三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

ガス・ヴァン・サント『ミルク』と創造論者

2009年04月28日 | キリスト教

ガス・ヴァン・サント『ミルク』を見る。
今年のベストテン候補である。
ハーヴェイ・ミルクは1977年にサンフランシスコ市の市会議員に当選した。
ゲイであることを公表して当選したアメリカで初めての公職者である。
しかし、1978年に同僚議員によって市長とともに射殺された。
70年代には同性愛は病気であるとされ、同性愛を理由に職業を解雇されることも珍しくなかった。
カリフォルニア州議会議員ジョン・ブリッグスは、カリフォルニア州内の公立学校から同性愛の教師および同性愛者人権を擁護する職員を排除するという提案をする。
ハーヴェイ・ミルクたちはそれに反対し、提案は住民投票によって否決された。
ブリッグス議員は「同性愛は違法にすべきだ」とも言っている。
同性愛者には公民権を認めないという動きはアメリカ各地で行われていて、その運動の広告塔が歌手のアニタ・ブライアントである。
なぜそんなに同性愛者を嫌うのかというと、神が認めていないからという理由。

で連想したのが、マイクル・シャーマー『なぜ人はニセ科学を信じるのか』に詳しく書かれている、創造論者が創造科学を公立学校でも教えるべきだという運動である。
これはアニタ・ブライアントたちが同性愛者の人権を奪おうとする動きと軌を一にしている。

創造論者とは?
「一般的に、創造論者というのは、聖書の記述をそのまま受け取っているキリスト教原理主義者を指す―たとえば創世記に天地創造が六日間の出来事だったと書かれていれば、それは24時間の六日分を意味する。当然ながら、さまざまな種類の創造論者にわけることができる。「若い地球」派は、創造の一日は24時間だったと解釈しているが、「老いた地球」派は、聖書の時間の流れは地質学的な時代のたとえだという説をすんなり受けいれている。また隔絶派ともなると、最初の天地創造と、人類や文明の発生のあいだには時間的な隔絶があると認めている」

そういう人がいるんだなという話ではない。
「1991年のギャラップ調査によれば、アメリカ人の47パーセントが、「過去一万年以内に、神がいまとそっくりの人類をつくった」と信じているという。また、「人類は原始的なレベルから数百万年以上の時間をかけて進化してきたが、その創造を含めて、すべての流れは神によって導かれたものだ」とする中道的な意見は、40パーセントを占めていた。わずか9パーセントの人々だけが、「人類は原始的なレベルから数百万年以上の時間をかけて進化してきた。神はそこになんら関与してはいない」と信じている。そして残りの4パーセントは「わからない」と答えている」

1996年、ヨハネ・パウロ二世でさえ、進化論を動かしがたい自然界の理法だと認め、科学と宗教には争いなどないことを示している。
なのに、アメリカ人の87%が創造論者とはとてもじゃないけど信じられない話である。
こんなことをまともに信じているのはエホバの証人だけではないわけだ。
アメリカでは、イエスを救世主として認める者のみが救われ、あとは永遠に地獄で苦しむと信じているキリスト教徒がほとんどだということになる。

なぜ進化論を嫌うのか?
「アメリカの道徳観と文化をおとしめるあらゆるものの根源であり、ゆえに子供に悪影響をおよぼす」
さらには
「科学的事実の進化論的解釈が結果として、法と秩序の大規模な退廃をまねいたことを明らかにしている。その因果関係は、進化論的な思考様式をもった人々の一部に生じる、健全な精神にやどる道徳観の崩壊と幸福感の喪失が源となっている。すなわち、離婚であり、妊娠中絶であり、氾濫する性病などがそうだ」

「進化論は、人間至上主義の悪の部分、つまりアルコール、妊娠中絶、カルト、性教育、共産主義、同性愛、自殺、人種差別、猥褻な書籍、相対主義、麻薬、道徳教育、テロ、社会主義、犯罪、インフレ、非宗教主義、そのうえいちばんの悪徳であるハードロック、そしてじつにけしからん子供と女性の権利の容認といったものとともに滅びるべきだ」
アニタ・ブライアントたちが同性愛者の人権を認めないのは別に驚くことでもないのである。

1923年、オクラホマ州は教師や教科書が進化論にふれないという条件のもと、無料の教科書を学校へ配布する法案を可決し、フロリダ州は進化論教育禁止令を可決した。
1925年、テネシー州は州内のあらゆる大学、公立学校で教師が神による人類創造を否定するいかなる説を教えることも違法とする法律が可決された。
「創造論者の言い分によれば、進化論に基準をおく生物学を認めないだけでなく、初期の人類の歴史にほとんど触れることもせず、宇宙論や物理学、古生物学、考古学、地質学、動物学、植物学、生物物理学の大半を否定しているのだ」

こんなことでは科学教育の水準が低下してしまう。
1957年、ソ連の人工衛星打ち上げがきっかけとなり、アメリカでは科学教育振興の動きが起こり、進化論も学校教育の場に復活した。
原理主義者たちは公立学校から進化論を排除しようとしたが、進化論を教室から閉めだせなかった。
1960年代末から70年代初頭にかけて、原理主義者は創世記の記述と進化論に同等の授業時間をさくことを要求し、進化論は事実ではなく単なる仮説にすぎないと記載されるべきだと主張した。
宗教上の教義を教えることが憲法違反となれば、公立学校に入り込むために創造論は科学であると主張され、創造科学は「宗教色のない科学的証拠にもとづいている」から進化論と同じように授業で取りあげらるべきだと圧力をかけつづけた。
1981年アーカンソー州で、1982年ルイジアナ州で、「創造科学と進化論は学校教育の場では平等なあつかいを受ける」ことが法律で定められたが、どちらも憲法違反であるという判決が出ている。
1986年、ルイジアナ州の「創造科学と進化論の均等教育法」の合憲性の判断が最高裁で行われ、違憲判決が出た。
アメリカの驚くべきところは、こういうトンデモを信じる人がいかに多くても、また差別や迫害を善意でする人が多くても、『ミルク』のような映画がハリウッドで作られ、アカデミー主演男優賞をとるということである。

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ロバート・I・サイモン『邪悪な夢』3

2009年04月25日 | 問題のある考え

カルトに加わるのはおかしな人かというと、ロバート・I・サイモン『邪悪な夢』によれば、
「精神的トラブルのある人や、精神障害者は、メンバーの三分の一以下にすぎない。臨床家のなかには、カルトのメンバーのほうが、そうでない人びとより精神が不安定であることを示す証拠はなにもない、と言う者もいる。実際のところは、精神的苦悩を癒すためにカルトに加わる人が多い」
何らかの問題を抱えている人が、問題解決のためにカルトの門を叩くというわけである。
「彼らは、カルトに加わるまで、社会への不適合や悲しみ、孤独、疎外感を感じていた。社会との接点はごく限られたものだった。精神的危機に陥った人びとは、カルトに加わることで、精神的苦痛がかなり和らげられている―少なくとも、一時的には」

だったらカルトは問題ないのかというとそうではなく、ロバート・I・サイモンはこのようにカルトを批判する。
「精神医学の見地からすると、カルトに加わることは、個人の成長を妨げ、責任感を放棄する危険がある」
「自分で考えずに人の言うなりになることは、人生を豊かにする経験からもっともかけ離れたものだ」

教祖が何か問題を起こし、時には教祖自身がみんなをだましていたと告白しているのに、それでもなお信じ続ける信者がいる。たとえば、信者に質素な生活を強要しながら、教祖や幹部が物質的に豪華な生活をしているカルトは珍しくない。
「カルトは戒律や規則を作ってメンバーに遵守させるが、その多くは資金集めの活動を奨励するものだ。カルトの精神生活にとって、お金はおよそ不必要に思われるが、実際には日々の活動をつづけるために不可欠なものだ。メンバーは労働を搾取され、個人の収入までも、カルトや指導者のためと巻き上げられる。なかには、メンバーには快適さをいっさい求めぬ暮らしを強いながら、指導者は贅沢三昧というカルトもある」
「カルトの指導者は神と特別な関係にあるため、多くの一般信者が縛られている俗世の規則や苦労から解放されている」

それなのに一般の信者は欲望を抑え、慎ましやかにしていないといけない。
「メンバーたちには、現世の物欲や快適さを捨てる代償として、救済と癒しが約束される。メンバーの多くは進んですべてを投げだし、無一文の状態になる」
にもかかわらず、信者は「カルトの理想に心を捧げるうちに、個人的な苦労など無視すべきささいなものだと信じるようになる」

どうしてなのか不思議になるが、ロバート・I・サイモンによると、「カルトは、精神的飢餓状態にある人びとに、指針と目的と愛と慈しみを与え、帰属意識や、精神的葛藤からの解放、それに自制心をもたらしてくれる」からである。
「たとえ指導者の化けの皮が剥がれ、まやかしだとわかっても、カルトから抜け出すことは難しい。人生の意味を教え、精神的支えを与えてくれた、理想化され偶像化された人物を、失うことになるからだ」

でも、カルトに入信したからといって、みながみなカルトにはまってしまうとか、心に傷を受けるわけではないらしい。
「統一教会の週末入門基礎講座を受けた人は、相当な数いたはずだが、そのまま入信したのは三万から四万人、1990年現在のメンバーの数は六千人にすぎない。多くのメンバーが、信仰を捨てるよう説き伏せられることなく、自発的にカルトを去っている―その後も、目立った精神的影響は出ていないようだ。傷つくことなく抜け出した幸運な人びとにとって、それは人生の一つの節目にすぎない」
「カルトに加わったことで、精神的ダメージを受ける人がいることはたしかだ。その一方で、様々な恩恵に浴した人びともいる。カルトへの流入流出を調べた統計によれば、カルトをやめた人の大半は、大きな変化も来さず、一時の気の迷いと受けとめ元の生活にもどっている」

ほんまかいなと思うが、米本和広『教祖逮捕―「カルト」は人を救うか』にもマインドコントロール論や脱会カウンセリングに対する批判が書かれている。
長年、統一協会の信者だった人が自分から自主的に脱会することもあるし、研修会に参加した人がすべて信者になるわけではないそうだ。

元信者を対象にした脱会後の予後調査
A群 自発的脱会者
B群 自発的に脱会カウンセリングを受けた者
C群 強制的に脱会カウンセリングを受けさせられた者
                                     A群   B群  C群
意識の浮遊や変性状態がある   11%  41% 61%
悪夢がある                        11%  41%  47%
記憶喪失がある                    8%  41%  58%

うーん、カルトへの入信が若気の至りで、人生の肥やしになるとはとても思えないが。
家族のだれかがカルトに加わると、残された家族は反カルト感情に凝り固まり、何とかカルトをやめさせようとする。
しかし、「迫害に曝されているという思いが、グループの絆をいっそう強める」ことになり、「メンバーたちを孤立化させ、意思の疎通がはかれなくなる」
そして、強制的にやめされると何らかの後遺症が残ることがある。
だから、無理強いはかえってよくないそうだ。
じゃあ、どういうふうにしてやめさせたらいいのだろうかと思う。

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無罪の主張と反省の両立?

2009年04月22日 | 死刑

和歌山の毒物カレー事件はやっぱり上告棄却となり、死刑が確定する。
状況証拠だけで死刑になったわけで、「疑わしきは罰せず」という無罪推定の原則はどうなったんだろうか。

で、最高裁の判決文にこういう文章がある。
「しかるに、被告人は詐欺事件の一部を認めるものの、カレー毒物混入事件を含むその余の大半の事件については関与を全面的に否認して反省の態度をまったく示しておらず、カレー毒物混入事件の遺族や被害者らに対して慰謝の措置を一切講じていない」

否認事件だと、被告は反省をしていないと判決文は非難する。
でも、いつも思うことだが、これはどういう意味だろうか。
この判決文を書いた裁判官は、被告がもしも罪を認めて深く反省し、被害者への謝罪や賠償などをしたならば死刑を回避したのに、どうして反省してくれなかったんだろう、残念でした、とでも言いたいわけだろうか。
4人が死んでいる事件で有罪だったら、死刑以外は絶対にあり得ないのはわかっているのに。
無罪を主張している被告が「慰謝の措置」を講じたなら、罪を認めたと判断されてしまう。
そんなこと誰でもわかることだが、この裁判官は冤罪というものはこの世にはあり得ないと思っているのかもしれない。
逮捕されたということは有罪であり、否認することは反省していないことだ、と。
最高裁の裁判官が無罪推定の原則を知らないとは思いたくないけど。

無罪か死刑とではえらい極端な話である。
無実の人を死刑にする間違いと、死刑になるべき人を無罪にする間違い、どちらの間違いを選ぶか。
無実の人が罰せられてはいけない、人権を大切にしなくては、という選びが「疑わしきは被告人の利益に」という無罪推定の原則を生んだのだと思う。

冤罪の可能性があるから死刑には賛成できない、という意見の人は結構いる。
冤罪の人も被害者である。
自分が被害者になったらということは想像しやすい。
だから、冤罪だという主張は支持を得やすいと思う。

でも、無実ではない有実の事件だとそうはいかない。
裁判員制度の話を某氏たちとしていて、計画的に殺したという検察の主張に対し、被告はかっとなって思わず殺してしまったと言っているというような場合、素人の裁判員ではどちらが正しいか判断できない、ということを言ったら、某氏は「被害者にしたら同じことだ」と言う。
そういうことではなく裁判で量刑を決めるには云々、と説明したつもりだが、どうも理解してもらえず、被害者に対して冷たいと嫌われてしまった。
某氏のような人が裁判員になったら困ると思う。

実際、死刑囚の再審請求は冤罪の主張ばかりではなく、殺人ではなく傷害致死だとか、心神喪失だとか、直接手を下してはいないとか、そういうことを訴えている人もいる。
もしそれらの訴えが本当なら、死刑というのはかわいそうだと思う。
だけど、100%無罪であってもなかなか再審開始とはならないのに、まして有実の場合は再審が認められることはまずないそうだ。
それでも和歌山の毒物カレー事件は世論が変わるかもしれないし、ひょっとしてひょっとしたら再審が認められる可能性がないとは言えない。
そうなったら死刑判決を出した裁判官はどういう「慰謝の措置」を講じるのだろうか。

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ロバート・I・サイモン『邪悪な夢』2

2009年04月19日 | 問題のある考え

カルトという言葉、私も気楽に使っているが、では定義は何かと言われたら困ってしまう。
ウィキペディアには「現在では反社会的な宗教団体を指す言葉として使用されることが多い」とあり、Yahoo!百科事典では「過激で異端的な新興宗教集団をさす」そうだ。

マイクル・シャーマー『なぜ人はニセ科学を信じるのか』に、カルト集団は一般的に次のように性格づけられるとある。
〈指導者に対する崇拝〉聖人、あるいは神格に向けられるものとさして変わらない賛美。
〈指導者の無謬性〉絶対に指導者がまちがいを犯さないという確信。
〈指導者の知識の広さ〉哲学的な事柄から日常の些細なことまで、指導者の信条や口にすることはなんでも無条件に受けいれる。
〈説得のテクニック〉新たな信徒を獲得し、現状の信仰心を補強するために、寛大なものから威圧的なものまで手段はさまざま。
〈秘密の計画〉信仰の真の目的と計画が曖昧としている。あるいは新規入信者や一般大衆にはそれらが明確に提示されていない。
〈欺瞞〉入信者や信徒は、その頂点に立つ指導者や集団の中枢部に関してすべてを知らされるわけではなく、また大きな混乱を招くような不備や厄介事に発展しそうな事件、あるいは状況は隠蔽されている。
〈金融面および性的な利用〉入信者や信徒は、その金銭およびそのほかの資産を差しだすよう説得され、指導者にはひとりかそれ以上の信徒との性的関係が許されている。
〈絶対的な真理〉さまざまなテーマにおいて、指導者、あるいは集団が見いだした究極の知識に対する盲信。
〈絶対的な道徳観〉指導者、あるいは集団が確立した、組織の内外を問わず等しくあてはまる、思考および行動に関する善悪の基準への盲信。その道徳の規準にきちんとしたがえば、組織の一員としていられるが、そうでない者は破門されるか罰せられる。

某国を連想してしまいました。

ところが、ロバート・I・サイモン『邪悪な夢』によると、
「公平に見て、ほとんどのカルトは否定すぎも肯定すぎもしない中庸なもので、修業や目標はごく一般的でまともなものだ。殺人カルトは、カルト全体から見れば極端に走りすぎているが、彼らがやっていることの多くは、カルト全般にあてはまる。もっとも穏健なカルトに共通の特徴が、もっとも危険なカルトにも見いだせるのだ」
ということで、カルトといってもいろいろだし、健全な宗教と危険な宗教集団との違いがはっきりしているわけではないらしい。
日本の既成仏教教団はカルトではないと思うが、だからといって危険なカルトと全く無関係で、共通する特徴がないとは言い切れないと思う。

そして、ロバート・I・サイモンは
「自己を捨てて集団のために生きる。これがカルトのモットーだ」
と言う。
これはつまりは滅私奉公ということであって、お国のためにとか会社人間も含まれるわけで、線引きが非常に難しいということになる。

「1960年代半ば、ヴェトナム戦争でアメリカ社会が混乱したときに、若者たちはカリスマ性のある政治家や宗教指導者に魅せられていった。この時代はまた、社会の基盤―家族、学校、それに既存の宗教―が根底から覆された時代でもあった。多くの人びとが、現世と来世に疑問を抱いたまま取り残されたため、すべての疑問に答えてくれるカルトの魅力的な主張に惹かれた。人間だれしも、なにかにすがりたいと思うものだ」
この説明、よくわかる。

『ダーティー・ダンシング』という映画は1963年、ケネディ大統領が生きていてベトナム戦争が泥沼化する前、避暑地のホテルが舞台である。
映画の最後にホテルの主人が、子どもが親と一緒に避暑に行くなんてこれからは考えられない、というようなことを言う。
一つの時代が終わったということである。
たしかに、夏休みに20歳前後の子どもが両親とともに長期間ホテルに泊まるなんて、今からすると、ええっという感じである。
つまり、そのころまでは家族が一つになっていたわけだが、そうした価値観が崩れてしまった。

西研『哲学のモノサシ』で言ってることも同じ。
「人間の欲望は、「価値あること=かくありたいこと」をめがけて流れる。わくわくすること、美しいこと、善いこと、そういう「価値あること」がとてもハッキリしていて、じぶんはそこをめがけて生きていると感じられるとき、人間はリアルに「生きている」という実感を持つことができる。
価値ある生き方が外から与えられなくなって、わたしたちは、自分なりに価値ある生き方を見つけ・かたちづくっていかなければならなくなった」

じゃあ何をよりどころにすればいいかというと、それを自分で見いだすことができないので、こうなんだとはっきりと答えを示してくれる教えや人物に惹かれる。
あらゆる悩みに先祖霊や前世の業で答える霊能者に人気があり、アメリカや韓国でキリスト教福音主義がはやっているのも、自信たっぷりにこうしろと説くためなんでしょうね。
ガス・ ヴァン・サント『ミルク』で描かれる同性愛者には公民権を認めないという運動は70年代、創造科学を公立学校で教えるべきだという運動は60年代末。
こうした動きも無関係ではないと思う。

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「婦人」抗論

2009年04月16日 | 日記

真宗大谷派が出している「あいあう」に船橋邦子氏のこんな文章が載っている。
「国連が1975年を「国際女性年」と決めたとき、日本政府は「国際婦人年」と呼んだ。しかし「婦人」は「箒を持つ人」、性別役割を表すとして公的文書では使われなくなり、ほぼ死語になった。性別に分離されていた職域も、その垣根が取り壊されつつあり、「保母」さんは「保育士」、「看護婦」さんは「看護師」、「スチュワーデス」という女性名詞は「客室乗務員」となった。「父兄会」とは言わなくなったし、メディアから「未亡人」ということばも消えた。とはいっても、「配偶者」を「夫」や「妻」と呼ぶ人は確実に増えてはいるものの「主人」や「奥さん」も決してなくなってはいない」
死語となったはずの「婦人」が「婦人生活社」や「婦人公論」ではまだ使われているが、会社名や雑誌名は公的文書じゃないからOKということか。

船橋氏は「「婦人」は「箒を持つ人」、性別役割を表す」と言ってるが、「婦」を白川静『字通』で調べると、
「箒は掃除の具ではなく、これにチョウ酒(香り酒)をそそいで宗廟の内を清めるための「玉ははき」であり、一家の主婦としてそのことにあたるものを婦という」とある。
真宗風に言うと、お内仏のお給仕をする人が婦人だということになる。
婦人会を女性会に変更しているところが多いが、婦人という言葉のいわれを考えると、仏教婦人会はまさにぴったいの名称である。
女性会というのは媚びているように思う。

「主人」や「奥さん」という言葉、問題があるのはわかるが、だからといって「主人」や「奥さん」が使えないとなると、人の夫や妻をどう呼べばいいのだろうか。
たとえば「あるお宅の奥さんがこんなことを言ってました」とは言えなくなるけど、「あるお宅では妻がこんなことを言ってました」じゃ意味が通じない。

では、「奥さん」ではなくて「妻」にしたらいいかというと、「妻」というのは差別語だ、「刺身のつま」というじゃないか、と某氏が言ってた。
で、辞書を調べると、刺身のつまとは「刺身を引き立てるために添えられる野菜や海藻など。転じて、添えもの程度の軽い役割しか担っていないもの」という意味。
「妻」が夫の添え物程度の軽い役割しか担っていないという意味なら、たしかにまずい。
でも、「つま」を調べると、
「つま(夫/妻)《「端(つま)」の意》
1 夫婦や恋人が、互いに相手を呼ぶ称」

とあって、「夫」も同じく添え物ということになってしまう。

船橋邦子氏はさらに、
「なぜ、結婚相手を「配偶者」と呼ぶようになったのだろう。「配偶者」の「配偶」とは、広辞苑によると「配偶子、生殖作用に際し、合体や接合にあずかる、ここの生殖細胞の総称」とある。ということは、結婚の相手である「配偶者」とは、生殖、子どもを産むための性(セックス)の相手ということになる」
と書いていて、「配偶者」という言葉を使うのもまずいらしい。
となると、結婚の相手をどう呼べばいいのだろうか。
「パートナー」と言う人が結構いるが、問題がある日本語は英語にしましょうという発想は、平仮名(めくらなど)はだめだけど漢字(盲人や晴眼者など)ならOKということと同じで、舶来信仰みたいなものではないかと思う。
そもそも英語だって語源を調べると差別的な単語があるだろうし。

真宗の法名は男は釈○○、女は釈尼○○だが、本願寺派は女性差別だというので、女も釈○○に変えている。

「釈」+「尼」が差別だったら、「彼」+「女」の「彼女」はどうなのか。
本願寺出版社の出版物は三人称について「彼」に統一、もしくは「彼男」「彼女」としているのだろうか。

アメリカで暮らしていた人の話だと、日本語に比べて英語は言葉の数が少ない、日本語は一つの事柄についてたくさんの単語、いろんな表現があるそうだ。
使えない日本語が増えてしまうと、言葉や感情の微妙な違いが表現できなくなる。
言葉の数が少ないと、世界が単調になると思う。

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ナタリア・ギンズブルグ『マンゾーニ家の人々』

2009年04月12日 | 

アレッサンドロ・マンゾーニ(1785~1873)はイタリアの国民文学である『いいなづけ』(『婚約者たち』)の作者。
「イタリアのこどもたちは小学校のころから、親や学校の教師たちに語り聞かされ、大学にはいる頃には、たいていの若者は、マンゾーニはもうたくさん、という気持になっている」という人物である。
『マンゾーニ家の人々』はマンゾーニの家族、友人、知人の手紙をつなぎあわせて綴られている。
訳は須賀敦子氏。

『マンゾーニ家の人々』を読んで思ったこと。
1,愛人
マンゾーニの母ジュリアは1762年生まれで、父親は死刑廃止論で有名なチェザレ・ベッカリア侯爵
ジュリアの母親は金持ちの愛人がいて、梅毒のために29歳で死んでいる。
持参金のないジュリアは26歳も年が離れた伯爵と結婚するが、夫と別居して愛人とパリで暮らす。
マンゾーニは別の愛人の子どもらしい。
18世紀のイタリアでは貴族の妻に愛人がいてもどうということはなかったのだろうか。
それとも、岡本一平、かの子が日本の平均的夫婦だと思われては困るように、ベッカリア家は特別なのだろうか。

2,手紙
『マンゾーニ家の人々』にはマンゾーニ家の人たちやマンゾーニ家と関係のある人たちの手紙がたくさん引用されている。
マンゾーニ家に来た手紙やマンゾーニが出した手紙だったら、有名人の手紙だから残されているのはわかる。
だけど、家族や知人同士とか無名の人の手紙をよく捨てずに保存していたものだと思う。
みんなかなり頻繁に手紙のやりとりをしているようで、分量としてはかなりのものになるだろうに。
『宮沢賢治全集』に収められている手紙の一番古いのは、明治43年、宮沢賢治(明治29年生)が満13歳の時に中学の友達に出した年賀状である。
私は手紙を読んだらすぐに捨てるのだが、残しておこうかという気に少しなった。

3,瀉血
この時代、病気になるとすぐに瀉血していたようである。
「四日間でピエトロ(長男)は四度、大瀉血を受け、蛭を27匹つけ、大量の催吐性酒石酸を飲みました」というような文章が次々と出てくる。
催吐剤とは「吐き気を催させ、胃の内容物を排出させるために用いられる薬物」のこと。
こんな治療をしてたら、よくなる病気も悪くなるのではないかと思う。
しかし、マンゾーニが73歳で重病になった時には、18回瀉血し、二ヵ月後に回復している。
瀉血も効果があるのだろうか。

4,有名人の子どもは大変
マンゾーニの長女は26歳、次女は26歳、三女は28歳、四女は2歳、六女は26歳で死んでいる。
次男は浪費家で父親に何度も借金をし、極貧のうちに62歳で、三男も勘当のような状態で零落して42歳で死ぬ。
父のために尽くした長男が60歳で死んでまもなく、マンゾーニは88歳で死亡。
身体が弱く病気がちな五女は70歳まで生きた。
悲惨なのが次男の妻で、金持ちの娘だが、ぐーたらな夫のためにすっからかんになって貧しい生活を送り、9人の子供を産み、子どもたちと仲違いしたために精神病院に入れられ、そこで死んでいる。
この人が精神病院から出した手紙を読むと、ほんとかわいそうとしか言いようがない。
で、マンゾーニの娘たちは早死にしているが、息子たちのように問題を起こしてはいない。
日本の
受刑者のうち女性の占める割合は昔から5~7%で、圧倒的に男が多い。
蓮如は『御文』に女は男にまさって罪が深いとしつこく書いているが、実際は男のほうが罪が深いようである。
もっとも女性は摂食障害が多いそうで、問題があった場合に外ではなくて内に向かうのかもしれないが。
女性のほうが男より真面目なんだろうか。

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松本仁一『アフリカ・レポート』と映画

2009年04月09日 | 

ロス・カウフマン、ザナ・ブリスキー『未来を写した子どもたち』は、女性カメラマンがコルカタの売春窟で生まれた子どもたちに写真を教え、学校に入れることで、親たちとは違う人生を歩ませようとするドキュメンタリー。
女性カメラマンの熱意には頭が下がるが、しかし残酷な映画である。
子どもたちに未来はないし、未来がないことを子どもたちは知っているからである。

松本仁一『アフリカ・レポート』に、
「この大陸の多くの国では政府指導者が腐敗し、そのため国民が犠牲になっているのである。そんな国に生まれてしまった国民は不運としかいいようがない」
とあるが、インドの売春窟に生まれてしまった子どもたちも不運としか言いようがない。
単に親の責任とは言えない。
いくらインドが経済発展しようとも、インドの貧しい人たちは貧しいままだろうし、これから100年たってもアフリカの国々の政治の腐敗、先進国の搾取、国民の困窮は変わらないのかとため息が出る。

米川正子氏によると
「1998年のコンゴ紛争以降暴力、病気、飢えなどに襲われ命を失った人の数は実に540万人にのぼります」(国連UNHCR協会ニュースレター)
ナチス政権下で虐殺されたユダヤ人は約600万人である。
ユダヤ人虐殺を知っていても何もしなかったように、
コンゴで行われていることを何とかしなければと本気で思っている国があるのだろうか。

サハラ以南のアフリカには48の国があり、大きく分けて四つのタイプがあると松本氏は言う。
①政府が順調に国づくりを進めている国家
②政府に国づくりの意欲はあるが、運営手腕が未熟なため進度が遅い国家
③政府幹部が利権を追いもとめ、国づくりが遅れている国家
④指導者が利権にしか関心を持たず、国づくりなど初めから考えていない国家
①に該当するのはボツワナぐらい、②がガーナ、ウガンダ、マラウイなど10ヵ国程度、③がアフリカでは一般的でケニア、南アなど、④はジンバブエ、アンゴラ、スーダン、ナイジェリアなど。

ジンバブエでは農業生産が安定し、輸出するほどだったが、政府は90年代半ばから農業に無関心になり、農業は荒廃した。
これはジンバブエだけではない。
アフリカの国の多くはかつては農業輸出国だったのに、今は輸入国となってしまった。
なぜこれらの国では農業に関心を払わなくなったかというと、農業は大きな利権につながらないからだという。
つまり、腐敗した指導者は利権にしか興味がないのである。

指導者がなぜ腐敗するのだろうか、松本氏はこう指摘する。
一つは部族の問題、部族の対立。
アフリカでは多民族国家がほとんどで、選挙は出身部族の人口比で決まってしまう。
「その結果、国益より部族益が優先されるケースが多い」
「アフリカのほとんどの国で、指導者は、自分の部族に属するもの―地縁・血縁者―に国家利益を分配し、それによって自分の地位の安定を図っている。その結果、国づくりが放置される」
「国民が部族への帰属感を強く持ち、国家との一体感が薄い状態があると、権力者の腐敗をとがめる者がいなくなる」

そうして、「利権を握る指導者のグループと、利権から排除されたグループとの対立は激化する」ことになり、これが内戦と結びつく。

二つは、指導者に外部からの攻撃に対する強い危機感がなかった。
だから利害を超えてまとまることができない。
経済不振などの問題が生じれば、指導者は「敵」をつくり出すことで不満をすりかえる。
ジンバブエだと、「生活が苦しいのは白人のせいだ」ということにし、ルアンダでは「ツチ族のせいだ」というので虐殺が行われた。

そうしてお金は政府幹部のふところと融資をする旧宗主国や先進国に流れ、国民は貧困にあえぐことになる。
旧宗主国や先進国が融資してダムや道路などを作る、あるいは資源を開発し、その工事は自分たちが請け負い、自国民が働くので、外国から融資を受けても金が自国にまわらないし、地域住民に還元されないという新植民地主義。

トム・ティクヴァ『ザ・バンク 堕ちた巨像』は、IBBCという反政府ゲリラに融資して紛争を起こし、その国を支配しようとする、なんてことをするあくどい銀行が悪役。
IBBCは経営破綻した国際商業信用銀行(BCCI)がモデルなんだそうだ。
内戦でもうけている国や会社があることは事実である。

2004年、中国はアンゴラにODA名目で20億ドルを融資し(住宅建設、道路、鉄道の補修)、アンゴラは石油で17年かけて返済するという契約が結ばれた。
そのプロジェクトのほとんどすべてを中国の国益企業が受注し、労働者を中国から連れてき、設備や資材も中国から運んだ。
アンゴラ人は雇われず、アンゴラに金は落ちず、20億ドルは中国に還流した。
スーダンで生産している原油の86%が中国向け。
スーダンに住む中国人は3万人いて、そのうち2万人は石油採掘施設や製油所など中国政府系の石油プロジェクトで働いている。
なるほど、アフリカで中国が影響力を持っているのはこういうことなのかと納得。

日本人だって他人事ではないわけで、米川正子氏は
「資源を狙い、多数の国と企業がうごめき、国内外の武装勢力が莫大な利権をめぐり争いに明け暮れているのです。住民たちは邪魔者として追い払われ、あるいは人質に取られ、子どもまでも兵士として教育され、女性はレイプされています。こうした暴挙に日本も無関係とはいえません。私たちの使う携帯電話やノートパソコンに不可欠な希少メタルは、武装勢力の下で奴隷のように働かされている、この国の貧しい人々が掘り出したものなのですから」
と書いている。

アフリカでは警官や教師といった国の根幹を守る人たちは低賃金の給料すら払ってもらえないことが多い。
となると、治安は悪くなるし、仕事の効率は悪いし、次世代が育たない。
で、ますます国が不安定になるという悪循環。
子どもが教育を受けられないということは未来が作られないということでもある。
「アフリカの多くの国がいま、独立の意義を失っている。治安が守れないだけでなく、兵士や警官、教師など国の基本となる公務員の給料さえ遅配・欠配が続く。その結果、国づくりの中核となるべき中産階級や、教育を受けた医師や法律家などの専門職までが国外に流出していく」

自国で仕事がなく働けないとなると、外国に行くしかない。
フランスに住む外国人は1990年には約360万人、その45%がアフリカ人だったが、1999年には外国人が約431万人でアフリカ人は50%を超える。
ロンドンの病院では看護師の多くがケニア人女性。
「ケニアは、せっかく育てた看護師をイギリスに奪われているのだ」

このことについても日本だって同じことをしている。
ニートの自立支援に関わっている人からこういう話を聞いた。
日本は少子高齢化だから、これから労働人口が減って日本経済の活力が減退する。
そこで外国から日本に働きにきてもらうという動きがある。
インドネシアから看護師や介護士がすでに来ているし、生産現場にブラジルなどから大勢来ている。
経済産業省では「アジア人財資金構想」という事業をやっていて、アジアの国から日本に留学している大学生、大学院生に、卒業したら自国に帰らずに日本で就職してもらおうというはたらきかけをしている。
この話を聞いた時にはいいことだと思ったのだが、『アフリカ・レポート』を読み、「アジア人財資金構想」は途上国から人材という材料を輸入するようなもので、日本のことしか考えていない自分勝手な発想だと思う。

アフリカでも、国に期待するのではなくて、やる気をうながし、自力で生活の向上をめざす動きが民間から生まれはじめたという。
ジンバブエのORAPはジンバブエ人によるNGO。
ORAPの特徴は「ただで物を配る援助は絶対にやらない」という点にある。
農民自身が運動の主体となって自立することを目的とする。
「私たちがやっているのは、人々がやる気を起こすように仕向けることなんだ」
「ただの援助はだめだ。苦労して手に入れた物なら誰だって大切にする」

ソマリアから独立したソマリランド(もっともどの国からも承認されていない)では、部族の長老たちの呼びかけで、民兵が武装解除している。

アフリカで活躍する日本人もいて、ケニアで「アウト・オフ・アフリカ」というブランドを作った佐藤芳之氏。
すぐれた人材を採用しているわけではないし、とりたててエリート教育をしているわけでもない。
「がんばって働けばいい暮らしができるという励み、働く励みになるものを、目に見える形で示すことが大切だ」
と佐藤氏は言っている。
給料はきちんと払うし、真面目に働けば昇給、昇進する。
ウガンダの柏田雄一氏は衣料メイカーで、1964年からウガンダで働いている。
アミン大統領の暴政から逃れ、新政府の国有化策で出国し、いずれも新規からやり直している。

柏田氏が何度も一からやり直し、ORAPがジンバブエ政府からの嫌がらせを受けているように、民間からこうした動きが生まれても、政府が気に入らなければつぶされてしまう。
政治が変わらないといけないと思うのだが、やっぱり無理なんだろうか。

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『ブタがいた教室』と『豚のPちゃんと32人の小学生』2

2009年04月06日 | 映画

仏教では、衆生とは人間のことでなく、すべての生き物という意味である。
豚も人間も同じ衆生だから命の重さは同じ。
そうは言っても肉を食べる。
そこで、三種浄肉、すなわち「殺されるところを見ていない」「自分のために殺したと聞いていない」「自分のために殺したと知らない」肉は食べてもよいとされる。

あまりにもご都合主義の屁理屈だと思ったが、『ブタがいた教室』を見て合理的な考えではないかと思った。
というのも、どこかで割り切らないと何も食べれなくなるからである。
たとえばこんな話がある。

廬山慧遠だったと思うが、亡くなる時に慧遠が「のどが渇いた」と言うので、弟子が重湯を飲ませようとする。
ところが、時刻は正午を過ぎており、正午を過ぎたら食事はできないという戒律がある(不非時食戒、八戒の一つ。『西遊記』の猪八戒の八戒。豚は猪を品種改良したもの。何やらつながりがあるようなないような)。
それでお湯に蜜を溶かしたものを飲ませようとしたが、しかしこれは食べ物か、それとも飲み物か、戒律ではどうなっているのか、というので調べているうちに慧遠は亡くなってしまった。
こういった杓子定規さはおかしいと思うが、だからといってすぱっと割り切って悩まないことがいいとも思わない。
バランスですね。

で、命の重さということだが、豚や蚊やハエの命だって大切だし、殺された人の命も殺した人の命の重さも等しいはずだ。
娘さんを殺された木下建一氏「被告の生命も、あいりの命も、私の命も、一人一人大切なものではないかと考えるようになった」「世界に1つだけだったあいりの命と同じように、被告の命にも何か意味があるのではないか」と言われている。
木下氏も6年2組の子どもたちのように、奪われるかもしれない命を目の前にして割り切れずに悩んでいるのかもしれない。

日本には死刑制度があるのだから死刑判決があるのはやむを得ないとは思うのだが、光市事件で裁判長が死刑判決を言い渡した時、広島高裁に集まって大きな歓声と拍手をした数百人の人たちには、豚のPちゃんをどうするか悩んだ子どもたちの爪の垢でも飲んでほしいと思う。

で、人の命は地球よりも重たいと言うが、人の命と100万円とどっちが大切か。
もしも家族が誘拐されて身代金を100万円要求されたら、サラ金からでも何でもお金を借りるだろうと思う。
では、身代金が10億円だったらどうするか。
石油王のポール・ゲッティの孫がイタリアでマフィアに誘拐され、300万ドル、3億円の身代金を要求された。

ポール・ゲッティの息子は自分の子どもを救うために父親に金を出してもらうよう頼む。
ポール・ゲッティは大金持ちだから300万ドルぐらいどうということはない。
が、ポール・ゲッティという人は大金持ちだけどケチで有名な人で、身代金は払わないと言った。
孫はたくさんいるのに、誘拐されるたびにいちいち払っていられないというわけだ。
マフィアは孫の耳を切り取り、封筒で親に送りつけた。
これを知ったゲッティは300万ドルを支払ったという。

エチオピアの難民キャンプで働いていた日本人女医が誘拐され、身代金300万ドルの要求されたという事件があった。
身代金を支払わずに無事解放されたのだが、もしもあくまでも身代金を要求された場合、家族は払えないだろうから、日本政府が払うしかない。
以前、イラクで3人の日本人が人質になって日本政府が身代金を払った時には、この3人はすごく非難された。
女医さんの命と3億円、どっちを取るか。
ポール・ゲッティじゃないけど、日本人が誘拐されるたびに3億円も払っておれない。
じゃ、どうしたらいいのか。
これもそう簡単に答えの出る問題ではない。

Pちゃんを飼ったことでいわゆる〝教育効果〟があったかどうかはわからないが、子どもたちに何か(たとえば考えることの大切さ)が残ったに違いないと思う。

『豚のPちゃんと32人の小学生』の解説をテレビディレクターの西谷清治氏が書いているのだが、ドキュメントがテレビ放映された後、こういう抗議の電話があったという。
「お前は誰だ。名前を言え。そんな作品を放送するやつは、暗闇の中で殺してやる。今から宣伝カーをテレビ局の前に持って行ってがなりつけてやるからな!」
「命をナンダと思っているんだ」
「あの先生の名前を教えろ。豚の代わりに殺してやる」

うーん、この人たちは豚肉を食べないのだろうか。
そういえば、連続殺人事件が起き、犯人の動機は被害者たちが動物を虐待したから、というユーモアミステリーを読んだ記憶がある。
人間の命よりも動物の命のほうが大切だという、その手の人が現実にも存在するのかもしれない。

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『ブタがいた教室』と『豚のPちゃんと32人の小学生』1

2009年04月03日 | 

小学6年生の担任が「ブタをクラスで飼い、そして最後は食べます」と子どもたちに宣言し、そうして飼っていたブタを食べることで命について考えようというアイデアはなかなかのものだと、最初は思った。
しかし、前田哲『ブタがいた教室』を見て、担任の安易な思いつきにすぎなかったのではという気がした。

普通、ペットは殺さないし、食べない。
子どもたちは豚にPチャンという名前をつけ、先生に言われたからではなくて、進んでPチャンの世話をする。
Pチャンの世話をしていくうちに情が移り、肉を食べるために飼う豚ではなく、子どもたちのペットとなった。
Pチャンを殺して食べるのは、家で飼っている犬やネコを殺すのと一緒。
担任は最初、子どもたちがここまで豚に愛情を持つとは思わなかったのではないか。

で、担任だった黒田恭史氏が書いた『豚のPちゃんと32人の小学生』を読む。
映画は実際とはかなり変えている。
まず映画では6年生の一年間の話だが、実際は4年生の7月から卒業まで豚を飼っている。
豚をどこで買うか、それがまず一苦労。
そして、豚小屋の付近で蚊と蝿が大発生したり、豚が風邪をひいたり、毎日試行錯誤の連続だったと原作にはある。
映画では担任と子どもたちだけで豚を飼ったようになっているが、実際は多くの人に手助けをしてもらっている。
たとえば豚小屋にしても、子どもたちだけで作ったわけではなくて保護者が協力してるし、Pちゃんが大きくなるというので豚小屋を改修している。
豚を飼い続けることの大変さにはお金の問題もある(風邪薬や小屋の修理費などなど)。
子どもたちは廃品回収をしてお金を作る。
こうした苦労は映画では描かれていない。

黒田氏は命の教育ということでいろんな試みをしている。
たとえば、子ども動物園の八木修氏に来てもらい、豚について話をしてもらう。
豚は生まれて6ヵ月ぐらいで100kg前後になると豚肉にするのだそうだ。
そして、豚の寿命は何年ぐらいか、豚がどれくらいまで大きくなるのか、その体重をいつまで支えきれるか、誰にもわからないだろう、と八木氏は言う。
人間に食べられるのが豚が生まれてきた意味だということになるか。
ちなみに、日本人は豚肉を1年間に1人あたり約5kg食べており、日本全体だと6億kg。
豚肉になる豚は約100kg、そのうち豚肉になる部分は60kg程度なので、1年間に1000万頭の豚が殺されていることになるそうだ。
ところが、厚生省の調査では年間約2000万頭の豚が食肉になるという。
いやはや、知らないことだらけである。

あるいは、人間は何匹の虫を踏んでいるかということ。
まず足の裏の面積を求め、そして一定量の土の中にいる生き物の数を調べる。
1m四方、深さ15cmの土の中にみみずやむかでなどの大型のものが360匹、とびむしやだになど中型のものが202万8000匹もいるそうだ。
ある生徒の場合だと、片足の下には約3万6400匹もの生き物がいることになる。
あるいは、食肉センターに行って、豚が解体されるのを見学する。
ただし、喉元を切られるところや頭と足を切り取る部分は見学が許可されない。
あるいは、中華まん作り、ソーセージ作りなど。
そして、記録を残すために絵本を作る。

4年の終わりにPちゃんの処遇をどうするか結論が出せないままに終わり、クラス替えとなる。
5年生の9月からテレビの取材が入る。

卒業が間近になり、Pちゃんをどうするか、子どもたちが討論をする。
3年1組に引き継いでもらうか、食肉センターに連れていくか、子どもたち同士で何度も話し合い、保護者にも話し合いに参加してもらうこともあった。
映画でもこの討論の場面は圧巻である。

Pチャンの世話を下級生に頼むか、それとも食肉センターに連れていって殺すかの選択を子どもたちはしなければいけない。
ブタを殺したくないという子と、殺すしかないという子と半分に分かれ、涙を流しながらすごく一生懸命に話し合う。
ご飯を食べる時、目の前の牛肉や豚肉がもとは生きていたなんてことは考えない。
でも実際にブタを飼うことであれこれと考える。
自分が飼っているブタの命は大切だけど、スーパーで売っている豚肉になったブタの命はどうでもいいのか。
じゃあ、これから豚肉は食べないのか。
そういうことを子どもたちが真剣に、時には泣きながら、きちんと自分の意見を述べる。
子どもだからと馬鹿にできない。

原作では、子どもたちの結論は、まずは3年1組に引き継いでもらうことですすめ、どうしてもダメな場合は食肉センターに持っていく、最後の決定権は担任の黒田氏にあるということになった。
結局、黒田氏は食肉センターに持っていくと決断する。
どうして下級生に頼まなかったのだろうか思った。
黒田氏もよくわかっていないらしい。
子どもに食肉センターに連れていく(つまり殺す)ことがどうして一番いい方法なのかと聞かれ、黒田氏は「今わからない。ごめんね」と答えている。
このことについてのインタビューを読んでも、黒田氏が何を言っているかよくわからない。

他にも疑問がある。
たとえば、食肉センターに運ぶためにPちゃんをトラックに乗せるのに子どもたちを手伝わせたこと。
餌を入れたバケツを見せてトラックへ乗せようとするのだが、Pちゃんはトラックへの坂道を上がろうとしない。
ロープを鼻と足に巻き付けて引っ張る。
子どもたちもそのロープを引っ張る。
Pちゃんは足を突っ張って抵抗する。
泣き始める子もいる。
Pちゃんは今まで聞いたことのない叫び声をあげながらトラックに乗る。
そこまで子どもたちがしなくてはいけないのかと思う。

そして、豚を飼う〝教育効果〟について。
豚を飼うことで何もかもうまくいったわけではない。
「クラス内での子どもたち同士のもめごとや、いじめにしても何回もあった。お金がからんだこともある」そうだ。
「ただ、子どもと保護者と教師の全員が一つのことに必死になれた。教育の一つのありようを自分たちが創り出すことの意欲を持っていた」
では、黒田氏は次のクラスを担任した時にどうして豚を飼わなかったのか。

「Pちゃんのときの子どもたちは今はどうしていますか?」と聞かれることが多いという。
「質問した人は、素朴に彼らのその後を知りたいという気持ちとともに「こんな経験をしたのだから、彼らが大きくなっても他の子とは何か違っているのでしょうね」という〝教育効果〟を聞き出そうとしているように感じていた。しかし、そんな〝教育効果〟は全くといってよいほどないように思う。3年間よりも、その後の8年間の方がずっと長いし、もっと多感な時期であったことだろう。だから、Pちゃんのことが、全てに飼って大きな出来事であるはずがなかった」
いわゆる〝教育効果〟というのも安直な話ではあるが、だからといって豚を飼っても飼わなくても子どもたちにとっては同じことだったというわけでもないだろう。
子どもたちは何かを得たと思う。
それは黒田氏の狙いとは違うかもしれないし、子どもたちも言語化できないかもしれないが。

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