岡田憲治『なぜリベラルは敗け続けるのか』に、野党が歩み寄って共闘する必要があると書きます。
「ざっくり言ってしまえば、「ほんとにそれでいいのかなあ」と「やっぱりそうだよな」の間で振り子のように揺れるものが、信念や思想というものです。
そのとおりですが、なぜかお互いが足を引っ張り合い、中には自民党にすり寄る政党もあります。
では、どうしたらリベラルが選挙に勝てるのか。
人権、平和〈護憲)よりゼニ、すなわち貧困や格差の是正を訴えるべきだと、岡田憲治さんは訴えます。
「朝まで生テレビ!」でのやりとりです。
田原総一朗「なぜアベノミクスで消費は拡大しなかった?」
泉房穂「国民にお金を使わないからですよ。やってることが間違ってるからです。日本の政治は30年間 間違いを続けてるんであって、国民の負担を軽減すればいい、子供や家族の支出を諸外国並みに2倍にすればいいのであって、お金をどこに使うかの使い道が間違ってるんですよ、ちゃんと子供たちや家族の応援に金を使って、そういった層がお金を使えるようにすると消費に回るんだから、そもそもやってることが間違っていたと私は思いますよ、国民のためにお金を使わないと」
https://twitter.com/siroiwannko1/status/1685108301061861376
泉房穂さんの意見はもっともだと思います。
月額10万円以下の年金で暮らす老人たちは、年金、医療費、物価が死活問題である層であり、同時に、選挙があったらかならず投票所に行くという律儀な人たちです。
所得の再配分政策に転換し、男女の賃金格差、最低賃金、医療費、社会保障などを是正する。
年金暮らしの老人、非正規労働者、女性といった人たちが投票しようと思う政党があればいいのですが。
そもそもリベラルとはどういう意味でしょうか。
リベラルと左翼は違います。
ウィキペディアによると、3つの意味があります。
①個人の自由や多様性を尊重する。権力からの自由。
アダム・スミスは経済活動に対する国家の介入を批判し「小さな政府」を説いた。
②各人の自由な人生設計を可能にするため国家の支援が必要と考える。権力による自由。社会保障や福祉国家を整備する。
③政治的に穏健な革新をめざす立場。
①の意味だと小さな政府がリベラルです。
政府に頼らず、自助でなんとかすべきという考えです。
ところが、②の意味では大きな政府のことになります、
アメリカでは連邦政府が社会的弱者を救済するために財政出動し、企業の経済活動にも一定の規制を課す「大きな政府」を支持する立場を「リベラル」と呼ぶ。(金成隆一『ルポ トランプ王国』)
③の穏健な革新ということは、保守の立場だと思います。
中島岳志さんは「伝統や慣習に謙虚になりながら、漸進的に変えていこうというのが保守思想」と話してますし。
岡田憲治さんの定義は②と③を足したものだと思います。
国家よりも個人を、伝統よりも新しい価値観をやや優先して、そして経済を市場だけに委ねないやり方で社会を守る。
もう少し丁寧に言うと、
現代社会はグローバルな世界なのだから、国家の権威や家族の伝統などという価値よりも、この世界を支えている多様な人たちと個人としてして結びついて、風通しよく自由にものが言え、「努力など無駄だ」とすべてを諦めてしまう人をなるべく少なくする世の中を、自分と同じ欠点だらけの友人たちと相談しながら、なんとか運営していくしかない。
ところが、保守とは改憲派で国の秩序や愛国心を重視し、リベラルが護憲派で個人の権利や多様な価値観を尊重するということになっています。
本来ならばリベラルとは「公正な社会のためには政府は適切に介入すべき」というスタンスのものであるのに、日本の場合、「自己責任」と「小さな政府」を錦の御旗とするネオ・リベ派の主張があたかもリベラルの代表意見であるかのように誤解されている状況が今なお続いているのです。
こうした誤解は、日本の左派が「中間層を再構築するための経済政策を」というメッセージを継続的に出して来なかったからです。
小さな政府は共和党、大きな政府は民主党、日本はその中間だと思っていましたが、岡田憲治さんによると、日本は小さな政府なんだそうです。
自公政権は、ヨーロッパにおける右派の財政均衡主義や緊縮政策ほどの締め付けをしているわけではありませんが、それでもOECD諸国の中でも指折りの小さな政府という基本構造を変えようとはしていません。つまり、中間層を再活性化させるための大胆な再配分政策に舵を切るという兆しはそこにはありません。
他方、左派政党、リベラル派言論人の皆さんも、反貧困と格差是正のための政治政策を、政治活動の中心に据えているようには見えません。
日本では、与党だけでなく野党も小さな政府を志向しているのでしょうか。
リベラルは社会的弱者のための政治を目指しているはずです。