三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

オウム真理教事件 7人の死刑執行

2018年07月07日 | 死刑
死刑囚写真に次々「執行」シール TV演出に疑問の声も
オウム真理教元代表の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(63)ら教団元幹部7人の死刑が執行された6日、テレビ各局は朝から一斉に放送を臨時ニュースに切り替えた。同じ日に7人執行という過去にない展開を受け、テレビ局に入ってくる情報は刻々と変化。取材で得た執行状況をリアルタイムで伝えたり、死刑囚の顔写真に執行が済んだことを示すシールを貼ったりするなど異例の報道になった。SNS上では、違和感を訴える声も相次いだ。(略)
「執行が次々と始まっています」(フジテレビ)、「松本死刑囚以外に5人以上の死刑が執行される見通し」(日テレ)、「きょう松本死刑囚を含む7人の死刑を執行する予定であることが関係者への取材で分かりました」(NHK)。フジは「井上死刑囚の死刑執行」「早川死刑囚の死刑執行」などと情報が入るたびに、赤地に白抜きのテロップを次々に表示した。(朝日新聞7月6日)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180706-00000143-asahi-soci

今までは執行が終わったあと、誰を執行したかを発表していました。
ですから、今回も7人がほぼ同じ時刻に執行されたのかと思ってましたら、そうではありませんでした。
麻原彰晃の執行がまず報道され、そのあと、次は誰それが執行されたと伝えています。
まるで選挙速報のように、誰それさんが当確、次はどなたでしょうか、と実況中継してたわけです。
 
http://健康法.jp/archives/41089

「地下鉄サリン事件被害者の会」代表世話人の高橋シズヱさんは次のように語っています。

麻原の執行に関して、私は当然と思っています。(略)そのあと井上、新実、土屋、中川、遠藤、早川という名前を聞いたときにはやっぱり動悸がしました。今後のテロ防止という意味で、もっと彼らには色々なことを話してほしかったし、専門家も死刑囚に対していろいろなことを聞いてほしかったということがあります。それができなくなってしまったのという心残りはあります。

http://blogos.com/article/309260/

坂本堤弁護士のお母さん坂本ちよさんのコメントです。

私も麻原は死刑になるべき人だとは思うけれど、他方では、たとえ死刑ということであっても、人の命を奪うことは嫌だなあという気持ちもあります。

https://www.asahi.com/articles/ASL764RXRL76UTIL02P.html

坂本都子さんのお父さん大山友之さん。

殺してやりたいと自分の中で何度も言ってきた。死刑執行は当たり前と本当は言いたいけれど、良かったという思いはない。

お母さんの大山やいさん。

私は死刑を喜ぶ人間ではない。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180707-00000003-ibaraki-l08
被害者遺族は単純に死刑を喜んでいるわけではありません。

法務省や検察の人の中にも死刑廃止を考えている人はいるようです。

ある法務省幹部は「冤罪というリスクを抱えている以上、終身刑導入と引き換えにであれば、死刑廃止も構わないという法務官僚は一定数いる」と明かす。
ある検察幹部は(略)「今回の執行が存廃論議をスタートさせるきっかけとなる可能性はある」と話した。(中国新聞7月7日)

大規模の死刑執行に、非人道的という批判もあったそうです。

独シュピーゲル電子版は「日本は死刑を堅持する数少ない先進国だ」としたうえで、「アサハラの死は、支持者には殉教と映り、新たな指導者を生みかねない」とする専門家の声を紹介した。
欧州連合(EU)加盟28カ国とアイスランド、ノルウェー、スイスは6日、今回の死刑執行を受けて「被害者やその家族には心から同情し、テロは厳しく非難するが、いかなる状況でも死刑執行には強く反対する。死刑は非人道的、残酷で犯罪の抑止効果もない」などとする共同声明を発表した。そのうえで「同じ価値観を持つ日本には、引き続き死刑制度の廃止を求めていく」とした。(略)
今回の死刑執行を伝えた米CNNは、日本の死刑執行室の写真をウェブに掲載。「日本では弁護士や死刑囚の家族に知らせないまま、秘密裏に死刑が執行される」と指摘した。またロイター通信は、「主要7カ国(G7)で死刑制度があるのは日本と米国の2カ国だけだ」と指摘。


執行の前日の5日夜、安倍総理や上川法務大臣ら自民党国会議員50人が赤坂宿舎での「赤坂自民亭」に出席し、大いに盛り上がったそうです。

赤坂自民亭は党幹部と中堅・若手議員の距離を縮める目的で有志の世話人が運営し、「女将(おかみ)」を上川陽子法相、「若女将」を小渕優子元経済産業相らが務めている。「亭主」には竹下亘総務会長らも名を連ねる。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180706-00000013-san-pol

 

執行が決まったのは3日前です。
いかに重罪を犯したとはいえ、7人もの人間を処刑することがわかっているわけですから、「懇談を楽しんだ」とは思えません。
http://健康法.jp/archives/41083

なぜこの時期に執行したのかと取り沙汰されています。
7月5日に水道法改正され、水道事業の運営権を民間に売却できることになったこと、あるいは私立大学研究ブランディング事業にからむ収賄容疑で文科省の局長が逮捕され、加計学園の2校が私立大学研究ブランディング事業に選ばれていたことが明らかにされたこと、そうしたことから国民の目をそらせるためじゃないかと邪推しております。

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再審請求と冤罪

2018年04月08日 | 死刑

裁判官だった原田國男氏が『裁判の非情と人情』で死刑について書いています。

私がかかわった死刑囚の死刑が執行されたと後日報道で知ると、心からその冥福を祈る。被害者遺族の方々からすれば、被害者の冥福こそ祈るべきで、死刑囚の冥福を祈るなどけしからんと思われるであろう。死刑の言渡しは、正当な刑罰の適用であって、国家による殺人などではないということはよくわかるが、やはり、心情としては、殺人そのものである。法律上許されるとはいっても、殺害行為には違いはない。
目の前にいる被告人の、首に脈打つ血管を絞めることになるのかと思うと、気持ちが重くなるのも事実である。言渡しの前の晩は、よく眠れないことがある。

そして、このように言い切ります。

自信たっぷりの死刑判決など本来ないのである。

ところが、死刑執行後の法務大臣のコメントはいつも自信たっぷりのように感じられます。

2017年7月13日、西川正勝死刑囚が再審請求中だったにもかかわらず死刑を執行されたことについて、安田好弘氏がフォーラム90の集会で話をしています。(「フォーラム90」Vol.154「死刑が緩和される方向に向けて」)

金田法務大臣「法務大臣臨時記者会見の概要」

一般論として、仮に再審請求の手続中はすべて執行命令を発しない取扱いとした場合には、死刑確定者が再審請求を繰り返す限り、永久に死刑執行をなしえないということになり、刑事裁判の実現を期することは不可能となるものといわなければなりません。したがって死刑確定者が再審請求中であったとしても、当然に棄却されることを予想せざるをえないような場合は、死刑の執行を命ずることもやむを得ないと考えています。


1999年、小野照男死刑囚が再審請求中の執行があった。参議院法務委員会での質問に対する臼井法務大臣の答弁もほぼ一緒。

もし再審請求の手続き中はすべて執行命令を発しない取り扱いをするものということであるならば、死刑確定者が再審請求を繰り返す限り、永久に刑の執行をなしえないというということになりまして、刑事裁判の実現を期するということは不可能になるものと言わなければならないところでございます。従いまして、死刑確定者が再審請求中であったと致しましても、当然、棄却されることを予想せざるをえないような場合におきましては、執行を命ずることもやむを得ないと考えております。

法務官僚の作文が17年後にも生きている。
つまり、死刑執行は政治家が決断しているのではなく、法務官僚が行っており、執行の説明さえも彼らが考え、大臣が記者会見で話す言葉さえも用意している。

「再審請求中に執行できないならば永久にできない」
「再審が棄却されることが明らかな場合は執行できる」

三権分立のもと、再審は裁判所だけが判断することになっているのであり、行政が判断することは許されていない。
なのに、再審が認められるかどうかを法務大臣、あるいは法務官僚が判断して執行するのは越権行為である。

免田栄さんの再審は第6次再審で認められた。
赤堀政夫さんは第4次再審。
奥西勝さんは第7次再審でいったん再審開始決定が出ている。
徳島ラジオ商事件は第6次再審。
こういうことが再審の実態で、再審請求を繰り返さないと再審は実現できない。
にもかかわらず、法務省は「理由もなく繰り返す」と非難している。

原田國男氏は「それにつけても、最近不思議だと思うことがある」と、冤罪事件についてこのような疑問を呈しています。

氷見事件、足利事件、東電OL殺害事件において再審が認められて、被告人はいずれも無罪となり、真犯人が別に存在することまで明らかになった。
ところが、裁判所は知らん顔を決め込んでいる。
法務検察と裁判所において、再発防止策を具体的に検討したふしはない。

結局、裁判所が最終的に再審無罪を確定させたのであるから、自浄作用は、まさに、正常に働いており、問題はないという見方がされているのかもしれない。しかし、それも弁護団等の多大な尽力があったからこそ、実現したのである。


冤罪について法曹にはこんな考えがあるそうです。
・冤罪は存在しない。再審にしろ、通常の裁判にしろ、無罪となったのであるから、裁判所の判断は、最終的に正しかった。裁判所が無罪としている事件は、その意味で、冤罪とはいえない。
・冤罪とされる事件の多くは、判断が分かれ、微妙なものであって、被告人が真犯人である可能性は残っているから、冤罪とはいいきれない。
・冤罪が生じるのは、刑事裁判制度の不可避の現象であって、これを少なくすべきなのは、当然であっても、制度自体を廃止できない以上、限界がある。
・我が国はこれまで無実の者を死刑にした例はない。
・冤罪は、死刑に特有なことではなく、あらゆる犯罪に起こりうることだから、冤罪を理由に死刑を廃止すべきだというなら、他の刑罰も廃止すべきではないか。

そもそも、我が国の刑訴法学者の多くは、冤罪不存在論か冤罪不可避論に立ち、冤罪問題について、実に冷淡であり、これは世界的にみても特異な傾向であろうと、原田國男氏は言います。

一般国民は、冤罪事件といえば、強盗殺人や殺人で、しょせん、裁判官が判断することであり、自分には関係がないと考えてきたであろう。

たしかに、国民の多くは冤罪問題についてさほど関心があるようには思えません。
冤罪事件があれば、最高裁や法務省に抗議デモがあってよさそうなものです。

平川宗信氏は「国民に主権意識がなさすぎます」と断じます。
主権者として、自分たちが死刑を存置し、自分たちが殺しているのだという自覚がない。
主権者意識がないという根底には、社会を支え、国を支えている個人という意識がない。

私は、死刑囚の首にかかっている縄は、その端が一億本余に分かれていて、私たち一人一人がその端を引っ張っているのだという話をします。(「フォーラム90」Vol.150)


鎌仲ひとみ氏の話の中に「あなたの家のコンセントの先は原発につながっている」ということがありましたが、死刑も原発も私と無関係な事柄ではないわけです。

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「死刑」を訴える被害者遺族の声をきく~闇サイト殺人事件から10年~(2)

2018年03月06日 | 死刑

死刑の存廃問題の討論で、冤罪についても話し合われています。
http://originalnews.nico/45811/3
髙橋弁護士は冤罪があることを認めています。

冤罪が起きるのは警察組織の思考停止組織だと思っています。警察は署長が捜査方針を決めてしまうと、違う証拠が出てくるとその証拠を潰そうとするのです。
冤罪を生む温床だなとつくづく思います。検察もそうです。遺族や被害者自身の調書をとるときに立ち会ったことがあるのですが、私はびっくりしました。
被害者は少ししゃべっただけで、その後は検察官が作文して事務官にパソコンで打たせているだけなのです。加害者の立場でやられたらたまったもんじゃないなと、つくづく思いました。

被害者遺族である御手洗潔さんはこのように語っています。

警察に被害者調書を書かれた(作成された)ときに驚いたからね。警察官が読んだ調書を聞いてたら「悲しい」だとか「許せない」だとか、言った覚えのない表現が出てくるんだよ。あれ? そんなこと言いましたっけ? って聞いたら、「あなたの気持ちをこちらで推し量りました」って言われてさ。まぁそんなものなんだろう、ってそのとき思ったんだよね。彼女(加害者)の供述だって、それと同じことがあると思う(川名壮志『謝るなら、いつでもおいで』)

警察は被害者の調書も作文するわけです。

ところが、高橋弁護士は「制度がどうあるべきか」ということと、「制度の弊害を小さくするか」というのは分けて考えるべきだと説きます。
そして、自動車による交通事故で毎年6000人が亡くなっているが、だからと言って自動車社会はなくならないと述べ、どんな制度にも弊害はある、制度の持つ弊害をできるだけ小さくしようというのが本来のあるべき姿であって、制度をなくすということにはならないと言います。

たしかに自動車社会はなくなりませんが、制度は変えることができます。

かつて両親祖父母を殺す尊属殺人罪は無期懲役または死刑のみでした。
1950年、最高裁で尊属殺人を含む尊属加重刑罰は合憲とされました。
ところが、15年も性的虐待を受けていた娘が父親を殺した事件で、1973年に尊属殺の厳罰化規定は違憲との判断が下され、被告は執行猶予の判決が出ました。
そして、尊属加重規定が削除されました

上谷さくら弁護士も高橋弁護士同じ意見です。

もっと厳密な捜査をしてもらって冤罪をなくすという努力をすることと、死刑制度を続けるかという話は別の話だと思います。
現行犯など絶対に冤罪ではない事件もありますよね。そういった冤罪の可能性が一部にあるということで制度全体をやめるというのは、論理の飛躍かなと思います。

無実なのに死刑になる人がいるから死刑制度を廃止すべきだということが、どうして論理の飛躍なのでしょうか。
冤罪で処刑されるという弊害をなくすことができるのなら、そうすべきです。
冤罪があるから、死刑の執行は停止し、冤罪がなくなれば執行を再開するという提案を死刑存置派の人がしてもいいように思うのですが。

また、現行犯であっても、計画性の有無、殺意の有無、情状によって量刑は違います。

現行犯だから死刑だとは、単純には言えません。

森達也氏と山田廣弁護士のやりとりです。

森:冤罪のない裁判、捜査を目指すべきだと仰いますが、それは無理ですよね。人がやることなので100%間違いがないということはありえないです。それを考えるかどうかということです。
山田:間違いをなるべくしないように……。
森:なるべくでいいんですか。
山田:仰ったように、やはり人間ですから。神ではないのですから、可視化にしても、捜査の分析能力にしても、常に科学的分野で努力を重ねている途中です。
ですから「間違いはない」とは言えません。
森:そうですよね。ですから、なるべく間違いのないように裁判を目指しましょうということは一致できますが、それで死刑にしてしまったら取り返しがつかない。
もしかしたら冤罪で処刑されている方もたくさんいるかもしれない。死刑という、取り返しがつかない制度をどうするのかという考え方も可能だと思います。

冤罪によって死刑になったとしても仕方ないと、上谷弁護士や山田弁護士は言ってるように私は感じました。

1949年、イギリスでエヴァンスという人が妻と娘を殺したと死刑判決を受け、執行されました。

ところが、1953年に他の殺人事件で逮捕された加害者が、エヴァンスの妻子を殺したと自白します。
エヴァンス事件がきっかけとなって、イギリスでは死刑廃止論が盛んになり、1969年、イギリスは死刑を廃止しました。

ところが、日本では冤罪だと認められた死刑囚がいるにもかかわらず、死刑を廃止しようという気運があまり起きません。

冤罪で死刑になることを他人事としてしか考えない人が少なくないのだと思います。

自分の子供が無実なのに死刑執行されても、それでも死刑は必要だと言う人がいるでしょうか。

磯谷さんは「他人事としてではなく自分に降り掛かったらどうだろうと、今一度お考えください」と語り、髙橋弁護士は「娘や息子は殺されて生きて帰ってこないのです。償いようがありません」と言っています。
「仕方がない」と思うことは他人事だと考えているからですし、他人事にしてしまうということは、原発や沖縄の基地といった問題ともつながっていると思います。

被害者が恨みや怒りを抱え続けるのではなく、別のものに変えていく支援が、被害者支援だと思います。

死刑を求める被害者遺族ばかりではありません。

「犯罪の加害者を責めません」——ある遺族の選択とは
2006年に長女の歩さん(当時20)を殺された中谷加代子さん(56)は「怒り」を消し、刑務所で加害者たちと向き合う活動を始めた。伝えるメッセージは「幸せになって」。加害者を「責める」ことなく、常に「寄り添う」。(略)
中谷さんには、志を同じくする仲間が2人いる。
その1人は、神奈川県の小森美登里さん(60)。1998年に高校入学直後の長女を失った。いじめが原因の自殺だったという。(略)
もう1人の仲間は東京都在住の入江杏さん(60)だ。2000年末に起きた「世田谷一家殺人事件」で妹一家4人を殺された。(略)
小森さんもそれまで、加害者に働きかける活動を10年以上も続けていた。他の被害者遺族には、加害者への強い怒りが消えず、苦しんでいる人もいた。もちろん、それも理解できるという。しかし、怒りを持つだけでは、犯罪をなくすことはできないのではないか、と考え続けていた。

https://news.yahoo.co.jp/feature/710

あれっと思ったことが1つあります。

髙橋:平成17年の統計で申し訳ないのですが受刑者は週に二度、お風呂に入っています。その水道料金が5億円なのです。

刑務所では風呂の水や飲料水その他を別々に会計処理しているのでしょうか。

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「死刑」を訴える被害者遺族の声をきく~闇サイト殺人事件から10年~(1)

2018年03月01日 | 死刑

ニコニコ動画の「「死刑」を訴える被害者遺族の声をきく~闇サイト殺人事件から10年~」という討論番組の文字起こしがされているサイトを万年中年さんに教えてもらいました。
http://originalnews.nico/45811
「闇サイト殺人事件」の被害者遺族である磯谷富美子さんのお話を読むと、被害者や遺族の方が死刑を求めるのは当然だと思います。
しかし、それでも死刑存置論には賛成できません。

この討論番組で死刑存置派が主張しているのは次の2点だと思います。
①被害者遺族が死刑を求めているから死刑は必要だということ
②冤罪と死刑制度の是非は別問題だということ

裁判員や被害者遺族の処罰感情で判決に違いがあっては、法の下に平等という原則に反することになると思います。

死刑を求める被害者遺族ばかりではありませんから。

髙橋正人弁護士はこのように語っています。

人を殺した以上はあなたも命をもって責任をとりなさいということです。死をもって責任をとってもらうのが被害者の気持ちだと申し上げています。(略)
どこの刑法の本にも書いてありますが、刑法の本質は応報刑論です。何かと言えば、悪いことに対しては悪い報いで行うという、「目には目を歯には歯を」です。これがまさに応報です。

この意見にはいくつかの疑問を覚えます。

・どんな殺人事件でも死刑にすべきなのか
警察が2016年に摘発した殺人事件(未遂を含む)770件のうち、55%が親族間で起きています。
https://mainichi.jp/articles/20170411/ddm/012/040/061000c
つまり、被害者遺族の多くが加害者家族・親族でもあるわけです。
そして、動機の多くは心中や介護・養育疲れです。
この人たちも「死をもって責任をとる」べきでしょうか。

・殺人と傷害致死
殺人罪の刑罰は死刑または5年以上の懲役(無期懲役も含む)ですが、傷害致死罪は3年以上の有期刑です。
殺人と傷害致死の違いは、殺意のあるなしです。
https://www.bengo4.com/c_1009/c_1208/gu_147/
滋賀県の料理店で店主が客から2時間以上も暴行を受けて亡くなるという事件がありました。
加害者2人は傷害致死で逮捕されています。
殺意がなかったとしても、ご家族にしてみたら殺されたとしか思えないでしょう。
しかし、遺族は法律で定められた最高刑で納得するしかありません。
死刑制度がなければ、死刑以外の判決を受け入れるのではないでしょうか。

・加害者の自殺
加害者が事件を起こしたあとに自殺することがあります。
自殺するという形で「死をもって責任をと」ったのでしょうか。

・応報刑

刑罰の歴史は寛刑化の歴史です。
現在はただ罰するだけでなく、犯罪者の更生、社会復帰が考えられています。
死刑の執行も苦痛の少ないものに変わっています。
アメリカでは被害者遺族が執行に立ち会うことができます。
死刑囚が苦しんだように見えなかったことに釈然としない遺族もいるそうです。

応報ということだったら、被害者は苦しみながら死んだのだから、死刑囚も同じような苦しみを与えて殺すべきだという意見が出てきます。

車でイエメン人の子供をはねて殺してしまった人を父親が車で轢き殺すというイエメンや、夫の不倫相手に硫酸をかけられて顔がただれ両眼を失明した女性に、加害者を失明させる権利があるという判決が下りたイランのように日本もすべきだということになります。
http://blog.goo.ne.jp/a1214/s/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%A1%E3%83%B3

ジョー横溝:「死刑を執行する刑務官のことを考えたら制度に賛成できない」というお話はいかがですか。
髙橋:刑務官は大変ですか? では被害者に執行のボタンを押させてください。それで結構です
青木:それは仇討ちですよね。
髙橋:仇討ちではございません。国家の判断がなく、自分の判断でやるのが仇討ち。国家がやらないなら私たちがやりましょう、というだけのことです。

憲法36条で「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」とあります。
被害者遺族にとっても死刑の執行は残虐なことだ感じるのではないかと思います。

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【長谷川豊】「死刑反対」の人権派は「死刑」の根本的な意味を分かっていないんじゃないか?

2017年10月13日 | 死刑

ネットをあれこれ見ているうちに、「【長谷川豊】「死刑反対」の人権派は「死刑」の根本的な意味を分かっていないんじゃないか?(2017年7月27日)」という投稿を見つけました。
https://oshiete.goo.ne.jp/watch/entry/b38e511fd02a0d7cf40e516fd0ae97f4/
アメリカのオハイオ州で死刑執行のため薬物を投与された男が、約10分間にわたってあえぎ、体を震わせながら死亡した、という記事についての感想です。

アメリカの憲法には「過度に残忍な」刑罰を禁じている。
この薬で死刑が執行されれば、死刑囚は「息ができなくなり、苦しみと恐怖の中で死に至る」と予想できたと弁護士が言っている。
死刑執行に立ち会った死刑囚の子どもたちが涙を流して動揺した。
https://www.cnn.co.jp/usa/35042654.html

このCNNの
記事に対して長谷川豊氏は、この死刑囚は妊娠中だった22歳の女性を強姦し、殺して死刑を言い渡されたんだと言うわけです。

私、もっと苦しめて全然いいんじゃないのって考え方の人間なんですが、私がおかしいんですかね?(略)
社会には、これだけ人間がいるのです。ゴミはいる。しょうがない。それは何十億人もいるのですからしょうがないのです。
ゴミはごみ箱に捨てるべきだ。こんなの、当たり前のことです。
私は、むしろ甘い殺し方だと考えます。出来ればネットで生中継した方がいいとすら考えています。小学校時代からその死刑執行シーンはみんなに見せた方がいい。ふざけたことをやれば、どんなに苦しむのか、よく見せた方がいい。
みんな真面目に生きているのです。ナメたことをやったバカが、どんな苦しんでごみ箱に捨てられるのか、見せた方が絶対に将来の役に立ちます。
残酷だ!という批判はどうぞご勝手に。
私は「自分は人権派」とか言う人たちのうさん臭さを心の底から痛感しています。優しいこと言ってる自分に酔ってるだけだろ? こんな優しく、思いやりのある自分、大好きなだけだろ。正直に言えって。
私は死刑にするなら、もっと残酷に殺すべきだと考えます。
せっかく死刑にするなら、もっと「教育」に役立てないと意味がないと考えている人間です。
それは大局で見れば、絶対にその方がいいはずだからです。

「おかしい」に決まっています。
酒場談義ならともかく、日本維新の会公認候補として衆議院選挙に出馬するような人にしてはあまりにも乱暴な意見です。

人類の歴史は厳罰化から寛刑化への歴史、応報刑から教育刑への歴史だということを知らないのでしょうか。

是枝裕和『三度目の殺人』は、死刑になるかもしれない被告と弁護人の話。

ヴェネチア国際映画祭では賞を取れませんでした。
ネットでは、EUは死刑を廃止しているからだという意見もあります。
弁護人は死刑制度に疑問を感じず、当然のことと考えていると思われたのかもしれません。

長谷川豊氏はどういう処刑法が残酷でいいとは書いていませんが、残酷な刑罰というと中国でなされていた凌遅刑はどうでしょうか。

凌遅刑(りょうちけい)とは、清の時代まで中国で行われた処刑の方法のひとつ。生身の人間の肉を少しずつ切り落とし、長時間にわたって激しい苦痛を与えたうえで死に至らす刑。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%8C%E9%81%85%E5%88%91
「凌遅刑」で検索すれば、ネットで写真を見ることができます。

いったい誰に「残酷に殺す」ことをさせるのやら。

「絶対に自分の手でヤるわ」と書いてるわけですから、長谷川豊氏自らが一手に引き受けるというのでしょうか。
処刑の後に冤罪だとわかっても、仕方ないですましてしまいそうです。


おまけに、「小学校時代からその死刑執行シーンはみんなに見せた方がいい」、「せっかく死刑にするなら、もっと「教育」に役立てないと意味がない」とまで言い切る。

長谷川豊氏は、小学生のときに死刑囚が「どんなに苦しむのか」見たかったんですかね。
映画だって残虐なシーンがあればR指定されて、小学生は見ることができません。
長谷川豊氏の主張どおりにしたら、日本は世界で最低の国だと思われることは間違いありません。

長谷川豊氏は暴言、妄言の常連です。

https://twitter.com/XtLkgvRmdt5c9Ds

足立康志議員も困った人です。
https://matome.naver.jp/odai/2147964537237438101

こんな人をよくもまあ日本維新の会は公認したものです。

でも、日本維新の会の代表だった橋下徹氏も失言、暴言を繰り返しています。
「愛人を推奨? 橋下徹氏の失言まとめ」
https://matome.naver.jp/odai/2139688737577765701
適菜収オフィシャルブログ「橋下徹は詐欺師である。」
https://ameblo.jp/tekinaosamu/

このご時世、能・狂言のファンって言うと、恥ずかしいじゃないですか。変質者っていうか。

小さい頃からギャンブルをしっかり積み重ね、全国民を勝負師にするためにも、カジノ法案を通してください。

今の日本の政治に一番重要なことは独裁ですよ。

(在日米軍に司令官に対し)もっと日本の風俗業を活用してほしい。

自分の権力欲、名誉欲を達成する手段として、嫌々国民のため、お国のために奉仕しなければならないわけよ。

こんな人間を支持し、投票する人の気が知れないし、政治的な影響力を持っているというのはどう考えてもおかしい。
だけど、「維新の会」と名前がついているだけで、号泣会見で有名になった野々村竜太郎氏(西宮維新の会)でも兵庫県議会選挙で当選してしまう不思議さ。

「大阪維新の会」不祥事リストというサイトがあります。

https://matome.naver.jp/odai/2144437261638147701?page
政務活動費や政務調査費を私的なことに流用し、ばれたら返還して終わりですむとは。
野々村竜太郎氏は、嘘の収支報告書を提出し、政務活動費をだまし取ったとして、詐欺罪で有罪となっているのに、です。
正義感あふれる長谷川豊氏なら、金を返す程度では許さないでしょう。

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堀川惠子『死刑の基準』

2017年06月27日 | 死刑

永山則夫事件の第二審の裁判長だった船田三雄氏が、退官後に弁護士会で行なった死刑の勉強会での話を、堀川惠子『死刑の基準』は紹介しています。

船田三雄氏は、若いころに担当した二件の裁判で、死刑事件に対する裁判所のあり方に大きな疑念を抱くという経験をしていた。

1953年に起きたバー・メッカ殺人事件の加害者は、裁判で罪を全面的に認め、キリスト教に帰依し、贖罪の日々を送るようになった。

しかし、一審で死刑、最高裁で死刑が確定した。

1954年のカービン銃事件では、会社社長を呼び出し、小切手を奪って殺害し、一審では死刑判決だったが、二審で無期懲役。


どちらの事件でも左陪席だった船田三雄氏は、バー・メッカ殺人事件は無期懲役が相当(初犯であること、被害人数が1人であること、犯行後に更生(『死刑の基準』ではすべて「更正」となっている)に向けて生きようとしている姿があること)で、カービン銃事件は死刑相当と思ったという。

船田三雄氏が疑念を抱いたのは、もし自分が裁判長であれば、それぞれの裁判は結果が逆になっただろうことにである。
つまり、裁判所で同じ事件を審議するのに、死刑になるか否かが問われるときに、裁く人(裁判官)によって結果が違うような状態でいいのか、ということだ。

船田裁判官が若き日に直面した二つの裁判は、「死刑」か「無期懲役」かを争う裁判だった。

人間の命がかかった裁判なのに、ある裁判官だと処刑、別の裁判官だったら生きることを許される。
これは、運が良いとか悪いとかで片づけられる次元の話ではない。

船田三雄氏は、永山事件控訴審で無期懲役判決を出したため、「もともと死刑廃止論者だった」「ハト派だった」と評される向きもあった。

しかし、1973年、水俣病被害の補償についてチッソ社長への面接を求めて社内に立ち入ろうとした被告人らを阻止しようとした社員に、被告人が怪我を負わせたという水俣病自主交渉チッソ本社事件で、弁護団と被告人が裁判長の命令を無視して許可なく法定外に出ていったので、船田裁判長は法廷に内側から鍵をかけ、弁護団と被告人の再入廷を認めず、弁護人と被告人が不在のまま審理を続行している。

『裁判官紳士録』(1981年刊)には、船田三雄氏について「被告人の実態像と取組もうとする姿勢がない。訴訟進行が事務処理的。(略)判決は紋切り型」と記述されている。

この船田三雄氏が、1980年から始まった控訴審の裁判長だったのである。

堀川惠子氏はなぜ永山則夫に関心を持ったのか。

2009年、光市母子殺害事件の差し戻し審の判決が出たとき、記者が大きな声で「主文は後回しです。死刑判決が濃厚です!」と繰り返したら、広島高裁の外で判決を待っていた市民たちから拍手と歓声があがった。
このことを知った堀川惠子氏は、一体どういうことかと耳を疑い、「死刑」に対して拍手と歓声があがったことに戦慄を覚えた。

二審の広島高裁(無期懲役)の判決文にも、差し戻し審の広島高裁(死刑)の判決文にも永山裁判の判決文を引用されているが、判断を分けた。

そこで、堀川惠子氏は永山則夫を調べてみようと決心したという。

こうした経緯があるためか、『死刑の基準』(2009年刊)は永山則夫のことを語りながら、光市母子殺害事件の被告と重ね合わせている部分があるように感じます。

永山事件控訴審の判決文の一部。

(被告人は)愛情面においても、経済面においても極めて貧しい環境に育つて来たのであつて、人格形成に最も重要な幼少時から少年時にかけて、右のように生育して来たことに徴すれば、被告人は本件犯行時十九歳であつたとはいえ、精神的な成熟度においては実質的に十八歳未満の少年と同視し得る状況にあつたとさえ認められるのである。のみならず、かような生育史をもつ被告人に対し、その犯した犯罪の責任を問うことは当然であるとしても、そのすべての責任を被告人に帰せしめ、その生命をもって償わせることにより事足れりとすることは被告人にとって酷に過ぎはしないであろうか。かような劣悪な環境にある被告人に対し、早い機会に救助の手を差し伸べることは、国家社会の義務であつて、その福祉政策の貧困もその原因の一端というべく、これに眼をつぶって被告人にすべてを負担させることは、いかにも片手落ちの感を免れない。換言すれば、本件のごとき少年の犯行については、社会福祉の貧困も被告人とともにその責任をわかち合わなければならないと思われるのである。


永山則夫の無期懲役の判決に対し、週刊誌などは、連日、船田判決を批判したそうです。
永山裁判の一審で1976年から死刑判決が下される1979年まで右陪席を務めた豊吉彬氏は、最近の死刑判決やマスコミの動向には危惧を感じていると語っています。

最近ちょっと死刑事件が多いような気がしますね。昔はあまりアンバランスなことはなかったです。誰が裁いてもこれは死刑だというような事件が死刑になっていました。でも最近はちょっと傾向がバラバラですね。無期と思うようなものが死刑になったりしています。やはり裁判というのは制度として誰がやっても、どこで裁いても同じようにならないといけないと思うんです。今の世の中の流れでは、裁判員裁判が始まると死刑が増えるのではないかと心配しています。
マスコミにもきちんと役割を果たしてほしいですね。最近は反対のことが目立つ感じがします。刑事裁判というのはあだ討ちの場ではないのですから、被害者がこういっているから死刑というのはね、本来は正面からいうべきことじゃないと思うんです。国家が被害者に代わってあだ討ちをするようなことになってはいけないと思います。


「社会を明るくする運動」の作文コンテスト法務大臣賞の作文がすばらしいです。

柴田嘉那子さん(小学校6年)「大切な魔法の言葉」

柴田さんの両親は児童自立支援施設で寮舎運営を担当していた。
家庭環境に恵まれず、非行に走ったり、虐待を受けたりして、人間不信、大人不信をもつお兄ちゃんたちは、家庭裁判所の審判の結果、入所し、柴田さんの両親がお父さんがわり、お母さんがわりをしていた。
入所前まで、「おかえり」と言われたこともなければ、誕生日を祝ってもらったことのないお兄ちゃんもいた。
お兄ちゃんたちは、柴田さんの誕生を楽しみに待ち、成長の変化に両親よりも早く気づき、一番喜んでくれた。

退所したお兄ちゃんたちみんなに、
「おかえり。」
と言葉をかけてくれるよき理解者がいるのだろうか。安心・安全な居場所を、現在、もてているのだろうか。


金澤寿靖さん(中学校3年)「笑顔で挨拶まずはそこから」
金澤さんの祖父は農作業の帰りに、駅でタバコの吸い殻を拾い、道端におかれている空き缶やペットボトルを拾っていた。
金澤さんが小学生のとき、いつものように駅を通りかかると、タバコを吸っている茶髪の高校生たちがいた。
祖父は吸い殻を拾い、「こんにちは」と笑顔で声をかけた。
次の日、同じように駅を通りかかると、タバコを吸っていた高校生が祖父の顔を見るなり、あわててタバコを消し、吸い殻を隠した。
祖父は「こんにちは」と声をかけたら、彼らはぺこりと頭を下げた。
驚いた金澤さんが祖父にたずねると、祖父はこのように答えた。
以前はタバコを吸ったり、ゴミを平気で捨てる高校生には厳しく注意をしていたが、注意すればするほどいたずらや迷惑行為が増えていった。
祖父が保護司をしている旧友に愚痴をこぼすと、旧友はこんな話をしてくれた。

非行や犯罪に走ってしまう若者は、自分を認めてもらう方法がわからない。自分の居場所がなく、自分を表現する方法を知らないのだ。そこから生まれるいらだちが、間違った道に進ませてしまう。そして一度非行や犯罪に手を染めてしまい、悪いレッテルをはられると、ますます社会に受け入れてもらえなくなる。反対なんだよ。そういう人こそ誰かが「受け入れて」「認めて」「赦して」あげないといけないんだ。

祖父は、みんなが嫌う子たちを見たら、受け止めてあげよう、居場所を作ってあげたいと思う、と語った。
中学生になった金澤さんがあらためて考えると、居場所を作ってもらっているのは祖父のほうではないか。

二人の文章を読み、永山則夫のまわりにも、こんな人たちがいたらと思いました。
それにしても、犯罪や非行を犯した人を地域が受け入れ、立ち直りに協力するという「社会を明るくする運動」を主唱している法務省が、その一方で、社会から究極的に排除する死刑制度を維持しているのはどういうことかと思います。

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郷原信郎・森炎『虚構の法治国家』

2017年01月10日 | 死刑

『虚構の法治国家』は元特捜検事の郷原信郎氏と元裁判官の森炎氏の対談。
検察と裁判所を批判しています。

日本の刑事司法の主役は検察で、検察が刑事司法を完全に仕切り、裁判所は検察に大きく依存している。
事実上、有罪・無罪も検察が決め、刑事司法のすべてを実質的に支配する。

○なぜ有罪率が99・957%(1997年度)、勾留決定率が99・9%(1997年度)と高いのか

郷原「検察には、99・9パーセント有罪が異常だという認識はないでしょうね。むしろ、検察から見れば、それは検察の起訴の判断の的中率ですから、高ければ高いほど良い」

有罪率99・9パーセントは捜査の優秀さを示すものとは必ずしも言えず、人質司法、虚偽自白、裁判官の有罪判決へのモチベーションなどの矛盾と仕組みがある。

① 人質司法

郷原「日本の場合、犯行を認めていないと罪証隠滅のおそれがあるという理由でいつまでたっても保釈が認められない。犯行を認めない限り身柄を拘束し続けるということになります」
森「そして、認めれば、それが有罪方向の証拠になるのですからね。「犯行を認めない限り勾留する、認めれば保釈する」というやり方は、一種のパラドックスを含んでいます」
郷原「長期の身柄拘束に耐えきれず、身柄を解放してもらおうと思って認めたら、それが有罪方向の証拠になってしまう」
森「人質司法は、容疑を認めない限り身柄を拘束して、潔白を主張し続けるだけの気力を奪おうとするものです。有罪率99・9パーセントは、それがもたらした結果ではないかと疑われるわけです」
郷原「そもそも、そういう人質司法というやり方が、日本で、なぜさしたる批判もなくまかり通ってきたのかと言えば、そこには先ほど言った「犯罪者の烙印」との関係があると思います。起訴されても裁判で有罪が確定するまでは「無罪の推定」が働いているはずなのに、実際には、99・9パーセントの有罪率の下で、検察官の判断が、事実上、裁判所の司法判断と重なり合っているため、社会的には、起訴によって被告人は事実上「犯罪者」として取り扱われます。(略)人質司法というやり方が許容されてきたのも、起訴によって「犯罪者としての烙印」が押されているのに反省悔悟することもなく犯罪事実を否認する被告人は、社会から隔離しておくのが当然だという考え方があるからだと思います」


以前、交通事故を起こしたことがあります。
幸いにも相手の方は軽傷だったのですが、その場で取調、調書の作成がありました。
私としては、この場からとにかく早く立ち去りたい気持ちでいっぱいでした。
警察に逮捕され、留置場や拘置所に勾留されていたら、ここから出るためだったら嘘でもなんでもつくと思いました。

② 虚偽自白
否認していたらいつまでも保釈が認められないため、保釈をもらうために虚偽の自白をすることがある。

森「市民の自由にとって深刻な病理が法権力によって生み出されています。重罪の虚偽自白にまつわる問題です。冤罪の最も大きな原因に、無実の者がしてしまう自白、つまり「虚偽自白」があると言われています。なぜ、虚偽自白が生ずるのか。無実の者が自白してしまうというような事態がどうして生ずるのかと言うと、それは、いま出てきた人質司法が関わっているわけです」
森「取り調べの具体的な現象としても、見過ごせない問題があります。自白しない被疑者の取り調べでは、必ずと言ってよいほど、「いつまでも争っているより、認めて刑を軽くしてもらったほうがいいぞ」という説得をするでしょう。そして、日本の刑事裁判では、争って有罪と判断された場合より、罪を認めていた場合ほうが判決で刑が軽くなるのは事実ですよね。だから、いま述べたような捜査官の説得は、虚言を弄して自白させようとしているわけではないから、取り調べとして当然のように適法とされています」


以上は比較的軽い罪の場合によくみられることで、死刑も予想されるような重罪の場合にはあまり効果がない。

森「死刑などが予想される重罪の場合には、冤罪を主張する者に対して「言い分は、公判になってから裁判所で言えばよい」と、あたかも裁判所では、その言い分が十分に取り上げられるかのように説得して、調書に署名させる。そういうやり方を取ることもあるでしょう」
森「おまけに裁判所は、「死刑になるかもしれないような重大事件について、実際にはやってもいないのに自白するはずがない」という論法を平気で使います」



③ 裁判官のモチベーション

郷原「検察の主張よりも、もっと精密で巧妙な論理構成で有罪判決を書くということですね」
森「証拠は不十分な場合にも、「証拠は十分ではない。しかし、それをうまく有罪構成できないか」という意識が必ずと言ってよいほど働くのですね」


○なぜ冤罪事件が起きるのか
無実だから否認しているのに、否認しているから反省していないと見なされるというのも怖い話ですが、もっと話は怖くなります。

森「日本の冤罪事件の特徴として、私がとくに取り上げたいのは、日本の冤罪は、誤判というより、冤罪性をわかったうえで有罪にされている疑いがあることです」
郷原「日本の冤罪事件は、過失ではなく故意だと。裁判官は冤罪だとわかっていて有罪判決を下しているということですか」
森「明確な無実を有罪にしているというのではなく、もしかしたら無実かもしれないと思いながらもそうしている司法の現実を言っているのです」


森炎氏は冤罪は作られるということを、帝銀事件、財田川事件、袴田事件などから説明しますが、それは省略。

「FORUM90」VOL.150に、袴田事件の弁護人である小川秀世弁護士のこういう話が載っています。

静岡県警は袴田巌さんにトイレにも行かせないで取調べをし、どうしてもトイレに行きたくなったら、取調室に便器を持ってこさせた。
取り調べた警察官は法廷で「あれは、マスコミがたくさん来ているから、ここで用を足したいと、袴田さんから要望があった」と話している。
ところが、袴田巌さんの取調べテープが出てきて、それには松本という警察官が「ここでやらせろ」と指示をしている場面が録音されている。
法廷で警察官は偽証したのである。

味噌樽から発見された5点の衣類によって袴田巌さんは犯人とされたが、このズボンを袴田巌さんははけなかった。

このことについて裁判所は「B体の太めのズボンだから、もともとははけたけれど、味噌で縮んだ」とした。
ところが、この「B」とはメーカーがつけた色の記号だったことが、証拠開示でわかった。
検察は今までずっと隠し、「B」はサイズの記号だと嘘をついていた。
死刑事件なのに、警察や検察は証拠を隠し、嘘をついてきたのである。

最高裁で袴田事件の調査官をした渡部保夫氏に、小川秀世弁護士が5点の衣類はこういう意味で捏造ではないかと話したら、「小川君、警察はたまには証拠を偽造することはあるけれども、こんなに大がかりな捏造をすることがありますか」と反論した。


一次再審請求の東京高裁の裁判官は、再審について書いた論文の中で、記録を検討したら誤判であることがわかった、しかし新証拠がない、そういう時にどうするか、という問題提起をし、「これまた人間の営為としてはいかんともしがたいものである」と書いている。


袴田巌さんは無実だと知っていながら放置したわけです。
これで袴田巌さんの死刑が執行されていても、仕方ないですますのでしょうか。

郷原「なぜ、そういうことになってしまうのか。森さんはどう思いますか」
森「どうして裁判官がそこまで冤罪性を軽視することになったのかと言えば、戦前の治安維持法で思想弾圧に加担したことが影響していると思います」
裁判所は片っ端から有罪にしていったわけで、冤罪性に無感覚になる。
森「私は、日本の裁判所の基本姿勢は、社会一般から批判を受けるような事態になるまでは冤罪にはぎりぎりまで目をつぶる。そして、裁判所までが批判の矢面に立たされそうになったら、捜査機関のせいにして冤罪を認めるというものだと考えています」


このように森炎氏は言うわけですが、裁判所が再審を認めることはほとんどありません。
無実の罪を着せられるのは他人事ではないし、無実だと証明することは難しい。
ため息の出るような対談でした。

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佐藤大介「米国・死刑取材の現場からの報告」

2016年09月29日 | 死刑

佐藤大介「米国・死刑取材の現場からの報告」(「フォーラム90」vol.149)は、アメリカの死刑事情についての講演録です。

佐藤大介氏は共同通信の記者です。
テキサス州で死刑囚にインタビューしています。

テキサスの司法当局のHPには、死刑の情報が一定程度公開されている。

収容されている死刑囚の氏名など写真入りの細かい個別情報、死刑執行のこれからの予定、執行前の最期の言葉、執行に立ち会った人のリストなど。

HPから死刑囚のインタビューを申し込むと、すぐに返事が来た。
死刑囚の中から3人を選んで送ると、死刑囚本人がOKだから、何時に来てくれと、話が決まる。

佐藤大介氏がメディアの人間かどうかの確認はしない。
死刑執行当日のスケジュール、普段の生活も教えてくれる。
自分たちは公務員として仕事をしているから、公開するのは当たり前だという姿勢。
死刑囚と面会するに際して、ICレコーダーとカメラは持って入ってもいいし、撮影用のライトをセットすることもできる。

400人近い死刑囚の執行に立ち会ったマイケル・グラチェクという記者にも話を聞いています。

マイケル・グラチェク記者はたぶん死刑には賛成だということですが、「政府のやっていることを監視するのが我々の仕事なんだから、これは立ち会わなきゃいけないんですよ」と言っている。

日本では死刑囚や執行について基本的に情報公開はないということを話すと、「例えば、その死刑囚が本当に死んだって誰が証明できるの」と言われる。
日本では絞首刑だが、首が切れたり、のたうちまわるとかいったことはないという法務省の説明を、どうして鵜呑みにするのかと聞かれて、佐藤大介氏は返事ができない。
当局が発表したことを、どうしてそんなに無批判に受け入れるのか、どうしてジャーナリストは疑問をはさまないのか、佐藤大介氏は自省します。

カリフォルニアで死刑廃止運動をしている人にもインタビューしています。
彼らは、有権者に問いかけるべき課題というのは具体的でなくてはいけない、感情的ではなく合理的に説明していく必要がある。と強調する。
たとえば、仮釈放なしの終身刑を導入することで、カリフォルニアでは年に1億5千万ドルの費用を節約できるというデータを示す。
そして、そのお金で、被害者への支援をする、あるいは犯罪を生み出さないよう、貧困問題や格差の問題、教育の機会などにお金を使うべきではないかと主張する。

日本の死刑の問題点
・死刑囚の実態が見えない
佐藤大介氏がテキサス州で会った死刑囚は、いろんな人と会ったり、文通をすることで死刑の恐怖から耐えることができている、全く面会者がいない死刑囚は頭がおかしくなっていると言っています。
・執行基準が明らかではない
なぜその死刑囚が選ばれたのかがわからない。

死刑廃止とは法律を変えることだと佐藤大介氏は言っていて、そうかと思いました。
法律を作り、国会の法務委員会で法案が了承され、国会で可決されないと死刑廃止はできない。
そのためには国会議員への働きかけが必要だが、それがなされていない。
なるほど、そのとおりです。

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田口真義「死刑について何を知った上で判断したのか」

2016年06月14日 | 死刑

「FORUM90」vol.146に、田口真義「死刑について何を知った上で判断したのか」という講義録が載っています。
2015年12月、裁判員裁判で判決を受けた死刑囚の中で初めて執行された津田寿美年さんの裁判をすべて傍聴した田口真義氏が一番印象に残っているのは、被害者ご遺族の存在だそうです。

とても苛烈な感情を露わにする。人定質問の時点から悲鳴のような叫び声、机を叩く、資料を投げる。津田さんが言葉を発するたびに、机を叩く、(机を)蹴る。そしてこれを裁判長も検察官も止めなかった。

裁判員3人の席からは見えているが、裁判長や他の裁判員には見えない状況だった。

被害者ご遺族の方々が感情を露わにするのにも波があって、約2週間の公判の中で泣く時もあれば、暴れるというのは言い過ぎかもしれませんが、そういう予兆みたいなものが何となく傍聴席にいても分かってくる。そういう空気が流れると、検察官がうつむきながら「したり顔」をする、ニヤリと笑うんです。

田口真義氏がショックだったのは、被害者遺族の意見陳述のとき、被害者のお孫さん(16歳の女子高生)が「犯人は消えてほしい」と言う横で、検察官はハンカチを目に当てながらニヤニヤしていること。

津田寿美年さんの裁判の裁判員経験者の話で、田口真義『裁判員のあたまの中 14人のはじめて物語』に載せていない言葉。

仮に被害者に処罰感情がなかったなら、無期になっていたと思う。死刑か無期かの境目は処罰感情なんだと思う。

田口真義氏はこう言います。

被害者が天涯孤独の、まったく無縁の方だった場合、その処罰感情はまったくないことになってしまう。そうすると、例えば同じ人数の被害者だったとしても、それが死刑かどうかの分かれ目になってしまう。


長谷川博一『殺人者はいかに誕生したか』に、裁判所は真実の解明が使命ではないとあります。
本来、法廷や裁判は、被害者のためではなく、被告人のためにあり、被告人が公正な裁判を受ける権利、つまりデュー・プロセス(適正手続き)は保障されなければいけない。
しかし、実際の裁判は真実をあきらかにする場ではなく、検察官と弁護人の闘い、駆け引きの場にすぎない。
真実を察していたとしても、検察官も弁護人も、ぞれぞれの立場から不利なことには触れない。

社会が抱く大きな誤解は、「刑事裁判によって事件の真相が明らかにされる」という思い込みだと、長谷川博一氏は言います。
量刑判断が刑事裁判の意味で、犯行心理が解明されないまま判決が下されて終わるケースが多くなる。
量刑を判断する上で専門家による調査(各種鑑定)がなされることがあるが、それは真実の究明を目的としているのではなく、判決を決める裁判の一プロセスに過ぎず、場合によって判断材料とすることがあるという程度のものだったそうです。
裁判員裁判は、儀式として一般市民が参加するだけなのかもしれません。

田口真義氏の話は興味深かったので、『裁判員のあたまの中』を読もうと探しました、図書館には納められていませんでした。
『裁判員のあたまの中』ですが、「裁判員制度はいらないインコのウェヴ大運動」というサイトによると、「本を読んだ感想を一言で言うなら「血まみれになってうれしがる人たち」」とのことです。

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佐藤大介『死刑に直面する人たち』

2016年04月23日 | 死刑

佐藤大介『死刑に直面する人たち』は死刑囚、刑務官、弁護人、法務官僚、被害者遺族、死刑囚の家族など、死刑に関わる人たちの声に耳をかたむけ、死刑に関する諸問題について考えていく本です。

刑務官の言葉です。

(元死刑囚は)部屋をいつもきれいにしていて、対応も素直でね。壁には子どもや家族の写真を貼っていて、おとなしく過ごしていた。やったことは凶悪だけど、普段接していると情は移るよ。いつも見ているのは、そんな素直なやつでしかないんだから。(執行は)ただ悲しいとしか言えない。悲惨だよ。


死刑執行が法務省で公表されるようになってから、刑務官の心のケアに一層配慮するようになった。
法務省が死刑執行を公表する際には、執行場所である拘置所名も明らかにされるので、「刑務官の家族はもちろん、親類や知人、子どもの学校にまで「死刑を行った場所に勤めている」というイメージを植えつけかねない」との懸念が生じているから。
東京拘置所処遇部長

処遇する職員はたいへんだから、ベテランの有能な人が担当として当たっています。担当職員は神経をすり減らしますから、定期的に交替しないといけません。


死刑囚の教誨師は執行に立ち会う。

教誨の活動というのはミッションだと思っています。仕事じゃなくて使命なんです。でも、自分のしたことはミッションを超えている。戦争に行ったら、こんなのとは比べものにならない惨状が広がるわけで、だからみんな精神を病むんでしょうね。


元死刑囚の母

事件後、周囲からは「死刑の家族とはつき合えん」とささやかれ、先立った夫が生前手にした退職金も「奪ったカネだろう」と言われた。後ろ指を指され続けることに耐えられず、夫と自殺を話し合った日は数え切れない。首を吊ろうとロープを手に、夫婦で夜中の山中をさまよい、そのまま朝を迎えた日もあった。生活から笑いや楽しさが失われるなか、母親は二人の被害者の名前を札に書いて壁に貼り、夫と毎日てを合わせてきた。
だが、そうした苦しみが、死刑囚となった息子に刑が執行されたことで消えるわけではない。むしろ、息子が殺めた二人の死に加え、その息子の死にも向き合うことになり、心には底知れない暗闇が広がるようだった。


早稲田大学で行われた刑事制度についての「審議型意識調査」での「日本の死刑について」のセッションで、「全国犯罪被害者の会(あすの会)」の高橋正人弁護士と、弟を殺害された原田正治さんがゲストスピーカーとして壇上に上がった。
高橋正人弁護士の発言は迫力があります。

死刑にしても被害者が生き返るわけではないから、生かして償わせた方がよいと言って死刑を廃止すべきだという論者がいる。しかし、被害者を生き返らせる方法がないなら、命をもって謝罪して欲しいというのが、被害者遺族の心情であるから廃止する理由にならない。死刑は残虐だという人もいるが、残虐の限りを尽くして殺害した加害者のことを不問にして死刑は残虐だというのは公平ではない。

死刑廃止論をこのように完全否定します。

故意に死を招いた者は死をもって償うべきだという道徳観は定着している。人の価値は平等だといって廃止を唱える向きもあるが、人の価値が平等なら、理由もなく人の命を奪った者に対してこそ死刑にしなければ、不平等である。死刑は国家による殺人だと非難する人もいるが、罪のない人を大量に殺戮する戦争を認めておきながら、少数の重罪犯に対する正当な処遇である死刑を否定するというのでは説得力がない。
誤判の虞れがあるから廃止すべきという意見もあるが、すべての殺人事件で誤判の虞れがあるわけではなく、また、誤判は、疑わしきは罰せずとの原則を貫くことで避けることができる。

いかに迫力があっても、賛成はできません。
「疑わしきは罰せず」が原則だといっても、実際には冤罪事件が生じているわけで、誤判を避けることが本当にできると、あすの会の会員が信じているとすれば、事実を見ないようにしているとしか思えません。

刑法の本を読んで、まずはなんて書いてあるか。応報なんです。復讐してやりたいというのが犯罪被害者の遺族です。でも、それはできないから、国家にその無念を晴らしてもらいたいと思っている。生きて償わせればいいという意見もあります。でも、真人間になっても殺された息子は帰ってこない。だから死んで償ってくれと思うのです。その応報の気持ちが忘れられてしまっている。更生はいいことだけど、それは被害に遭っていないわれわれには関係ないのです。更生しようが関係ない。だから、死んで償ってくれと。

被害者遺族の感情で死刑か無期か有期かを決めるべきだと、高橋弁護士たちは考えているのでしょうか。
犯罪者の更生が被害に遭っていない私たちと無関係であるはずはありません。
被害者であろうと、被害者でなかろうと、社会の中で生活しているわけですから。
それと、「死んで償ってくれ」と言いますが、加害者が自殺しても「死んで償ってくれた」とは思わないでしょう。

被害者がみんな厳罰を望んでいるわけではありません。

片山徒有さん「被害者はみな加害者への厳罰を望んでいると思われがちですが、決してそうとは限りません。同じ被害者を出さないことが、一番の望みなのです。「被害者は厳罰を望んでいる」と周囲が決めつけるのは、被害者家族にとって大きな負担になるのです」

社会から犯罪を減らすためには厳罰よりも、社会復帰できる環境作りが重要だと思います。

政府による死刑制度に関する世論調査だと、死刑賛成の人が多いのですが、質問の仕方に問題があります。
1956年~1989年の質問。
「今の日本で、どんな場合でも死刑を廃止しようという意見にあなたは賛成ですか、反対ですか」
回答(1)賛成
  (2)反対
  (3)わからない

1994年~2009年の質問。
「死刑制度に関して、このような意見がありますが、あなたはどちらの意見に賛成ですか。」
回答(1)どんな場合でも死刑は廃止すべきである
  (2)場合によっては死刑もやむを得ない
  (3)わからない・一概に言えない

2014年の質問。
質問「死刑制度に関して、このような意見がありますが、あなたはどちらの意見に賛成ですか」
回答(1)死刑は廃止すべきである
  (2)死刑もやむを得ない
  (3)わからない・一概に言えない

1994年~2009年の質問は「どんな場合でも」と「場合によっては」との選択だから公平ではないという批判がありましたが、1989年までの「どんな場合でも」や、2014年の「廃止すべき」と「死刑もやむを得ない」も似たようなものだと思います。

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