三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

ログインできない

2013年08月29日 | 日記

パソコンを買い換えました。
前のパソコンは買って5年ちょっと。
スピーカーは音が出なくなったし、5年保証の期間は切れたしで、新しいパソコンを買ったわけです。

ウィンドウズ8の使いにくさに、数日間は無駄な時間を過ごしてしまいました。
でもまあ、それはまだよしとしましょう。
どうやってもgooブログの編集画面にログインにできません。

パスワードが違うのかと、あれこれ試みましたがダメ。
パスワードを変更しようとしても、これまたダメ。
パスワードの変更はgooIDと私の誕生年月日と私のメルアドを入力するだけです。
それなのに変更できないんだからお手上げです。

gooにメールをしたんですが、パスワードを教えてくれないし、なぜパスワードが変更できないかも教えてもらえません。

前のパソコンならどうだろうとログインを試みると、あっさり編集画面になりました。
それで今、これを書いているわけです。
新しいパソコンでログインできないままだと、このブログは更新できなくなります。
新しいブログを始めるか、それともやめるか。
どうしたものやら。


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山田満編著『東ティモールを知るための50章』

2013年08月21日 | 

1999年の東ティモール独立をめぐる紛争のニュースを見ながら、九州よりちょっと小さい島なのに、どうして二つの国に分かれて独立しようとするのかわからなかった。
ティモール島はインドネシア領の島にまわりを取り囲まれている。
民族、文化、宗教などが東西ティモールで大きく違うわけでもないらしい。
おまけに西ティモールに飛び地があるわけで、ティモール島全体で一つの国になればいいのにと思った。

それからはや十数年、図書館に行くと山口満編著『東ティモールを知るための50章』(2006年刊)という本がありました。

東ティモールの歴史を見ると、16世紀にポルトガルがティモール島の白檀貿易を開始、ティモール島の領有を宣言する。

17世紀以降、オランダとポルトガルの抗争が始まり、オランダは1688年には西ティモールのクバンを占領、18世紀までにオイクシ(東ティモール領の飛び地)を除く西ティモールを支配する。
1859年、リスボン条約により西ティモールのオランダへの譲渡。
1904年、ポルトガル・オランダ条約による国境の確定。
何年にティモール島がポルトガル領とオランダ領とに分けられたのかははっきりしないが、約200年間は分断されていたことになる。
1974年、革命によって成立したポルトガルの新政権は非植民地化の方針をとる。
1975年、インドネシアの軍事侵攻、そして1999年まで占領する。
「東ティモールも独立が正当化された主因として、インドネシアの他地域との共通の歴史を共有していなかったことがあった」

ウィキペディアの「西ティモール」の項を見ると、西ティモールの失業率は10%、一人当たりの所得もインドネシア全体の平均の約3分の1で、西ティモールの経済は大きく遅れをとっている、とある。
それでも東ティモールより豊からしい。

『東ティモールを知るための50章』に、新屋敷道保さんが2001年に西ティモールへ行ったときのことが書かれてある。
「道すがら見た西ティモールの農村風景に圧倒され続けた。綺麗に整備された田園風景が延々と続き、そればかりか各農家に穀物倉庫があり、そこには一年中の穀物が貯蔵されていた。ときには家より立派な倉庫もある。倉庫の下が作業上や休憩場所となっている。これを見たとき東と西の農村生活に歴然とした違いがあるのを垣間見た。そして、西ティモールの農民の笑顔に生活のゆとりがあるのを感じた」

「森林状況が東ティモールとはまったく違う。西ティモールでは山といえど隙間がないくらいチークを植林している。それは夥しい面積である。車で何時間走ってもその景色が消えることがない。そして、禿山がまったくない」

東ティモールでは道路事情が悪いため、余剰米を国内で販売できない。
また、灌漑設備が不備なので乾期に稲作ができない。
ポルトガルの植民地政策は道路や灌漑の整備などの開発や投資を行わず、住民に教育を与えることをしなかった影響である。
また東ティモールでは、山焼きをしたり、燃料や煮炊きに薪を使うために森林破壊が続いており、北部は禿山が延々と続いている。

インドネシア時代には国からの補助があったのでガソリン代も安かったが、インドネシアの手を離れた途端に石油などの油の値段が約3倍になり、バス代が10倍になった。

地方からバスで首都のディリまで出てきて野菜を売ってももうけにならない。
「発電機を使っている東ティモールの電気代は、世界一高いともいわれている」

東ティモールでは政治も不安定である。
インドネシアの支配がひどかったにしても、独立に際して違ったやり方があったのではないかと感じる。
植民地支配から脱却しても負の遺産はいつまでも残る。
東ティモールの現状はアフリカの多くの国の混乱と似ていると思った。

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東京裁判・侵略戦争・靖国神社 3

2013年08月17日 | 戦争

玉串料奉納について、首相は官邸で記者団に「国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊に対する感謝の気持ちと尊崇の念の思いを込めた」と述べた。(略)
参拝すれば中韓両国の反発は必至で、米国側の懸念も高まると判断。(産経新聞8月16日)

朝日新聞社説「68回目の終戦の日だったきのう、安倍首相は靖国神社への参拝を見送った。尖閣、竹島や歴史認識の問題で、中国や韓国との関係が冷え切っている折である。ここで参拝すれば、両国との関係改善はさらに遠のく。見送りは現実的な判断と言えるだろう」

靖国神社への参拝に関する安倍首相たち政治家の発言、新聞の報道を見ると、外国にだけ目が向けられているように感じる。
戦死者や遺族のことを本当に考えているのかと思う。


木村隆『演劇人の本音』で、澤地久枝氏はミッドウェー海戦を調べていく中で、一兵卒までの全員の生死を明らかにしようとするアメリカに対して、日本にはそういう態度のなかったことを指摘している。

澤地「日本とアメリカの軍隊生活ってもの、それから戦死した人の扱いっていうものが同じなのか違うのかを知りたいと思った。あんなに有名な海戦だから当然何人が戦死してそれは誰だったかわかっていると思った。そうしたら概数しかわからない。厚生省は一切協力しなかった」
木村「戦死者とは常に概数なのですか」
澤地「ほとんどが概数です。日本の戦争というのはいつだって末端の兵士がどのように死のうとわからなくて平気なのね。よく「一銭五厘」って言うでしょ。一銭五厘は葉書の値段。いくらでも連れて来られるからって馬よりもひどい目に遭わせた。そのくらい軽い命の死んだ後なんか調べませんよ。でも、国は残務処理をする義務があると思う。赤紙で連れて行かれ、死んだ。死んだ兵士と遺された家族の思いを考えたらね。アメリカ側は、海軍、海兵隊、陸軍と個々に調べないといけないのですが、戦闘中戦死、それから行方不明になり一年前に戦死と認定のMIAとか、俘虜になりのち虐待死とか、ちゃんと番号が全部つけられて一目瞭然にわかる。遺体が帰った戦死者、帰らなかった戦死者もね」

戦死者をひとまとめにして神として祀るよりも、一人の人間として大切にすべきだと思う。

そして、産経新聞の社説の「靖国神社には、幕末以降の戦死者ら246万余柱の霊がまつられている。首相が国民を代表して参拝することは、国を守る観点からも重要な責務である」ということ。

「国を守る観点」とは、中曽根元首相の「戦没者を祀る靖国神社を国の手で維持しないで、これから先、誰が国のために死ねるか」という発言のように、戦争になった時に喜んで死ぬ人を再生産するために靖国神社は必要だということだと思う。
靖国神社の政治利用である。

植木雅俊『仏教、本当の教え』に、「怨親平等」ということから靖国神社を批判している。
「わが国では戦争の後に敵と味方を分け隔てなく平等に弔うことが行なわれていた」
たとえば、蒙古襲来で元軍が日本に攻めてきたが、追善供養が営まれて日本と元の人たちの両方の遺体が葬られている。

島原の乱でも同じ。
「島原の乱があって島原半島南部の農民たちはほとんど全滅してしまった。その数は三万人前後と言われている。このときも、盛大な法会が催され、敵味方の区別なくキリシタンと幕府軍の両方の戦没者が弔われている」

「ダンマパダ」の「この世において諸々の怨みは、怨みによって決して静まることはない。けれども、(諸々の怨みは)怨みのないことによって静まるのである」という文章を植木雅俊氏は引用するけれど、敵をも追善供養するのは御霊信仰だと思う。

それはともかく、植木雅俊氏はV・E・フランクル『意味への意志』の「いま必要なのは、悪の連鎖を断ち切ることでしょう。あることにそれと同じもので報いること、悪に報いるに悪をもってすることではなく、いまある一回限りの機会を生かして悪を克服することです。悪の克服はまさに、悪を続けないこと、悪を繰り返さないことによって、つまり「目には目を、歯には歯を」という態度に執着しないことによってなされるのです」と紹介し、靖国神社信仰を批判する。

「明治政府は、この「怨親平等」から逸脱してしまった。明治維新の際の戦で亡くなった人のうち、官軍の死体はすべて収容されて招魂社に祀られたが、明治政府に敵対し賊軍と呼ばれた人たちの死体は野ざらしにされ、祀られることはなかった」

靖国神社は最初から政治的存在なのである。
和田稠『信の回復』に、靖国神社国家護持法案の問題は、神道と国家が合体し、再び国家神道が復活する危険だとある。
つまり、国家による宗教干渉、精神支配のために靖国神社は存在する。

1,天皇―神道―国家の不可分関係
2,靖国神社とならんで伊勢神宮の非宗教法人化、各府県の護国神社の公営化。祭政一致の国家神道復活。
3,神道主義による国民教化

私は『信の回復』を読みながら、勘ぐりすぎだと思ったが、以下の引用を読み、決して和田稠師の深読みではないとわかった。

「神社新報」(昭和40年4月)「靖国神社国家護持の真の目的は神社の財政援助でもなければ、遺族待遇の世俗的問題なのでもない。日本国そのものの精神的姿勢を正す問題である」
「神社新報」(昭和44年8月)「急激に日本経済は発展しているが、その反面、精神的弱さがある。それを克服できるのはキリスト教や仏教では不可能、神社神道以外にはない」
「日本遺族通信」(昭和47年3月)「基本的には、靖国神社に英霊は厳として神鎮まるとする民族的信念と、靖国神社は、憲法でいう宗教とは別個の特別の神社であるとする国民多数の良識が健全な限り、法律といえども手続にすぎず、それによって魂が生まれるか、なくなるかということ自体無意味に近いといえよう」

神社本庁「神道教化概説」
教化の根本方針「健全なる祖国の再建は正しき神道精神の昂揚を伴わずしては達成し得ない」
実践目標「人間至上科学万能的現代思潮を是正し、以て本来の神道的霊性の開発に務めること」
「教育のあらゆる分野を通じて、わが国の精神的伝統を恢復する務めること」

具体的には「拳法をはじめ占領下法制化改正に関しその世論を喚起するとともに、神社界の主張を反映せしめることに務めること」

靖国神社参拝は決して心の問題ではない。
政治家の伊勢神宮への参拝も同じである。
だから、安倍首相は「国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊に対する感謝の気持ちと尊崇の念の思いを込めた」と語っていても、本音は別のところにあるのではないかと勘ぐるわけです。

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東京裁判・侵略戦争・靖国神社 2

2013年08月14日 | 戦争

先の戦争は自衛のためだったと主張する人がいる。
宮下展夫氏は木村隆『演劇人の本音』で「あの時代を生きてきた人間として、日本は悪くなかったかというと、相当ひどいことをやったんじゃないかという思いがある。日本が満州や、朝鮮半島で何をやったか。あの戦争は何だったのか」と語っている。
こうした発言に対して、サヨクだとか自虐史観だとか非難する人がいる。

かなり古い話だが、「読売新聞」(2005年10月27日)が次のアンケートをしている。

質問:先の大戦については、次のような指摘があります。この中で、あなたの考えに最も近いものを、1つだけあげて下さい。
中国との戦争、アメリカとの戦争(イギリス、オランダ等連合国との戦争も含む)は、ともに侵略戦争だった 34.2%
中国との戦争は侵略戦争だったが、アメリカとの戦争は侵略戦争ではなかった 33.9%
中国との戦争、アメリカとの戦争は、ともに侵略戦争ではなかった 10.1%
その他 1.1%
答えない 20.7%

3分の2の人が侵略戦争だと認めているのである。
正直なところ、日本は戦争に負けてよかったと私は思う。
こてんぱんにやられたから平和憲法を手にすることができたわけだし。
保阪正康『仮説の昭和史』に、日本での原爆製造に関わった理研の研究者が「私たちに製造する能力はなかったのがよかったのです。私は大量殺戮兵器の製造者にならなくてよかった」とつぶやいたことが記憶に残っていると、保阪正康氏は書いている。
彼らは戦後、ほぼ全員が非核運動の有力な一員となったそうだ。

読売新聞のアンケートの結果について、加藤陽子氏はこのように書いている。(「時代の風:「12・8」から70年」毎日新聞2011年12月4日)
「1941年に開始されたアメリカと日本の戦争を侵略戦争だとする人は34・2%。それに対し、37年からの中国との戦争を、日本の侵略だったとする人は、そう思う、ややそう思う、を合わせると68・1%に達する。注目すべきは、日中戦争を侵略戦争ではなかったとする積極的な否定論が、1割程度にとどまったことだろう。
当時も激しかった歴史認識論争の中で、調査結果を読んだが、第一印象として、先の大戦に対する日本人の戦争観は思いのほか穏当なものだと感じたことを思い出す。(略)
戦場や戦争を知る世代が退場してゆく今後が正念場となる」

戦争を体験し、なおかつその体験を他者に語ることができるのは、敗戦時に10歳以上の人だろうと思う。

その人たちは2005年では70歳以上だが、2013年では78歳以上である。
国会議員の84%が憲法改正に賛成し(回答率は62.3%だけど)、参議院議員の28%が核武装検討に賛成(つまりは核兵器保有に賛成ということ)している。
加藤陽子氏は「戦争を知る世代が退場してゆく今後が正念場」と言うが、危惧すべき状況だと思う。 

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東京裁判・侵略戦争・靖国神社 1

2013年08月11日 | 戦争

東京裁判は勝者が敗者を裁いたと非難する人がいる。
そんな人には木村隆『演劇人の本音』を読んでほしい。
『演劇人の本音』は演劇関係者へのインタビューしたもの。

演劇評論家の宮下展夫氏は17歳の時に東京裁判でアルバイトをした。

宮下「東京裁判で一番印象に残るのは、あそこまでやるかというくらいにアメリカ人の弁護人が真剣に日本のために弁護したことです。これがまず最初にびっくりでしたね。どうせこの裁判は茶番、馴れ合いだろうと最初は思っていたから。確かウエッブ裁判長がスミス弁護人に対して「あなたの言ってることは要するにアメリカ政府を非難する形ではないか」という意味のことを言ったら、「私はアメリカの悪いところは悪いと率直に言いたいんだ」とはっきり答えていた。ほかにも二、三のアメリカ人弁護人が、たとえ自分の国の不利になるようなことでも弁護人としてはそれを追及するんだと言っていた。その点、僕は率直に言って日本が戦争に勝っていたとしたらあそこまで敵国の弁護を許しただろうか」
木村「逆に日本人が日本人をあそこまで裁けたかということですね?」
宮下「ええ。まあ最終的には判決も全体的には日本の侵略行為とか残虐行為を非難した形で出ているし、裁判長が日本に有利なものを却下しよう、却下しようというところもあったけれども、これは木下(順一)さんも書かれているが、ある程度条理を尽くした裁判ではなかったのか。それまでの軍国教育を受けた日本人としては、「日本じゃとてもこんな弁護はできないな」と思った」
木村「東京裁判を頭から否定する向きもある現代ですが…」
宮下「それはね、木下さんが言っていることが正しいと思うのだけれど、東京裁判には、戦勝国が、負けた国を裁いたという一方的な面がなかったとは言えない。でも、だから東京裁判はダメだというのなら、では日本人はなぜあのときのことについて、自分たちで裁くことをしないのだという言い方も逆にできるのじゃないか。あの時代を生きてきた人間として、日本は悪くなかったかというと、相当ひどいことをやったんじゃないかという思いがある。日本が満州や、朝鮮半島で何をやったか。あの戦争は何だったのか、その責任は誰が持つのかということについて日本は全部向こうに任せちゃった」
木村「今からだって本当はできることですよね」
宮下「そうね。日本人はあの戦争がよかったのか、悪かったのか。悪いとすればどこが悪かったのかという追及をしないまま来てしまった」

もしも日本が戦争に勝って米英を裁いたとしたら、宮下展夫氏が言うように敗戦国の弁護なんてまともにはしなかっただろう。
それどころか、莫大な賠償金を要求し、権益をむしり取ろうとしたと思う。

ホーソンは『伝記物語』スウェーデンのクリスチナ女王を取り上げているが、6歳で即位したクリスチナ女王はわがままで、女らしさがなく、寂しい人生を送ったとボロクソである。

私はそれが事実だと思っていたが、菊池良生『戦うハプスブルク家』を読むと、実際は違っている。
ウェストファリア条約(1648年締結)では、スウェーデンは三十年戦争の戦勝国であるにもかかわらず大幅に譲歩している。
スウェーデンは当初、戦勝国として膨大な要求を敗戦国に突きつけたが、クリスチナ女王が「臆病な講和」という国内の反対を押し切って寛大な譲歩を貫いたことで、講和が成立した。

クリスチナ女王は「私の全願望はキリスト教諸国民に平和をもたらすことである」と使節に訓令を送っている。
「女王は単に戦争を終わらせるだけではなく、戦争そのものの原因の除去につとめた。宗教対立がそれぞれの宗派のドグマ化に拍車をかけ、全てを敵か味方かで判別する精神的狭量に人々を追い込む。この精神的狭量が政治力学に絡んで、それぞれの普遍主義が現実世界のなかに持ち込まれ、正戦が始まる。正戦は非寛容的殲滅思想に染まっている。女王は寛容な譲歩を示すことで、この正戦の意味を根底から奪い去ろうとしたのだ。正戦、すなわち無差別な殲滅戦などあってはならないのだ、と」

ホーソンがクリスチナ女王を非難したのは、女王がカトリックに改宗したかららしい。
クリスチナ女王は無能ではなく、平和を願い、カトリックとプロテスタントの融和を説き、キリスト教の安寧と言う高貴な理想を抱いていたという。

クリスチナ女王はともかく、連合国の寛容さが日本にあったとは思えない。
現在の日本でもクリスチナ女王のような政治姿勢を持って行動する政治家がいるだろうか。

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高齢化社会って

2013年08月07日 | 青草民人のコラム

青草民人さんです。

7月になり、学生たちがそろそろ試験で休みに入る季節になった。いつもの通勤電車も心なしか空間が広くなったように感じる。蒸し暑い車内で、普段は隣人と鼻をつき合わせて息を殺して我慢している状態だが、今日は周りを見る余裕があったせいか、一息つこうと中吊り広告に目をやった。

視線を車内に向けると、今まで満員電車の中で、あまり気がつかなかったが、早朝にもかかわらず、意外とご高齢の方が多く乗っていることに気がついた。しかし、どの方を見ても、とても遠慮がちに乗っているように見える。お仕事をされているのか、病院に行かれるのか。中には、マスクをして、帽子を深くかぶり、人目を気にしながら乗っておられる方もいる。どうみても旅行に行くような様子ではない。
優先席の近くにいても、疲れたサラリーマンたちは、積極的に席を譲るのでもなく、寝たふりなのか、本当に寝ているのか、その方たちと目を合わさないように勝ち取った座席を死守している。

我が国の総人口は、2012年の10月で1億2752万人。そのうち65歳以上の高齢者人口は過去最高の3079万人。総人口に占める割合は、約24%。そのうち75歳以上は約12%を占めているという。

今後、高齢化は進み、2060年には、高齢化率は、約40%となり、2.5人に一人が65歳以上となり、4人に一人が七十五歳以上になるといわれている。平成24年には、高齢者一人に対して現役世代が2.6人、2060年には高齢者一人に対して現役世代が1.3人を支える社会となるという。

高齢化が進んでも安心して暮らせる社会を作っていくことは急務である。来たる選挙の争点にこのことがどれだけ反映されているのだろうか。お年寄りを敬い、大切にしてきた歴史が我が国にはある。日本の村社会は、長老によって集団を維持してきた。家庭では祖父母の存在が生活の知恵として、冠婚葬祭や子どもの教育に生きてはたらいていた。現代では、こうした状況が都市化の波と核家族化によって、分断されてきた。


かくいう私自身も母を一人で実家に住まわしている。「元気なうちは一人の方が気が楽だ」と母は言うが、こうした家庭が、いま都内に広がっている。母の住む世田谷区では、町内会でこうした家庭を見守る活動をしているところもある。母自身も近所の同じような家庭の方たちと共に支え合っている。


誰かのために役立っているというはたらきは、その人自身の生きる力も支える。昔ながらの長屋の相互扶助の精神と知恵がそこに生きている。私も50歳を過ぎて、頭に白い物が出てきたり、近くのものが見えにくくなったり、それなりに高齢化している。しかし、それに抗うかのように新しいことにも挑戦をしている。


人は、過去に想いを馳せ、現実を悲嘆することも時には大切だが、生死一如の世界を生きる私たちの行く末は皆、倶会一処。今を楽しむといっては語弊もあるが、生き生きと年を重ねることも大切なような気がする。静かな水面に一石を投じると波紋は次第に遠くへ広がっていく。その一石を投じる勇気と元気の源は、自分を支える存在であり、教えであり、仲間だろう。


洋の東西を問わず、人は自分を支えるもの(これを仮に宗教と呼ぶならそれでもいい)それを基盤として、自分自身の現実を映す水面に一石を投じることも必要ではないだろうか。世間から小さくなって、ひっそりと暮らす。そんな年の取り方が当たり前の世の中であってよいはずがない。


その電車が次の駅に着いたとき、大きな荷物を持ったおばあさんが乗ってきた。そのおばあさんは、近くの若いサラリーマンに突然こう言った。

「すいませんが、この荷物を網棚にのせてくれませんか」
初めは面食らっていたお兄さんも、一瞬ためらったが、そっと網棚に荷物をのせてあげた。「ありがとうね」の言葉に若者もはにかんでいたが、うれしそうだった。さすがの座席守備隊も、見かねて「どうぞどうぞ」と席を譲った。

自分のできないことを堂々と人に頼んだおばあさん。満員電車で一石を投じたおばあさんに軍配が上がった。なかなかできることではないと思うが、昔は当たり前の仕草だったような気がする。こうした日本の原風景をもう一度取り戻せたら、日本の未来も違ってくるのかもしれない。
「加齢臭」なんていう言葉を粉砕し、堂々と年を取りたい。いつまでも若い、つもりでもいいから生きていきたい。かっこいいおじいさんやおしゃれなおばあさんが、たくさん出てきてほしい。そして、若者には年を重ねることがよいことだということを感じてほしい。

たくさんの問題を抱える日本の社会にあって、どうしても後回しにされるのが、高齢者の問題である。社会保障制度の問題は、経済復興や国際問題の影に隠れて、いつも日の目をみない。もう少し真剣に私たち自身が考えていかないと、若い世代に対しても申し訳がない時代を作ってしまうことにもなる。お年寄りが安心して暮らせる社会の実現は、イコール私たちの未来を作ることでもある。


高齢化の問題は、少子化の問題とも関連する。安心して若い夫婦が子育てできること。産んで育てて、教育し、やがて成長した子どもたちが親を支える。日本の基盤をしっかり支えるものは、やはり人である。経済も国際問題も、我が国の基盤としての国民生活が十分安定していない状態では、アベノミクスも一時の特効薬にしか過ぎない。


息子は学生ではあるが、がんばって国民年金を払っている。払うようにいったのは私だが、この話を書いているうちに、彼の払った年金は、彼自身がもらえる時代が来るのか不安になった。そんな不安が世間の常識になれば、年金制度だって崩壊してしまう。行く末を案じてみんなが貯金すれば、市場に出回るお金も減り、経済も沈滞する。


専門家でなくても、こうした漠然とした不安は、何となく予想できる。老後の不安を少しでも解消しようと海外に移住する人が増えていると聞いた。経済的に余裕がある人はそうしたこともできるだろうが、多くの日本人にはあてはまらない。政治の話をするつもりはないが、参議院選挙の前にふと感じた。どうする日本。

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「東京拘置所・衛生夫が語った「死刑囚」それぞれの独居房 第二弾」2

2013年08月03日 | 死刑

「東京拘置所・衛生夫が語った「死刑囚」それぞれの独居房 第二弾」によると、4月に死刑執行された宮城吉英さんは再審請求をしていなかったし、暴力団員だったので、次は彼だと刑務官や衛生夫は予測していたという。

「宮城は大人しく、ほとんど文句を言わない死刑囚だった。いつも小説を静かに読んでいて、自らの罪を粛々と受け入れているようにも見えました。
その一方で、反省も謝罪の念の欠片もない死刑囚が、死刑回避のためだけに、無駄と思える再審を続け、命を永らえている実態がある。それに乗っかっているのが〝人権派〟の弁護士やNPOで、ある弁護士などは、フロアで再審請求をしている死刑囚5人ほどの担当に同時に就いていたくらい。「再審」であれば何でもやるということなのでしょう。そしてそうやって延命を図る死刑囚は、罪に向き合うこともなく、拘置所の待遇に文句ばかりを言って、毎日を過ごしているのです」
どの死刑囚が再審請求をしているのか、どの弁護士に依頼しているのか、そういったことを衛生夫はどうやって知ったか不思議である。

「もちろん死刑を執行することは大変な決断でしょう。しかし、野放図に死刑確定囚が増え続ける状態を放置しておけば、いつか大きな問題が生じるのは明らか。法務大臣は腹を括ってきちんと自らの職責を遂行すべきだと思います」

死刑囚は大人しく死んでいけ、法務大臣はどんどん執行しろ、というわけである。

「自らの体験を振り返り、衛生夫は切々とそう語るのであった――」
衛生夫ではなく、「週刊新潮」の公式見解だろうけど。

死刑確定囚が増え続けるのは、厳罰化によって以前だったら死刑にならなかった事件でも死刑判決が出るからであって、凶悪犯罪が増えているからではない。
死刑囚を減らしたければ、死刑を廃止するなり、恩赦で減刑するなりすればいい。

再審請求が認められることがほとんどないから、「無駄と思える再審(ママ)」になるわけで、これまた死刑囚や弁護士の責任ではない。
それに、再審請求をすることが悪いことのように言うが、元衛生夫や「週刊新潮」の記者も袴田巌さんをさっさと執行しろとはさすがに言わないだろうと思う。
他の再審請求をしている死刑囚だって、本当に冤罪や一部冤罪の人がいるかもしれない。
また、再審請求で弁護士がもうけているわけではなく、多くは手弁当である。

デイビッド・T・ジョンソン「無実の人や、死には値しない人たちを死刑にすることなく、ごく稀に、かつ、的確な対象だけを死刑にするような制度を構築することは不可能だ」(福井厚編著『死刑と向きあう裁判員のために』)

おとなしく執行されることが「罪に向き合う」ことではないと思う。
連続殺傷事件で2013年に執行された金川真大さんは、死刑になりたくて事件を起こしている。
2011年の確定死刑囚に対するアンケートへの回答に、
「こうして生きてることは、時間のムダ、税金のムダ。
法務省の人間を皆殺しにしてやりたいね。
死刑執行は6ヶ月以内。守られていない。
テメエで作った法をテメエで守らないのはバカだ
どのツラさげて悪人を裁くんだ?」
と書いている。

弁護人の山形学弁護士は「金川君の死刑執行に関して」(「フォーラム90」VOL.128)というメッセージの中でこんなことを書いている。
「金川君に死刑判決を与えたこと、及び、これほど早く死刑を執行したことは国家の刑事政策全体として誤りだったと思っています。
彼は心底死刑を熱望しており、その思いには寸分の迷いもありませんでした。彼は死刑になってもいいと思って犯罪を犯したのではなく、死刑になるためだけに犯罪を犯したのです。その彼を死刑にすることは、刑務所で生活したくて犯罪を犯した人を刑務所に入れるのと同じであり、ひょっとしたら、金が欲しくて強盗をした人に罰として金を与えているのと同じであるとさえ言えるかもしれません」
金川真大さんにとって、死刑は罰ではないのである。

「罪に向き合うこともなく」と衛生夫(記者?)は言うが、では法務省や拘置所は死刑囚が罪に向き合うために何をしているのだろうか。
日本では、死刑囚は独房から出ることはあまりなく、外部交通は極端に制限され、人と話をする機会も少ない。
国連から死刑囚の処遇に関する勧告を受けているほどひどい状態に置かれている。
「文句ばかり言う」のも仕方ない状態なのである。

衛生夫だって死刑囚とそんなに会話はできないはずである。
反省しているかどうか、罪に向き合っているかどうか、衛生夫にはたしてわかるのかと思う。

一人でやれることには限りがある。

人の命を奪った罪に向き合うためには、他者との関わりが必要だと思う。
「週刊新潮」なり衛生夫は何かいい方法があるのかを聞かせてもらいたい。

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