。
警察・刑吏・皮革・芸能などの仕事を占有していたからである。
ところが、賎民制度の廃止によっての人々はそれらの仕事を失った。

「賎民制度を廃止した結果、その仕事を解雇したために起こった経済的な打撃は、たいへん大きなものでした。もし相応の補償措置が講じられていたならば、防ぐことができたでしょう」
青森県「残らず平民になる、併(しか)し渡世成り難き旨にて困窮す」
長野県では、警察の仕事をする代償として、一年に二回、お米を農民たちからもらってきたのだが、廃止令によってそれがなくなり「困窮」した。
しかし、職を失った民に経済的な補償はなされなかった。

「関東のは経済基盤が弱く、江戸時代から収入の多くを警察・刑吏の業務に依存していましたから、廃止令によっての人々は大きな経済的打撃をこうむりました。このため、周囲の一般民衆にいっそう頼らざるをえない状況が生まれ、とても差別をなくしてくれと要求できない立場に追いやられていました」

経済の格差は現在でもある。
地区児童の学力は府全体の児童の学力と比べると、明らかに差がある。
「学力差には、親の蓄積した教育程度や経済力が、子どもたちの世代にそのまま伝えられ、差別が確実に子どもたちに影響を落とす構造があるのです。
では、なぜの親たちの学力が低かったのか、経済力が低いのか、そこには差別の歴史があります」

子供の学力の差は親の経済力の差と無関係ではない。
「今、問題になっている「格差」問題とは、悪い状態から抜け出すことが、事実上不可能になっているということなのです。(略)深刻なのは、そうした「地位」が、親から子へも伝わってしまうことです。親の経済力や学力、そして社会的な地位が、そのまま子どもへ引き継がれる傾向になることなのです」
格差が新たな差別を生むことになるし、差別は格差を固定化するわけである。

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上杉聰『これで納得! 部落の歴史』1

2013年06月05日 | 

ヘイトスピーチ 憎悪の連鎖断ち切ろう
 東京・新大久保や大阪・鶴橋など韓国・朝鮮人が多く住む地域で、ヘイトスピーチ(憎悪表現)と呼ばれるデモが頻繁に行われている。
 「朝鮮人を殺せ」「ガス室にたたき込め」「出て行け」といった罵倒や挑発の言葉を繰り返し、差別感情をあおり立てている。行っているのは、在日外国人の「特権」を根拠を示さず批判しているグループで、デモや集会の様子をネットの動画で発信し、一定の賛同者を得ている。数件のちょっとした小競り合いを除けば暴力は報告されていない。(略)(毎日新聞6月4日)

いくら表現の自由があるからといって、公衆の面前で「殺せ」とよく言えたもんだと思う。
とはいえ、私に差別する心がないというわけではない。

上杉聰『これで納得!の歴史』を読む。

上杉聰氏が行なった学生へのアンケート
「あなたは親しい友人が、の人だとわかったら、どうしますか?」

今まで通りつき合う 90.5%

「自分の子どもの結婚相手がもしの人だったら、あなたはその結婚にどうしますか?」

賛成する 49.3%
迷う 44.6%
反対する 6.1%

女子学生の親への質問

「もし娘の結婚相手がの人とわかったら、どうするか」
両親とも「反対しない」 34%
両親とも「反対する」 34%
片方の親が「反対する」 12%
「わからない」 20%

女子学生への質問

「の人との結婚に両親が反対したら、自分は結婚をどうするか」
押し通して「結婚する」 16%
「あきらめる」 58%
「わからない」 26%

大阪府の調査

「あなたは住宅を選ぶ際、地区()を避けますか?」
地区や同じ学区は避ける 27%
地区は避けるが同じ学区はかまわない 16%
わからない・無回答 36%
いずれにもこだわらない 21%

私は、今は差別がなくなったわけではないが、気にしない人が増えたのではないかと思っていた。
実際はそうではなく、自分と関係ないと思っているから気にしていないにすぎないのだろう。
建て前と本音が違っていることに自分でも気づいていないということです。
私だって娘が結婚したいと言ったらどういう反応をするか、わかりません。

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中国と日本、単数と複数

2013年06月01日 | 日記

今は「子供」ではなくて「子ども」を使うんだと聞いて、どうしてかは知らないまま私も「子ども」を使うようにしていた。
知人に聞くと、80年代後半から福音館書店が「子供」を使わなくなり、「子どもの権利条約」に関わるところでは「子ども」にしているそうだ。
なぜ「子供」ではいけないかというと、「お供(とも)」といった添え物的な意味があるし、「女子供」が「とるにたりない意や、足手まといになる意で引き合いに出されることが多い」というように、「供」が差別的な意味で使われることからだという。
しかし、私には言葉狩りの一例のように思う。

陳舜臣『日本的中国的』に「供」について、次のように書かれている。
「日本語の「供」は、複数をあらわす。者共とか家来供だとかいったふうに、集団をさすのである。だが、子供は一人でも子供という。
「兵隊さん」という言葉もそうだ。隊という字はあきらかに団体である。(略)
だが、「一人の兵隊さん」という言葉には、中国人はびっくりしてしまう。二人以上だから隊といえるのに、一人の兵隊とは矛盾ではないか。
若衆または若い衆、という言葉もそうだ。衆という字は、群衆の衆だから、複数をあらわすのに、「一人の若衆」という言い方をする。
悪党という言葉がある。党というのは、自民党、社会党、公明党などのように、グループをあらわす。(略)それなのに、日本では「一人の悪党」という言い方がふつうである」

いつぞや「わしらは……」と言ったら、ある人から「自分は違う。一緒にしないでほしい」と言われて、とまどったことがある。
その人は「私ら」は複数形だと思っているのだろうが、辞書には「「わたし」の複数。また、単数にも用いる」とあることを知らないわけである。
「私ども」という言い方もそうで、「自分、または自分の家族・集団などをへりくだっていう語」という意味だから、「私ども」を「私」という意味で使っても何ら問題はない。
このように、日本では集団を表す言葉を個人に使うことがある。

このことについて陳舜臣氏は「言葉の上で、集団と個人のケジメがはっきりしないということは、両者のつながりが、切っても切れないほど深いことを暗示している。団体の構成メンバーを、自分の手足のようにうごかす、という表現がある。日本人はむかしから、そのような団体行動に慣れていたようだ」と、日本人論を述べている。
ところが、植木雅俊『仏教、本当の教え』によると、複数を単数の意味として使うのは中国も同じらしい。

僧は僧伽の省略形、もしくは音写語で、意味は「人の集まり」という意味である。
仏教用語としては、仏道を修行する修行者の集まりで、教団という意味であり、漢訳では衆とされた。

「ところが中国においては、教団、あるいは人の集まりという意味よりも、その構成員である出家者を意味する言葉として用いられるようになった。インドでは、教団とその構成員は截然と区別されていて、出家者個人を決してサンガと称することはなかった。中国人は、その違いが分かっていながら、集団を意味する言葉で個人を指すことも許されるのだと次のように論じている(「大宋僧史略」)。
僧という言い方は、四人以上の集まりを称するものだが、軍という言葉が大勢の人からなる場合も、個人の場合も両方に用いることができるように、僧という言葉も同じである。(要旨)
こうして、中国ではその違いを全く意に介することなく個人を指す言葉として「僧」が使用され続け、日本でも、その用法がそのまま受け入れられた。日本でも「兵隊」と言うと集団を意味するが、「兵隊さん」となると個人を意味する」

そして植木雅俊氏は、中村元氏の「人間関係における秩序を重視するあまり、個人を集団に没入させる結果、個人とその属する人間結合組織とのあいだの区別が十分に自覚されなくなる」(『シナ人の思惟方法』)という文章を引用する。

陳舜臣氏は、集団を意味する言葉を個人を指す言葉として使うのは日本独特だと言っているが、植木雅俊氏によると、そうした用法は中国でも行われている。
どっちが正しいのだろうか。

それともう一つ、陳舜臣氏は「中国では一人称が「我」、二人称が「你」だけである」ということから、こんな指摘をしている。
「人称の多様性と、敬語の豊富なこと。――これは相手によって使い分けるためである。とすれば、日本人の関心事は、相手を差別すること、言いかえると、ランクをつけることにあるのではないか? 山下清はすぐに「兵隊の位では?」ときいたが、それが日本人の原初的な精神構造であるらしい」

「中国から伝わったものでも、碁などは日本に入ってくると、たちまち「段」というランクがきめられる。中国では碁の名手を「国手」というが、ほかの段位のさだめはなかった」

これはどうなんでしょう。
インドはカースト制が厳しいし、相手のカーストに応じて言葉を使い分けるそうだから、敬語とは差別とランクによって作られるという理屈が成り立つかもしれない。
でも、中国だって士大夫と庶民という階層はあるわけで、差別やランクづけをしていないわけではない。
話としてはおもしろいけど、風が吹けば桶屋が儲かるという論理みたいな気がする。

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