クリント・イーストウッド『15時17分、パリ行き』は、2015年、アムステルダムからパリ行きの列車に乗った幼なじみ3人が、銃を乱射しようとしたテロリストを取り押さえたという事件を描いた映画。
本人たちが自分自身の役で出演しています。
3人は子供のころからの友達で、サバイバルゲームという戦場ごっこが好きな戦争オタク。
スペンサーとアレクは軍隊に入ります。
アレクはアフガニスタンに駐留しましたが、友人への電話で「退屈だ」と言ってるのにはいささか驚きました。
テロリストが銃を構えるのを見たスペンサーはテロリストに向かって突進します。
アメリカの高校で起きた銃の乱射事件で、ホワイトハウスを訪れて銃規制を求めた高校生に、トランプ大統領は「銃に熟練した教師がいれば攻撃されてもすぐに解決できる」と述べています。
http://www.news24.jp/articles/2018/02/22/10386263.html
同じ論法で、軍隊で訓練を受けたからテロリストに立ち向かえたんだ、テロを防ぐためには民間人も軍隊で訓練を積むことが必要だということになります。
リチャード・リンクレイター『30年後の同窓会』は、2003年、バグダッドで21歳の息子が戦死した男が、ベトナムで一緒に戦った元海兵隊員2人と再会して、という話です。
3人とも戦争で戦ったこと、そしてアメリカという国に誇りを持っています。
以前だったら、反戦、厭戦映画になるような題材ですが、戦争や国家に対する考えが大きく変わっていることの表れでしょう。
もう一つ、『15時17分、パリ行き』を見てて、あれっと思ったのが、スペンサーとアレクが中学の校長から「ADDだから薬を飲みなさい」と言われ、怒った母親が転校させたということです。
転校先の私立中学はキリスト教福音派のようです。
『ワンダー 君は太陽』では、自宅で母親から教育を受けてた主人公は5年生の時に私立中学校に入ります。
学校の門には「pro school」とありましたが、どういう学校なんでしょうか。
主人公をいじめてた子が停学になると、怒ったいじめっ子の母親が「寄付をたくさんしているのに」などと文句を言って、息子を転校させます。
アメリカでは、こんなふうに簡単に転校するのは珍しくないのでしょうか。
『15時17分、パリ行き』ですが、3人とも熱心なキリスト教徒の家庭で育ちました。
しかし、スペンサーやアレクもインタビューでは、アレックスのように神について語っています。
アレク「テロに遭遇する確率は低い。しかも命も落とさずテロに立ち向かい、あの時あの場にいたことは単なる偶然とは思えない。
スペンサー「キリスト教の家庭で育ったから、神は常に身近な存在だ。神は乗り越えられる試練しか与えないと考えてる。あの瞬間それを思い出したよ」
アレックス「運命が僕らを導いた。僕らは使命を与えられたんだ。今はあの時の冷静さが理解できる。神が守ってくれたんだよ」
スペンサー「あの時の僕らはまさに神の使いだったんだ。善き行いができて光栄だね」
映画の中でも、アレックスが「自分が動かされると感じたことは?」とスペンサーに尋ねると、「生きるっていうことは大きな目的に向かっているんじゃないかと思う。自分でもわからないけど、運命に押されている気がする」(たぶん)と答えていたり、アフガニスタンに向かうアレクに母親が「いつか大きなことをするような予感がする」(たぶん)と声をかけます。
クリント・イーストウッドもこのように語っています。
それは「主よ、私をあなたの平和の道具にしてください」という祈りだ。
「運命がスペンサーの人生をそこに導いたんだと私は解釈する」
http://bunshun.jp/articles/-/6389
学校では思うにまかせなかったし、軍隊に入っても望んだ部署には配属されなかった。
けれど、すべては神が「他者を救う」という私の使命を果たすためにちゃんと計画されていたことなんだ。
そういう感じではないかと思います。
だったら、『アメリカン・スナイパー』の主人公のように、戦争で心を病み、殺された人はどうなんだと思ってしまいます。
クリント・イーストウッドの監督作品は傑作ぞろいで、『15時17分、パリ行き』もいい作品ですが、キリスト教福音派が喜ぶような内容であることも事実です。