平成15年(2003年)10月、中川智正さんは一審で死刑判決。
平成17年(2005年)4月ごろ、弁護団は佐々木雄司博士に精神鑑定を依頼した。
平成17年(2005年)4月ごろ、弁護団は佐々木雄司博士に精神鑑定を依頼した。
意見書の執筆を受諾した佐々木雄司博士は6月に二度、中川智正と面会し、解離性障害(祈祷性精神病)と診断した。
佐々木雄司博士は8月と11月にも面会した。
佐々木雄司博士は意見書を4本作成している。
佐々木雄司博士は意見書を4本作成している。
中川智正の症状はかなり激しいものだが、まれな例ではなく、現実には存在しないものが、見えたり、聞こえたり、感じたりする人は珍しくない。
麻原彰晃は光を放っており、そばにいると体が楽になる。
佐々木雄司博士は、中川智正は麻原彰晃と一体化しており、「麻原がそう考えていると思ったらそれはもうやらなければいけないこと。私と麻原とを結び付けていたのは神秘体験」という状態であったと指摘する。
佐々木雄司博士は、中川智正は麻原彰晃と一体化しており、「麻原がそう考えていると思ったらそれはもうやらなければいけないこと。私と麻原とを結び付けていたのは神秘体験」という状態であったと指摘する。
解離性障害は朝鮮半島の巫女(シャーマン)の症状に見られることから巫病とも言われ、沖縄ではカンダーリという。
次第にコントロールが可能になると、巫者(シャーマン)・教祖となる。
同時に、体験の貧困化、職業的狡猾化などが加わってくる。
同時に、体験の貧困化、職業的狡猾化などが加わってくる。
沖縄のユタや津軽のイタコ、霊能者や拝み屋、ヒーラーにもいる。
天理教の中山みきや大本の出口なおなどの教祖も巫病だった。
麻原彰晃も巫病で、神秘体験をしやすい特異体質だったらしい。
オウムの信者の修行については、先天的な巫者である麻原に憧れて後天的な巫者になるべく修行していた側面がある
巫病は、修行が先行してその後から神秘体験が出現する型と、神秘体験が先行する体験先行型がある。
体験が先行した非修行型には、治療が必要でないタイプと、治療が必要な状態を伴った修行型がある。
巫病は、修行が先行してその後から神秘体験が出現する型と、神秘体験が先行する体験先行型がある。
体験が先行した非修行型には、治療が必要でないタイプと、治療が必要な状態を伴った修行型がある。
オウム真理教の信者の多くに見られる神秘体験は修行型に該当する。
神秘体験に振り回され、日常生活に支障をきたせば治療が必要となる。
中川智正は治療が必要な体験先行型に相当し、同症状の人の中ではかなり激しいものとされた。
控訴審において弁護団は、中川智正の神秘体験、状態が、社会人類学で言うところの巫病、精神科の病名で言えば解離性障害ないし祈祷性精神病に起因し、障害による責任能力の毀損を主張の中心にすえることにし、佐々木雄司博士による精神鑑定の実施を申し立てた。
しかし、高裁は精神鑑定の必要性を認めなかった。
しかし、高裁は精神鑑定の必要性を認めなかった。
巫病の発症原因はストレスによるものが多く、中川智正の場合は卒業試験や医師国家試験、沖縄県立中部病院の不採用、医師としての勤務開始などがストレスの要因として挙げられる。
沖縄には巫病者が大切にされる風習があり、もし中川智正が沖縄の病院に勤めていたら巫病に苦しむことはなかったかもしれない。
こうしたことが佐々木雄司博士の意見書に書かれています。
出家直後、中川智正はまず立位礼拝をさせられた。
大声で詞章を唱えて体を前方に投げ出すようにして伸ばし、またすぐ立ち上がって詞章を唱えて、という動作を10秒から15秒に1回行うことを繰り返す。
中川智正は立位礼拝をしようとするたびに、誰かに投げられるような感じで体が吹っ飛ぶように倒れて大きな音を出し、また突然立ち上がって歩き出し、障害物等を避けて普通に歩いていたのに、「わし何してた」と言ったりした。
ほんまかいなという話ですが、佐々木雄司博士は「典型的な精神運動性興奮」であるとし、夢遊病のような症状を呈したことについては「解離性遁走」としています。
様々な神秘体験、臨死体験を繰り返す中で、中川智正は輪廻転生を実感するようになった。
アメリカ、ドイツ、チベット、インド、江戸時代の日本などに転生した前世が見え、いずれも麻原彰晃と共にいた。
中川智正は周囲が真っ白になるという空の体験をしているそうです。
悟り体験でしょう。
覚ると三明を得るとされます。
その一つが宿明明、過去世を知る能力です。
覚ると三明を得るとされます。
その一つが宿明明、過去世を知る能力です。
生まれてから死ぬまでの間ではなく、何度も転生して修行する。
長い時間での視点からすると、殺したり殺されたりすることも修行の一つ。
死が終わりではないから、死は恐怖ではない。
生命がずっと続いているというのが恐怖だ。
死が終わりではないから、死は恐怖ではない。
生命がずっと続いているというのが恐怖だ。
平成19年(2007年)7月、二審で控訴棄却。
平成23年(2011年)10月、中川智正弁護団『絞首刑は残虐な刑罰ではないのか?』が出版された。
中川智正が支援者を通じて収集した明治期の新聞・官報にある絞首刑の記録をデータベース化したものに基づいた研究である。
実質的には中川智正の執筆といってよく、校正から題名、装丁にまで関わったが、著者として名前を連ねることを固持したため、弁護団の名前にしたと、後藤貞人弁護士は語っている。
この本をいただいたので、ブログで紹介しています。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/7b7140abd9acb8c5e42700c606da6fa2
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/7b7140abd9acb8c5e42700c606da6fa2
平成23年11月、最高裁が上告を棄却、死刑が確定した。
江里昭彦さんと中川智正さんの同人誌「ジャム・セッション」を平成24年(2012年)に創刊。
中川智正さんは俳句と「私を取り巻く世界について」を投稿しています。
https://privatter.net/p/4318257
平成28年(2016年)、「現代化学」に「当事者が初めて明かすサリン事件の一つの真相」を発表。
この手記についてもブログで紹介しました。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/755c21f58a4341a2dac7501e8d86fb0e
平成29年(2017年)8月、再審請求。
平成30年(2018年)5月、再審請求は棄却。
6月、即時抗告。
7月6日、死刑執行。
「智正は巫者であり、麻原も巫者だったようである。先輩の巫者である麻原が後進の巫者であった智正をその状況を承知して利用した」と久保田正志さんは書いています。
麻原彰晃が都合よく中川智正さんを利用したわけではないと思います。
悪霊(?)が見えるという知人がいて、家に結界を張っていると言ってました。
母と自分だけが見えるそうで、知人も巫病なのかもしれません。
中川智正さんと会った時、今も何か見えるんですかと尋ねると、このあたりに光が見えると言うので、へえーと驚くと、全く何の役にも立たないと笑ってました。
私は悪霊は見えませんし、神秘体験をしたこともないですが、生活に支障を来しているわけではありません。
神秘体験など経験しないほうがいいようです。