石川義博医師が行なった永山則夫の精神鑑定は、面接が進み、犯行時の状況や心理の供述に至った。
ところが、警察調書や検事調書との食い違いを説明してもらおうと質問しただけで、永山則夫はたちまち不機嫌になり、憤怒して黙りこむか、全然関係のない要求をもち出すかして、激しく抵抗した。
ところが、警察調書や検事調書との食い違いを説明してもらおうと質問しただけで、永山則夫はたちまち不機嫌になり、憤怒して黙りこむか、全然関係のない要求をもち出すかして、激しく抵抗した。
それまで築き上げてきた良い関係も、重大な利害にかかわる時点に至るや一挙に覆ってしまう。
こうして、犯行時、特にタクシー運転手強盗殺人事件の司法調書と供述とのつき合わせ作業は頓挫した。
本来、精神鑑定は、被鑑定人の外的な世界の現実と、内的なファンタジーの世界の双方を認識する複眼的な視線によって、真実をともに探していく態度が必要である。
しかし、則夫のような特異な強い激しい人に対しては、その態度を維持することは不可能だった。
やむをえず彼の供述を容れ、精神鑑定を進めざるをえなかった。さもなければ、精神鑑定を完結することさえできなくなるおそれが大であったからである。
苦心惨憺のあげく、精神鑑定は終了にこぎつけた。
石川義博医師が精神鑑定において最も強調したかったことは次の点である。
第一に、則夫が5歳の時に母親から酷寒の網走の地に「棄てられ」、生命を脅かされるほどの「飢え」を味わったこと。
第二に、母代わりに可愛がってくれた長姉が精神病で入院し、「生き別れ」になったこと。
その他、本人しか知りえない悲惨で劣悪な生育環境。
その結果、深刻な外傷後ストレス障害(PTSD)を何度も体験したという事実。
則夫は知性、感性、意欲、社会性のすべてにわたって発達が阻害され、未成熟無知のまま社会に旅立っていったのである。その後の人生においても、劣悪な環境や人間関係から這い上がることができず、心の傷は因となり果となって悪循環的に増大し、極限状況を招来した。あげくの果てに、後先のことも考えずに逃亡したり、十九回も自殺を図ったり、衝動的に行動し、いっそう自分を不利な状況に追いこんでしまうのだった。その瞬間には、理性も判断力も働く余地がきわめて少なくなってしまうのであった。
しかし、一審の東京地裁では、「幼小児期における情動体験」を過大視しているとして却けられた。
裁判官は、犯行の結果の重大性、4人が次々に殺害されたこと、被害者感情、社会的な影響、性格が自己中心的・他罰的・非人間的であり、改善は至難と思われることなどを重視して、死刑が相当であるとした。
これに対し、二審の東京高裁の判決は、被告人の情状について再検討を加え、「第一に、本件非行は被告人が少年の時に犯されたもので、犯罪時十八歳に満たない少年に対しては死刑を科し得ないとする少年法五一条の精神を生かすべきであるところ、被告人は出生以来極めて劣悪な成育環境にあったため、精神的成熟度においては、犯行時実質的には十八歳未満の少年と同視しうる状態にあったとさえ認められるのみならず、かような劣悪な環境にある被告人に対し救助の手を差し伸べなかった国家社会もその責任をわかち合わなければならないと思われること、第二に、控訴審係属中に誠実な人柄の伴侶を得て、第一審と異なり本人質問に応じるなど心境の変化があらわれたこと、第三に、被告人は著作の印税を被害者の遺族に贈り、二遺族はこれを受領しており、将来も印税は遺族に対する支払にあてると誓約していること」などの事情を挙げて、無期懲役に処するのが相当とした。
同じ事実を前にして、裁判官によって評価が異なった。
二審が「極めて劣悪な幼児の成育環境」を重視したことは、精神医学的に妥当であったと考えられる。
なぜならば、幼時体験の重要性はすでに精神分析が明らかにしてきたが、ベトナム戦争や性的被害などのPTSDの研究結果、また最近著しく進歩した大脳生理学の研究などにより、乳幼児期から学童期における栄養障害や外傷的情動障害などが脳ないし心の発達にとっていかに重大な作用を及ぼし、後々まで甚大な障害を残すかが、明らかにされてきたからである。
石川義博医師は、被告人と鑑定人が「事実を明らかにしたい」という共通の目的を目指して共同作業を行い、被告人の自由な供述をもとに、犯罪に至る過程や心理をより深く明らかにしたので、裁判官や検察官の評価はともかく、永山則夫は自分の自由な内心の記録として認めるのではないかと考えた。
ところがである。彼は後に鑑定書を読んだ時、たとえば「被害妄想的」という言葉にひっかかった。彼は、「『被害妄想的』という言葉は精神病を指すものだ、鑑定人は自分を精神病だと診断したのか、精神病扱いするのか」と大変な権幕で怒ったそうである。そして、「石川鑑定書は裁判所に代表される権力者側を有利にし、自分を陥れるものだ」と断じた。筆者の思いもよらぬ言い分であり、驚きかつ呆れた。
さらに彼は、「石川鑑定書の自分についての描写は、自分でない別の人の記録のような感じがする」と述べた。
さらに彼は、「石川鑑定書の自分についての描写は、自分でない別の人の記録のような感じがする」と述べた。
この発言は石川義博医師に大きな衝撃を与えた。
「より深い精神鑑定への模索」が共同作業の相手から否定されたからである。
無力感が石川義博医師の心の中を去来した。
もしこのことが、普通の精神療法を中心とした精神科臨床の場面で生じたのであれば、患者が提出した問題を面接で取り上げ、十分話し合ったり、確かめ合ったりすることが可能であったろう。治療関係を続ける中で、理解をより深め合うこともできたであろう。しかし、精神鑑定ではそれができない。筆者は、この点でも精神鑑定の限界を悟ったのである。
石川義博医師は、則夫の精神鑑定を通じて多方面にわたる深刻なジレンマに直面させられた。
さらに法廷技術的な争いに巻き込まれ、不愉快な体験をさせられた。
そのうえ、鑑定書は、司法からも、被告人本人からも否定された。
一体、何のための精神鑑定だったのか、という徒労感と空しさがつのった。
このように『少年非行の矯正と治療』には書かれています。
永山則夫の精神鑑定をした後、石川義博医師が精神鑑定の依頼をすべて断りました。
この後も、永山則夫と弁護団、支援者の関係は大きく揺れ動きます。