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三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

石原慎太郎と田母神俊雄

2009年08月29日 | 日記

遊説録:出来の悪い総理--石原慎太郎・東京都知事
 ◇石原慎太郎・東京都知事
 出来の悪い総理大臣をいただいたもんだから、東京都議選も大変だった。漢字読めないというのは情けないよ。人の応援に来て「必勝を期して」じゃなくて「惜敗を期して」がんばるなんて言うんだから。人間はね、やっぱり人にバカにされる、軽蔑されるのが一番怖い。自民党がそうなっちゃっている。(福岡市での応援演説で)
)(毎日新聞8月27日
麻生首相は好きではないが、それにしても石原都知事はホントやな奴だと思う。
誰の応援をしてたのやら、まさか民主党ではないだろうしと思って調べたら、自民党山崎拓氏だった。
石原都知事大放言「小沢一郎大っ嫌い」
 石原慎太郎東京都知事(76)が27日、福岡2区で大苦戦している自民党山崎拓氏(72)の応援に駆けつけ、民主党をメッタ切りにする“過激演説”でテコ入れした。同党小沢一郎代表代行(67)を「大っ嫌い」「絶対許せない」。鳩山由紀夫代表(62)の政治資金虚偽記載問題にも「完全に詐欺」とバッサリ。公示後、石原氏の街頭応援演説は初めて。
 正午すぎ、多数の聴衆が集まった福岡・天神の広場に登場した石原氏は「小沢一郎って人が大っ嫌いだ! 彼ほどアメリカの言うことを聞いて聞いて聞いてきた政治家はいない」と噴火。過去の外交エピソードに「許せない。国を売った人間」。鳩山氏の政治資金虚偽記載問題に触れ「完全に詐欺でしょ? 脱税でしょ?」と断言。鳩山氏のいう日本に住む外国人への参政権の話には「この国を売られたらかなわない。私は絶対嫌だ」と述べた。
 麻生太郎首相をも「できの悪い総理大臣いただいたものだから(7月の)都議選なんか大損くっちゃった。漢字読めないって情けないよ」。山崎氏は民主党稲富修二候補のキャッチフレーズに触れ「対立候補は『変えなあかん!』と関西弁で言ってますが、私は『変えたらいかんばい!』と博多弁でこたえたい」と語った。
日刊スポーツ

麻生首相の失言は天然というところがあるが、石原都知事の発言は受けを狙った意識的なものだと思う。
その点では田母神俊雄氏も負けてはいない。
田母神俊雄氏:広島平和式典列席者「左翼ばかり」 宮崎での衆院選応援演説で発言
 ◇“持論”が波紋、被爆者からは批判の声
 田母神俊雄・元航空幕僚長は25日、衆院宮崎1区に立候補している無所属前職の応援演説で宮崎市を訪れ、広島原爆の日の6日に広島市で開催された平和記念式典の列席者について「被爆者も2世もいない。左翼ばかりだ」などと述べた。これに対し、広島、長崎の被爆者からは批判の声が上がっている。
 田母神氏は演説で6日に広島市で講演したことを紹介。さらに平和記念式典について「慰霊祭は左翼運動。あそこに広島市民も県民もほとんどいない。原爆の被爆者も2世もいない。並んでいるのは全国から集まった左翼。一部政治勢力が日本弱体化を図っている」などと述べた。
毎日新聞8月26日

こういうことを言うと批判されるだろうが、喝采する人も少なくないと田母神氏はちゃんと計算した上での発言だと思う。
田母神俊雄公式HPによると、田母神氏の講演は6月10回、7月9回、8月12回、9月13回と目白押し。
12月1日ハーバードクラブでの講演会に合わせて、11月29日~12月4日のニューヨーク講演ツアーまで企画されている。
人気者なのである。

そもそも「大東亜戦争は侵略戦争ではなく、中華民国やアメリカを操ったコミンテルンによる策謀が原因である」なんて論文を現職の航空幕僚長が書いたら議論を呼ぶだろうことを十分承知の上で懸賞に応募したのは退官後を考えてのことかもしれない。
そして、狙い通り有名人になってあちこちに引っ張りだこになった。
田母神氏はあなどれない人なのである。

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『親鸞』と梵天勧請1

2009年08月28日 | 仏教

『親鸞』は5人の先生方が書いた本。
小川一乗「回向」と竹橋太「本願」に、梵天勧請といって、成道後、教えを説くことをためらった釈尊に梵天が説法するよう勧請したという話について書かれてある。

なぜ釈尊は説法することに躊躇したのか、小川一乗師はこのように説明する。
「説法しても徒労におわるのではないかという絶望に陥ったということはどういうことであろうか。
それは私たちは、この世間のことだけが都合よくいけばよいと、この世の中から貧困がなくなり、病気がなくなり、戦争がなくなればと、世間のことだけを大切にしているヒューマニズムを信奉している人びとに、「害をなすのではないか」と考え、説法することへの絶望が生じたのである」

小川一乗師のヒューマニズム嫌いがよくわかる。
だったら釈尊はヒューマニスト以外に説けばいいのにということになる。

ヒューマニズムについて、小川一乗師はさらにこのように書いている。
「世間がよくなれば人間は幸せになれると思い込み、私たちは、この世間をいかに安楽に生きようかということに没頭している。これが私たちの普通の生き方である。それはヒューマニズムによる人間世界であり、死を問わない現世主義に基づいている生き方である」
「慈悲も智慧を前提としなければ、単なる人情として愛したり悲しんだりするヒューマニズムに陥る」

じゃ、仏教はどういうことを説いているのか、慈悲とは何かというと、
「私たちの愛や悲しみといった人情(ヒューマニズム)の根底にあるのが如来の大悲であるということではなく、私たちの人情を打ち破るのが如来の大悲である」
「阿弥陀如来の慈悲は、「すべてはゼロ(空)である」という真実に目覚めさせるはたらきとしての無縁の慈悲であり、それを大いなる慈悲、すなわち、大悲というのである」

うーん、だからそれでどうしたと思う私でした。

「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」わけで、状態が変わることが救いなのではないし、仏教はそういうことを問題にしているのではないことはわかるつもりである。
だけど、どうして小川一乗師はわざわざヒューマニズムという言葉を使ったのかと思う。

上山大峻「念仏」は小川一乗師の考えとは違うことが書かれてある。
「たしかに、人のに苦しみを救うために何かを為そうとしても人間の努力では何もできなかった時代においては、念仏の広がることこそが苦悩の人々を救う方法であったであろう。しかし、現在では医療や科学技術が発達してある程度の直接的な救済もできるようになった。一切のいのちあるものの幸せと安穏を願った阿弥陀如来や親鸞の真意をくみとって、如来より与えられた智慧と慈悲にみちびかれるながら、およばずながら現実的な苦悩解決へ努めていくことも、今日に生きる念仏行者の「御恩報謝」のあり方であろう」
もっともだと思う。

よいサマリア人についてある神父さんの話を聞いた。
ヒューマニズムかもしれないが、小川一乗師よりよほど説得力がある。

すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが「律法には何と書いてあるか」と言われると、彼は答えた。「「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また隣人を自分のように愛しなさい」とあります」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば正しい命が得られる。」
しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、私の隣人とは誰ですか」と言った。
イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下っていく途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じようにレビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』
さて、あなたはこの3人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
(ルカ福音書10章25節~37節)
「聖書の民たちにとって人生の中心は天地の創造主です。それから自分たちの歴史を導いてくださる唯一絶対超越的な神様の意思に従って生きることが人間の幸せだと考えたわけです。神の意思は律法を通して示されます。典型的なのがモーセの十戒ですね。
イエスの時代にはモーセの十戒以外に主な律法が617ぐらいあったと言われています。みんなは律法がわからないので、専門家が人々に説いてあげていました。律法の専門家とはそういう人のことです。
ところが、律法に説かれている文字にとらわれてしまうと、神様の本当の意思がどこにあるかを忘れてしまう危険性が起こってくる。イエスはそういうことに対してかなり厳しい批判をしています。
律法の専門家が「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と尋ねます。永遠の命とは言葉を換えれば、「人間、何のために生きているんだろうか」という問いと考えてもいいと思うんですね。生きるために何が一番大切なんだろうか、どういう生き方をすれば本当に幸せな生き方と言えるんだろうか、といった問いをイエスの時代の言葉で言うとこういうことになります。
イエスは「律法には何と書いてあるか」と逆に問います。すると、律法の専門家は「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」ということだと答えます。それに対してイエスは「正しい答えだ」と言い、そして「それを実行しなさい。そうすれば正しい命が得られる」と言われた。ここがポイントです。わかっただけではだめなんだということです。
それで律法の専門家はさらに「では、私の隣人とは誰ですか」と聞くわけです。誰が仲間なのか。そういう問いかけです。そこでイエスがたとえ話をされます。
道ばたに、追いはぎに襲われて服をはぎ取られ、半殺しにされた人がいた。そこにまず最初に祭司がやって来た。その人を見ると、祭司は道の向こう側を通って行った。二番目にレビ人が来た。やはり道の反対側を通った。三番目に来た人がサマリア人。サマリア人は「その人を見て憐れに思い、 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した」。そして、お金を払って「また帰りがけに寄ってみます。費用がもっとかかったら払います」と言った。
そういうたとえ話をイエスはされたんですね。ここにイエスの思想の中心に関わることが説かれています。
祭司とは、エルサレムの神殿で宗教活動を司る人です。レビ人は、神殿で祭司のアシスタントをする人たち。二人とも神様に一番近い人たちです。この人たちは傷ついた人に気がついたから、わざわざ道の反対側を通った。
サマリア人は一言で言えば、正統的なユダヤ人から見たら穢れた人たちとして差別を受けていた人です。イスラエルがアッシリアに占領され、移民してきた人との間に生まれた人たちをサマリア人とよんだんです。ユダヤ人は選ばれているから純血を誇っていました。ところがサマリア人は征服してきた民族と混血してしまったということで差別された。サマリア人に近づいたり、声をかけたり、同席したりすることは正統的ユダヤ人からするといけないことだったんですね。サマリア人という、人間と思われていない人が素晴らしいことをするというたとえ話をイエスがするわけですよ。
イエスは「さて、あなたはこの3人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」と聞きます。律法の専門家は困って、「その人を助けた人です」と答えた。これもうがった読み方をすれば、「サマリア人」とは口にもしたくなかったから、「その人を助けた人です」と言い換えている。そこで、イエスは「行って、あなたも同じようにしなさい」と言います。中心は助けを必要としている人であり、その人にどう関わっていくかが大切なんです。
「憐れに思って」と訳されている言葉は、もともとは「はらわた」という言葉なんです。「断腸の思い」というとちょっと違いますけど、倒れている人を見て内臓が我慢できなくなる。見て、じっとできなくて、行動を起こす。目の前にいる傷ついた人に近寄っていく。
律法よりもっと大切なものがある。神殿よりもっと大切なものがある。じゃ、何が大切なのかというと、それが次のたとえ話です。
「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊に分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。
そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』
すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えているときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』
すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』
そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』
こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」
(マタイ福音書25章31節~46節)
最後の審判で天国と地獄に行く者に分けられる。その分ける基準は何なのかというたとえ話です。
天国に受け入れられた人たちに「わたしがお腹をすかせていた時に食べ物をくれたから、お前たちは天国に迎えられた」と神様は言うわけです。そうすると受け入れられた人たちは「いつ私はあなたがお腹をすかしていた時に食べ物をあげたでしょうか」と言ってるように自覚が全くない。すると、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と神様は答えます。つまり善いサマリア人です。
天国に入れられた人は宗教的にいいことをしようとかじゃなくて、お腹をすかしている人が目の前にいたから、その人に食べ物をあげた。神様のためにとか、そういう意識は全然ないんです。傷ついた人がいたから、その人に何かできないかと近寄った。
カトリック教会はたびたび間違った方向に行くんですけど、サマリア人のたとえを大切にして社会事業や福祉事業にも関わっていこうとする。それはこういうことがあるからなんです」

傷ついた人を介抱すること、お腹をすかせた人に食べ物をあげることは世間のことだ、仏教とは関係ない、ということにはならないと思う。

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映画における少子化について

2009年08月25日 | 映画

小説や映画の主要登場人物には一人っ子が多いことに気づいた。
今年読んだ本や見た映画でいうと、『ロリータ』のロリータとハンバート・ハンバート、『西の魔女が死んだ』は母親と娘が一人っ子だし、『レディジョーカー』は一人っ子同士が結婚して生まれた一人っ子が一人っ子(たぶん)と結婚しようとしてという話。
最近の映画だと、『ハリー・ポッター』『色即ゼネレーション』『エヴァンゲリヲン』などなど。
『愛のむきだし』となると主要人物三人とも一人っ子だし、『ダイアナの選択』は二人と娘が一人っ子、『HACHI』は一人娘に一人息子、『サマーウォーズ』は大家族が舞台なのに主役の二人はたぶん一人っ子。
一人っ子の割合がどの程度か知らないが、フィクションの世界では異様に多いように思う。

なぜ一人っ子が多いのかというと、兄弟がいると物語が成立しないというのがまずある。
たとえば『犬神家の一族』は長女と次女は息子が一人ずつ、三女は息子と娘。
もしもこの三姉妹が多産系で子供がごろごろいたら、犯人は全員殺さないといけないから大変である。
それと映画には一発妊娠の法則というものがあり、そのいい例が『ターミーネーター』。
もしも妊娠しなかったら物語自体が成立しないし、続編が作られることもない。
あるいは、『ガマの油』のように子供が死んだという物語だと、死別のつらさは子供が一人でも複数でも同じだが、何人か子供がいたらそちらの気持ちも描く必要があるので、親に焦点を絞ることができない。
『ポチの告白』のような低予算映画だと、子役の出演料を少なくするためという気がする。

そういえば片親家庭も映画には多いように思う。
スピルバーグ作品の多くは父親が不在だし、『ターミネーター』も母親が一人で育てるし、『ボルト』の女の子はテレビドラマでも実生活でも片親だし、『レスラー』の主人公は一人娘に愛想づかしされてるし、『ウルトラミラクルラブストーリー』は祖母と孫の二人暮らし。
これも片親じゃないと物語が成立しないということがある。
『リリイ、ハチミツ色の秘密』、父親と二人暮らしの娘に母親がいたら旅に出ることはない。
『チェイサー』、少女に父親や兄弟がいたら主人公は少女を連れ歩くことはない。

それで思いだしたのが、小津安二郎の映画で主役は再婚しない。
『一人息子』『秋日和』などは母親、『父ありき』『東京暮色』(陰々滅々さと父親の無神経さがたまらない傑作)『晩春』などなどは父親が一人で子供を育てる。
再婚話があったろうに、どうして再婚しなかったかと思う。
小津安二郎が独身だったことと関係があるのだろうか、不思議です。

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償いと更生の間 死刑囚

2009年08月22日 | 死刑

正義のかたち:償いと更生の間/6 死刑囚
 受刑者の処遇について刑事収容施設法は「改善更生の意欲を喚起する」と明記する。死刑確定者については「心情の安定を得られるように留意する」とあるだけだ。それは時に、極刑を宣告された人間が更生を拒絶する理屈にもなる。
 <死を受け入れるかわりに反省の心をすて、被害者・遺族や自分の家族の事を考えるのをやめました>
 女性を巡るトラブルから2人を殺すなどした尾形英紀死刑囚(31)は08年、東京拘置所から「フォーラム90」のアンケートに答えた。07年に自ら控訴を取り下げ、死刑判決が確定している。
 <俺にとって反省する必要ないから死ねということです。人は将来があるからこそ、自分の行いを反省し、くり返さないようにするのではないですか>
(毎日新聞7月5日)

いささか古い記事であります。
尾形死刑囚の言ってることはもっともだと思う。
「悔い改めて自ら犯した罪を反省して納得して胸を張って死刑を受け入れることに意味がある」と言う人もいるけれども。
我々は死刑囚に何を期待しているのだろうか。
罪を悔いながら生きる人か、それとも反省のかけらもない人か。

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「皇后陛下御話」

2009年08月19日 | 日記

某氏より出雲大社教から出された「皇后陛下御話」という冊子をいただく。
「第二十六回IBBYニューデリー大会(一九九八)基調講演
  子供の本を通しての平和
    ―子供時代の読書の思い出―
           美智子」
と扉ページにある。
ネットで『子供の本を通しての平和』が読めます。

「皇后陛下御話」のおしまいに、「産経抄」が引用されている。
きのう64才になられた皇后さまにとつて、この一年の明るい出来事は長野パラ五輪の“ウエープの輪”だったとか。「見るのもするのも初めてのことで、どうかしてこれをつなげなければと…」と話されていた ▼その皇后様の「子供時代の読書」をめぐる初の御講演が話題になっている。国際児童図書評議会の世界大会での基調講演でテレビでも放映された。全文は文芸春秋11月号に掲載されており、それを読んで深い感銘を受けた ▼まず大会の主題である「児童文学と平和」について、皇后様は「必ずしも直線的に結びついているものではないでしょう」とおっしゃっている。「一冊、又は数冊の本が平和への扉を開ける鍵であるというようなことも、あり得ません」。“平和主義者”が思いこみがちな買いかぶりを戒めておられるのだった ▼皇后様の子供時代は疎開生活という特殊な環境にあり、わずかな本しかお持ちでなかった。その時お父上から贈られた太古の物語を面白く読まれたという。「一国の神話や伝説は、正確な史実ではないかもしれませんが、不思議とその民族を象徴します」 ▼それに民話を加えると、それぞれの国や民族がどんな自然観や生死観を持っているかがうっすらとわかるのです、と語られていた。その一つが倭健御子 (やまとたけるのみこ) と弟橘比売命 (おとたちばなひめのみこと) の物語で、「いけにえ」という酷 (むご) い運命を進んで受け入れた悲しい美しさを学ばれたという ▼愛と犠牲と。その二つのものが、むしろ一つのものに感じられたというのである。この「自己犠牲」という行動こそ戦後の日本人に欠落した道徳であり、戦後民主主義が全く教えることをしなかった規範ではないだろうか。(『産経新聞』「産経抄」平成10年10月21日より)

ええっと思いましたね。
「大会の主題である「児童文学と平和」について、皇后様は「必ずしも直線的に結びついているものではないでしょう」とおっしゃっている。「一冊、又は数冊の本が平和への扉を開ける鍵であるというようなことも、あり得ません」。“平和主義者”が思いこみがちな買いかぶりを戒めておられるのだった」
一冊の本で世界が平和になると思っている“平和主義者”がどこにいるのだろうか。
それこそ「産経抄」の思い込みではないか。
「この「自己犠牲」という行動こそ戦後の日本人に欠落した道徳であり、戦後民主主義が全く教えることをしなかった規範ではないだろうか」
これも深読みかと。
出雲大社教の方たちは「産経抄」に書かれてあることはもっともだと思ったんだろう。
しかし、こういう駄文でせっかくの話をつまらぬものにおとしめてしまった。
天皇や皇族の発言を自分の主張に利用するために歪めるのはやめるべきだと思う。

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服部龍二『広田弘毅』

2009年08月16日 | 戦争

小学6年生のころ、新聞の縮刷版を見ると、東京裁判の判決が下った日の記事があり、絞首刑を宣告された瞬間の被告たちの写真が載っていた。
その中で、広田弘毅は人の良さそうなおじいさんという感じで、一体どういう悪いことをしたんだろうか、信じられないと、小学生の私は思った。

それから20年ぐらいして城山三郎『落日燃ゆ』を読み、広田弘毅はやっぱりいい人だったんだと思った。
人間味あふれ家族思いの高潔な人物、近衛文麿や松岡洋右の代わりに絞首刑になった悲劇の人物、東京裁判では沈黙を守って超然として死刑判決を受け入れた…、そういうイメージが『落日燃ゆ』によって作られた。
ところが服部龍二『広田弘毅』を読み、考えが変わった。

服部龍二氏は広田弘毅に対してかなり厳しい。
たとえば、盧溝橋事件の際、外相の広田の煮え切らない態度に外務省の部下は失望している。
石射猪太郎東亜局長は日記に「広田外務大臣がこれ程御都合主義な、無定見な人物であるとは思わなかった」とまで書き、石射は辞表を提出した。
「このころの広田は、大陸に矛先を向ける陸軍と、それを支える時流に抗する気力を失いつつあった」
と服部龍二氏は言う。

広田弘毅が絞首刑になった理由の一つが南京事件である。
「そのころ日本の占領する南京では、いまわしい事件が起きていた。南京事件である。もちろん広田は、南京事件の情報を外務省出先から得ていた。上海に避難していた福井淳南京総領事代理が南京に戻ったとき、福井が最初に送った現地報告は南京事件についてであった。さらに岡本季正上海総領事が、書面で南京事件を詳報した。そのほか、南京駐在の外国人で組織された南京安全区国際委員会からの抗議も、南京総領事館を経由して外務省の本省に寄せられた。東亜局第一課の部屋には、報告書や写真が山積みとなった」
驚いた広田弘毅は陸軍省軍務局に厳重注意を申し入れたし、杉山陸相に軍紀粛正を要望したが、閣議では南京事件を提起しなかった。
そのため、「閣僚の多くは南京事件について知らされずにおり、のちの東京裁判では広田の「犯罪的な過失」とみなされたのである」
広田弘毅の後に外相になった宇垣一成は「広田の無為無気力」「無為無策」と日記に書いている。

そして、1942年11月29日の重臣会議で、対米開戦もやむなしという重臣の一人が広田弘毅であり、昭和天皇は「全く外交官出身の彼としては、思いもかけぬ意見を述べた」と冷評している。(『昭和天皇独白録』)
政治学者の猪木正道は「駐日ドイツ大使に条件を示して和平のあっせんを頼みながら、南京攻略後の閣議では、真っ先に条件のつり上げを主張するなど、あきれるほど無定見、無責任である。城山三郎氏の『落日燃ゆ』には、広田のよい点が強調されているが、一九三六年のはじめころから、広田は決断力を失ったのではないかと思う」と批判している。
猪木正道の本を読んだらしい昭和天皇は首相だった中曽根康弘にこう語っているそうだ。
「猪木の書いたものは非常に正確である。特に近衛と広田についてはそうだ」(岩見隆夫『陛下のご質問』)
オフレコでの発言がこういう形で公になるのだから、昭和天皇も大変である。

東京裁判で証人台に立たなかったのは広田弘毅だけではなく、9人いる。
「もしも広田が証人台に立っていたらどうだろうか。検察側は、日中戦争初期に兵力の動員を閣議決定したことや、南京事件を閣議に提起しなかったことを追及し、広田はこれを認めざるをえなかったであろう。
証言台に登らなかったことが美談のようにいわれるものの、仮に広田がみずから証言していたとしても、有利に作用したとは限らない」

と服部龍二氏は言う。

広田弘毅は首相の器ではなかったのかもしれない。
服部龍二氏は次のように厳しい評価を下している。
「広田は、二・二六事件後の組閣などで粘りをみせたにせよ、総じて首相や外相のときに命を賭するような態度に出なかった」
「悲劇の宰相とみなされがちな広田だが、破局へと向かう時代に決然とした態度に出なかった。広田が悲劇に襲われたというよりも、危機的な状況下ですら執念をみせず消極的となっていた広田に外相や首相を歴任させたことが、日本の悲劇につながったといわねばなるまい。
あの戦争の責任を広田にだけ負わせるのはもちろん公平ではないし、極刑は過酷だったと思うが、少なくとも責任の一端は広田にあったと考えざるをえない」
「広田はむしろ軍部に抵抗する姿勢が弱く、部下の掌握もできずにおり、そしてポピュリズムに流されがちであった」

ポピュリズムということだが、大衆に迎合する政治家は今も少なくないし、またそういう政治家は人気が高い。
「時代の先行きがみえなくなったとき、ともすると人心はカリスマ的な指導者を待望し、軍事力による国威の発揚を求める。国民に祭り上げられた指導者もまた、脆い政治基盤と責任感のなさから大衆に迎合しがちとなる。だが、強硬策によって政権を維持したとしても、それは一過性のものにすぎない。やがてそのつけは、政府だけでなく国民にも重くのしかかっていく」
こうしたポピュリズムの例として服部龍二氏は近衛をあげているが、小泉元首相も似たようなものだし、橋下知事、東国原知事人気も同じ。
衆議院選挙を控え、各党とも人気取り公約をぶち上げているが、考えてみると危険なことだと思う。

「(広田が外相を辞任した)このようないきさつは、軍部の暴発に広田が押し切られたという図式だけで説明しうるものではなく、高揚する世論に靡いたところが大きい。しかもその世論は、少なからず近衛内閣がたきつけたものであった。ただでさえ国民は、非常時であるほど長期的な見通しよりも感情に流されがちである。そのようなときこそ外交指導者は、勇気をもってポピュリズムや世論から距離を保たねばならない。しかし広田の外交は、強い意志を感じさせるものではなく、むしろ日中戦争が長期化する一員をつくったといわねばなるまい」

服部龍二氏自身も『落日燃ゆ』を読んで広田弘毅に関心を持ったという。
「しかし、研究に着手してみると少しずつ違和感を覚えるようになり、やがて同書への畏敬の念は薄らいでしまった」
『落日燃ゆ』は事実と違っている部分がかなりあるそうだ。
「歴史小説で主人公を同情的に記すのは自然だとしても、そのような小説が日本人の広田像となり、ひいては日中戦争や東京裁判に対する国民の歴史観を形成してきたとすればどうであろうか」
司馬遼太郎の小説にも当てはまると思う。

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「一般市民には重い」「苦しい制度」 2例目裁判員会見

2009年08月13日 | 厳罰化

「一般市民には重い」「苦しい制度」 2例目裁判員会見
 全国で2例目となる裁判員裁判を終え、記者会見に応じた裁判員たち。被告に懲役4年6カ月の判決を宣告し、緊張から解かれた表情で語る言葉には、一人の人生を考え続けた3日間の重みがにじみ出た。
 さいたま地裁内で12日開かれた記者会見には、裁判員6人に加えて補充裁判員2人も参加した。
 「大変疲れました」。感想を問われ、1人が口を開いた。被告人質問では積極的に質問を繰り返していた裁判員3番の男性だ。「やっぱり重いです。一般市民には非常に重い作業だった」「とても興味本位でやることではない」
 今回の事件の焦点は、被告の刑の重さをどの程度にするかに絞られていた。まだ有罪か無罪かを真っ向から争う裁判員裁判は行われていない。
 「(他の裁判員が)これから有罪か無罪かを決めることを考えると、非常に重くて苦しい制度だなと思う」。1番の男性は、こう語った。さらに、有権者から無作為に選んで審理に参加させる仕組みについて「苦労を強いている。回数を積み重ねることでみえた課題は、改善していただきたい」と要望した。
 4番の男性は67歳。高齢者が参加する場合の負担の重さに触れた。「孫には『じいちゃん、大丈夫か』とさんざん聞かれた。もっと若いときにこういう体験をさせていただければよかったと思う」
 今回の審理は3日間。出廷した証人は被害者1人だけだった。2番の男性は「精神的にきつかった」と話したうえで、「ふつうのけんかのように両方の話を聞いてから、もう一度聞き直すということができないのが、どうだったのかなと思った」と、短い審理期間の限界について語った。
 他の裁判員や裁判官と話し合った内容は明かしてはならない決まりだ。4番の男性は「『守りたい』としかいえないと思いますが、まあ、どうでしょうかね。つらいところです」と実感を込めた。
朝日新聞8月13日

「やっぱり重いです。一般市民には非常に重い作業だった」「とても興味本位でやることではない」という言葉が重い。
そのほかの感想も裁判員制度の欠陥を指摘しているように思う。
もっとも最初の裁判員裁判では「いい経験」と答えた裁判員もいる。

「ほっとした」「いい経験」裁判員が会見
 全国初の裁判員裁判となった東京都足立区の路上殺人事件で、東京地裁での判決言い渡しを終えた裁判員経験者ら7人は、6日午後3時40分ごろから約1時間、記者会見に臨み、「ほっとした」「いい経験になった」などと感想を語った。
読売新聞8月6日

うーん、こちらの感想は軽いというか、他人事のように思う。
懲役15年といっても、被告の年齢からいって無期懲役と変わらないのだから。
事件の中身の違いだろうか。

2番目の裁判員制度では、弁護側はこういう主張をしている。
弁護人「三宅さんは会社の資金繰りをつけようと努力しました。しかし、次第に資金繰りは悪化していきました」
 《さらに、弁護人は、三宅被告が「ヤミ金融業者」からも借金をしてしまい、返済の苦しさが増していった経緯を述べた。これは検察側が「暴力団の組長から」としていた借金のことだ》
 弁護人「三宅さんは、ヤミ金融業者への返済も苦しくなっていきます。この業者は暴力団でした。このため、三宅さんは『お金が返せなかったら若い衆になれ』といわれるなどしました。この三宅さんの危機を救ったのが被害者でした」
 《被害者が三宅被告に金を貸し、窮状を救った経緯を説明する弁護人。一方、その貸し付けの条件があまりにも“過酷”だったことを強調する》
 弁護人「お金を借りる際の利息は月1割。年で120%の利率でした。また被害者はお金を貸す際に三宅さんの母親らの住所を聞き、返せない場合は家族に請求すると言いました」
 《さらに、弁護人は、金を貸した被害者が三宅被告に対して行った“仕打ち”を説明し、理不尽さを際だたせようとする》
 弁護人「被害者は三宅さんに対して、理由もなく突然呼び出したり、殴るけるの暴行を加えたりしました。それでも、三宅さんは危機を救ってくれた被害者に感謝し、お金を返さないといけないと考えていました」
産経新聞8月10日

正直、どっちもどっちという感じがする。
被告が被害者から暴行を受けた時点で警察に届けていれば、被告と被害者の立場が変わっていたわけである。
殺人未遂に対して懲役4年6月が適当かどうか「市民感覚」ではわかるはずがない。
これが無罪を主張している被告に死刑判決を出すとなると、「重い作業」ではすまないと思う。

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全国初の裁判員裁判

2009年08月10日 | 厳罰化

「レベル高い」「市民感覚反映」=傍聴の法曹関係者ら-裁判員裁判
 全国初の裁判員裁判の終了後、傍聴した法曹関係者や被害者団体代表らは、審理の感想を語った。
 元東京地検特捜部検事の堀田力弁護士は「裁判員のレベルが非常に高く、的確な質問をしていた。プロが見ても大事だと思う点を、しっかりと質問していた」と裁判員を高く評価。「初日は緊張していたようだったが、2日目以降は集中し、リラックスして見えた」と述べた。
 一方で、「裁判員がいい質問をしたということは、検察官や弁護士がその質問をしなかったいうこと。今後はプロがもっとしっかりしなければならない」とした。
 「全国犯罪被害者の会」(あすの会)代表幹事の岡村勲弁護士は懲役15年とした判決を「軽い」と批判。「検察の求刑が低すぎることもあるが、遺族の悔しい思いからすると、市民がもっと被害者の立場を思ってくれていいのでは」と残念がった。
 「被害者と司法を考える会」の片山徒有代表は「裁判員が果たした責任は非常に大きかった。質問には市民感覚が反映されていたし、大成功だ」と絶賛。
時事通信8月6日

初の裁判員裁判の私の感想は「ほめすぎ」と「重い」。
どんなことでも最初から完璧ということはあり得ないわけで、問題点がないか検証して、あれば改良していくべきである。
片山代表のように「大成功だ」とほめちぎるのもどうかと思うし、「市民感覚」というわけのわからないものは信用できない。
岡村弁護士は「市民がもっと被害者の立場を思ってくれていいのでは」と「市民感覚」に不満をもらしているが、識者や法曹関係者は重い判決だと考える人が多いようで、どういう判決が出たら岡村弁護士としては満足なのだろうか。

重い判決は被害者参加制度の影響が大きいと思う。
産経新聞も「裁判員裁判 “相場”縛られぬ量刑 被害者に心情傾きがち?」とある。
 初めて一般人が参加した裁判員裁判の判決は、求刑の懲役16年に対し、“満額”に近い懲役15年だった。一般的な判決では「求刑の8割程度。今回は12~13年」(法曹関係者)だという。元検察幹部や弁護士など裁判のプロは、この判決について「市民感覚を反映」と評価する半面、「被害者側の心情に傾いたのか」と推測する声もあった。(略)
 弁護士で慶応大教授(刑事訴訟法)の安冨潔氏は「これまでの刑事裁判に比べれば重いというイメージがあるが、裁判員裁判ではこれくらいかな、という予想はしていた。一般人である裁判員は、どうしても被害者の側に心情が傾きがちだ」と説明する。
 その上で「今回は被告が犯行を認めている。理由がどうあろうと事実は変わらないため、被告が裁判員の同情を引くことは難しい。弁護戦略は難しくなるかもしれない」と述べた。


「弁護戦略」ということだが、毎日新聞によると、「弁護側、作戦が裏目」とのこと。
 初の裁判員裁判が導き出した結論は懲役15年だった。6日東京地裁で言い渡された隣人殺人事件の判決。「懲役13年前後」とみていた関係者からは「予想より重かった」との声が上がった。弁護側は苦悩し、検察首脳は満足げな表情を見せる。立証手法、公判の進め方、そして判決……。新しいかたちの裁判は、多くの教訓や課題も残した。
 「被害者とのトラブルの真相を明らかにしようとしたことが、裁判員には『被告に反省の態度がない』と映ったかもしれない」。判決後に会見した伊達俊二弁護士は渋い表情で語った。
 弁護団が裁判所の量刑データベースを利用して同種事案を検索すると「求刑は13~15年」と予想された。実際の求刑は懲役16年。弁護団は判決前「前科もあるので、ありうる数字」と納得していた。
 ここから導かれる判決の目安は懲役13年前後。しかし判決は懲役15年で、ベテラン刑事裁判官は「ちょっと重いのかな」と語り、ある検察幹部は「12~14年だと思っていた」と予想を上回る判決だったことを認めた。
 弁護側の作戦は(1)以前から、被害者側がバイクや植木鉢を道路にはみ出して置いていたことに被告が腹を立てていた(2)犯行当時、被害者側が「生活保護を受けているくせに」などと被告をばかにし、「やるならやってみろ」と挑発、被告の肩につかみかかろうとした--など被害者側の「落ち度」を立証し、情状酌量を求めるというものだった。
 しかし、判決は植木とバイクの件は認定したが「やるならやってみろ」との発言を「信用できない」と退け、その他については判断しないまま「殺人を誘発するような言動は認められない」とした。さらに「反省しているのか、と疑いを持たれる様子もある」とまで述べ、作戦が裏目に出た形だ。
 「主張が裁判員に伝わりにくかったのでは」という記者の質問に、伊達弁護士は「そうだと思う。不満と謝罪の両方があることを訴えたのだが、一般的には『余計なことを言わずに謝ればいいのに』と考えるだろう」と答えた。
 被告は最終意見陳述で「特にございません」とだけ述べた。ある現役ベテラン裁判官は「プロの裁判官なら、こうした被告でも反省の態度をくみ取る。しかし裁判員は法廷の状況のみから心証を形成する。あっさりした受け答えを見て『反省していない』と判断したのだろう」と分析した。

だったらどういう弁護をすればよかったのだろうか。
隣人をナイフで刺殺したという起訴事実を被告人が認めているという単純な事件であっても、隣人とのトラブル、犯行の動機、殺意その他で検察と弁護側の主張が食い違っている。
被害者やその家族と被告との普段の関係はどうだったのか、どうして被告は激昂したのか、そうしたことを弁護側はとりあげて強調せざるをえない。
けれども、それが裁判員にとっては被害者や遺族を傷つけているように感じ、そうして被告は反省していないと考えたとしたら、ただひたすら「ごめんなさい」と謝る弁護しかできないことになる。

裁判員制度に賛成している人は冤罪が減ることを期待している。
でも、最初の裁判員裁判だからみんな注目しているが、次々と行われるようになれば、マスコミ等は一つ一つの裁判に関心を持たなくなるだろうし、裁判員に選ばれた人も今回の方たちのような緊張感を持たなくなるかもしれない。
そうなると元の木阿弥どころか、逆に冤罪は増え、重罰化が進むだろうと思う。

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「ヒロシマの平和を疑う!」の品格を疑う

2009年08月08日 | 戦争

8月6日に行われた田母神俊雄氏の講演、聞きに行きたかったです。
佐々井秀嶺師ジェツン・ペマ女史(ダライラマの妹)の講演自体はあまり面白くなかったが、お二方の顔を見れたので満足な私はミーハーなのである。

田母神氏の講演会は主催者発表では1300人の聴衆とのことだが、メルパルクホールにそんなに入れる部屋があるのだろうか疑問です。
田母神氏の講演はノリがすごいらしいし、田母神氏の近著『自衛隊風雲録』にはこう言う記述があるそうだ。
・・・「そんなの関係ねえ」・・・と述べたのは失敗だった・・・「そんなの関係ねえ、オッパッピー」というべきだった

剽軽な人らしい。

yahoo知恵袋を見ると、田母神氏からメールの返事をいただいた人がいた。
色々意見はあると思いますが、広島市民としては、やはり核武装を容認する意見を持つ方の講演が、8月6日に行われることに対して、秋葉市長と同じ考えです。この日は、私達にとって、本当に特別な日なのです。

その旨、田母神氏に一市民の一意見としてメールにてお伝えしました。その回答として、以下メールが送信されてきました。

貴女は多くの広島県民が貴女と同じ考えであると言われますが私はそうは思いません。私が計画して8月6日に広島講演を実施することにしたわけではありません。広島県民の方々が計画をされているということです。貴女は自分だけが常識があり、自分と考え方の違う広島県民は県民ではないと思っておられるようです。貴女のやっていることは立派な言論弾圧です。
田母神俊雄

このような切り捨てる回答では、意見が違うもの同士分かり合えないと思います。残念でなりません。
大した用事ではないメールならともかく、依頼や相談メールに返事が来ないことがしばしばあって人間不信に陥ってしまう私としては、田母神氏のこまめさに感心した。
だけど、この人のメールがどうして「言論弾圧」になるのだろうか。

田母神氏の「原爆の日」講演に広島市長が「待った」
 懸賞論文への投稿が発端で更迭された元航空幕僚長、田母神俊雄氏を原爆記念日(8月6日)に広島市に招き開催予定の講演会について、同市の「秋葉忠利市長が、被爆者や遺族の悲しみを増す恐れがあるとして日程変更を29日、文書で要請した。主催者側は予定通り実施する構えだが今後、憲法の「集会の自由」が脅かされ、「言論封殺」と批判された“田母神事件”が再燃する恐れも出てきた。
 この講演会は日本会議広島などが計画した「ヒロシマの平和を疑う~田母神俊雄氏が語る、広島発真の平和メッセージ」。5月に中国の核実験の被害をテーマに講演会を開催。日本が唯一の被爆国でなく、共産圏の核に日本の反核団体が寛容であることへの疑問を踏まえ、いかに核の惨禍を回避するか--として同氏の講演会を企画したという。
産経新聞6月29日)

「憲法の「集会の自由」が脅かされ」とか「言論封殺」と、まるで「人権派」みたいなことを人権嫌い、憲法嫌いの産経新聞が言うとはね。
講演をやめろとか言っているわけではなく、日程を変更してほしいと要請しているわけで、思想言論の弾圧だなどと大げさとしか思えない。
江川紹子氏「今回のように、「言論の自由」を振りかざし、時と場所をわきまえない行為を押し通そうとすることこそ、「行きすぎた権利偏重」ではないのだろうか」と批判しているのももっともである。
正直なところ核武装論者である田母神氏の「ヒロシマの平和を疑う!」という講題の講演会をわざわざ8月6日に広島で行うのはイヤミだと思う。

主催者の日本会議広島が中国新聞に掲載した意見広告です。
1.「核兵器のない世界」は私たちの願い
核兵器廃絶は私たちの願いです。本会には被爆者や被爆二世の方々も多数おられ、平和を希求する思いは誰にも劣るものではありません。
2. 北朝鮮の核に触れないヒロシマの「平和宣言」への疑問
昨年も、一昨年も8月6日の広島「平和宣言」は、北朝鮮の核問題に一言も触れませんでした。長崎の平和宣言においては北朝鮮の核について明確に触れているのに、「ヒロシマ」ではそれがすっぽりと抜け落ちています。ここに、私たちは現在の「ヒロシマの平和」に大きな不安と疑念を抱かざるをえません。それが今回の企画に「ヒロシマの平和」を疑うというテーマを掲げた理由です。
3. 再び被爆者を生み出さないために
「核兵器も戦争もない世界」を実現するには、その精神を高く掲げつつ、万全を期して現実的脅威に備えることが必要です。そのためには客観的に現状を把握し、具体的施策を考え努力することが大切です。そして、近年、度重なる北朝鮮の弾道ミサイル発射や核実験の強行という事態に対し、広島市民として再び核兵器の犠牲とならないために何をすべきかを考えることは、真の平和構築のための道を考えることにほかならず、広島の平和の祈りとは表裏一体の営みと言えましょう。そこで私たちは、敢えて8月6日を選び、我が国の安全保障の専門家であり、時の人でもある田母神氏の講演会を行うことを企画しました。

意見広告には日本の核武装の是非については直接触れていないが、そもそも田母神氏は日本も核武装すべきだという主張をしているわけで、そういう人を講師に呼ぶということは、「再び被爆者を生み出さないために」は北朝鮮に対抗して日本も核兵器を持つべきだと暗に訴えているようなものだ。
実際、6日の講演会で田母神氏は「唯一の被爆国だからこそ、3度目の核攻撃を受けないために核武装するべきではないか」と呼びかけたそうだ。
8月6日が近づくと右翼の街宣車ががなってうるさいのだが、今回の講演会、右翼の街宣車と同じことをしているとしか私には思えない。
江川紹子氏は「広島にとって8月6日は、原爆の犠牲になった人たちへの慰霊と、このような悲劇が2度と起こらないようにという祈りの日であることは、わざわざ説明されなくても、日本で暮らし、日本で教育を受けた者であれば分かっているはずだ。そういう日に、しかも原爆ドームまで徒歩1分という場所で、わざわざ殴り込みをかけるようにして、核武装論者の講演会を開く。そのデリカシーのなさ、想像力の貧困さには、驚きを禁じ得ない」と書いている。
これまたその通り。

北朝鮮嫌いでは田母神氏と幸福実現党は意見が一致するわけで、やはりというか何というか産経新聞8月2日に、田母神俊雄×大川きょう子「激論・日本の選択」(上)(下)という意見広告が載っている。
(上)は北朝鮮について、(下)は中国、自衛隊、憲法改正について激論がかわされている。
(上)では、「そう」「そうです」「そうですね」を田母神氏は4回、大川宣伝局長は7回していて、両氏の話が盛り上がっていることが伺われます。
それにしても、都議選で惨敗した幸福実現党党首と対談するなんて、田母神氏は大胆な人もである。
わざわざ産経新聞にだけこの対談が載ったということは、幸福実現党と産経新聞は仲良しこよしなのだろうか。
主催の日本会議広島と幸福実現党との関係も知りたいものです。

ちなみに日本会議広島のHPを見ると、こんな活動もしている。
三島・森田両烈士38周年追悼祭 開催 平成20年11月29日・広島市 
  昭和45年11月25日に三島由紀夫・森田必勝 両烈士が自衛隊市ヶ谷駐屯地にて自決してから38年。この日、府中町の多家神社神楽殿にて両烈士38周年追悼祭が、石橋良三県議会議員ほか20名にて、しめやかに執り行われた。
 折りしも田母神前航空幕僚長の更迭、及びその後の政府による自衛隊内への思想弾圧が問題となっていた時だけに、三島決起の檄文の中にある
「もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質の欺賄の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかつた」
 「シヴイリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、といふ。しかし英米のシヴイリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない」
という言葉が重く響いた祭典であった。
そうか、日本会議広島は自衛隊員が三島由紀夫の檄に同調して決起すればよかったと思っている人たちの集まりなのか。

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なぜオウム真理教は暴走したのか4 終末論

2009年08月04日 | 問題のある考え

オウム真理教では、ハルマゲドンになり世界が終わると説いていた。
世界が終末を迎えるという終末論はどの文化でも見られる。
ノストラダムスの予言もその一つ。
終末がいつなのか、はっきりとは説かれないのが普通(予言が外れると言いわけに困るので)だが、時には、信者を引きつけるために日時をはっきりと予言する人もいる。
どっちにしても世界が終わるという予言は今までずっと外れてきたにもかかわらず、それでも懲りずに終末が来るぞと脅す人、それを信じる人がいるのはほんと不思議である。

オウム真理教ではハルマゲドンが20世紀末におとずれると、終末の時間を具体的に設定していた。
西田公昭「オウム真理教信者被告人の心理についての法廷意見」によると、
「麻原教祖は、ハルマゲドンの具体的な時期を20世紀末と予言し、信者たちに対して救済活動に費やすことの可能な時間があまり残されていないと主張しはじめた」

終末が近いということは、修行する時間があまり残されていないから、信者だって地獄に落ちるかもしれないし、救済も間に合わないことになる。
残された時間の短さは麻原彰晃の思考、ひいては教団の修行形態に影響を与えることになり、麻原彰晃は解脱の近道とされるタントラ・ヴァジュラヤーナを積極的に推し進めた。
「この教義の実践は、具体的には、教祖に指示されたワークと呼ばれる活動に従事することであった。その活動は、一般常識的見解に立てば非合法な反社会的活動であっても、時間が差し迫った救済のためにはこの手段による他はないとされた。つまり、仏教が廃れ、人々の悪いカルマにまみれた現代において、その悪行によって多くの人々が三悪趣に転生するのみならず今にもハルマゲドン(第三次世界大戦)が起きるので、非信者をも救済するには過酷は非合法活動を含むヴァジュラヤーナしかないと説いた」
信者はマインド・コントロールを受けて教祖の言うことに疑問を持たなくなっているし、残り時間が少ないから普通に修行していたのでは間に合わないという恐怖感、無力感、切迫感のため、ヴァジュラヤーナの教えを受け入れた。
「人は恐怖感、無力感、そして切迫感を同時に抱いてしまうと、立ち止まったり、振り返ったりして内省する余裕を失い、唯一救われる可能性のある行動を説く方向に誘導されやすい」

予言が外れると教祖の権威は失墜する。
麻原彰晃自身が終末を待ち望んでいたのかもしれない。
終末を自らの手で作り出そうという教祖の意思があったわけだ。
でも、櫻井氏によると「暴力に親和的な教祖の絶対的カリスマや千年王国論的世界観だけで暴力が自動的に発生するわけではない」とのことである。

つまりは、オウム真理教事件がなぜ起きたか、それはいろんな原因、理由がからみ合って起きたという当たり前の結論になるわけです。

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