岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』に書かれていることは、私のささやかな見聞と照らし合わせてうなずくことばかり。
岡本茂樹氏は刑務所の職員らに対しては指導・助言をするスーパーバイザーとして、受刑者(大半は殺人犯)には篤志面接委員として関わり、個人面接や授業をし、受刑者の更生を支援しているそうです。
岡本茂樹氏は大学で学生相談をしていた中で気づいたことがあった。
問題行動が起きたとき、厳しく反省させればさせるほど、その人は後々大きな問題を起こす可能性が高まる。
受刑者も何度も反省させられた過去があり、さまざまな感情を抑圧していた。
反省させようとする方法が受刑者をさらに悪くさせ、反省させない方法が本当の反省をもたらす。
岡本茂樹氏自身が交通事故を起こした時の経験を書いていますが、私も事故を起こした時に同じことを考えました。
反省よりもまず後悔、言い訳を考え、責任転嫁をし、自分のほうが被害者だと思う。
以前、待ち合わせの時間に遅刻した時、どうして遅れたかを説明しようとしたら、「すぐに言い訳を言う」と言われたことがあります。
相手にしたら、まずは謝罪と反省をしろということなんでしょうけど、私としては遅刻の理由を説明しようとしただけなのにと、不満に思いました。
被害者よりも自分のことを優先するのは人間の心理として自然であり、事件の発覚直後に反省することは人間の心理として不自然。
鑑別所や拘置所に入所している少年や大人の大半は、被害者のことよりも自分自身のことに必死で、「早く出たい」「刑が軽くなってほしい」と考える。
重大事件の場合には、死刑なのか、無期懲役か、有期刑か、自分の人生が決まる。
罰はできるだけ受けたくないし、受けるとしても罰はできるだけ軽いものであってほしいと考えるのは人間の本能。
少年院に入ると、反省文を何度も書かされる。
しかし、読み手が評価する文章を心得るようになるだけで、問題行動が起きた直後の「反省文」はまったく意味がない。
ところが今の日本の裁判では、「反省していること」が量刑に影響を与えるので、大半の被告人は裁判でウソをつく
裁判という、まだ何の矯正教育も施されていない段階では、ほとんどの被告人は反省できるものではないし、裁判に対して量刑に不満がある受刑者も少なくない。
刑務所でまじめに務めていることは、自分の思いや感情を誰にも言わないで抑圧することになる。
最初から受刑者に被害者のことを考えさせる方法は、心のなかにある否定的感情に蓋をしてさらに抑圧を強めることになる。
「被害者の視点を取り入れた教育」という受刑者に対する更生プログラムがある。
キャンベル共同計画(刑事政策を含む社会政策に関する国際的な評価研究プロジェクト)によると、被害者の心情を理解させるプログラムは、再犯を防止するどころか、再犯を促進させる可能性があるという結果を報告している。
自分は悪いことをしたと悔やむことで自己イメージが低くなり、社会に出てから他者との関わりを避け、孤立し、やけくそになって再犯を起こす。
では、どうすればいいのでしょうか。
「被害者の視点」ではなく、「加害者の視点」から始めるほうが、本当の更生への道に至る近道になる。
「加害者の視点」から始めることで、「被害者の視点」にスムーズに移行できる。
問題を起こすに至るには、必ずその人なりの「理由」があるので、その理由にじっくり耳を傾けることによって、その人は次第に自分の内面の問題に気づくことになる。
被害者に残虐なことをしているにもかかわらず、受刑者は自分自身が殺めた被害者に対して、「あいつ(被害者)さえいなければ、自分はこんな所(刑務所)に来ることはなかった」というような否定的感情をもっている。
被害者に不満があるのであれば、まずはその不満を語らせ、そのなかで、なぜ殺害をしなければならなかったのか、自分自身にどういった内面の問題があるのかが少しずつ見えてくる。
心のなかにつまっていた否定的感情をすべて吐き出して、すっきりした気持ちになるのと同時に、被害者に対する謝罪の気持ちも深まっていく。
自分を大切にできないから、他者を大切にできない。
自分を大切にできないのは、自分自身が傷ついているから。
自分が傷ついていることに鈍感になっている場合もある。
自分の心の傷に気づいていない受刑者が被害者の心の痛みなど理解できるはずがない。
被害者の心の痛みを理解するためには、自分自身がいかに傷ついていたのかを理解することが不可欠。
それが実感を伴って分かったとき、受刑者の心に自分が殺めてしまった相手の心情が自然と湧きあがってくる。
そのときこそ初めて真の反省への道を歩み出せる。
再犯しないためには、人に頼って生きていく生き方を身につけること。
そのことだけでも理解できたら、再犯しない可能性が高まる。
自分の心のなかの否定的感情を支援者に受け止めてもらうことによって、受刑者は心の傷が癒され「大切にされる体験」をする。
「大切にされた経験」に乏しかった受刑者が、支援者によって大切にされることによって、受刑者は自分の内面の問題と向き合う勇気を持ち、罪と向き合える。
したがって、支援者の存在は不可欠、自分1人で過去の心の痛みに向き合うことはできない。
受刑者が否定的感情を吐き出して自分の心の痛みを理解すると、自分自身が殺めてしまった被害者の心の痛みを心底から感じるようになる。
ここにおいて、ようやく受刑者は真の「反省」のスタート地点に立てる。
佐藤大介『死刑に直面する人たち』に、無期懲役囚(名古屋アベック殺人事件の主犯格)に「反省とは何か」と尋ねると、こう答えたとあります。
死刑判決後、母親や弁護人ら関係者からの支えを受けています。
岡本茂樹氏は、幸せになることこそ更生と関係あると言います。
受刑者は「被害者は自分を許すことはない」ということを胸に刻んで生きていかなければならないと同時に、彼らが更生するためには、人とつながって「幸せ」にならなければならない。
人とつながって「幸せ」になることによって、「人」の存在の大切さを感じることになる。
そして、人の存在の大切さを感じることは、同時に自分が殺めてしまった被害者の命を奪ったことへの「苦しみ」につながる。
幸せを感じれば感じるほど、それに伴って、苦しみも強いものになっていく。
犯罪を犯した人と反省についての岡本茂樹氏の指摘は、教育やしつけに通じるように思います。
アリス・ミラー『魂の殺人』ですね。
多くの親は、自分のしてきた子育てを正しいと思い込んでいるから、他者の視点が入り込まないかぎり何も変わらない。
問題行動はヘルプの信号であり、親は、なぜ子どもが問題行動を起こしたかを考える機会を与えられたと考えるべき。
罰を与える前に、問題行動は「必要行動」と捉え直しをする視点を持って、「手厚いケア」をしてほしい。
いじめにしても、いじめが起きる背景には、正しいと思って刷り込まれている「我慢できること」「1人で頑張ること」「弱音を吐かないこと」「人に迷惑をかけないこと」といった価値観がいじめを引き起こす原因にもなっている。
犯罪のない社会を願うのだったら、厳罰化ではなく、社会が犯罪者を受け入れ、支援する体制を作ることが大切だと、私も思います。