三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

入江杏『わたしからはじまる』(2)

2023年08月31日 | 

入江杏さんは『わたしからはじまる』で、被害者遺族像はこうあるべきというイメージについて書いています。

SNSでは、「可哀そうな遺族」「打ちひしがれている遺族」には同情が寄せられ、共感が集まる一方、世間がイメージする遺族らしさから少しでも離れると、たちまちパッシングの対象になってしまうこともあります。怪しいとか、普通ではないと炎上してしまうケースを目の当たりにしました。


弟を殺された原田正治さんも同じことを話しています。

「良い被害者」と「悪い被害者」とがあるんです。仏壇に手を合わせ、冥福を祈り、黙って悲しみに耐えていく犯罪被害者が「良い被害者」なんです。「悪い被害者」というのは、表に出て、声を出し、国に文句を言い、自分の主張していく人です。さしずめ僕なんか悪い被害者なんでしょうね。僕みたいに声を出す被害者は異常なんです。直接面と向かって言われたこともありました。

加害者に怒りをぶつけて死刑を求める被害者遺族というイメージもステレオタイプの一つです。
だから、死刑に反対する原田さんは叩かれたのです。

いろんな活動をしている入江杏さんも悪い被害者なのかもしれません。

被害者や遺族が事件のことを平然と話していたら「あんなに落ち着いているのはおかしい」「何ごともなかったように笑っている」などとバッシングされる傾向があります。とりわけ、わからないことばかりの未解決事件は社会にとっても不安要因であり、その不安から一層攻撃の対象にされがちです。

いろんな被害者がいていいということです。

被害者遺族はこうあるべきという、世間の「べき論」には違和感を抱いていました。被害者遺族の中には、憎しみが生きる糧になっているひとがいてもいいし、加害者やその家族に寄り添う人がいてもいい。遺族の姿はそれぞれです。


入江杏さんは講演でこんな経験をしています。

ある講演会で、「(杏さんは)犯罪で命を奪われた被害者遺族だから、世間から同情される。けれど私の子どもは、自分で死んだんでしょと言われ、自死遺族は同情されない」という言葉に、いい話を披露することで、辛い思いを抱えている人を、より一層苦しい思いに追いこんでいたのではないか。そんな気持ちになったのです。
そうしたがんばった話、いい話によって苦しめられる人もいることに気づいたのが、自死遺族の言葉です。
自己責任という本当に不快な言葉が、社会に蔓延しています。それでも、事件・事故・天災、まだ私が巻き込まれた犯罪被害のように、本人の意思や選択が介在しないと思われる不幸は、まだしも共感されやすいけれど、自死・自殺のように、本人が勝手に選択したと思われる不幸は共感されにくい。自己責任で勝手に死んだのでしょうと言われるわけです。
共感してもらうだけの話を続けていいのか、疑問がわきました。


グリーフケアを学ぶようになって考え方が少しずつ変わっていったと、入江杏さんは言います。

弱い立場に置かれた人は、その弱さを発露することさえ難しいのだと感じられるようになりました。


入江杏さんと20歳の娘さんを殺された中谷加代子さんとのやりとりです。

入江「ゆるしは加害者のためというより、被害者のためにあると、私は思うの。加代ちゃんはどう思う?」
中谷「歩の事件を経験して、紙一枚くらいは変われたかもね。でも、まだまだ煩悩の中で五里霧中なんよ。じゃけど、そういう私だから加害者の心が想像できるのかもしれんねぇ」
入江「そういう思いに至ったのは、歩ちゃんの事件の加害者が同級生で、まだ若かったということが大きいのかしら」
中谷「加害者が同じ世代の似たような家族で、加害者側のことは、わりと想像しやすかったんよ。加害者が自殺しちゃって、この世にもういないことも影響してると思うよ。
もし、彼が生きてて、良心の呵責もなくて、開き直ってたら……まあ実際、事件直後の私の心には、真っ黒な感情があったもの。許せない気持ちを持つ被害者のことは、誰より理解できるんよ」

被害者は加害者を赦すべきだということではありません。

イ・チャンドン『シークレット・サンシャイン』は6歳の息子を殺された母親が主人公です。
事故死した夫の故郷に引っ越してしばらくして、塾の教師に息子が殺されます。
母親はキリスト教の教会に通うようになり、加害者を赦そうと思いました。
刑務所で加害者と面会して「あなたを赦します」と言うと、穏やかな顔をした加害者が「知っています。私は神に赦されました」と答えるのです。
母親は怒り狂い、教会に行くのをやめます。

もし加害者が涙を流して謝罪すれば、うれしく思ったでしょうし、「お前に赦してもらう必要はない」と毒づかれても、怒ることはなかったと思います。
加害者は信仰によって救われたわけですから、本当なら母親も一緒に喜ぶべきなのでしょう。
しかし、それができない。
赦しとはそんな簡単なものじゃありません。
それでも、恨みや怒りを手放すことは必要だと思います。

人権の翼は、入江杏さんと中谷加代子さん、小森美登里さん(いじめにより娘さんが死亡)の3人が立ち上げたグループです。
犯罪被害者の経験を伝え、犯罪の減少、再犯率の低下を願っています。

加害者を責めるのではなく、被害者遺族からの語りかけで「思い」を届けることが、誰もが幸せを感じて生きることができる社会をつくるための着実な一歩になると考えています。私達は、この思いを共有し、憎しみの連鎖を止めるために活動しています。人権とは、幸せに自由に生きるための翼です。私達は、その翼を育む活動をしています。
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入江杏『わたしからはじまる』(1)

2023年08月24日 | 

入江杏さんは2000年に起きた世田谷一家殺害事件の被害者遺族です。
隣に住む妹一家4人の命が奪われました。
心の変化、様々な活動、多くの人との出会いなどが『わたしからはじまる』で語られています。

悲しみから目を背けようとする社会は、実は生きることを大切にしていない社会なのではないでしょうか。


周囲や報道の偏見と差別によって被害者遺族は沈黙を強いられています。
事件に遭うことは恥だと考えた入江杏さんの母親は沈黙を強い、6年間、沈黙を守り続けました。

普通の人とは違う烙印を捺されてしまった4人。遺された私たちも犯罪被害者遺族として同情はされるものの、普通の人とは違う存在になってしまった。恥の意識、自責の念。うつむいて生きていたこともありました。


犯罪の被害者となることがなぜ恥なのでしょうか。
それは私たちが被害者という負の烙印(スティグマ)を押して差別しているからです。

「あんな事件に巻き込まれるなんて、何か因縁があるに違いない」
「一家4人が殺されるなんて、あの家は呪われているのよ」
「泰子さんとは学生時代のお友だちでしたからお葬式には参列しましたが、もう連絡はしないでください。うちの娘は有名私立校に通っていて、こういう事件に関わるのは迷惑なんです」
「事件が起きた家のそばを通るのも恐ろしいし、見るのも気味が悪い」


入江杏さんは講演会の最後に『ずっとつながっているよ』という絵本を朗読します。
参加者からたくさん感想が寄せられる中に、傷つけられる感想もあるそうです。

社会には常に「望ましい被害者像、遺族像」があって、そのイメージと少しでも違えば、糾弾されてしまいます。大学生向けのグリーフケアやメディアリテラシーの授業などでは、その率直な感想の中に「殺人事件の遺族というのはもっとしょぼくれているものと思った」「貧乏くささがないので、驚いた」「幸せなマダムという印象が意外」というものがありました。いかにステレオタイプの被害者遺族のイメージに囚われているのかの例証だと思います。


橋口亮輔『ぐるりのこと。』に、子供を殺された母親が裁判で証言する場面があります。
母親がセレブだと強調するためか、足首のアンクレットがアップになり、被告人を「あれ」と呼んで見下す発言をします。
これはひどいと思いました。
というのが、モデルとなった事件を容易に思い浮かぶからです。
被害者の母親はこんな人間だったのか、母親にも事件の原因があるのではと観客に思わせる演出でした。

2006年、中谷加代子さんは高専の学生だった娘の歩さんが同級生に殺され、加害者は事件後に自殺しました。
『命のスケッチブック』で、中谷加代子さんは二次的被害について語っています。

歩を亡くして、悲しみに暮れているわたしたちに、
「殺されたのは、親の育て方が悪かったせいだろう」
「女の子なのに高専へなど行かせるからだ」
などと書かれた手紙が届いたり、電話がかかってきたりするのです。
また、わたしたちがテレビの取材を受けたことに対して、
「おまえらは有名になりたいのか」
などと、ひどい中傷をされたりね。


黒川創『鶴見俊輔伝』に「風流夢譚」事件について書かれています。
1960年、深沢七郎「風流夢譚」が「中央公論」に載り、右翼が中央公論社に抗議した。
1961年、中央公論社社長嶋中鵬二宅に右翼の少年が押しかけ、社長夫人に重症を負わせ、止めに入ったお手伝いの女性を殺害した。

鶴見俊輔は友人の嶋中鵬二宅を訪れると、事件後に届いたハガキなどの束があった。
右翼の襲撃について、いい気味だとして、さらに憎しみを示しているものが多かった。
嶋中鵬二は、この国に、神社関係者がこれほど多くいるということを初めて知ったと言い、そういう事情を十分考慮に入れずに雑誌を出していたことには、出版社の社長として反省があると述べた。

『風流夢譚』とはまったくの無関係のお手伝いさんが殺されたのに、わざわざ「いい気味だ」といった手紙を書くのはどういう神経なのでしょう。

入江杏さんは「悩まされたことは、フェイクニュースの問題です」と、メディア批判をしています。
情報が寄せられても確証があるものは少なく、興味本位の情報が拡散することも多かった。
「新潮45」に、侵入経路や犯人の特徴、ソウル在住の人物への疑惑、などが記事化された。
また、犯人を突きとめたとする書籍が出版されて話題になった。
世田谷事件の出版物について、警視庁捜査一課長が会見で「ことごとく事実と異なり、誤解を生じさせ今後の捜査にも悪影響を与える懸念がある」コメントしています。

松本サリン事件で警察やメディアから犯人扱いされた河野義行さんは、講演で「週刊新潮」だけは謝罪に来なかったと話されていました。
http://www.bj40.com/kuroiwa/kimochi16.htm

入江杏さんの講演の感想にこんなのもあります。

私の講演に寄せられる「入江さんの話は聞いていて癒やされる。めったに巻き込まれることもない殺人事件の話で、しかも助け合う家族の話なので、聞きやすかった。いじめや貧困、差別など、気が重くなったり、自分に矢が向けられたりするような話は聞きたくない」といった感想にも、とまどいを感じました。

ほめているわけで、本人としては善意なんでしょうが。
犯罪は自分の住む世界とは全く違う別世界だと、私たちは思いたいのです。

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黒川創『鶴見俊輔伝』

2023年08月16日 | 日記

黒川創『鶴見俊輔伝』は鶴見俊輔(1922年~2015年)の評伝。
戦前の知的エリート階級の裕福さは半端じゃないと思いました。

鶴見俊輔の父は鶴見祐輔、母の愛子は後藤新平の長女。
7千坪もある後藤新平宅の一角に家があった。

鶴見俊輔は9歳から万引きをした。
東京高等師範学校附属小学校をビリから6番で卒業。
府立高等学校、府立第五中学校を中退した。

年上の女たちとの情事。
2度の自殺未遂、3度の精神病院入院。
鶴見祐輔は14歳の息子に「軽井沢に土地を買ってやるから、そこで女性と暮らして、蜜蜂でも飼ったらどうか」と言う。

16歳でアメリカ留学。
英語がわからないので、授業についていけない。
しかし、17歳でハーバード大学に入学。

鶴見俊輔の若いころの写真はどれも生意気そうな顔をしています。
経済的に恵まれたエリートであることへの罪責感があったように感じます。

姉の鶴見和子は入学した成城小学校は澤柳政太郞が創立した(1917年)
教育勅語の奉読も、君が代斉唱もない。
そもそも式典がなく、御真影というものを見たことさえなかった。

1929年、和子が成城小学校から女子学習院に転校すると、すぐ天長節(4月29日)だった。
その前日、鶴見祐輔が「あすは軽井沢の別荘に行くか、どうするか」と尋ねたので、和子は「行くわ」と答えた。
母の愛子は、その旨を記した欠席届を持たせてくれた。
そして、学校の式典には出ずに、家族で軽井沢に出かけた。

後日、このことが学校で問題化して「不忠の臣」などと言われ、先生から「謝りなさい」と求められたが、「なぜですか」などと訊くので、愛子が学校に呼びつけられた。
あとで和子が「どうだった?」と訊くと、愛子は「なんだかんだと言うから、うちの子どもは自分が悪いと思わないときに謝るようには躾けてございません、って言ってきたわ」と澄ましている。

夏休みになっても、多くの教師たちから、謝罪を求める手紙が和子宛に届いた。
愛子はそれに応じる様子がないので、和子は見切りをつけて、自分で「悪うございました」という詫び状を書き、判子を捺して、学校に提出した。
それからは優等生で通した。

1929年、鶴見俊輔は東京高等師範学校附属小学校に入学する。
校長(主事)の佐々木秀一は毎日の朝礼の話はとても短いものだった。
生徒は三角帽ををかぶり、帽子には、1、2年生は赤い房、3年生以上は白い房がついている。
佐々木秀一の話は「この学校で、赤房と白房がけんかをしているのを見たら、理由をきかないでも、白房のほうが悪いと私は思います」といったものである。
「休み時間に見ていると、みなさんの遊びには、戦争の遊びが多すぎます」と言うこともあった。

柳宗悦『朝鮮とその芸術』(1922年)にこうあるそうです。

日本の同胞よ、剣にて起つものは剣にて亡びると、基督は云った。至言の至言だ。軍国主義を早く放棄しよう。弱者を虐げる事は日本の名誉にはならぬ、(略)自らの自由を尊重すると共に他人の自由をも尊重しよう。若しもこの人倫を踏みつけるなら世界は日本の敵となるだろう。そうなるなら亡びるのは朝鮮ではなくして日本ではないか。

福澤諭吉が朝鮮と中国をぼろかすに書いている『脱亜論』への批判があるかもしれません。
それにしても、大正デモクラシーの時代と現在の学校教育、どっちがましかと思います。

1942年、日米交換船で大河内光孝を知る。
大河内光孝は大河内輝声(高崎藩藩主)の妾腹。
こういうことを話す人だった。

もし、若い相棒といっしょに山中で遭難して、このままでは生きのびる見込みがないとなったら、どうするか。おれなら、残りの食料を若い相棒に全部やる。そうすれば、若い相棒には、生きる見込みもできるかもしれない。自分の覚悟というのは、それだけだよ。


京都のパン製造・販売の進々堂の社内報に、経営者一族の続木満那という専務が「私の二等兵物語」を書いている。
1942年に一兵卒として入隊し、中国に送られる。
銃剣術や射撃の練習のために、生きている中国人捕虜を目隠しもせず木にくくりつけて、突き殺したり撃ち殺したりすることを命じられた。

陣地の後の雑木林に40人の捕虜が長く一列に並ばされました。その前に3メートルほどの距離をおいて私達初年兵が40名、剣つき銃を身構えて小隊長の「突け」の号令の下るのを待っていたのです。昨夜、私は寝床の中で一晩考えました。どう考えても殺人はかないません。小隊長の命令でもこれだけはできないと思いました。しかし命令に従わなかったらどんなひどい目に会うかは誰でも知っています。自分ばかりでなく同じ班の連中までひどい目に会わすことが日本軍隊の制裁法です。け病を使って殺人の現場に出ないことを考えてみました。気の弱い兵隊がちょいちょいやる逃亡という言葉も頭をかすめました。しかし最後に私の達した結論は「殺人現場に出る、しかし殺さない」ということでした。

上官から「突け」と命令されても続木は捕虜を殺さなかった。

鶴見俊輔は召集されましたが、ジャカルタで翻訳をしており、実戦の経験はありません。
上官から殺せと命令され、殺さないことができるか、日本が戦場になったらどうかと、自分に問います。

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エビデンス

2023年08月05日 | 問題のある考え

音楽療法とは音楽を聴いたり演奏したりしたら症状が軽減されるとか、そういったものだと思ってましたが、佐藤正之『音楽療法はどれだけ有効か』によると全然違います。

エビデンスとは何か。
明白に証明された証拠で、他の人もあとで形跡を追えるものを意味する。
追試が可能、すなわち客観性と普遍性をもつ証拠。

ある研究がエビデンスとみなされるための最低条件は、専門家による査読を経た論文として国際誌に公表されること。
しかし、それでエビデンスとして確立したことにはならない。

ある研究によると、100件のシステマティック・レビューのうち、23件が2年以内に覆される。
システマティック・レビューとは、単なる過去の報告の羅列とは異なり、それぞれの報告の質的評価と統計解剖を行うもの。
現在行われている医療行為で、エビデンスが確立しているのは約20%にすぎない。

メロディック・イントネーション・セラピー(MIT)は失語症患者の発話改善に有効性が確認されている。
ところが、MIT日本語版は方法が文面で説明しにくい。

実際に行なっている施設で習うのが本来だが、自分のわかる範囲で適当にやろうと考える人がいる。
こうした人は、自分の方法と原法のどこがどのように異なるかを把握していない。
中には、自分の手法で効果がなかったことから、「MITは○○には無効」と発表したりし、MITに対する誤ったイメージを患者、家族、医療者に与えてしまう。

ボストンの病院の救急医である大内啓さんが、新型コロナウイルスの流行が始まった2020年2~3月ころの病院を『医療現場は地獄の戦場だった!』で書いています。

2020年5月、トランプ大統領が「ヒドロキシクロロキンを多くの医療従事者が服用している。私も一週間半前から服用している」と口にし、大混乱を招いた。
ヒドロキシクロロキンは抗マラリア薬である。
これより前、トランプ大統領はおそらく思いつきで、もう一種の抗マラリア薬とともに新型コロナウイルスの治療に有効だと主張し、米食品医薬品局にコロナ感染者への使用を承認させた。
6月、抗マラリア薬の使用許可が撤回された。

吉村洋文大阪府知事が「ポピドンヨードの含まれたうがい薬を使うことで、重症化を抑制できる可能性がある」と発表して非難された。
これらは科学を軽視し、科学と対立する発言だったと、大内啓さんは批判します。

トランプはコロナの治療として消毒剤を注射するのはどうだと言ってますから、
この2人の発言は思いつきなんでしょうが、金儲けがからんでいるかもしれません。

佐藤正之さんは以前勤めていたホスピスでの出来事を書いています。
60代の男性は診察を受けた時、すでに末期ガンで余命半年と診断され、ホスピスに入った。
この男性は週に1回仕事で出かける。
ある時、嘘を言っていたと告白した。

〝どんな癌でも必ず治る〟と標榜するマッサージの施療院を友人から紹介されたので行ってみると、病気の経過や診断を聞いたあと、その施療士は「私のマッサージを受ければ、必ず癌は治ります」と言った。
入会金が200万円、週1回30分のマッサージが1回7万円。
「3か月続ければ、必ず癌はよくなる」とのことだった。

3か月が経ったが一向によくならないどころか、悪化したと感じて、施療士に「3か月経ちましたが、さらに悪くなった気がするのですが」と質問すると、施療士は「今、3か月間の効果が蓄積され、まさによくなろうとしているところだ。もう3か月すれば必ずよくなる」と答えた。

しかし、容態はさらに悪化し、ふたたび「あれから3か月が経ちましたが、とてもよくなっているとは思えないのです」と質問したら、施療士は「もう半年続ければきっとよくなる」と答えた。
それが昨日のことで、どうしたらいいかという相談だった。

そして、小指くらいの太さで高さ数センチの入れ物に、茶色の液体が半分くらい入ったものを取り出した。
施療士から毎食後に飲むように言われた〝体調をよくする水〟で、1本3000円する。
この施療院に合計500万円ほどつぎこんだと言う。
男性はこの会話の1週間後に亡くなった。

亡くなる一週間前のひとに〝あと半年続けたら〟という、見え透いて現実離れしたことを平気で口にする・・・。残念ながらひとの不幸を、なかには死に至る病を、ビジネスチャンスとしかみなさない輩が世の中にはいるのです。

絵門ゆう子さんをだました「先生」たちは全国あちこちにいるわけです。

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