三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

堀川惠子『死刑の基準』

2017年06月27日 | 死刑

永山則夫事件の第二審の裁判長だった船田三雄氏が、退官後に弁護士会で行なった死刑の勉強会での話を、堀川惠子『死刑の基準』は紹介しています。

船田三雄氏は、若いころに担当した二件の裁判で、死刑事件に対する裁判所のあり方に大きな疑念を抱くという経験をしていた。

1953年に起きたバー・メッカ殺人事件の加害者は、裁判で罪を全面的に認め、キリスト教に帰依し、贖罪の日々を送るようになった。

しかし、一審で死刑、最高裁で死刑が確定した。

1954年のカービン銃事件では、会社社長を呼び出し、小切手を奪って殺害し、一審では死刑判決だったが、二審で無期懲役。


どちらの事件でも左陪席だった船田三雄氏は、バー・メッカ殺人事件は無期懲役が相当(初犯であること、被害人数が1人であること、犯行後に更生(『死刑の基準』ではすべて「更正」となっている)に向けて生きようとしている姿があること)で、カービン銃事件は死刑相当と思ったという。

船田三雄氏が疑念を抱いたのは、もし自分が裁判長であれば、それぞれの裁判は結果が逆になっただろうことにである。
つまり、裁判所で同じ事件を審議するのに、死刑になるか否かが問われるときに、裁く人(裁判官)によって結果が違うような状態でいいのか、ということだ。

船田裁判官が若き日に直面した二つの裁判は、「死刑」か「無期懲役」かを争う裁判だった。

人間の命がかかった裁判なのに、ある裁判官だと処刑、別の裁判官だったら生きることを許される。
これは、運が良いとか悪いとかで片づけられる次元の話ではない。

船田三雄氏は、永山事件控訴審で無期懲役判決を出したため、「もともと死刑廃止論者だった」「ハト派だった」と評される向きもあった。

しかし、1973年、水俣病被害の補償についてチッソ社長への面接を求めて社内に立ち入ろうとした被告人らを阻止しようとした社員に、被告人が怪我を負わせたという水俣病自主交渉チッソ本社事件で、弁護団と被告人が裁判長の命令を無視して許可なく法定外に出ていったので、船田裁判長は法廷に内側から鍵をかけ、弁護団と被告人の再入廷を認めず、弁護人と被告人が不在のまま審理を続行している。

『裁判官紳士録』(1981年刊)には、船田三雄氏について「被告人の実態像と取組もうとする姿勢がない。訴訟進行が事務処理的。(略)判決は紋切り型」と記述されている。

この船田三雄氏が、1980年から始まった控訴審の裁判長だったのである。

堀川惠子氏はなぜ永山則夫に関心を持ったのか。

2009年、光市母子殺害事件の差し戻し審の判決が出たとき、記者が大きな声で「主文は後回しです。死刑判決が濃厚です!」と繰り返したら、広島高裁の外で判決を待っていた市民たちから拍手と歓声があがった。
このことを知った堀川惠子氏は、一体どういうことかと耳を疑い、「死刑」に対して拍手と歓声があがったことに戦慄を覚えた。

二審の広島高裁(無期懲役)の判決文にも、差し戻し審の広島高裁(死刑)の判決文にも永山裁判の判決文を引用されているが、判断を分けた。

そこで、堀川惠子氏は永山則夫を調べてみようと決心したという。

こうした経緯があるためか、『死刑の基準』(2009年刊)は永山則夫のことを語りながら、光市母子殺害事件の被告と重ね合わせている部分があるように感じます。

永山事件控訴審の判決文の一部。

(被告人は)愛情面においても、経済面においても極めて貧しい環境に育つて来たのであつて、人格形成に最も重要な幼少時から少年時にかけて、右のように生育して来たことに徴すれば、被告人は本件犯行時十九歳であつたとはいえ、精神的な成熟度においては実質的に十八歳未満の少年と同視し得る状況にあつたとさえ認められるのである。のみならず、かような生育史をもつ被告人に対し、その犯した犯罪の責任を問うことは当然であるとしても、そのすべての責任を被告人に帰せしめ、その生命をもって償わせることにより事足れりとすることは被告人にとって酷に過ぎはしないであろうか。かような劣悪な環境にある被告人に対し、早い機会に救助の手を差し伸べることは、国家社会の義務であつて、その福祉政策の貧困もその原因の一端というべく、これに眼をつぶって被告人にすべてを負担させることは、いかにも片手落ちの感を免れない。換言すれば、本件のごとき少年の犯行については、社会福祉の貧困も被告人とともにその責任をわかち合わなければならないと思われるのである。


永山則夫の無期懲役の判決に対し、週刊誌などは、連日、船田判決を批判したそうです。
永山裁判の一審で1976年から死刑判決が下される1979年まで右陪席を務めた豊吉彬氏は、最近の死刑判決やマスコミの動向には危惧を感じていると語っています。

最近ちょっと死刑事件が多いような気がしますね。昔はあまりアンバランスなことはなかったです。誰が裁いてもこれは死刑だというような事件が死刑になっていました。でも最近はちょっと傾向がバラバラですね。無期と思うようなものが死刑になったりしています。やはり裁判というのは制度として誰がやっても、どこで裁いても同じようにならないといけないと思うんです。今の世の中の流れでは、裁判員裁判が始まると死刑が増えるのではないかと心配しています。
マスコミにもきちんと役割を果たしてほしいですね。最近は反対のことが目立つ感じがします。刑事裁判というのはあだ討ちの場ではないのですから、被害者がこういっているから死刑というのはね、本来は正面からいうべきことじゃないと思うんです。国家が被害者に代わってあだ討ちをするようなことになってはいけないと思います。


「社会を明るくする運動」の作文コンテスト法務大臣賞の作文がすばらしいです。

柴田嘉那子さん(小学校6年)「大切な魔法の言葉」

柴田さんの両親は児童自立支援施設で寮舎運営を担当していた。
家庭環境に恵まれず、非行に走ったり、虐待を受けたりして、人間不信、大人不信をもつお兄ちゃんたちは、家庭裁判所の審判の結果、入所し、柴田さんの両親がお父さんがわり、お母さんがわりをしていた。
入所前まで、「おかえり」と言われたこともなければ、誕生日を祝ってもらったことのないお兄ちゃんもいた。
お兄ちゃんたちは、柴田さんの誕生を楽しみに待ち、成長の変化に両親よりも早く気づき、一番喜んでくれた。

退所したお兄ちゃんたちみんなに、
「おかえり。」
と言葉をかけてくれるよき理解者がいるのだろうか。安心・安全な居場所を、現在、もてているのだろうか。


金澤寿靖さん(中学校3年)「笑顔で挨拶まずはそこから」
金澤さんの祖父は農作業の帰りに、駅でタバコの吸い殻を拾い、道端におかれている空き缶やペットボトルを拾っていた。
金澤さんが小学生のとき、いつものように駅を通りかかると、タバコを吸っている茶髪の高校生たちがいた。
祖父は吸い殻を拾い、「こんにちは」と笑顔で声をかけた。
次の日、同じように駅を通りかかると、タバコを吸っていた高校生が祖父の顔を見るなり、あわててタバコを消し、吸い殻を隠した。
祖父は「こんにちは」と声をかけたら、彼らはぺこりと頭を下げた。
驚いた金澤さんが祖父にたずねると、祖父はこのように答えた。
以前はタバコを吸ったり、ゴミを平気で捨てる高校生には厳しく注意をしていたが、注意すればするほどいたずらや迷惑行為が増えていった。
祖父が保護司をしている旧友に愚痴をこぼすと、旧友はこんな話をしてくれた。

非行や犯罪に走ってしまう若者は、自分を認めてもらう方法がわからない。自分の居場所がなく、自分を表現する方法を知らないのだ。そこから生まれるいらだちが、間違った道に進ませてしまう。そして一度非行や犯罪に手を染めてしまい、悪いレッテルをはられると、ますます社会に受け入れてもらえなくなる。反対なんだよ。そういう人こそ誰かが「受け入れて」「認めて」「赦して」あげないといけないんだ。

祖父は、みんなが嫌う子たちを見たら、受け止めてあげよう、居場所を作ってあげたいと思う、と語った。
中学生になった金澤さんがあらためて考えると、居場所を作ってもらっているのは祖父のほうではないか。

二人の文章を読み、永山則夫のまわりにも、こんな人たちがいたらと思いました。
それにしても、犯罪や非行を犯した人を地域が受け入れ、立ち直りに協力するという「社会を明るくする運動」を主唱している法務省が、その一方で、社会から究極的に排除する死刑制度を維持しているのはどういうことかと思います。

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小山聡子『親鸞の信仰と呪術 病気治療と臨終行儀』(2)

2017年06月22日 | 仏教

小山聡子『親鸞の信仰と呪術』の続きです。

・親鸞
① 呪術による病気治療
親鸞は、末法の世における自力による極楽往生は否定したものの、天台宗の呪術信仰を全面的に否定してもいない。
まして、天台宗教団に対して敵対的な姿勢や排他的姿勢などとってはいない。
したがって、その信仰を天台宗の信仰と完全に異質なものであると理解することには無理がある。
親鸞は、呪術をはじめとする自力の行の効果を真っ向から否定できる社会には生きていなかった。

『恵信尼文書』に、親鸞が衆生利益のために浄土三部経の千部読誦しようとしたことが書いてある。
親鸞が経典読誦による衆生利益の効果については否定していない。
あくまでも呪術による救済の限界を指摘しているのであり、呪術の効果そのものについては否定していなかった。

つまり、親鸞の信仰を、天台宗の信仰とは全く異質なものであると見なすことは正しくないことになる。
親鸞は、比叡山での20年間の習慣(経典読誦による病気治療、自力の念仏)を完全に捨て去ることはできなかった。
習慣として、呪術による病気治療が身についてしまっていたのである。

② 臨終行義
親鸞は、信心が定まった時に往生することも定まると主張している。
極楽往生のために臨終を待つことと来迎により往生することは、自力の行者にあてはまることだと説いている。
ところが、曇鸞と法然に臨終来迎があったことを和讃に書いている。

六十有七ときいたり  浄土の往生とげたまう そのとき霊瑞不思議にて  一切道俗帰敬しき(曇鸞は67歳で死亡したが、そのとき不思議な霊瑞があったので、僧侶も俗人もすべて教えに帰した)

「霊瑞」の左注に

れいすい(霊瑞)とはやうやう(様々)のめてたきことのけん(現)し ほとけ(仏)もみ(見)えなむとしたまうほとのことなり

と書かれている。
すなわち、「霊瑞」とは、来迎を指す。
親鸞は、曇鸞の臨終には来迎があったとする和讃を詠じたのである。

本師源空のおわりには  光明紫雲のごとくなり  音楽哀婉雅亮にて 異香みぎりに暎芳す(法然の臨終には、紫雲が覆うように光明があり、来迎の音楽が聞こえ、芳しい香気がただよった)

法然の臨終時に来迎があったという和讃を作っている。
源空和讃には生まれ変わりが書かれてあり、どういうことかと思います。

親鸞は、法然の教えと自身の教えが異なるとは考えていなかった。
当然のことながら、平生念仏を行う者の臨終時には必ず来迎があり、それにより正念となって極楽往生できるとする法然の教えを、親鸞は熟知していた。
親鸞は、臨終時の来迎という奇瑞を全面的に否定したのではないと考えられる。

そもそも親鸞は、他力の行者の臨終時には来迎がないとは述べていない。
他力の信心を得た者が来迎を期待することは無意味なことだ、と主張したのである。

東国の門弟たちから多くの異義がでたのは、門弟たちの理解不足だけでなく、親鸞には病気治療や臨終来迎などに論理の揺れがあったこと、教えが難解だったということもある。

・恵信尼
『恵信尼文書』によると、晩年、恵信尼は非常に困窮した生活を送っていたにもかかわらず、五重の石塔を建立しようとした。
恵信尼は、もし生前に石塔を建立することができなければ、子どもに建ててもらいたいという希望を持っていた。
これは追善供養のためである。
石塔の建立を切望する姿からは、恵信尼が自らの極楽往生を確信することができていなかったことをうかがえる。

自身の往生極楽に不安を抱いていたので、自分の後世、すなわち極楽往生を確実なものにしようとした恵信尼は、死装束についても気に掛けていた。
確実に来迎を得るためには、穢れた衣や着古した衣は適切ではなく、念入りに洗った浄衣や新調の晴れ着、もしくは極楽往生したと推定される人物の衣を身につけなくてはいけないと考えられていたので、恵信尼は阿弥陀仏の来迎を得ることができるよう死装束を用意していた。

もし、恵信尼が他力の信心を重要視し、他力の信心を得た者は正定聚の位にあると考えていたのであれば、五重の石塔や死装束について気に掛けることは全くなかったはずである。


恵信尼は親鸞と同一の信仰を持ってはいなかった。
恵信尼の念仏は、親鸞の念仏よりもむしろ法然のそれに近いといえる。

・覚如、存覚
本願寺を建立した覚如は如信の追善供養をしているし、妻や子供の存覚夫妻とともに四天王寺、住吉社に「密々」に参詣をしている。
たとえ彼らの著作物の中で他力の信心の重要性が強調されていても、実際の信仰が他力の信心を重んじるものであったとは必ずしもいえない。

思ったのが五木寛之氏のことで、親鸞についての著書はもっともなことが書かれていますが、他の著書を読むと、なんだ、これは、というものもあります。http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/d5b236b2bb76f0103f76cdd20bafcbf8
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/09f225265a27e1d7ec9721712ed4d07e覚如や存覚も教えと自分の生活とに矛盾があることを気にかけていなかったのかもしれません。

呪術による病気治療を否定した法然や親鸞でさえも、呪術を用いて病気治療を行なっていた。また、臨終行儀は不要であるとした法然が、自身の臨終時には円仁の九条の袈裟をかけ、臨終のあり方にこだわりを持っていた。法然の門弟や親鸞の家族、子孫らにも、呪術による病気治療や臨終行儀を重んじていた形跡を認めることができる。

中世という時代は、呪術による利益を得ることが一般的であり、宗教にはそれこそが求められたのだから、そのような信仰を完全に排除することは無理である。
自力信仰と完全には決別しなかったからこそ、親鸞の教えは継承され、教団の拡大が実現したのである。

現代の感覚で親鸞像を作り上げるのは間違いだと思いました。
小山聰子氏の意見についてはどういう批判がされているのでしょうか。
小谷信千代師の親鸞の往生論についてはきちんとした反論はないと聞きますが。

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小山聡子『親鸞の信仰と呪術 病気治療と臨終行儀』(1)

2017年06月18日 | 仏教

親鸞は呪術を否定しており、呪術とは関係ないと想ってたので、小山聡子『親鸞の信仰と呪術 病気治療と臨終行儀』は題名に興味をそそられ。『浄土真宗とは何か』と合わせて読みました。
親鸞やその家族、子孫の信仰と呪術信仰との関連、特に病気治療や臨終のあり方を中心に書かれた本です。

平安時代中期から鎌倉時代は、呪術への信仰が盛んな時代で、呪術は生活と密接に結びついていた。
親鸞が生きた時代には、経典読誦や念仏は呪術であり、それによって現世利益を期待し、さらには極楽往生できると考えることが当たり前であった。
ここでいう呪術とは、仏菩薩や神に由来する超自然的な力をもとに、求める現象を引き起こそうとする行為である。

物気(もののけ)をはじめとする不可視のものが跳梁し、病気の多くが物気や呪詛、神罰などによるものであると信じられていた。
物気とは、死者の霊であることが多い。
また、臨終のあり方によって極楽往生の可否が決まると信じられ、臨終の念仏が重視されていた。

・呪術による病気治療
貴族社会では、僧侶、医師、陰陽師によって病気治療が行われていた。
病人が出ると、まず陰陽師が呼ばれ、その原因を占う。
そして、原因が何かにより、僧侶、医師、陰陽師のうちからふさわしい者が病気治療にあたることになる。
原因が物気である場合には、主に僧侶が調伏を行い、神や呪詛である場合には主に陰陽師が祭や祓(はらえ)を行い、食中毒や風邪の場合には主に医師が投薬などによる治療にあたった。
投薬は、しばしば薬に加持を加えた上で行われていた。

僧侶は、病気治療の時に護摩を焚いて加持をし、物気を憑座(よりまし)に憑け、調伏する。
物気は憑座の口を借り、病気をもたらした理由などを話す。
その後、僧侶は物気を遠方に放つことにより、病気が完全に平癒する。

なぜ憑座は物気の言葉を語ることができたか。
なぜ病人や周囲にいる者たちは物気の声を聞くことができたか。
それは、護摩修法の時に、芥子や麻、附子などの毒物が供物として投じられたからである。
毒物の中には、麻や罌粟など、陶酔作用をもたらすものも含められていた。
護摩修法を行う僧侶のそば近くに憑座が侍らされており、護摩壇からの煙を吸入して恍惚とした状態になった。
病人も護摩の煙を吸うことで幻覚を見たはずであるし、気を失うこともあったであろう。
それによって、憑座は物気の言葉を語り、病人やその周囲にいた者たちは物気の声を聞くことができた。

・法然
親鸞の師である法然は、当時の常識であった呪術による病気治療や、臨終行儀の必要性を否定し、神仏への祈禱による治病には意味がないと説いた。
それなのに、法然は貴族からの依頼により、授戒による病気治療も行なっていた。

① 呪術による病気治療
九条兼実に招かれて、九条家の人々に授戒による医療行為を行なっている、
そして、法然が病に倒れた時には、弟子たちによって祈禱、すなわち呪術による病気治療が行われていた。

『法然上人伝記』にこんな話が記されている。
法然が瘧病を患った時、九条兼実は善導の御影を病床の法然の前に置いて供養したいといった。
聖覚も瘧病を患っていたが、法然の恩に報いるために、病をおして仏事を行なった。
すると、善導の御影から異香が薫ってきて、法然と聖覚の病気が治ってしまった。

② 臨終行義
臨終行儀についても、法然は臨終行儀を必要だとは考えておらず、平生時の念仏によって極楽への往生が定まる、としていた。
法然の臨終が近づくと、仏像と結んだ五色の糸を持つように弟子から勧められても断った。
ところが法然は、円仁の九条の袈裟をかけて息を引き取っている。
法然は、極楽往生を確実にするためにこのようなことをしたのだろう。
あくまでも天台僧として息を引き取ったのである。

要するに法然は、専修念仏の重要性を説き示し、神仏への祈禱による治病を否定する一方で、貴族の邸に出入りして病気治療の祈禱に携わる、というはなはだ矛盾した行ないをしていたのである。
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青草民人「一期一会 一期一別」

2017年06月14日 | 青草民人のコラム

私の大変尊敬する先生が、この春、お浄土に帰られました。厳しくもあり、やさしくもあった先生でした。私はその先生から多くの教えをいただき、また私生活でも親しくさせていただきました。

忙しいという言葉を口実に、ご機嫌伺いもせず、半年が経ちました。年始に年賀状が来ないので心配していたところ、先輩の校長先生から「入院しているからお見舞いに行ってあげて」と言われました。これは大変だと思っていましたが、またもや忙しいという言葉を口実に、行かなければと思いつつ、だらだらと日を送ってしまい、ついに訃報を聞くことになってしまいました。


一期一会という言葉があります。茶道の言葉で、一生に一度しか会えないという気持ちでお客様をおもてなししなさいという意味だと聞いたことがあります。大切な人とのお別れも一生に一回だということを改めて感じました。


一期一別、後悔先に立たず、でした。葬儀には出席できても、もう一度お言葉を聞くことできません。


以前、友を癌で亡くした時は、言葉こそ交わせませんでしたが、生前に会うことができ、心静かにお見送りすることができました。
父を送った時は、心筋梗塞だったので、言葉を交わす間もなく、やはり、普段からもっと話をしておくべきだったと後悔しました。

忙しいと自分の都合を優先させて、大切な人との別れの時を失してしまうことは、無念なことだと思い知りました。父の葬儀の時、叔父が言った言葉を思い出しました。「死んでからいくら立派な葬式を出しても何にもならない。その人が生きているときに、何をしてあげたか、それが大切だ」と。

人の死は、残された私たちに多くの示唆を与えてくれます。故人を偲ぶということは、別れを惜しむという意味もありますが、その方の死から何を学ぶかということであると知らされます。

愛別離苦、愛しい人といつか別れなければいけない日が来ます。自分が先かもしれないし、相手が先かもしれません。一期一会、一期一別なのです。葬儀での恩師の遺影から、言葉にならない最後の教えをいただきました。

先生、ありがとうございました。

コメント

金成隆一『ルポ トランプ王国』(2)

2017年06月10日 | 日記

なぜトランプは大統領選で勝ったのか、金成隆一『ルポ トランプ王国』の続きです。

 2 トランプへの期待
金成隆一氏は「大統領選では、候補者が多数派を形成する方法は大きく2つ考えられる。理想の社会像を語り、支持を集める方法、もう1つは、共通の「敵」を作り上げ、敵意や憎悪を結集させる方法だ」と書いています。

トランプは自己資金で選挙をし、利益団体の世話や企業の献金を受けていないから、既得権益層にこびることがなく、特定の業界団体の言いなりにはならない、と訴えた。
それに対し、ゴールドマン・サックスでの講演1回で22万5千ドルを受け取ったヒラリー・クリントンは、エスタブリッシュメントの代表というイメージが定着した。

どうしてミドルクラスから転落しそうなのかという「不満」と、生きていけるのかという「不安」に、トランプは「自由貿易」と「不法移民」という標的を示した。

工場のメキシコ移転・不法移民の雇用→仕事がない

テキサス州ボーモント市では、人々はメキシコとの「壁」を支持している。
元教師「街でスペイン語が当たり前になっていることが不気味。ここはアメリカなのよ」

全人口に占める白人の割合は、1965年は84%、2015年は約62%に減少し、2045年には約50%になると予想されている。

ペンシルベニア州エドナ(80歳)「街に知らない人が増えた。いろんな人種が増えた。ポーランド人とかスロベニア人とか、新しい人が増えた」
金成「私から見れば、皆さんは白人で区別がまるでつきませんが」
エドナ「イギリスやドイツの出身者と彼らは違う。異なる文化や宗教の人が増えると、やはり暮らしにくくなる。」
日本でも、「わからない言語で話している」ことが不気味だという感じが、不安や不満になっている人は多いのではないかと思います。

60年代以降の急速な社会の変化に違和感を覚えている人は多い。
理髪店主(77歳)「他国がアメリカに、あれをやれ、これをやれ、と言ってくることにウンザリしている。本来は逆だ。アメリカは他国にこれをやれと指図する立場にある。アメリカはそれに値する国だ。あなた方日本人は、長年アメリカを仰ぎ見てきたのに、今やアメリカは水準以下に落ち、なめられている。トランプは、アメリカを元々の位置に戻す、と言っているんだ」

しかし、トランプや支持者の主張には事実誤認や誇張が多い。

① 自由貿易
世界経済が失速する中で、アメリカの景気は回復傾向にあり、一人勝ちと言われてきたのが実態。
2016年はアメリカの製造業生産高が史上最高を記録し、雇用者数も6年連続で伸び、2009年に10%だった失業率は、2016年には4.6%まで下がっている。
自由貿易協定(FTA)も、2009年から15年の輸出の伸びは、協定を結んだ国との間で52%と、輸出促進の効果があった。
アメリカ国内の製造業は海外産の部品に依存している。
海外からの商品に高関税を課せば物価が上がり、トランプの支持者も困る。

② 不法移民
不法滞在の移民は、消費税はもちろん、約半数は所得税も払っている。
不法移民によって払われた地方税と州税の年間合計は116億ドル。
給付金を受け取ることは期待できないのに保険料を払っており、その支払額は年間150億ドルになる。
彼ら推定310万人の支払いがなければ、社会保障システムは慢性的な予算不足になる。

 3 社会の変化
フロマン米通商代表部代表は、雇用減少や賃金の伸びの停滞は、グローバル化よりもオートメーション(自動化・機械化)の産物だ、と主張している。

いくら工場を誘致しても、多くの作業はロボットがこなすので、地元民を雇うとはかぎらない。
アメリカでは、製造業の仕事に就くのに必要な知識・技能は昔より格段と難しくなっていて、高校卒業レベルでは難しい。

ウィスコンシン州の工場経営者「新しい技術者を募集しているが、集まらない。応募者は来るが、水準に達しないんだ。(略)
うちの仕事は難易度が高い。この敷地に低賃銀の仕事はない。(略)メキシコなど海外に出たのは製造業の簡単な部分で、高度な技術を要する仕事は今も国内に残っている」
将来に向けての最大の懸念は、熟練機械工を育成できるかという問題だ。

「かつての製造業のような給料払いのいい仕事がなくなった」と嘆く労働者。
「必要な技能を持ち合わせた労働者が見つからない」と嘆く工場経営者。
高校を卒業すればミドルクラスになれたという時代は戻ってこない。

 4 トランプ政権への危惧

忘れてはならないのは、今回の選挙では、権威主義的なトランプが、移民や難民、イスラム教徒らへの排外主義的な主張をくり返した末に当選したという点だ。自由、民主主義、多様性の尊重、言論の自由、機会の均等など、アメリカが大切にしてきた理念を語ろうとしない。


このように金成隆一氏はトランプを批判します。

最悪のシナリオは新たな戦争ではないだろうか。トランプ劇場に観客が飽き始め、「チケット代を返せ」と叫び始めた時に、国内を結束させる手段としてトランプの脳裏に戦争という選択肢が浮かばないだろうか。つい最近まで選挙戦でやっていたように、次は海外に仮想的を作り出して憎悪を結集させ、「アメリカ最優先」を掲げて開戦しないだろうか。

シリアやアフガニスタンへの空爆はその表れかもしれません。

岸見一郎氏は「他者はみな敵であると見る人は、他者との関係に入っていこうとはしない。他者を敵と見ると決めれば、そのことを確信させる証拠はたちまち見つかる」と書いていますが、トランプにぴったり当てはまるように思います。

金成隆一氏はトランプ人気について、このように書いています。

新しい問題発言が出るたびに、「さすがにこれで人気も失速するだろう」と。しかし人気は落ちなかった。

森友学園や加計学園の問題があり、大臣の失言が繰り返されても、安倍内閣の支持率が高いままです。
テロや北朝鮮のミサイルで不安感を煽るあたりも、トランプ人気と通じるものがあるように思います。

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金成隆一『ルポ トランプ王国』(1)

2017年06月06日 | 

なぜトランプは大統領選で勝利したのか疑問でしたが、金成隆一『ルポ トランプ王国』を読んで、こういうことかと思いました。

CNNの出口調査の結果によると、トランプに投票したのは、郊外か地方に住む45歳以上の白人男性、高卒か大学中退で年収は5万ドル以下、経済状況は4年前と比べて今のほうが悪いと考えている人たちが多い。

大統領選挙でのトランプの得票率は、ニューヨークのマンハッタンで10%、ブルックリンで17.9%、ワシントンで4.1%、サンフランシスコ郡で9.4%、ロサンゼルス郡で23.4%。
都市部はトランプを拒絶した。

トランプが遊説する場所はほとんどが田舎で、大都会、特にワシントンやニューヨークへの反発心が強い街。
自分の訴えがどこの人々に響くかをトランプは理解していた。

トランプは白人比率が85%の郡で62%を得票し、クリントンの33%を引き離した。
2012年の大統領選では、オバマは41%を得票している。
白人の比率は、ニューヨーク市が約33%、ロサンゼルス市は約29%だが、アパラチア地方の多くは白人の街。

2012年の大統領選で共和党候補が負け、今回トランプが勝った州は6つある。
そのうち5州は五大湖周辺のラストベルト(さびついた工業地帯)と呼ばれる州である。
製鉄業や製造業が栄え、高卒の労働者たちがまっとうな給料を稼ぎ、ミドルクラス(中流階級)を形成していたエリアだ。
ラストベルトの労働者たちは、労働組合に属し、民主党を支持する傾向が強かった。
ところが、今回の大統領選ではトランプに投票したのである。

 1 ミドルクラスからの転落
トランプ支持者とサンダース支持者の似ている点は、かつての豊かな暮らしが終わる、低所得層に転落しそうだ、という不安を抱えているミドルクラスが多いこと。

金成隆一氏の理解では、アメリカン・ドリームとは、まじめに働いて、節約して暮らせば、親の世代より豊かな暮らしを手に入れられる、今日より明日の暮らしはよくなるという夢だ。

トランプ支持者が懐かしむ50年代、60年代、70年代前半は、アメリカでは比較的格差が縮小した時代だった。
1940年生まれの世代が親より裕福になる確率は約92%だったが、50年生まれで約79%、60年生まれで約62%、70年生まれで約61%、80年生まれで約50%に落ちた。

アメリカの製造業の雇用者数は、1945年の約1200万人、1979年に約1950万人のピークに達し、その後は下降線を描き、1990年の1780万人が2016年の1230万人にと、約3割減った。
工場が閉鎖されて、廃工場、廃屋が並んでいるさびれた町は失業率が高い。

子どものころには家族そろって毎年旅行に出ていたのに、今は月末になるとお金の心配ばかりで、長期休暇を楽しむこともできない。
まじめに働いてきたのに以前のような暮らしができない、ミドルクラスから没落しそうだ。

デトロイトの元病院勤務(67歳)「私はずっと普通のミドルクラスでした。(略)
企業はもうかっても、労働者には利益が回ってこない。私にとっては、今のように自分が金銭的にぎりぎりの暮らしをしていること自体が奇妙な感じがします。それを思うと、イライラしてしまう。
もうデトロイトにはミドルクラスはほとんど残っていないと思います。20年ぐらい前からでしょうか、どんどん暮らしがきつくなった。かつてのミドルクラスは、ごく一部だけが上に這い上がり、残りの大半は下に落ちました。私は間違いなく下に落ちた大勢の中の1人」

サンダース支持者(48歳)「今のアメリカは生活費も高すぎます。サービスも食料も、何でも高い。月末にお金が残らない。私はきちんと働いているというのに、普通の暮らしを営むことも難しい。もう3年間もバケーション(長期休暇)で家族旅行にも出られない。昔は1年に1度、1週間ぐらい太陽の近くに行っていた。(略)
私は所有していた家を手放し、今はアパート暮らし。まじめに働いているのにお金が手元に残らず、家族旅行にも行けない。私たちはもうミドルクラスではない。私にとってミドルクラスとは、普通の人。週40時間はたらいて、自分の生活を支えて、正しいことをやるように努めて、社会で生きること。でもそれがいま消えかかっている。(略)
娘が「将来は歯科医になりたい」と言い始めた。でも多額の費用がかかるので、うちには学費を払う余裕がない。娘は、もう夢を追いかけられない」

大学を出ても、資格が生かせる仕事に就けないし、学資の借金を返すのに苦労する。
州立大学で経営学の学位を取得したが、溶接工をしている男性は、学費の返済残高が8万ドル、毎月700ドルの返済をしている。
州立大学を卒業してガス採掘会社に就職した男性(32歳)は、年収の半減を一方的に通告されて退職、いまだに仕事が見つからない。

オバマケアへの不満の声が多いのには驚きでした。
勤務先が掛け金を払えないと言いだして無保険になった溶接工(42歳)「オバマケアの責任だ。掛け金が跳ね上がり、勤め先が保険をカットした」

サンダース支持者(48歳)「オバマケアは負担額が大きかった。オバマケアが導入される以前に戻してほしい。(略)みんなが社会保険に入るべきだと思っていたけど、あまりに負担が大きすぎる」

2017年の保険料が2割以上あがるとの試算が発表されている。
地域によっては2倍以上に跳ね上がるケースもある。

日本も中間層の所得が減少し、世帯所得は1996年に比べて18%低下しています。
共働き世帯が増えているのに、世帯収入は2割近く落ちたのです。
一億総中流化と言われた時代は過去のものとなりました。

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