三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

『オール・アイズ・オン・ミー』

2018年03月31日 | 映画


ラッパーの伝記映画であるF・ゲイリー・グレイ『ストレイト・アウタ・コンプトン』やベニー・ブーム『オール・アイズ・オン・ミ-』を見ると、出てくるラッパーたちに攻撃性や暴力性を強く感じます。
金遣いが荒いのに、妙にしみったれ。
自信たっぷりしゃべりまくって、相手を威圧する。
けんかっ早く、すぐにキレて手を出す。

2PACは刑務所で年を取った受刑者に「自分は一生ここを出られない。50秒の判断で50年を無駄にするな」と諭されます。
でも、その受刑者も次の場面でナイフで人を刺す。
2PACにしても、出所後も切れやすい性格は変わらず、すぐに殴ったり、銃をぶっ放します。

デス・ロウ・レコードの社長は金を盗んだと言って、社員をボコボコにする。
それを見ている2PACがイヤな顔をしたように思いましたが、似たようなことをしてるわけで、当然だと思ってたかもしれません。
社会に抗議し、世界を変えるとか人を導くとか言っても、これじゃ暴力と金による支配じゃないかと思います。

どうしてそんなに暴力的なのか。
ウリ・ニーズィー、ジョン・A・リスト『その問題、経済学で解決できます。』に答えかもしれないことが書かれてありました。

シカゴハイツ第170学区は、50%がヒスパニック系、40%がアフリカ系の生徒。
90%以上は食糧配給券を受け取る貧しい家の子供で、中高生の50%が中退する。
シカゴの暴力が吹き荒れている32校のうち、一番平穏になった学校でラッパーのカニエ・ウェストのプライベート・コンサートを開くことになった。
賞を勝ち取った高校は生徒の約70%がヒスパニック系、30%がアフリカ系。
平穏の校風委員会を作り、出席率を改善すること、学校の中だけでなく校外でも暴力事件を減らすという目標を決め、40%も非行が減少した。

子どもたちが本当にほしいと思っていたものは、コンサートではなく、「安全に勉強できる場」だと『その問題、経済学で解決できます。』は言います。
危ない学校の子どもたちは勉強に集中できない。
殺されるかもしれないという恐怖で頭がいっぱいだから。
銃撃が起きると出席率が50%に下がる。
学校の近くで発砲事件があったら、やる気のある子どもが命の危険をさらしてまで学校に行くだろうか。

2PACが高校のころ(?)、引っ越したその日に痴話ゲンカから目の前で人が殺されます。
犯罪の発生率が高く、銃による死亡が多い地域で生まれ育っていれば、ヤワだったら生きられないことを身をもって学ばざるを得ません。

大阪ダルクの倉田智恵さんがこんなことを話しています。

だいたい薬物依存症の女性が選ぶ男性は一緒なんです。スミの入ったヤクザっぽい、なんかいかがわしい、道でケンカでもするような男性をいつも選ぶんです。組織にいたとか、覚醒剤を使ったことがあるとか。暴力をふるわなくても、暴力的な言葉を吐く。または攻撃的なコミュニケーションしかできない。「選ぶ男性はよく似てるね」と言ったら、「そうですかね」って不審な顔をされるんですね。
危険にさらされるとわかっているのに寄ってしまう。あとで「危ないよ。気をつけや」と言われても、「なんで? やさしそうじゃない」と聞いたら、「なに言うてんの。経歴見てごらん。ちゃんと書いてあるじゃない」と言われて、初めて「えっ」と思うんですね。
人を痛めつけるような攻撃性を持っている人がわからないんですよ。それはなぜかというと、そういう暴力にさらされて育ってきたから。恐さというものを身体が遮断してきているから、暴力的な人がわからない。感覚的にわからないんですよ。暴力を受けてない人はわかるんですね。「なんか恐いな、この人は」とか。

なぜかダメ男とばかりつき合う女性がいますが、こういうことかと思いました。
2PACも、どう見てもヤバイ男と親しくなります。

倉田智恵さんは、とにかくイヤだと思ったら離れられる距離感を保つことが大切だと言います。
しかし、一人では難しいと思います。
「おかしいよ」とか「やめたほうがいい」と言ってくれる人がいないといけません。
もっとも、高校の同級生だったジェイダ・ピンケット=スミスの忠告を2PACは聞こうとしませんでしたが。

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サンガラトナ・法天・マナケ『波瀾万丈! インドの大地に仏教復興』

2018年03月28日 | 仏教

 
サンガラトナ・マナケ「インドと日本の架け橋として 現代インドのアウトカーストへの差別に学ぶ」という講演をYoutubeで見て、こんな人がいるのかと驚嘆し、サンガラトナ・法天・マナケ『波瀾万丈! インドの大地に仏教復興』(2007年発行)を読みました。

サンガラトナ・マナケ師は1962年にインドのナグプールで生まれる。
マハールという不可触賎民の出身。
インドでは不可触賎民が人口の3割だが、差別されている人は7割にもなるという。
住んでいる地域と名字で、だいたいどの階層かを判断できる。
上下の区分だけでなく、横にも区分があり、同じ階層の人間同士で争わせる。

マナケ師は7歳で得度し、1971年、9歳で延暦寺に入る。
3時半に起床、4時から止観(坐禅)を1時間、そして勤行が1時間。
6時から作務(掃除)を1時間し、7時から朝食。
7時半に出て、ケーブルの駅まで30分歩き、8時のケーブルに乗り、麓の駅から20分歩いて坂本小学校に通う。
小学校から帰ると、夕方5時から1時間止観、1時間勤行、夕食をすませて勉強し、就寝は10過ぎ。
ということは、睡眠時間は5時間半しかなくて、小学生にとっては厳しい。
しかし、マナケ師は日本人はみんなこういう生活をしていると思っていたそうです。

中学校と高校に入ったときにインドに帰りますが、ヒンドゥー語を忘れてて、両親と話すときにも師匠の堀澤祖門師が通訳してくれたそうです。

インド仏教の現状に触れることができました。しかし、そこでは、僧侶を聖人として崇める行為が日常的に行われていました。

高貴な客には、低い台を用意し、女性が水瓶から水をかけて足を洗う習慣がある。
僧侶に対しては、水ではなく牛乳で僧侶の足を丹念に洗う。
足を洗った牛乳を、まず家族がお神酒のように一口ずつ飲み、続いて参列者が次々と飲んでいく。
本願寺の法主が地方に巡教したとき、法主が入った風呂の水を人々が競って飲んだという話がありますが、インドでは今もそういうことが行われているようです。

1985年、23歳の時にインドに帰国。
やはり言葉に苦労した。
禅定林という建物をやっと完成させ、次に何をするか、インドでは水がないから井戸を掘ろうとを考えた。
しかし、村長に相談すると、すぐ近くに川があり、水には不自由していないと笑われる。

私が井戸を掘ろうとするその気持ちが、相手も望んでいることだろうと思いこんでいる。相手が必要としている活動をするのではなく、こちらが勝手に決めた活動を押し付ける。ボランティアの現場では、こうしたことが多々起こりがちです。(略)相手には大変迷惑な話です。
作る側の気持ちのなかには、相手にとって不必要なものを作っておきながら、感謝しろという気持ちが芽生えます。

マナケ師はヒンドゥー語を学ぶためもあり、しばらくは高校生までの子供たち5人と共同生活をしながら畑を耕した。
そのうち、日曜日に寺子屋をして、子供を一日預かるようになる。
1年続けるが、日曜学校だけでは何も変えることはできないと思い、親がいない子、親が面倒を見ることができない子供と一緒に生活する子供の家を始める。
現在(2007年)、子供の家に40人前後、学校に約400人いる。
http://www.pmj3.com/

活動の基盤にあるものは、ものを与えるのではなくて、自立できる人を育てることにあります。
パンを与えるのではなくて、パンの作り方を教えるということです。

あんパンを与えようとしても、限られた人数にしか与えることはできない。
そして、あんパンを拒む人がいたら、「お前はなんてひどい人間だ。私はあんパンを与えてやっているだろう。それを食べればよいではないか」と怒る気持ちが発生したり、相手を見下げる気持ちが生まれてくる。
人間にはそれぞれ考え方があり、人間それぞれの生き方があり、それぞれの生き方をと認め合うべきではないか。
「パンを与える」というやり方をとると、すべてを肯定できなくなってしまう。
自分の意見に賛同し、都合のいいものだけを肯定し、自分にたいして都合の悪いものは否定してしまう。

それではどうすればよいか。
自立を促すしかない。
パンの作り方を教える。
みんなはそれを習って自分で作り方を覚える。
パンの作り方を習ってしまえば、自分の好きなようにパンを加工すればよい。

インド仏教は佐々井秀嶺師を中心にして一つの教団としてまとまっているのかと思ってたら、佐々井秀嶺師の名前が出てきません。
上座部系、チベット系などいろんな教団があり、現在のインド仏教は、個人の悟りを最優先する上座部系の仏教が主体になっているそうです。

マナケ師の活動への弾圧があるそうです。
仏教思想に基づいていないと攻撃されたり、建立した寺院を壊すよう政府に訴えた人もいた。

インドに今ある仏教形態のなかにも、私たちが受け入れなければならない考え方もたくさんあります。けれども、どうしても納得できない、私たちの立場から考えておかしなことは、絶対に受け入れることはできないのです。けんかをするのではなく、相手の立場を認めながらも、どれだけ攻撃されても自分たちの信念を貫くことが大切です。


マナケ師のもとに、年間100人前後が弟子にしてほしいとやってくるが、大半は口減らしのため。
上座部系の僧侶の大半は口減らしのために僧侶になった人たちだそうです。

インド上座部仏教の形態は、師弟が一緒に住むということではない。
弟子は一つ、二つのお経を覚えたら師のもとから出て行く。
師匠は得度はさせるけれども、なぜ僧侶になるのか、僧侶は何をすべきなのかは教育しない。
師匠は自分の弟子が50人いるという権力は見せたい。
けれども、責任は持ちたくない。

ナグプールあたりの僧侶たちは、社会のなかで何もできない人たちが僧侶になるというケースが大半。
ほかの何をしても食っていけないけれど、僧侶になることで食事も尊敬も得られる。
ナグプールの一般的な僧侶は、好きなときに寝て、好きなときに起きて、好きなことをして、ご飯は人が食べさせてくれる。
大半がそうだから、世間では僧侶は何もできない怠け者がなっているというレッテルを貼られている。

何はともあれ、大した人がいるもんだと、いつものことですが感心しました。

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コンゴ民主共和国の100万コンゴフラン

2018年03月14日 | 日記

本を読んだり、映画を観てて、いつもわからんなと思うのは物の値段です。
外国や昔の話だと、高いのか安いのかわからない。

過去の貨幣の価値はネットで調べることができます。
たとえば「日本円貨幣価値換算計算機」で、1902年(明治35年)の1円調べてみます。
GDPを主として用いた物価変動をもとにすると、2016年(平成28年)の3705円
消費者物価指数をもとにすると、2016年(平成28年)の4077円
https://yaruzou.net/historical-prices-1932
外国だと為替がいくらか計算すればいいはずです。
しかし、国民の平均所得や物価が日本と違うし、正規のレートと闇のレートは異なっています。

アラン・ゴミス『わたしは、幸福(フェリシテ)』は、コンゴ民主共和国の首都キンシャサが舞台。
息子がバイクの事故で足を骨折し、手術と治療の費用が100万フランと医者に言われる。
歌手の母親はそのお金がないので、バンドの仲間が寄付してくれたり、貸した金を取り立てるために警官と一緒に金を貸した人のところに行くなど、金集めに奔走する。
それでも12万フラン足りないので、金持ちの家に入り込んで、無理矢理お金をもらう。
ここまでが前半の話。

母親は冷蔵庫(さほど大きくはない)が壊れたので、修理屋に頼んで新品の冷蔵庫を買ってもらうことにします。
修理屋は250ドルを請求し、母親は100ドルと答え、結局150ドルで手を打ち、その場で現金を渡します。
1ドル110円として、冷蔵庫は1万6500円です。
日本と値段はさほど変わらないです。
それにしても、冷蔵庫なら自分が買いに行ったほうが、手数料を払わなくてすむので安くつくように思いますが、コンゴではどういう仕組みなんでしょうか。

100万フランは日本円にするといくらなのか。
調べると、なぜか為替レートがサイトによって違います。

1コンゴフラン=0.1759円
1円=5.69コンゴフラン
1ドル=607.58コンゴフラン
http://currency7.com/ja
1コンゴフラン=0.0680183円
1円=14.7021コンゴフラン
1ドル=1570.50コンゴフラン
http://www.xe.com/ja/currencyconverter/convert/?Amount=1&From=JPY&To=CDF
1コンゴフラン=0.07円
1円=15.13コンゴフラン
1ドル=1616.00コンゴフラン
http://urx2.nu/J3cH

100万コンゴフランは約7万か約17万円となります。
「最新の為替レート計算機」だと、100万コンゴフランは68039.60円。
https://1manen.net/currency.php?amount=1000000¤cy=CDF

ちなみに、コンゴに行った人のブログによると、闇レートは正規レートと大して差はないそうです。
https://ameblo.jp/sekaihirokichi/entry-12183088646.html

キンシャサに住む人の生活実感として、100万コンゴフランはどれくらいなのか。
アメリカ国務省によると、国民1人当たりの年間所得は2010年で約189ドル。
http://urx2.nu/J398
100万コンゴフランは平均年収の数倍以上です。

「平均年収」というサイトによると、日本の平均所は得ここ数年の平均で416万円。
コンゴの平均年収は日本の約20分の1です。
http://heikinnenshu.jp/country/japan.html

フィリピン映画のブリランテ・メンドーサ『ローサは密告された』の冒頭、スーパーのレジ係がお釣りの小銭がないのでアメを渡します。
そして、スーパーで買ってきた食品をローサは自分の小さな店で売るわけです。
フィリピンではこんなことを実際にしているのかと思いました。

ローサは麻薬も売ってて、踏み込んできた警察にローサと夫は逮捕されます。
そして警官たちはローサに20万ペソを要求。
そんな大金はローサにはないので、売人を警察に売ります。
しかし、売人の妻は5万ペソ以上は無理と言うわけです。

1ペソは2.06円ですから、5万ペソは約10万円。
売人なのに10万円が手元にないのかと疑問に思いました。

しかし、フィリピンの平均年収は48万円で、日本の約10分の1です。
20万ペソはほぼ年収に近い金額です。
5万ペソは年収の約10分の1だから、日本だと数十万円になります。

フィリピンの物価は日本の4分の1で、収入は12分の1だから、フィリピン人の生活の大変さは日本の3倍だと、あるサイトにありました。
http://ur0.link/IZDm
おそらくコンゴの生活の大変さはフィリピン以上でしょう。

日本だって高度経済成長期以前は貧しかった。
湯沢雍彦『明治の結婚 明治の離婚』に、明治初年ころ、愛知県の農村に住んでいた人の手記が紹介されています。

村に283戸あるうち、風呂のある家が約30戸で、生涯、川で手足や顔を洗い、一回も湯に入らない人もたくさんいた。
足袋は正月だけはき、ふだんは裸足。
衣類は洗濯せず、破れたらそのままで、おんぼろの綿入れ胴着を着ている人もたくさんいたため、さほど目立たなかった。

戦前の農村は江戸時代と変わらない生活だったと、杉浦正健氏が『あの戦争は何だったのか』に書いていますが、実際そうだったのでしょう。

明治42年(1909)の新聞の投書も引用されています。
妻と子供2人と母の5人ぐらいの鉄工は月に16~20円の賃金を得ていたが、工場を解雇される。
子供がハシカにかかり、医者に連れて行くと、「2円の診察料を出さねば薬はをろか見ても遣らぬ」と言われたが、妻の内職しか収入がなく、2円どころか50銭もない。
明治35年の1円が現在の4000円ぐらいですから、鉄工は月に8万円ぐらいで家族を養っていたわけです。

家賃を払えず、家主から立ちのけと言われている。
「どうしたらよいか何卒御教示を願いとうあります」と、この投書を結んでいます。
この一家はどうなったのかと気になりました。

明治23年(1890)の第1回衆議院議員選挙に立候補した人は選挙費用として6000円を使っています。
衆議院議員の年棒は800円。
湯沢雍彦氏によると、華族と最下層の細民との所得差は数百倍だったそうです。
コンゴやフィリピンどころではなかったということです。

コメント (4)
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「死刑」を訴える被害者遺族の声をきく~闇サイト殺人事件から10年~(2)

2018年03月06日 | 死刑

死刑の存廃問題の討論で、冤罪についても話し合われています。
http://originalnews.nico/45811/3
髙橋弁護士は冤罪があることを認めています。

冤罪が起きるのは警察組織の思考停止組織だと思っています。警察は署長が捜査方針を決めてしまうと、違う証拠が出てくるとその証拠を潰そうとするのです。
冤罪を生む温床だなとつくづく思います。検察もそうです。遺族や被害者自身の調書をとるときに立ち会ったことがあるのですが、私はびっくりしました。
被害者は少ししゃべっただけで、その後は検察官が作文して事務官にパソコンで打たせているだけなのです。加害者の立場でやられたらたまったもんじゃないなと、つくづく思いました。

被害者遺族である御手洗潔さんはこのように語っています。

警察に被害者調書を書かれた(作成された)ときに驚いたからね。警察官が読んだ調書を聞いてたら「悲しい」だとか「許せない」だとか、言った覚えのない表現が出てくるんだよ。あれ? そんなこと言いましたっけ? って聞いたら、「あなたの気持ちをこちらで推し量りました」って言われてさ。まぁそんなものなんだろう、ってそのとき思ったんだよね。彼女(加害者)の供述だって、それと同じことがあると思う(川名壮志『謝るなら、いつでもおいで』)

警察は被害者の調書も作文するわけです。

ところが、高橋弁護士は「制度がどうあるべきか」ということと、「制度の弊害を小さくするか」というのは分けて考えるべきだと説きます。
そして、自動車による交通事故で毎年6000人が亡くなっているが、だからと言って自動車社会はなくならないと述べ、どんな制度にも弊害はある、制度の持つ弊害をできるだけ小さくしようというのが本来のあるべき姿であって、制度をなくすということにはならないと言います。

たしかに自動車社会はなくなりませんが、制度は変えることができます。

かつて両親祖父母を殺す尊属殺人罪は無期懲役または死刑のみでした。
1950年、最高裁で尊属殺人を含む尊属加重刑罰は合憲とされました。
ところが、15年も性的虐待を受けていた娘が父親を殺した事件で、1973年に尊属殺の厳罰化規定は違憲との判断が下され、被告は執行猶予の判決が出ました。
そして、尊属加重規定が削除されました

上谷さくら弁護士も高橋弁護士同じ意見です。

もっと厳密な捜査をしてもらって冤罪をなくすという努力をすることと、死刑制度を続けるかという話は別の話だと思います。
現行犯など絶対に冤罪ではない事件もありますよね。そういった冤罪の可能性が一部にあるということで制度全体をやめるというのは、論理の飛躍かなと思います。

無実なのに死刑になる人がいるから死刑制度を廃止すべきだということが、どうして論理の飛躍なのでしょうか。
冤罪で処刑されるという弊害をなくすことができるのなら、そうすべきです。
冤罪があるから、死刑の執行は停止し、冤罪がなくなれば執行を再開するという提案を死刑存置派の人がしてもいいように思うのですが。

また、現行犯であっても、計画性の有無、殺意の有無、情状によって量刑は違います。

現行犯だから死刑だとは、単純には言えません。

森達也氏と山田廣弁護士のやりとりです。

森:冤罪のない裁判、捜査を目指すべきだと仰いますが、それは無理ですよね。人がやることなので100%間違いがないということはありえないです。それを考えるかどうかということです。
山田:間違いをなるべくしないように……。
森:なるべくでいいんですか。
山田:仰ったように、やはり人間ですから。神ではないのですから、可視化にしても、捜査の分析能力にしても、常に科学的分野で努力を重ねている途中です。
ですから「間違いはない」とは言えません。
森:そうですよね。ですから、なるべく間違いのないように裁判を目指しましょうということは一致できますが、それで死刑にしてしまったら取り返しがつかない。
もしかしたら冤罪で処刑されている方もたくさんいるかもしれない。死刑という、取り返しがつかない制度をどうするのかという考え方も可能だと思います。

冤罪によって死刑になったとしても仕方ないと、上谷弁護士や山田弁護士は言ってるように私は感じました。

1949年、イギリスでエヴァンスという人が妻と娘を殺したと死刑判決を受け、執行されました。

ところが、1953年に他の殺人事件で逮捕された加害者が、エヴァンスの妻子を殺したと自白します。
エヴァンス事件がきっかけとなって、イギリスでは死刑廃止論が盛んになり、1969年、イギリスは死刑を廃止しました。

ところが、日本では冤罪だと認められた死刑囚がいるにもかかわらず、死刑を廃止しようという気運があまり起きません。

冤罪で死刑になることを他人事としてしか考えない人が少なくないのだと思います。

自分の子供が無実なのに死刑執行されても、それでも死刑は必要だと言う人がいるでしょうか。

磯谷さんは「他人事としてではなく自分に降り掛かったらどうだろうと、今一度お考えください」と語り、髙橋弁護士は「娘や息子は殺されて生きて帰ってこないのです。償いようがありません」と言っています。
「仕方がない」と思うことは他人事だと考えているからですし、他人事にしてしまうということは、原発や沖縄の基地といった問題ともつながっていると思います。

被害者が恨みや怒りを抱え続けるのではなく、別のものに変えていく支援が、被害者支援だと思います。

死刑を求める被害者遺族ばかりではありません。

「犯罪の加害者を責めません」——ある遺族の選択とは
2006年に長女の歩さん(当時20)を殺された中谷加代子さん(56)は「怒り」を消し、刑務所で加害者たちと向き合う活動を始めた。伝えるメッセージは「幸せになって」。加害者を「責める」ことなく、常に「寄り添う」。(略)
中谷さんには、志を同じくする仲間が2人いる。
その1人は、神奈川県の小森美登里さん(60)。1998年に高校入学直後の長女を失った。いじめが原因の自殺だったという。(略)
もう1人の仲間は東京都在住の入江杏さん(60)だ。2000年末に起きた「世田谷一家殺人事件」で妹一家4人を殺された。(略)
小森さんもそれまで、加害者に働きかける活動を10年以上も続けていた。他の被害者遺族には、加害者への強い怒りが消えず、苦しんでいる人もいた。もちろん、それも理解できるという。しかし、怒りを持つだけでは、犯罪をなくすことはできないのではないか、と考え続けていた。

https://news.yahoo.co.jp/feature/710

あれっと思ったことが1つあります。

髙橋:平成17年の統計で申し訳ないのですが受刑者は週に二度、お風呂に入っています。その水道料金が5億円なのです。

刑務所では風呂の水や飲料水その他を別々に会計処理しているのでしょうか。

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「死刑」を訴える被害者遺族の声をきく~闇サイト殺人事件から10年~(1)

2018年03月01日 | 死刑

ニコニコ動画の「「死刑」を訴える被害者遺族の声をきく~闇サイト殺人事件から10年~」という討論番組の文字起こしがされているサイトを万年中年さんに教えてもらいました。
http://originalnews.nico/45811
「闇サイト殺人事件」の被害者遺族である磯谷富美子さんのお話を読むと、被害者や遺族の方が死刑を求めるのは当然だと思います。
しかし、それでも死刑存置論には賛成できません。

この討論番組で死刑存置派が主張しているのは次の2点だと思います。
①被害者遺族が死刑を求めているから死刑は必要だということ
②冤罪と死刑制度の是非は別問題だということ

裁判員や被害者遺族の処罰感情で判決に違いがあっては、法の下に平等という原則に反することになると思います。

死刑を求める被害者遺族ばかりではありませんから。

髙橋正人弁護士はこのように語っています。

人を殺した以上はあなたも命をもって責任をとりなさいということです。死をもって責任をとってもらうのが被害者の気持ちだと申し上げています。(略)
どこの刑法の本にも書いてありますが、刑法の本質は応報刑論です。何かと言えば、悪いことに対しては悪い報いで行うという、「目には目を歯には歯を」です。これがまさに応報です。

この意見にはいくつかの疑問を覚えます。

・どんな殺人事件でも死刑にすべきなのか
警察が2016年に摘発した殺人事件(未遂を含む)770件のうち、55%が親族間で起きています。
https://mainichi.jp/articles/20170411/ddm/012/040/061000c
つまり、被害者遺族の多くが加害者家族・親族でもあるわけです。
そして、動機の多くは心中や介護・養育疲れです。
この人たちも「死をもって責任をとる」べきでしょうか。

・殺人と傷害致死
殺人罪の刑罰は死刑または5年以上の懲役(無期懲役も含む)ですが、傷害致死罪は3年以上の有期刑です。
殺人と傷害致死の違いは、殺意のあるなしです。
https://www.bengo4.com/c_1009/c_1208/gu_147/
滋賀県の料理店で店主が客から2時間以上も暴行を受けて亡くなるという事件がありました。
加害者2人は傷害致死で逮捕されています。
殺意がなかったとしても、ご家族にしてみたら殺されたとしか思えないでしょう。
しかし、遺族は法律で定められた最高刑で納得するしかありません。
死刑制度がなければ、死刑以外の判決を受け入れるのではないでしょうか。

・加害者の自殺
加害者が事件を起こしたあとに自殺することがあります。
自殺するという形で「死をもって責任をと」ったのでしょうか。

・応報刑

刑罰の歴史は寛刑化の歴史です。
現在はただ罰するだけでなく、犯罪者の更生、社会復帰が考えられています。
死刑の執行も苦痛の少ないものに変わっています。
アメリカでは被害者遺族が執行に立ち会うことができます。
死刑囚が苦しんだように見えなかったことに釈然としない遺族もいるそうです。

応報ということだったら、被害者は苦しみながら死んだのだから、死刑囚も同じような苦しみを与えて殺すべきだという意見が出てきます。

車でイエメン人の子供をはねて殺してしまった人を父親が車で轢き殺すというイエメンや、夫の不倫相手に硫酸をかけられて顔がただれ両眼を失明した女性に、加害者を失明させる権利があるという判決が下りたイランのように日本もすべきだということになります。
http://blog.goo.ne.jp/a1214/s/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%A1%E3%83%B3

ジョー横溝:「死刑を執行する刑務官のことを考えたら制度に賛成できない」というお話はいかがですか。
髙橋:刑務官は大変ですか? では被害者に執行のボタンを押させてください。それで結構です
青木:それは仇討ちですよね。
髙橋:仇討ちではございません。国家の判断がなく、自分の判断でやるのが仇討ち。国家がやらないなら私たちがやりましょう、というだけのことです。

憲法36条で「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」とあります。
被害者遺族にとっても死刑の執行は残虐なことだ感じるのではないかと思います。

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