三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

障害児殺しと青い芝の会(3)

2024年06月27日 | 日記
親が障害のある子供を殺す事件が起きるたびに減刑嘆願運動が行われ、事件の大きな要因として施設不足、福祉政策の貧困、国家の責任などがあげられていました。

横塚晃一『母よ!殺すな』に、1970年の横浜の障害児殺人での嘆願書が引用されています。
現在重症児(者)を受け入れる施設があまりにも不足している。毎日、施設を訪れ嘆願すれど受け入れがたく、様々な状況から発作的にやむをえずヒモで殺した。大人になっても不憫と思ってのこと。

青い芝の会が県民生部社会課、県議会の心身障害者政策懇談会、各党の県会議員と横浜市議、担当の金沢警察署などに対し、意向を話し、意見書を手渡して歩いた。
しかし、「あなた方の気持ちもわかるが、もっと多くの施設があればあのような事件は起こらないのではないか」「裁かれねばならないのは国家である」といった反発が返ってきた。
施設があれば事件は起きなかったということです。

1965年、総理大臣の諮問機関として設置された社会開発懇談会が「社会開発に関する中間報告」において、障害者への対策としてリハビリテーションとコロニーが言及された。
①心身障害者は近時その数を増加しており、障害者は多く貧困に属しているので、リハビリテーションを早期におこなって社会復帰を促進せよ。
②社会で暮らすことのむずかしい精薄については、コロニーに隔離せよ。

横田弘『障害者殺しの思想』は、障害者を施設に入れればいいという考えを批判しています。
多くの健全者が障害者の気持ちが分かるとか、障害児が殺されるのはやむを得ない、とか、施設をつくれとか、施設に入れてしまえば、とか考えるのはどうしたことだろう。
やはり、障害者(児)は悪なのだろうか。
「本来、あってはならない存在」なのだろうか。
本当に健全者は、障害者が憎いのだろうか。
障害者は殺してしまえ、という論理なのだろうか。

1972年に経済審議会は新経済五ヵ年計画の中で「重度心身障害者全員の施設収容」を謳った。
横塚晃一さんはこの計画を問題にしています。
「植物人間は、人格のある人間だとは思ってません」という太田典礼の言葉こそ、「経済審議会が2月8日に答申した新経済五ヵ年計画のなかでうたっている重度心身障害者の隔離収容、そして胎児チェックを一つの柱とする優生保護法改正案を始めとするすべての障害者問題に対する基本的な姿勢であり、偽りのない感情である。

では、障害者施設はどんなところなのでしょうか。
1968年、府中療育センターが開設した。
一部屋に50人ずつ収容される。
入口は常に鍵がかけられ、職員の出入にもいちいち鍵をかけはずしする。
入口の内側に職員の詰所があり、そこから部屋が一望できるようになっている。
外来者は入口までしか行くことができない。
中にいる障害者はおそろいのパジャマ一枚で、私物はほとんど持たされない。
外泊、外出は親が二週間前に申し入れを行い、許可を得なければならず、保護者以外では許可されない。
まるで刑務所のようです。

入所者の訴えにより、青い芝の会が府中療育センターに運営方針を改めるよう再三交渉した。
しかし、いつも「私達は大事な子弟を預かっている責任上、当然のことをやっているまでだ。管理運営上これが好都合なのだ」と突っ放された。
http://www.arsvi.com/d/i051970.htm

横田弘さんは、親が障害児(者)を施設に預ける場合、最寄りの施設に入れるのではなく、なるべく遠いところへ入れようとする傾向が著しいと言っています。
施設に入れて後は知らん顔というのでは、重度者はますます疎外され、地域社会から隔離されてしまう。

横田弘さんが街を歩いていると、「どこの施設から来たのか」と言われ、ひどいのになると「どこの施設から逃げてきたのか」と言われたことがあるそうです。
親兄弟や地域社会から隔絶された施設が、障害者にとって、一般社会にとってどういう意味を持つだろうか。

私自身、正直なところ障害者は施設で生活すればいいと思っていました。
筋ジストロフィーの人が自立生活をしていると聞いて、食事から何から誰かに介助してもらわないといけないのに、それがどうして自立生活なのかと思いました。
障害者の不妊手術にしても、障害のある子供が産まれたらどうするのか、子供を育てられるのかといった、優生主義、差別偏見の気持ちもあります。

障害者の自立とはどういうことでしょうか。
大橋由香子さん。
障がいのある人がヘルパーさんに車椅子を押してもらってスーパーに行き、自分の意思で買い物をするような生活を障がい者解放運動では「自立生活」というのだと知り、人の助けを借りることと自立とは矛盾しないのかも、と発見しました。

小児科医で脳性マヒの熊谷晋一郎さん。
一般的に「自立」の反対語は「依存」だと勘違いされていますが、人間は物であったり人であったり、さまざまなものに依存しないと生きていけないんですよ。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。

施設よりも、親が相談できる機関、悩みを打ち明ける場所、在宅で世話ができるシステムが必要です。
ところが、今も状態は変わっていません。
障害者施設での職員による暴行、虐待が今も後を絶えません。
横田弘さんの「殺人を正当化する考えから作られた施設とは殺人の代替ではないか」という言葉はもっともだと思います。
障害者に限らず、困った時に肩身の狭い思いをせずに相談でき、助けを頼むことができる社会であるべきです。
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障害児殺しと青い芝の会(2)

2024年06月23日 | 日記
横塚晃一『母よ!殺すな』によると、1970年、母親が横浜で障害のある子供を殺した事件では、障害者本人、家族、福祉関係者からも母親への同情の声があったそうです。

脳性マヒ当事者の会である青い芝の会で、「殺した親の気持ちがよくわかり、母親がかわいそうだ」「施設がないから仕方ない」「あの子は重度だったらしいから生きているよりも死んだほうがよかった」などの意見が出された。
「殺した親に同情しなくてもよいのか。あなた達の言うことは母親を罪に突き落とそうとするものだ」という言葉も障害者の一人から出た。

新聞に掲載されたある女性の投稿。
私の妹は障害がもっとも重く施設にいる。私が週一、二回面会に行き、妹が年に一、二回帰宅するのを何よりの楽しみにしている。もし私が先に死んだら面倒をみる者がいなくなる。私は死ぬにも死ねない。自分は罪に問われてもいい。妹が一分でも先に死んでくれるのを望む。

ある福祉関係者は「数年前西ドイツでおきたサリドマイド児殺しにつき某女子大生にアンケートを求めたところ、ほとんどが殺しても仕方がない、罪ではないというように答えた」と語っていた。
「犬や猫を殺しても罪にならない。だから今度の場合も果たして罪と言えるのかどうか」と言った人もいる。

青い芝の会会員が意見書を神奈川県庁へ持って行き、県会議員などに手渡して意見を述べたが、「あなた方に母親の苦しみがわかるか」「母親をこれ以上ムチ打つべきではない」「施設が足りないのは事実ではないか」などと非難された。

青い芝の会の主張が報道されると、反発も大きかった。
新聞社への投書に「可哀そうなお母さんを罰すべきではない。君達がやっていることはお母さんを罪に突き落とすことだ。母親に同情しなくてもよいのか」などの意見があった。

横塚晃一さんによると、「今回私が会った人の中で、殺された重症児をかわいそうだと言った人は一人もいなかった」とのことです。

思うのが、親が障害児を殺すのはやむを得ないのか、そして施設があれば問題は解決するのかということです。

横浜の事件は特殊な事例ではありません。
1967年、歯科医が重症の息子を殺した事件があった。
施設がないための悲劇といったマスコミキャンペーンとともに、身障児を持つ親の会や全国重症心身障害児を守る会を中心として減刑嘆願運動が展開され、裁判の結果は無罪だった。
重症児をもつ母親が無罪の判決を「ほんとうによかった。他人ごとではない」と言っている。

1972年、76歳の父親が37歳の脳性マヒの息子を殺した。
妻が胃病で入院し、父親が一人で息子の世話をしていた。
あまりに可哀想な老父さんです。警察署の方々にお願い致します。どうかこの老い先みじかい老人のお父さんを無罪にしてあげて下さい。私も老い先みじかい老女です。悪意でやったことではありませんから、どうか、そのへんを寛大にお許ししてあげて下さい。お願い致します。亡くなられた息子さんも父親に涙を流して感謝しておられるでしょう。お願い致します。 一老女。

親への同情論は殺した親の側に立つものであり、障害者の存在は抜け落ちている。
それらは全て殺した者(健全者)の論理であり、障害者を殺しても当然ということがまかり通るならば我々もいつ殺されるかもしれない。我々は殺される側であることを認識しなければならない。

横田弘『障害者殺しの思想』に、障害者とゴジラなど怪獣は共通すると述べられています。
あの映画の中に出てくる怪獣たちの姿、動作から来るイメージは、障害者、特に私たち脳性マヒ者に非常に似通っている。そして、その障害者に似通っている怪獣たちが行うことと言えば、平和な、人びとがおだやかな暮らしを楽しんでいる街を、ある日、突然、何処からともなく沸きだして破壊しつくして人びとの生命まで危うくさせるというパターンが常である。
しかも、そうした人びとの生活全体を危機に追い込んで行った怪獣たちは、必ず最後には、人びとの強い味方であり、正義の使者である○○マンによって亡ぼされ、この地上から消滅させられてしまうのだ。
怪獣が障害者の隠喩なら、桃太郎が退治した鬼は社会に迷惑をかける存在だということになります。

一般社会人が、重症児を自分とは別の生物とみるか、自分の仲間である人間とみるか(その中に自分をみつけるのか)の分かれ目である。

殺された重症児を自分とは別世界の者と考えている。
というのも、子供が殺された場合、その子供に同情が集まるのが常である。
それは殺された子供の中に自分を見る、つまり自分が殺されたら大変だからである。

これを障害者(児)に対する差別と簡単には片付けられない。
これが障害者に対する偏見と差別意識だということはピンとこないのは、この差別意識が現代社会において余りにも常識化しているからである。

親が障害児を殺す事件でのマスコミのとりあげ方の基本は、障害児を抱えた家庭が不幸であり、親だけが同情されるべき存在として表現される。
1978年、横浜市で脳性マヒの長男(12歳)の前途を悲観した母親が息子の首を絞めて殺し、2日後に飛び降り自殺した。

この事件を報道した新聞には、生まれつき体が不自由な重度障害児だとある。
生まれたときから右手足が不自由で、言葉がほとんど話せず、精神年齢は幼児と同程度だったという。用便の世話から食事まで生活ではすべて母親のかよの助けが必要だった。食事どき、肉類などは、かよがかみ砕いて口移しに食べさせていた。

しかし、神奈川新聞によると全く異なる。
自分で歩くことも、しゃべることもでき、音楽好きな明るい子供で、小学部の最年長で下級生の面倒もよくみていた。
下校時には「サヨナラ」と先生方と握手するなど、学校の人気者であった。

横田弘さんは批判します。
被害者である勤君が脳性マヒという身体的障害を持っていたこと、そしてそれが、現在の社会体制の中では「悪」であり「不幸」であり、その「不幸」は死ぬこと(殺されること)によってのみ救われるという位置づけをもった存在であったこと、そうした「悪」であり「不幸」な存在である脳性マヒ児を産み出した存在として、日常的に社会から疎外の対象とされたかぞという、言わば現在の社会そのものから必然的に生じた事件なのである。

横田弘さんの言葉は父親も聞きとれず、住んでいる県営住宅の人たちは「私の言葉が聞きとれるとは思われない」。
脳性マヒ者は程度の差があっても、言語障害を伴うのがほとんどなのである。そして、その言語障害の結果、精神機能に何らかの障害があると思われがちなのだ。
『障害者殺しの思想』は横田弘さんの話を筆記したものです。

横田弘さんは言い切ります。
はっきり言おう。
障害者児は生きてはいけないのである。
障害者児は殺さなければならないのである。
そして、その加害者は自殺しなければならないのである。

原一男『さようならCP』に横田弘さんが出演しています
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障害児殺しと青い芝の会(1)

2024年06月14日 | 日記
成田悠輔さんの発言が国会でも問題になりました。
どうしたら今のこの高齢化とさまざまな人生のリスクを軽減できるだろうかということを考えて、たどり着いた結論は集団自決みたいなことをするのがいいんじゃないか、特に集団切腹みたいなものをするのがいいんじゃないかということです。(略)ここで僕たちが議論すべき大義はいわば高齢化して永遠と生き続けてしまうこの世の中をどう変えて社会保障などという問題について議論しなくてもいいような世界を作り出すかということだと思います。そのためにはかつて三島由紀夫がしたとおり、ある年齢で自らの命を絶ち、高齢化し老害化することを事前に予防するというのはいい筋ではないかと。
横に座っている古川俊治さん(自民党国会議員)は成田悠輔さんの発言に笑っています。

(10分5秒のところから)
同じ趣旨の発言は他のところでもしています。

三島由紀夫は45歳で死んでいます。
1985年生まれの成田悠輔さんは10年以内に死ぬつもりなのでしょう。

成田悠輔さんは障害者について語っていませんが、主張していることは太田典礼や植松聖死刑囚と同じ社会的弱者の抹殺です。

日本安楽死協会を設立した太田典礼は、戦前から産児調節運動を行い、衆議院議員として旧優生保護法の施行(1948年)に寄与しました。
植物人間は、人格のある人間だとは思ってません。無用の者は社会から消えるべきなんだ。社会の幸福、文明の進歩のために努力している人と、発展に貢献できる能力を持った人だけが優先性を持っているのであって、重症障害者やコウコツの老人から〈われわれを大事にしろ〉などと言われては、たまったものではない。(『週刊朝日』1972年10月27日号)
太田典礼は85歳で死亡しますが、安楽死ではありません。

もっとも、太田典礼や植松聖死刑囚のような考えは私の中にもあります。
石井裕也『月』は津久井やまゆり園事件をモデルにした映画です。
主人公は小説が書けなくなり、障害者の施設で働きます。
息子は先天性の心臓病で、胃瘻をし、寝たきりのまま3歳で死亡しました。
40過ぎで妊娠した主人公は障害を持った子供が生まれるのでは、と悩みます。

犯罪白書によると、殺人事件のうち家族間によるものは2019年で54・3%と、半数以上を占め、30年前から15ポイントも増えています。

家族が加害者という殺人事件には、介護疲れによる殺人、親子心中が含まれます。
介護を理由とした家族間での殺人は厚生労働省の統計によると年間20~30件起きています。
親子心中事件は毎年少なくとも30件以上起こり、40人以上の児童が親子心中によって死亡しています。
そのうち母子心中が65.1%を占めています。
多くは母親がウツ病だったり、子供に障害があって苦にしたりといったことがあります。

障害者や認知症の人たちが殺されるのはやむを得ないと思う人(裁判官や検察官も)が多いから、被告は情状酌量され、刑期が短かくなったり執行猶予がついたりすることがあります。

1970年、横浜で2人の障害児を持つ母親が下の女の子(当時2歳)をエプロンの紐でしめ殺した事件がありました。
横塚晃一『母よ!殺すな』、横田弘『障害者殺しの思想』に、この事件について詳しく書かれています。

事件が発生するや、マスコミは「またもや起きた悲劇、福祉政策の貧困が生んだ悲劇、施設さえあれば救える」などと書き立てた。
地元町内会や障害児をもつ親の団体が減刑嘆願運動を始めた。

神奈川県心身障害者父母の会が横浜市長に提出した抗議文。
施設もなく、家庭に対する療育指導もない。生存権を社会から否定されている障害児を殺すのは、やむを得ざるなり行きである、といえます。日夜泣きさけぶことしかできない子と親を放置してきた福祉行政の絶対的貧困に私たちは強く抗議するとともに、重症児対策のすみやかな確立を求めるものであります。

母親に同情が集まって減刑嘆願書が出される動きに、脳性マヒ当事者の会である青い芝の会は抗議しました。
横塚晃一さんと横田弘さんも青い芝の会の会員です。

横田弘さんはこう言います。
障害者は「殺されたほうが幸せ」という論理が、やがて、障害者は「本来あってはならない存在」という論理に変わり、そして、社会全体が障害者とその家庭を抹殺していく方向に向かって行く。

起訴までに1年1か月の時間を費やし、横浜地裁で公判が開かれるや、1か月で結審した。
起訴まで日時を費やした理由が「全国の施設の状況を調べ」ることにあった。
弁護側が情状酌量を主張するために行うのではなく、検察が起訴するか否かということで調査したという。

横浜地裁の判決は懲役2年執行猶予3年だった。
刑法に「人を殺したる者は死刑又は無期若しくは3年以上の懲役に処す」とあるのに、この裁判では検察の求刑は懲役2年だった。

横塚晃一さんはこう批判しています。
おざなりな裁判であった。検察側の被告を追及する態度がまるでなく、我々の提出した意見書、障害者としての体験文などを参考資料として裁判の席上にのせることを弁護側が拒否したのに対し、抵抗することなく従い、求刑に当たっては、殺人の場合、刑法上最低懲役3年なのに、懲役2年を求刑したことからも明らかである。
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でも今日でなくてもいい

2024年06月08日 | 日記
大内啓『医療現場は地獄の戦場だった!』に、エリザベス・ボービア裁判について書かれていました。

エリザベス・ボービアは先天性の重度の脳性四肢麻痺のため、顔や右手の数本の指を動かせるだけだった。
しかし、意思能力があり、会話や食事もできた。
右手で電動式の車いすを操作し、たばこを吸った。
結婚、妊娠するが流産する。
生計が苦しくなって父親に援助を求めたが、断られて離婚。
https://spitzibara.hatenablog.com/entry/66483624

エリザベス・ボービアは食事に吐き気を覚えるようになり、餓死するまでの疼痛緩和と必要な処置を病院に要望した。
しかし、栄養補給のための鼻腔チューブを挿入された。

28歳の時、餓死するためにチューブの撤去を求めて提訴した。
カリフォルニア州ロサンゼルス地区上位裁判所は棄却だったが、1986年、カリフォルニア州立控訴審裁判所は「意思能力があれば、ボービアは残りの人生を尊厳とともに平穏に生きる権利をもっている」と述べ、病院に経管栄養チューブを抜くように命じた。
その後、エリザベス・ボービアは治療を引き続き受け、経管栄養を続行すると決心した。

彼女は、経管栄養の中止と死ぬことをのぞんでいたわけではなく、自分の意思が尊重されることを望んでいた。もっと言えば、強制的に生かされることではなく、自分の意思で生きるという選択をすることを望んでいたということだろう。いや、裁判中に、気持ちが変わったのかもしれない。
エリザベス・ボービアは2008年の時点で生存が確認されているそうです。

ボストンの病院の救急医である大内啓さんは気管内挿管について書いています。
気管内挿管をして人工呼吸器につなぐ際、一回の挿管で成功する率は全米で97%。
しかも、65歳以上の高齢者の3分の1は、挿管後10日以内に死亡する。
2020年のコロナ死者のピーク時、ニューヨークでは挿管後の死亡率が8割以上だった。

抜管でき、退院できても、元のQOL(生活の質)には、よほどの例外を除いて戻れない。
杖を用いて歩いていた人は、車椅子が必要になる。
自分の力で車椅子を利用していた人は、押してもらわなければならなくなる。
ベッドの上で起き上がれた人が、起き上がれなくなる。
自発呼吸できた人が、呼吸器が必要になる。

私の経験では、弱りゆく人に、「呼吸器に繋がれないと息ができず、寝たきりの状態が、今後一生続くのであれば、あなたは死んだほうがマシだと思いますか」
と質問すると、50パーセント強の人が「死んだほうがマシです」と答え、50パーセント弱の人が「いいえ、生きているほうがいいです」と答える。

車にひかれて、いきなり寝たきりになったり、指ひとつ動かせず、しゃべることもできなくなったりしたら、「死んだほうがマシだ」と思うに違いない。
しかし、難病であるとか、がんであるとか、10年ほどかかって徐々にそういう状態になっていくなら、例外を除くと「死んだほうがマシだ」とは思わない。
なぜなら、不自由、苦しいと思う状態に少しずつ慣れていくからだ。
本人だけでなく、家族ら周りの人も少しずつ慣れていく。

その時は死にたいと思っても、時間とともに思いはだんだん変わるようです。
佐野洋子『今日でなくていい』にこんな話があります。
97歳の友達の母親が、「洋子さん、私もう充分に生きたわ。いつお迎えが来てもいい。でも今日でなくてもいい」と云ったっけ。
いつ死ぬかわからぬが、今は生きている。生きているうちは、生きていくより外ない。生きるって何だ。そうだ、明日アライさんちに行って、でっかい蕗の根を分けてもらいに行くことだ。それで来年でっかい蕗が芽を出すか出さないか心配することだ。そして、ちょっとでかい蕗のトウが出て来たらよろこぶことだ。いつ死んでもいい。でも今日でなくてもいいと思って生きるのかなあ。この日本で。
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エリザベス・ボービアもいつ死んでもいいけど、今日でなくていいと思っているのではないでしょうか。
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ポール・オフェット『反ワクチン運動の真実』(6)

2024年06月03日 | 問題のある考え
ポール・オフェット『反ワクチン運動の真実』にはクリスチャン・サイエンスについても書かれています。

クリスチャン・サイエンスはメアリー・ベイカー・エディが1879年に設立した。
信仰療法を説き、一切の医療を否定している。

神は完璧だから完璧な世界を作った、痛みなどは実際は存在しない。
病気は身体の症状ではなく精神によって起こるから、信仰によって病気は消える。
天然痘のような病気はワクチンではなく、祈りによって予防することができる。
メアリー・ベイカー・エディは著書に「我々が天然痘になるのは、他の人が天然痘になるからだが、それは物質ではなく精神が病気を取り込み運ぶのだ」と書いている。

科学の特徴は再現性と反証可能性です。
再現性とは、理論で予想されたこと、実験で得られた結果を、他の人がいつでもどこでも再現できることです。
たとえば、STAP細胞は世界中の科学者は再現できませんでした。

ウィキペディアによると、反証可能性とは、自らが誤っていることを確認するテストを考案し、実行することができるということです。
それに対し、宗教や疑似科学などは「自らが誤る可能性を認めない」「誤っているかを確認するテストを考案できない」「検証不可能な説明で言い逃れする」のが特徴だそうです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E8%A8%BC%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7

では、祈りで病気が治るのでしょうか。
ポール・オフィット『代替医療の光と闇』に祈りによる病気治療について書かれています。

自分のために家族が祈ってくれることを知っている患者は、回復率がわずかに高い。
祈ってもらっていることを患者が知らなければどうだろう。
こっそり祈ってくれる人がいることが患者の回復に効果あるなら、神の介入が示唆される。
しかし、研究では祈りには効果がなく、神の癒やしが行われる可能性はない。
信仰で病気が治るとしたら、これまたプラセボ効果なわけです。

百日咳、ジフテリア、麻疹などのワクチンは効果と安全性が検証されています。
手かざしによって病気が治ると説く宗教や代替医療があります。
どのようにしたら検証できるでしょうか。

左巻健男『陰謀論とニセ科学』にエミリー・ローザの実験が紹介されています。
1996年、アメリカのコロラド州ボールダー市(人口10万人ちょっと)に住むエミリー・ローザ(9歳)は小学校のサイエンス・フェスティバルという自由研究で、セラピューティック・タッチ(手かざし療法)を検証した。

セラピューティック・タッチはニューヨーク大学看護学部の名誉教授ドロレス・クリーガーが体系化したヒーリングの一種。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%A9%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%81

セラピューティック・タッチを習得したヒーラーは、患者の身体から少し離れたところに手をかざすとエネルギーの場を感じ取ることができ、その乱れを整えることで治療ができると主張している。

エミリー・ローザの呼びかけで、エネルギーの場が実在するかを検証する実験にボールダー市で開業する21人のセラピューティック・タッチのヒーラーが集まった。
ドロレス・クリーガーにも参加を呼びかけたが、時間がないとして断られた。
https://asios.org/rosa

1996年にジェイムズ・ランディがセラピューティック・タッチの検証実験を企画し、74万2千ドルの賞金を懸けた時は、60以上の団体や個人に申し込んだが、返答があったのは1人だけで、その1人は実験をクリアできなかった。

エミリー・ローザの実験は次のような手順で行われた。(材料費は10ドル)
① エミリーがヒーラーと1対1で向かい合って座る。
② テーブルにはダンボールで作った衝立を用意した。衝立にはヒーラーの左右の腕を通せるように2つの穴が開いている。穴から向こう側が見えないように布が被せられている。
③ ヒーラーは穴に手を通し、手のひらを上に向ける。
④ エミリーはヒーラーの左右どちらかの手の少し離れたところに手をかざす。左右どちらにするかは毎回コイン投げをして決める。
⑤ ヒーラーは左右どちらにエミリーの手があるのか、エネルギーの場を感じ取って当てる。
⑥ 実験の一部始終はビデオで録画する。

テストは280回行われ、当てられたのは123回、正答率は44%だった。
偶然でも半分は当たるはずなのに、それを下回る結果に終わった。

手かざしで病気が治ると主張する教団はエミリー・ローザが考案した実験を公開でしたらどうでしょうか。
信者が増えると思います。

セラピューティック・タッチやレイキは宗教ではありませんが、再現性と反証可能性に問題があるようです。
ホメオパシーやカイロプラクティックといった代替医療は一種の宗教じゃないかと思います。
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