三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

裁判員制度を考える12 裁判官と市民

2008年11月28日 | 日記

伊藤和子弁護士は裁判員制度に賛成する理由をこう書いている。
「以前、私は、自分が取り組む冤罪事件で裁判官と面会し、そのあまりに心ない態度に接して「やはり刑事裁判にはどうしても市民参加が必要だ」と痛切に感じた。もちろん裁判官によって対応に違いはあるだろう。しかし、被告人との立場の互換性がほとんどないエリート裁判官だけによって被告人の一生を決める判断がされるべきではなく、被告人と同じコミュニティに住む「もしかしたらこの人と同じ立場に立たされたかもしれない」と意識しうる市民たちが、判断に参加することはとても重要だ、という気持ちはいまも変わらない」
(『誤判を生まない裁判員制度への課題』)

刑務所を視察した裁判官が「想像以上に多様な矯正教育を行っていることが実感できた」とか「受刑生活の厳しさに驚いた」という感想を述べたそうだ。(読売新聞社社会部裁判員制度取材班『これ一冊で裁判員制度がわかる』)
裁判官は判決を下したらそれでおしまで、受刑者の矯正や社会復帰に関心がないらしい。
これじゃあねと思う。

でも、弁護士だってエリートである。
橋下府知事が私学助成金削減めぐり高校生と意見交換会を行なった際、「金がないのなら公立高校へ行け」「日本は自己責任が原則」「誰も救ってくれない」「いやなら、政治家になるか、日本から出るかだ」などと言っている。
お金がなく、勉強ができない被告は自己責任だから自分で何とかしろと、弁護士である橋下府知事は考えているのだろうか。

新司法試験では法科大学院を修了することが受験資格となったことについて、安田好弘弁護士は次のような話をしている。
「ロースクールを卒業した人たちを中心に採用していくとなると、大学四年間に加えて、さらに大学院二年間の学資を用意できる人しか法曹になれないわけです。今まで行われてきた司法試験は、どの人でもかまわない。学校へ行っていない人でもとにかく司法試験を受けて合格すれば法曹になれたんです。広く候補者を集め、経験豊富な人たちが司法試験を受けて、そして法曹になってという発想があったわけですね。ところが、間口を一気に狭めて、しかも法曹になるためだけ勉強してきた人間を使うように変わります。そうなると、つまるところ法律の世界でしか物事を考えない人たちだけで法律が運用されていくようになるわけです」

一流校を出て、司法試験に合格し、大阪府知事になったエリートである橋下府知事のような考えを持つ法曹が新司法試験によって増えそうな気がする。

また、市民にしてもそうだ。
伊藤和子氏が言うように、市民が「もしかしたらこの人と同じ立場に立たされたかもしれない」という意識を持ち、「ひょっとして自分も」と思うかどうか疑問である。

シスター・プレジャンはこういう例を話す。
「これはルイジアナの男性の話なんだけど、彼はレストランに押し入って、6人を殺したの。いや、違う、6人をあちこちで殺し回ったの。ほかにも殺そうとしたんだけど、銃が壊れたか何かで。
それで、彼は死刑判決を受けた。で、それから、素晴らしい弁護士を得たの。弁護人というものは、私にとってのヒーロー。だって、〝人間のくず〟って呼ばれる人たちを弁護するんだもの。
弁護人たちは、もういっぺん審理を開かせて、刑の軽減事由を示したの。彼の人生に関してね。母親は13歳の時に彼を妊娠した。彼女は寄生虫がいるんだと思って、おなかをたたいた。それが、彼の人生で「たたかれる」ことの始まりだった。
で、その後、母親と付きあう男たちがたたくようになって。彼はそれから精神的におかしくなり始めた。おなかの中にいた時から、たたかれてたんだけどね。
陪審員たちは、彼の身に起きたこと、つまり、人生にまつわる刑の軽減事由を最後に聞いて、「彼が被害者を全員射殺したのは間違いないけど、死刑にすることはできない」って言ったの。
裁判の間もね、彼は感情が抑えられなかった。命は助かった被害者の1人が証言している時に、「ああ、お前も殺してやればよかった」って言ったんだから。
それでも陪審は、そんな彼の人生に酌量の余地を見つけて、「ここにいるのは、心的外傷を受けて、ある日ブチ切れて暴力に走った人なんだ」っていうことに気づくわけ」
(布施勇如『アメリカで、死刑をみた』)

裁判で「あいつも殺せばよかった」と言うなんて、まるで宅間守である。
だけども、アメリカの陪審員は事件の背景、被告の生育歴を考慮して、死刑にはしなかった。
こういう場合、裁判員が「ひょっとして自分だって」という気持ちが起きるかどうか。

自分は犯罪者の世界とは無関係だ、だから犯罪とは無縁だ、と思いたい気持ちが我々にはある。
そう思うことによって安心したいわけである。
出所者の自立支援施設建設を反対するのは、犯罪者との接点を少しでも持ちたくないという気持ちからだろうと思う。

死刑問題にしてもそうだ。
多くの人は死刑制度にどういう問題があるかを考えたりしない。
自分とは関係のないことだと思っている(思いたい)から。
シスター・プレジャンによると、「アメリカ国民の90%以上は、無実の人が過去に処刑されたと考えているのよ」ということだが、日本で「無実の人が処刑されたことがあると思いますか」と質問したら、どういう答えが得られるだろうか。
ほとんどの人が「わからない」と答えると思う。
「わからない」とは、「知らない」というよりも「関心がない」という意味である。
市民感覚にあまり期待しないほうがいいと思う。

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裁判員制度を考える11 費用と労力

2008年11月25日 | 日記

裁判員制度は経費と労力がかかる。
裁判員やその候補者に支払う日当が約20億円、旅費が約12億円で年間32億円、施設整備などの費用は約300億円。
約30万人に調査票を送るなど、裁判所職員の手間も馬鹿にはならないだろう。

「たとえば陪審制の国では、抽選で集めただけの素人に判断させようとするため、おかしな判決にならないよう、さまざまな技術を盛り込んで訴訟法・証拠法が非常に複雑なものとなっています。それくらいなら最初から専門家(裁判官)だけにやらせる方が簡単で、信頼性が高いうえに、費用も手数もかかりません」(西野喜一『裁判員制度の正体』)

司法や裁判への国民の理解を深めるために裁判員制度を導入するというのなら、まずは学校教育で教えるとか、もっと安上がりの方法があるように思う。

たとえば中学生が裁判を傍聴したらどうだろうか。
死刑相当の事件などではなく、交通事故や万引き事件などの軽微な事件がいいと思う。
中学生が聞いていてもわかるような審理の進め方をするよう裁判官、検事、弁護士が努力するだろうし、そうなれば「裁判が身近で分かりやすいもの」となる。
中学校時代に裁判について勉強し、傍聴するようになれば、「国民の司法への理解を深める」ことにつながって一挙両得。
「より国民の理解しやすい裁判を実現する」安上がりで効果的な方法は裁判員制度以外にいろいろあると思う。

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裁判員制度を考える10 国民の義務

2008年11月22日 | 日記

「仕方なくしぶしぶ出てきた人たちに被告人の運命を決めさせなければならないという必然性はどこにあるのでしょうか」(西野喜一『裁判員制度の正体』)

なぜ裁判員制度が導入されたのか、いろいろと深読みができる。
たとえば、裁判員制度は徴兵制につながるという意見。
そりゃ考えすぎだと、最初は思っていた。
しかし、あれこれと本を読んでいるうちに、裁判員制度とは国民の義務を新たに作ることだから、徴兵制とも無関係ではないかもしれないと思うようになった。

憲法で定められている国民の義務は、教育を受けさせる義務、勤労の義務、納税の義務の三つである。
憲法に規定されていない裁判員が国民の義務とされた。

素人なのに人を裁くことなんてできないからとか、仕事が忙しいというだけでは裁判員を辞退できない。
正当な理由なく出頭しないときは過料に処せられる場合があるなどの罰則がある。
つまり強制なのである。

仕事が忙しくて休みがとれないからといって、そう簡単に裁判員を辞退できるわけではない。
最高裁によるとこうである。
「とても重要な仕事があり,あなた自身が処理しなければ,著しい損害が生じると裁判所が認めた場合のみ,辞退が認められます。具体的には,裁判長が質問票の記載内容及び質問手続における聴取内容から個別に判断することになりますが,一般論としていえば,「仕事が忙しい」というだけでは辞退はできません」

裁判員になったので1週間ほど仕事を休まなければいけないとしたらどうなるだろうか。
裁判員になった従業員に対して不利益を課すことは法律で禁止されている。
たとえば、裁判員の任務のために仕事を休んだ場合、解雇や給料を減らすなどの扱いをすることが禁じられている。

とはいっても、雨宮処凛氏は風邪ひいたのでバイトを休んだらクビになったそうで、非正規社員が「裁判員になったから休ませてくれ」とお願いしても、「もう来なくていい」と言われてしまいそうだ。
有給休暇扱いになるかどうかは企業の判断にゆだねられるし、不利益な扱いを受けても罰則がない。
クビになった場合、裁判で争うことも可能だから、訴訟を起こしたら勝てるかもしれない。
だが、弁護士を雇わなくてはいけないし、クビになったのは裁判員になったことが理由だと立証しなければならないし、一審で勝訴しても二審以降はどうなるかわからないから、最高裁で勝訴するまでの生活手段は自分で調達しなければいけない。
あるいは零細自営業者の場合、納期が守れなかったら倒産するしかない、と西野喜一氏は指摘する。

つまりは滅私奉公というわけで、西野喜一氏の
「裁判員制度を実行しようという発想の根拠には、国民はもっと国のために奉仕すべきだという思想があることは当然です」
ということはもっともだと思うし、さらには、
「裁判員制度の背後にある思想について考えます。そこにあるのは、これまでの裁判のシステムとはまったく異なり、権力が国民に対して、有無を言わさずに皆おなじように考えさせ、おなじように行動させようとする国民総動員の思想であり、徴兵制への芽をはらんだものである」
と、裁判員制度を徴兵制と結びつけることは、あながち論理の飛躍だとは言い切れない。

裁判員は被告に死刑判決を下すこともある。
死刑判決を下すことで、裁判員は人を殺す手伝いをすることになる。
なぜ一般人が死刑を宣告しなければいけないのか。
ちゃんとした理由があれば人の命を奪うこともやむを得ない、という国民教育ではないか。
戦争も死刑も、悪い奴を殺すのは仕方ない、当然だという考えである。

「憲法上、裁判所で人を裁き、悪いやつを死刑台に送るのは国民の義務である、とすることは、戦場に臨み、敵兵を殺すのは国民の義務である、とするのとおなじくらい無理なことです」
と西野喜一氏は言うが、その無理なことが徐々になされている。
たとえば、裁判員制度という国民の義務。
そして、解釈改憲で自衛隊は海外派遣すること。

さらに邪推すると、アメリカの言いなりになり、アメリカの真似をするという一連の流れ(規制緩和、教育改革、医療制度改革など)の中で裁判員制度が導入されたのかもしれない。
陰謀論みたいだが、構造改革で誰が儲けたかというと外資系だし、9条を変えて日本が戦争のできる国にするというアメリカの意図もあるわけだし。

村野薫『死刑はこうして執行される』にこうある。
「死刑廃止の問題は、いまや世界にとって、京都議定書などの環境問題やエネルギー問題にも等しい感覚で扱われるようになってきているのだが、わが国は依然、そうした世界の声に傾ける耳をもっていないというのが実情だ」
アメリカは京都議定書を批准していない。
「いまや世界から孤立しても、というか、アメリカに同伴さえしていればそれで世界のスタンダードとでもいうのか、積極的に死刑という制度をもり立てていこうというところまできているというのが、近年の日本の政治的立場なのである」
何となく納得してしまった。
裁判員制度の次は何が強制されるのかを考えるべきだと思う。

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裁判員制度を考える9 裁判の拙速化

2008年11月19日 | 日記

仕事が忙しい人、育児や介護などで家族の面倒を見なければいけない人などは何日も裁判に関わってはおれない。
公判は何日かかるものだろうか。
最高裁のHPにはこうある。
Q 裁判員になったら,何日くらい裁判所に行かなければならないのですか。
A 約7割の事件が3日以内で終わると見込まれています。事件によっては,もう少し時間のかかるものもあります(約2割の事件が5日以内,約1割の事件が5日超)」

裁判員の選任、公判審理、評議を含めて約7割が3日以内に、約9割が5日以内に終了する予定ということである。

裁判員になった人の日常生活に支障をきたさないために、審理が連日行われることになるが、その日数は3、4日となる可能性が高い。
ところが、2006年に判決が出た裁判員制度対象事件で、被告が自白している事件ではすら開廷日数は3回以内が約4割、6回以内が約8割。

平成18年「裁判員制度対象事件開廷回数」
 3回以内 43.3%
 4回以上6回以内 33.6%
 7回以上10回以内 13.8%
 11回以上20回以内 7.3%
 20回超 1.9%

否認している事件では長くなる。
平成17年 平均公判回数
 自白事件の場合 4.0回
 否認事件の場合 9.4回
 平均         5.8回

つまり、裁判員制度になると、今までよりも公判の回数が少なくなるわけだ。
西野喜一氏はこう言う。
「いままで平均十回かかっていた公判を仮に三回で終えるとしたら、それはとんでもない手抜き真理ということですが、そういう粗雑な審理では誤判、冤罪は一層増えるでしょう。真犯人が不当に処罰を免れた結果、被害者が泣くというのももちろん一種の誤判になります」

こういう問題もある。
裁判員が何らかの事情で出廷できなくなった時には、補充裁判員が裁判員となる。
裁判員がどんどん欠けて、補充裁判員も使い切ってしまって裁判員に欠員が生じた場合はどうするのか。
新しい裁判員を選んだとして、その裁判員は審理の経緯を知らないまま審理を続けるのか、それとも裁判を一からやり直すのか。

あるいは、一人の被告が複数の事件を起こした場合はどうなるのか。
審理の対象となる事件が複数の場合には、事件ごとに裁判員もチーム制にしようという部分判決という制度が行われることになる。
A事件とB事件の二つの場合、A事件のAチームは被告人が有罪か無罪かだけを判定する判断をする。
BチームはB事件の有罪・無罪の判定と、Aチームの部分判決の判断を受け継いだうえので全体の量刑を決める。
裁判官は両方の事件の審理に立ち会う。
Bチームの裁判員はA事件の証拠は見ずに、Aチームの部分判決だとを資料として全体の刑を決める。
もしAチームがA事件について有罪と判定し、BチームはB事件については無罪と判定した場合、BチームはA事件の証拠を見ていないのに、A事件だけの量刑をすることになる。

「裁判員の負担といってもたいしたことはないのだ、せいぜい数日のことなのだ、と国民をだましつづけながら公判自体を圧縮する方法を探ってきたものの、重大事件が複合している場合の裁判は公判はどうやって数回に収めることは無理であることが明らかになった」(西野喜一『裁判員制度の正体』)
というので、こんな苦しまぎれの方法が考え出されたというわけである。
「世界中どこを探しても、こんな呆れるような刑事裁判をやっている国はありません」
と西野喜一氏は言う。
「要するに、この裁判員制度はその全編が、手間ひまはかかっても正しい判決になるようにしようということではなく、とにかく素人でもつとまる手抜きの裁判をしようという発想であふれているのです」
「国民の負担を軽くするためと称して、裁判員制度の対象となる重大事件については、裁判の結果が適正妥当なものになることはもう事実上あきらめてしまい、とにかく国民参加の形だけは整えようとしているのです」

と手厳しい。

アメリカの陪審員制度ではどうなのだろうか。
高山俊吉『裁判員制度はいらない』に、O・J・シンプソンとマイケル・ジャクソンの裁判例について書いてある。

O・J・シンプソンが前妻とウェイターを殺したとして起訴された裁判では、24人の陪審員はホテルに隔離され、審理は265日続いた。
証人は121人。
評決は無罪だった。
陪審員の説明は「無実とは言っていない。検察の立証に合理的疑問が残るのだ」というもの。

マイケル・ジャクソンが少年に対するわいせつ行為で起訴された事件では、3ヵ月半の間に140人の証言を聞き、7日間におよぶ評議の結果、「合理的な疑いが残る」として無罪。

どちらの裁判でも、陪審員は何ヵ月も仕事や家庭から離れ、テレビ、ラジオを視聴や新聞購読や本屋行きも禁止され、裁判に専念している。
そして、推定無罪の原則によって無罪判決を出している。
はたして日本でも裁判員を長期間拘束することができるか、裁判員は「疑わしきは罰せず」の原則を守ることができるか、疑問である。

そもそも、法廷や評議の場で裁判官が説明したからといって、素人の裁判員が裁判や法律についてどれほど理解するだろうか。
スーパーでパートをしている人の話だと、まず300ページぐらいあるマニュアルをテキストに2日間の研修があり、挨拶の仕方からレジの打ち方、その他諸々を教わって、それから仕事に入ったという。
パートですらと言ったら怒られるだろうが、仕事をするということはそういうものだと思う。
裁判とは何か、どのように審理が進められ、判決はどうやって下すのか、その説明を素人が聞いて、大体こういうことかと理解できるようになるまで、最低でも1日はかかるだろう。
公判が3日間では、わけのわからないうちに終わってしまうのではないかと思う。

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裁判員制度を考える8 無罪推定

2008年11月16日 | 日記

読売新聞社社会部裁判員制度取材班『これ一冊で裁判員制度がわかる』に、こういう質問が書かれてある。
「法律や裁判の勉強をしておく必要は?
事前に特別な必要なありません。裁判員制度の趣旨は法律家だけではなく、一般市民の良識や多様な視点・感覚を刑事司法に取り入れることにあるからです」
「法律の知識は、裁判員には必要ありません。求められているのは、普通の生活を送っているあなたの「良識」や「常識」です」
ということは、裁判官は良識や常識が欠けているということになるのだが。

そもそも、裁判官の知識や経験よりも一般市民の良識や常識のほうが間違いないのだろうか。
良識や常識が欠けている裁判官もいるだろうが、一般市民の良識や常識もあやしいものだと思う。
たとえば、無罪推定の原則。
「疑わしきは罰せず」を法律の素人が理解し、納得できるかというと、かなり難しいと思う。

無罪推定の原則とは何か。
私も正確なことはわからないが、こういうことだと思う。
1,裁判で有罪の判決を受けるまでは未決拘禁者は無罪の推定を受ける。
2,有罪の立証をするのが検察の仕事で、弁護側に無罪を立証する責任はない。検察が有罪の立証ができなければ無罪。
「検察官が有罪だと言うその言い分が、本当に間違いなく正しいか」ということを皆で考えるのであって、「検察官と弁護人とどちらが正しいか」ということを決めるのではない」川副正敏日弁連副会長
3,有罪かもしれないと思っても、合理的な疑問があれば無罪にしなければならない。
「常識に従って判断し、有罪とすることに疑問が残る時は、無罪にしなければなりません」
つまり、「疑わしきは罰せず」ということ。

どうして無罪推定の原則があるのかというと、99人の有実の人が仮に無罪となったとしても、1人の無辜の人が有罪になってはいけない、という人権尊重の理念による。

しかしながら、私を含めてほとんどの人は逮捕=有罪だと思ってしまっている。
その原因の一つは、マスコミは被疑者が逮捕されたら犯人扱いすること。
産経新聞の「産経抄」なんか、和歌山毒入りカレー事件の林真須美被告の弁護人は林被告が本当に無実だと信じているのか、林被告を説得して自白させるよう説得すべきだ、というようなことを書いていた。
「弁護士は被疑者の私的利益の代弁者ではないはずだ。社会正義を実現させ、真実の究明のために弁護人も協力しなければならない。それが弁護人の使命や職務であり、そこにこそ職業倫理も存在している。だがこの弁護団はそういう社会的要請にこたえているように見えない」
産経抄は弁護士の仕事、そして無罪推定の原則をまったく理解していないわけで、和歌山弁護士会が産経新聞に申入書を出している。
産経新聞はどのように返事をしたのだろうか。

伊藤和子『誤判を生まない裁判員制度への課題』によると、ニューヨーク州のルース・ピックホルズ裁判官は陪審員選定手続の際にこういう質問をしている。
「いま被告人はここに座っていますが、証拠が提出されて有罪が立証されるまで、被告人は無罪と推定されます」
「いまは、何の証拠も提出されていないのだから、あなたはこの被告人を無実とかんがえなければなりません」
「被告人は自ら無罪を証明する必要はありません」
「証人がすべて真実を述べるわけではありません」
「警察官の証言だからといって、最初から信用して話を聞くことはできません」
「全ての証拠によれば、彼女は多分有罪だろう、とあなたは判断した。しかし、合理的な疑いを超えていない。あなたは無罪判決をしなければなりません」
このように、「疑わしきは被告人の利益に」の原則に関する陪審員の理解を徹底して確認する作業が行われているそうだ。
これらの質問にちゃんと答えることができるかどうか、私も自信がない。

免田栄氏が再審で無罪判決を勝ち取った時ですら、立川談志氏はラジオ番組で「絶対やってないわけないんだよね」と話している。
ロス疑惑の三浦和義氏にしても、無罪判決が出たのに「やっぱりやってる」と思っている人は多いと思う。
そういう人(産経抄も含む)は裁判員に選ばれないことになるはずだが、実際はどうなるのだろうか。

さらには、被害者参加制度が始まり、被害者とその弁護士が裁判に参加できるようになった。
証人や被告人に対して直接質問することができるし、検察官の論告、求刑のあと、意見の陳述もできる。
あすの会の岡村弁護士は
「被害者がありのままの思いを法廷で伝えてこそ、裁判員は市民感覚を生かした判断をできるはずだ」(読売新聞社社会部裁判員制度取材班『これ一冊で裁判員制度がわかる』)
と言ってるが、私は被害者が裁判に参加することには反対である。

「刑事裁判では、有罪が確定するまでは、被告が罪を犯していないものとして扱わなければならないという「無罪推定」の原則があります。被害者の思いとは別に、検察官がみなさんの常識に照らしてみて疑いのない程度まで犯罪事実を証明できない限り、無罪としなければなりません。この刑事裁判の基本ルールは被害者の方も理解しているはずです」
本当に被害者参加人は無罪推定の原則を理解しているだろうか。

船山泰範・平野節子『図解雑学 裁判員法』に、
「被害者参加人は、検察官の論告・求刑にとらわれず主張できるため、裁判員の心証の形成に与える影響が強すぎるのではないかという懸念もあります。たとえば、検察官が保護責任者遺棄致死罪で懲役20年の求刑をしたところ、被害者の遺族は殺人罪で死刑を求刑することもあるのです」
とあるが、涙ながらに訴える遺族の言葉を聞くと、「感情に引きずられず、冷静に!」と言われても無理じゃないかと思う。
光市事件のようにマスコミまで一緒になって「死刑だ」と騒ぎ立てたら、冷静に判断するなんてできない。

「報道の仕方によっては事実認定や量刑が必要以上に重くなるのではないかという危惧感は否めません」(船山泰範・平野節子『図解雑学 裁判員法』)

模擬裁判ではどうなのだろうか。
【迫る裁判員制度】求刑上回る主張も 被害者参加の模擬裁判
 事件の被害者や遺族が公判に参加する「被害者参加制度」を取り入れた模擬裁判2日目が4日、東京地裁(森島聡裁判長)で開かれ、裁判員6人を含めた評議と判決の言い渡しが行われた。前日の公判で、遺族側は検察側の求刑(懲役8年)を上回る懲役10年を求めたが、判決は求刑通り懲役8年となった。
 評議では、裁判員から「遺族が納得できるなら、求刑よりも重い罪で構わない」と遺族側の感情を重視する発言が相次いだ。評決で裁判員3人が懲役10~9年を主張したが、多数決で懲役8年に落ち着いた。懲役10年を主張した裁判員役の会社員、小島建さんは判決後、「遺族が癒されるように気持ちを酌みたいと思った」と話した。
 公判は、飲酒運転による衝突事故で相手の車を運転していた男性を死亡させた危険運転致死事件が扱われ、量刑が争点だった
。(産経ニュース7月4日

多くの場合、検察の求刑をちょっと下回る判決が出されるのだが、被害者が検察よりも多めの求刑をすることによって重罰化となるだろう。
裁判に参加する被害者が本当に無罪推定の原則を理解しているかどうか、裁判官は質問すべきだと思う。

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裁判員制度を考える7 事実認定、量刑判断

2008年11月13日 | 日記

裁判員はどういうことをするのだろうか。
最高裁のQ&Aでは、
「裁判員は,法廷で聞いた証人の証言などの証拠に基づいて,他の裁判員や裁判官とともに行う評議を通じ,被告人が有罪か無罪か,有罪だとしたらどのような刑にするべきかを判断します」
無罪か有罪かを判断するのは難しいと思うし、量刑を決めるとなるとなおさらである。

最高裁は
「例えば目撃者の証言などに基づいて,被告人が被害者をナイフで刺したかどうかを判断することは,みなさんが,日常生活におけるいろいろな情報に基づいて,ある事実があったかなかったかを判断していることと基本的に同じです」
と簡単そうに言うけれども、多くの人は日常生活で、ナイフで刺したとかいったことと関わりを持つことはほとんどない。
たとえば、学校でいたずらがあり、A君がやったと思われる、しかしA君はやっていないと言う。
あるいは、子供同士のケンカで、どっちが悪いのか、嘘をついているか。
こういうことでも判断が難しいのに、裁判員が関わる裁判はその比ではない。

裁判では
・被告が全面否認をした場合
・犯行は認めたが、事実認定が検察とは違う場合
・情状をどう考慮するか
・心神喪失、心神耗弱などで被告の責任能力が問われる場合
などなどを判断するわけで、日常生活のもめ事の処理とは違う。

犯行自体は被告が行ったことは間違いないとしても、事実認定、たとえば殺人と傷害致死、強盗殺人と殺人・窃盗の判断が素人にできるだろうか。
10月28日に執行された高塩正裕死刑囚の場合、一審では「犯行は場当たり的で殺害の計画性も認められない」として無期懲役、二審では「計画的で殺意は明らかである」として死刑、被告が上告を取り下げて死刑が確定している。
裁判官でも事実認定が異なっているのである。
殺意があったかどうか、計画性はどうなのかの判断は、素人ではとても無理だと思う。
まして量刑はどれくらいが適当なのか、判例を知らない素人にはわからない。

量刑には情状を考慮する必要がある。
福岡県弁護士会のHPによると、
「情状とは被告人の有罪および罪名が決まったうえで、刑を決めるために考慮すべき具体的な事情です」
「情状という言葉は、被告人にとって有利な事情、不利な事情の両方を含んでいます。
犯罪の経緯に関する事情である犯情と、それ以外の事情に分かれます。
犯情とは、被害者との関係、動機、犯行の手段・態様、被害者の人数・状況、被害の程度、犯行の回数・地域、犯行の軽重、共犯関係(人数、役割)、犯行直後の状況(逃走経路、犯行隠ぺい)などがあります。
それ以外の事情とは、被告人の生い立ち、性格、人間関係、職業関係、家族関係、被害者の状況、被害の回復状況、弁償、被害感情、被告人の後悔や反省の状況、被告人の身柄引受けや監督など、広い範囲にわたります」

事件の背景、被告の普段の生活その他をこれだけたくさん考慮しないといけないし、被告に責任能力がどの程度あるのかも判断しないといけない。
責任能力があるかないか、精神鑑定によって検察側の証人があると言い、弁護側はないと言うことはしょっちゅうで、裁判官だってわかっているのかと思う。

夫バラバラ殺人事件の三橋歌織被告は、検察は「完全責任能力があった」としている。
しかし、精神鑑定をした検察、弁護側それぞれの医師が、殺害時の被告の責任能力について、いずれも「心神喪失の状態にあった」と鑑定している。
東京地裁では、刑事責任能力があったと認定し、懲役15年(求刑・懲役20年)の判決。
裁判官は検察側の鑑定も信用しなかったわけである。

読売新聞社社会部裁判員制度取材班『これ一冊で裁判員制度がわかる』に、国民と裁判官が示した量刑の違いを図表にしたものが載っている。
居酒屋で隣席の客と口論し、逆上して相手を刺殺した事件。
裁判官の9割以上が懲役5年から10年。
裁判員は懲役5年から懲役10年が6割だが、執行猶予から死刑までさまざま。

で、結局のところ、裁判官から「普通はこういう判断をする。その場合、判例だとこれくらいの刑罰ですよ」と教えられて裁判員は従うだけになるらしい。

高山俊吉『裁判員制度はいらない』によると、2004年12月の模擬裁判では、裁判員のうち5人は殺意がなかった、1人は未必の故意があったという意見。
ところが、裁判官が殺意があると言ったら、殺意がなかったと言ってた5人が確定的故意説に変わったそうだ。

どちらにしても、控訴されたら高裁では裁判官だけで審理されるのだから、何のために裁判員が参加したのかということになる。
だから、伊藤和子氏は無罪判決に対する控訴を禁止すべきだと言う。
「裁判員制度で出された結論が控訴審で簡単に覆しうることとなれば、市民参加の裁判の意義は無に帰する」(『誤判を生まない裁判員制度への課題』)

裁判員制度:控訴審は1審尊重…最高裁司法研が研究報告
 裁判員が加わって出した1審の結論を控訴審はどう評価すべきか--。最高裁司法研修所は11日、来年5月に始まる裁判員制度の下での控訴審の在り方について研究報告の骨子をまとめた。「国民の視点、感覚、経験が反映された結果をできる限り尊重する必要がある」と指摘し、1審の判断を重視すべきだと提言している。
毎日新聞11月11日

西野喜一氏はこう言う。
「裁判員制度は、裁判官に対して、おまえたちだけの判断では信用できない、裁判員を背負った訴訟という余計な苦労をせよ、素人でもついてこられるように審理は適当に圧縮したものでよい、すみずみまで配慮の行き届いた判決にしようと頑張らなくてもよい、というメッセージを送る内容になっています」
「高裁は、一審がまったく当てにならなくなる結果、実質的に一審の役割を引き受けざるをえなくなることはじゅうぶん考えられることです」
(『裁判員制度の正体』)

そんな難しい裁判ではなくても、素人である裁判員が話についていけないことがあるだろう。
たとえば、1日に5~6時間の審理がなされるそうで、何分ごとに休憩するのか知らないが、年を取ると話に長時間集中することが難しくなる。
そうなると、大事なところで話を聞き逃すかもしれない。
そんな時どうすればいいのか。

読売新聞社社会部裁判員制度取材班『これ一冊で裁判員制度がわかる』のQ&Aにこういう問答がある。
「いろんな人が証言する裁判に、ついていけなくなったらどうすればいいか?」
裁判員が混乱してしまう時には裁判官に尋ねればいい、というのが答えである。
「法律の知識が少なく、裁判のルールにも慣れていない裁判員にアドバイスするのも、裁判官の重要な役目」

でも、裁判官の助言や指導をあおいでいたら、その裁判官の考えに従ってしまうだろうし、裁判官に誘導されることだってあるかもしれない。
裁判官と裁判員が対等に議論できるとは思えないから、評議は裁判官の言いなりで終わってしまうような気がする。
結局は裁判官の判断に従うことになるのだったら、最初から裁判官だけのほうがいいのではないかと思う。

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裁判員制度を考える6 裁判員は簡単か

2008年11月10日 | 日記

裁判員になりたくないという人が多い。
その理由は
・人を裁くなんてできない
・仕事、育児、介護などで時間がない
ということだと思う。

その対策として、
1,裁判員は簡単だという宣伝
2,時間がかからないよう早く裁判をすませる(迅速化)
それでもいやな人がいるから
3,強制(罰則あり)
ということだろうと思う。

では、裁判員は本当に簡単で、素人でも十分つとまるのだろうか。
裁判員はそんな難しくない、簡単ですよ、という宣伝の一つが最高裁判所が出している『よくわかる!裁判員制度Q&A』(無料)というマンガである。
裁判員になっても心配はいりません、気楽にどうぞ、という内容である。

「特に法律知識は必要ありません。なお、有罪か無罪かの判断の前提として法律知識が必要な場合は、裁判官から分かりやすく説明されますので、心配ありません」

Q 法律の専門家でない国民が加わると,裁判の質が落ちたり,信頼が損なわれたりしないでしょうか。
A そのようなことはありません。法律的な判断はこれまでどおり裁判官が行いますし,必要な場合には裁判員のみなさんにもご説明します。裁判員のみなさんには,「事実認定」と「量刑」について判断していただきます。これについては,法律的な知識は必要ありません。

法務省HPの裁判員コーナーの「よくある質問」も同じ。
Q 法律の知識がなくても大丈夫?
A 大丈夫です。裁判員は、事実があったかなかったか、どのような刑にすべきかを判断します。このような判断に法律の知識はいりませんし、必要なことは裁判官が説明します。


ええっ、と思った。
裁判というのは法律の知識のない素人でもできるようなものだったのか。
だったら裁判官は誰でもできることを高給をもらってやっていたわけか、ということになるのだが。

『よくわかる!裁判員制度Q&A』の最後は、裁判が終わったあと、裁判員たちが「でもいい勉強になったな」「めったにできる経験じゃないですしねぇ」と話しながら帰る。
裁判員は簡単だった、私にもできた、いい経験だった、というわけである。
裁判というのは被告の人生を左右するのだから、責任重大なはずだ。
それとも、裁判員とは単なる社会勉強にすぎないのだろうか。

『よくわかる!裁判員制度Q&A』の登場人物が人の生き死にがかかっているのにこんなのんきな感想をもらすということは、最高裁の人たちが裁判をこの程度に軽く考えているということなのかもしれない。
「自分にはできそうもないという人の辞退を認めず、とにかく何でもよいからやれと言っているのです。裁判員法が重大刑事事件の裁判というものをいかに安易に考えているかということが明らかです」(西野喜一『裁判員制度の正体』)

裁判員はそんな簡単なものではないと思う。
では、どういう点が難しいか。
1,重罪を裁くから負担が大きい
2,事実認定や量刑判断は素人には無理
3,無罪推定の原則は常識とは違う

まずは「重罪を裁くから負担が大きい」ということ。
裁判員裁判の対象事件は「一定の重大な犯罪であり,例えば,殺人罪,強盗致死傷罪,現住建造物等放火罪,身代金目的誘拐罪,危険運転致死罪など」だから、裁判員は死刑判決を出すこともある。
一般国民が死刑判決を下すのは世界で日本だけだそうだ。
ヨーロッパは死刑が廃止されているし、アメリカでは裁判官が量刑を下す。

裁判員制度は多数決による評決だから、被告は無罪を主張し、検察は死刑を求刑している裁判に参加し、自分は無罪だと思ったのに多数決で死刑判決が出ることだってある。
それでも、社会勉強だ、いい経験だったと言えるだろうか。
無実の人間を殺す手伝いをしたというのに平気でおれるとは思えない。

袴田事件の一審で裁判官だった
熊本典道氏は、無罪判決が出ると思っていたら、他の二人の裁判官が死刑判決を出した、それで退官後、袴田氏の無罪を訴えている。
もっとも裁判員は「1.評議の秘密と2.評議以外の裁判員としての職務を行うに際して知った秘密」を漏らしたらういうことをしたら罰則がある。
逆に、有罪だと思っていたのに無罪判決になったら、許せないという気持ちになるだろうか。

裁判員制度では多数決で有罪か無罪か、量刑は何かを決める。
これが裁判員制度の一番の問題かもしれない。
アメリカの陪審員制度では評決は全員一致である。
シドニー・ルメット『十二人の怒れる男』のように、1人でも無罪の評決を出す人がいたら有罪判決は出せない。

しかし、裁判員制度は陪審員制度とは違って多数決であり、おまけに量刑まで多数決で決めてしまう。
というか、今までも三人の裁判官による多数決だということがそもそも問題だと思う。
「一抹の不安があれば無罪」なのに、多数決で決めていいのものだろうか。

多数決となると、どうなるか。
安田好弘弁護士はこう言っている。
「社会の中での「殺せ、殺せ」という声が、そのまま裁判員の気持ちとして裁判に登場するようになるわけです。しかも多数決ですから、世の中の多数の刑罰観がそのまま判決に影響してくることになります。法廷はリンチの場になってくるでしょう。重罰化が進むだろうし、冤罪は増えるだろうと予想されます」

どうして裁判員はわざわざ重罪を裁かないといけないのかと思う。
船山泰範・平野節子『図解雑学 裁判員法』はこういう意見である。
「どのような事件を対象とするかについては、いろいろな選択肢があったはずです。たとえば、(ア)国民にとって身近な交通事故や万引き事件などの軽微な事件、(イ)国民の多くが嘆いている少年の刑事事件(あるいは、現状では非公開の少年審判)なども対象となり得ると思います」

「私はむしろ、法律家ではない国民の良識を活かすことのできる分野はどこにあるか、という視点が必要かと思います。その意味では多少事件数が増えても、上述の(ア)(イ)を提案したいと思います」


なるほど、「司法に対する国民のみなさんの信頼の向上」のためにはこちらのほうがいいと思うけれども、万引きなどの軽い事件を裁判員が裁くとなると、裁判員が関わる裁判がやたらめったら多くなるので無理ではないかと思う。
どちらにしても裁判員になるということはかなりの負担があることだけはたしかである。

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裁判員制度を考える5 調書主義と弁護士

2008年11月07日 | 日記

ある弁護士が「私は今まで裁判の最中に寝たことがない」と言うのを聞いて驚いたことがある。
裁判というのは検察官や弁護士が原稿をだらだら長々と読むので眠たくなるものなんだそうで、裁判官や検察官でも寝ている人は珍しくないらしい。

読売新聞社社会部裁判員制度取材班『これ一冊で裁判員制度がわかる』にも、裁判は緊迫感がなく、質問のテンポは悪く、声が小さく聞き取りにくく、専門用語が飛び交うから素人には何を言ってるのかわからない、裁判を取材する記者もつい眠ってしまうと書いてある。

最高裁のHPには、裁判員制度は「国民の司法への理解を深める」「国民の理解しやすい裁判を実現する」「国民に分かりやすく,迅速な裁判とする」などと書かれてある。
裁判員制度になると、裁判員にもわかる裁判に変わるというというのだから、眠たくならない裁判になるのだろう。
そのために調書主義から口頭主義へと変わる。

調書裁判主義とは「警察や検察の取り調べで作成された被告らの供述調書を重視する裁判」ということである。

伊東良徳『連合赤軍とオウム真理教』によると、裁判とはこういうものだそうだ。
「今(1996年)、日本の裁判所で行われていることは、検察側が捜査段階で得た供述調書をもとに、その得られた供述調書というものも警察段階で喋ったことを検察官が自分好みのストーリーに編集した検察官面前調書というものしか出てきませんから、その検察官面前調書をもとに作ったストーリーを追認する儀式をしているにすぎないわけです。それ以上になにか新しい事実を発見するとかそういう努力というのは、検察側は、起訴してしまえばその事実を認めさせることが目的なわけだから、なにもやらないし、弁護側も基本的に争わないという姿勢ですから、一切行っていないということですね」

検察の作った調書を読み上げ、裁判官が追認という儀式を行う場が裁判というわけである。
被告の話を弁護人が聞かずに検察の調書をそのまま受け入れるということでは、富山連続婦女暴行冤罪事件や光市事件の一審がそう。
裁判がこういう状態だと、被告はわけがわからないうちに有罪となってしまう。

それが口頭主義に変わる。
「裁判では難しい証拠書類を読んで、理解できないといけないのか? そんなことはありません」「法廷でのやりとりを聞いていれば理解できる裁判へと変えていく努力が続けられています」(読売新聞社社会部裁判員制度取材班『これ一冊で裁判員制度がわかる』)

たとえば、素人にもわかるように法律用語の言い換えが行われる。
心神喪失と心神耗弱の違いは私もよくわからなかったが、心神喪失とは「精神の障害により、やって良いことかどうかの判断や、やってはいけない行為を抑えることが「全くできない状態」」、心神耗弱とは「判断したり、行為を抑えたりすることが「非常に困難な状態」」となるそうだ。

『それでもボクはやってない』の周防正行監督
「一般の人たちが裁判に参加することで、法廷で使われる言葉は変わらざるをえない。今の裁判では裁判官、検事、弁護士だけが分かる言葉で行われている。裁判員制度の導入で、法曹3者が自分たちの言葉を考え直すいい機会になる。変化が起こらざるを得ない。そこにすごく期待している」

調書主義から口頭主義になることによって、「刑事裁判で起訴事実を否認した被告の一審無罪率(一部無罪含む)が昨年、過去10年で最高の2.9%に上った」という。

「捜査段階の自白調書が証拠とされないケースの増加を示す最高検のデータもあり、各地裁で市民参加の裁判員制度を意識し、証拠評価が厳しくなっていることをうかがわせる」

「刑事裁判の一審無罪率のアップは裁判員制度に向け、法廷でのやりとりで主に判断する「口頭主義」の徹底が提言されていることが影響しているとみられる。口頭主義の徹底が、自白調書をこれまでほど重視しない傾向につながっているのだろう」(西日本新聞

口頭主義になれば冤罪が減るかもしれない。
ただし、裁判員制度でなくても、口頭主義の裁判をすればいいだけのことだが。

調書主義の裁判では「基本的に争わないという姿勢」の弁護人が多いという、弁護士の質の問題は口頭主義になると変わるのだろうか。
伊藤和子『誤判を生まない裁判員制度への課題』によると、アメリカでも「驚くべきことだが、冤罪事件の中には、被告人の要望にも関わらず、弁護人が公判で必要な証人や鑑定を申請しないまま陪審評決に達し、死刑を宣告されるケースが珍しくないという」
安い謝礼では弁護士もちゃんと働いてくれないわけである。
「弁護活動に見合うだけの弁護士費用を保証する公的制度が存在しない州が、アメリカには少なからず存在する。そうした州では、自ら弁護士費用を支払えない貧しい被告人には適切な弁護人がつかず、結果として不適切な弁護活動があとをたたない状況である」

例えばアラバマ州。
「アラバマ州では2004年段階で190人の死刑囚がいる。これは全米7位の規模、人口あたりの死刑囚の率では全米1位である。
1990年以降、死刑囚の人数は倍増し、1998年以降、アラバマ州は全米で最も多く死刑を執行する州となった。理由の第一はアラバマ州が全米で最も殺人事件の多い州の一つであることにある(このことは死刑が殺人の抑止となっていないことを表している)」

アラバマ州では刑事弁護に対する予算、そして弁護士に対する報酬の低さがいかに多くの冤罪被害をもたらすかを示している。
報酬の少なさを反映して、刑事弁護に取り組む弁護士の層が少ないからである。

「貧しい被告人は、このような低い報酬に相当する弁護活動しか受けられなかった。多くの場合、弁護人は必要な調査をせず必要な証人を呼ばないまま、きわめて不充分な活動のもとで弁論を終了した。こうして、多くの無実の人々に死刑有罪判決が宣告されてきた。犠牲になるのは、経済的に貧しく、人種的に差別された黒人ばかりである。無実の者が、弁護士費用が支払われないために、つまり「貧しいために」死刑になっていくという実態である」

貧しい死刑囚や死刑事件被告人のために弁護を引き受けるブライアン・スティーブンソン弁護士によると、
「裁判所は弁護人を指名して弁護にあたらせていますが、その多くはトレーニングを受けておらず、やる気もあまりなく、何より少額の報酬しか支払われないため、彼らは事件を調査しないし、重要な証拠を提出しません」
ということである。

伊藤和子氏はこう言う。
「アメリカの少なからぬ地域で、あまりにも低い報酬のため、経験も熱意もない弁護士が不適切な弁護活動を繰り広げており、経済的資力のない被告人が憲法上の保障を実質的に受けているといえない事態が存在する」

では日本の現状はどうかというと、現在の国選弁護報酬は、最近引き上げられたアラバマ州の水準すら下回る場合が多いそうだ。

裁判員制度:「対応態勢整っている」は6割 弁護士会
毎日新聞は8月下旬~9月、各地の弁護士会の裁判員制度担当副会長らに、担当弁護士確保のほか、連日開廷が可能かなど準備状況を尋ねた。その結果、「対応可能」「めどはついた」としたのは東京の3会や大阪、横浜などの各弁護士会。これに対し岩手は「苦しい」、茨城県は「刑事専門の弁護士がいない。厳しい」と答えた。ともに人口に対する弁護士の数が全国で最も少ない地域だ。
 そのほか「現状では連日開廷に対応できない」(長野県)、「対応できるが、研修参加は若手中心で、中堅、ベテランの関与が不足」(千葉県、山口県)などの声が上がった。埼玉は制度を担う国選弁護人の希望者を募ったが、目標の100人に対し49人しか名乗り出なかった。
 今後の課題では、国選弁護人の選任数について、1人ではなく原則複数を求める声が多く、「強盗殺人の否認事件の集中審理には3~4人必要」(大分県)との意見も。連日開廷中の夜間、休日接見や公判前整理手続きでの検察側による全面証拠開示、国選弁護報酬増額の要望も目立った。
毎日新聞11月3日

「現状では連日開廷に対応できない」ということだが、弁護士のほとんどは民事事件で生計を立てているそうだ。
否認事件で10回の公判が必要とすると、2~3週間かかる。
「いまのわが国の弁護士事情からすると、二週間ないし三週間のあいだ、民事事件をまったくやらずにその刑事事件に専念できるほど余裕のある弁護士はほとんどいないのではないかと思われます」(西野喜一『裁判員制度の正体』)
だから「国選弁護報酬増額の要望」があるわけである。

裁判が長引くようだと、弁護人の引き受け手がいない場合があるだろうし、引き受け手があっても、時間がないというので公判が始まるまで時間がかかるかもしれない。
ひょっとしたら忙しいというので3日間ですませようとする手抜き弁護士がいるかもしれない。

こういう状況でだから、こんな弁護士もいるのだろう。
大阪弁護士会:ベテラン国選を懲戒 否認事件で「手抜き」
 起訴事実を否認した被告の弁護を受任しながら、検察側の証拠にすべて同意するなどの「手抜き弁護」で被告の権利を損なったとして、大阪弁護士会が竹内勤弁護士を「戒告」の懲戒処分にしていたことが分かった。09年5月から新たに裁判員制度が導入され弁護技術の向上が課題となる中、司法関係者から「弁護士としてあるまじき行為」と非難する声があがっている。
 竹内弁護士は、同会の非弁活動取締委員会委員や人権擁護委員会副委員長などの要職を務めたベテラン。同会の議決書などによると、竹内弁護士は05年12月、暴行と傷害罪に問われた男性被告の国選弁護を受任。その約1カ月後に大阪地裁で開かれた初公判で、被告が起訴事実を否認したのに、検察側が裁判所に取り調べるよう請求した証拠すべてに同意した。
竹内弁護士は「40年以上、積極的に国選弁護を引き受けてきた自負はあるが、処分は甘んじて受ける」と話している。竹内弁護士は、女性依頼者に対し着手金の割引きと引き換えに性的関係を求める趣旨で食事に誘ったとして、05年にも業務停止3カ月の懲戒処分を受けている。
毎日新聞2008年5月20日
裁判員制度になったからといって、弁護士の質が上昇するとはかぎらない。

裁判員制度を始める前にすべきこと、変えるべきことが山ほどある。
それからでも遅くはないと思う。

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裁判員制度を考える4 公判前整理手続

2008年11月04日 | 日記

公判は集中審理だから、連日行われる。
伊藤和子氏は
「集中審理により多大な負担を被ることになるのは防御する側の弁護側である。検察側の証拠構造を把握し、これを弾劾・反証するには、十分な準備期間と準備体制が不可欠である」(『誤判を生まない裁判員制度への課題』)
と指摘し、小池振一郎氏も
「裁判員制度になると、裁判前に弁護人と被疑者の綿密な打ち合わせが必要です。たとえばアメリカは陪審員制度ですが、弁護準備のために公判まで1年以上かけるなんてざらだそうです」
と言うように、弁護側がゆっくりと時間をかけて準備ができればいいのだが、さてどうだろうか。

裁判員の負担を軽くするために、裁判の迅速化が求められる。
そこで、まずは公判前整理手続によって、裁判員が参加する前に審理の進め方を決めてしまい、公判を短くすることになる。
公判前整理手続とはどういうものか、以下、安田好弘弁護士の話である。

「公判前整理手続という新しい手続きを行って、裁判官と検察官と弁護士が前もって問題を整理しておこうと。整理し終わってから、残りの三日間程度で裁判を終わろうと。そういう制度に切り替えたわけです。肝心なところは非公開で行われることになります。
しかも整理をするわけですから、弁護人はその打ち合わせの席で、何を立証するかを明らかにしないといけない。従来は立証責任は検察が持っていました。弁護側が無罪を立証する必要はないんです。検察が有罪であるということを立証しないといけない。有罪の立証を失敗したら無罪ですよということなんです。検察が有罪を立証させた上で、弁護人が反証する。それが全くできなくなって、検察と弁護人が同時に証拠を出さないといけないようになりました。
いかにも公平になったようですけど、実は違うんです。弁護人は捜査権がない。弁護人は証拠品を押収する権利を持っていない。しかし検察は、被疑者を捕まえてきて調べることができる。参考人を呼び出して調べることもできる。あるいは捜索押収といって、あらゆるところを捜索し、あらゆる証拠を持っていくことができます。しかも、持っていった証拠を開示しない。弁護人には何を持っていかれたのかさえわからない。それが刑事司法の現状です。そういう中で、同時に証拠を出せと言われたって、平等であるはずがない。そういうことが行われようとしているわけです。
それからさらに、打ち合わせに弁護士が出てこなければ、裁判所は別の国選弁護人を選ぶことができるんです。なぜかというと、裁判員制度を設けたから日時を遅らせるわけにはいかないということなんですね。弁護士が欠席した場合には、それまでの弁護人を罷免して、違う国選弁護人によって裁判を進めることができるようになったんです」

そもそも有罪を立証するのは検察の仕事で、弁護人は無罪を立証する必要はない。
検察が有罪の立証ができないときは無罪なのである。
ところが、公判前整理手続があるために、弁護人は無罪を立証しないといけなくなった。

アメリカではどうなっているのかというと、伊藤和子『誤判を生まない裁判員制度への課題』によると、アメリカでは公判前整理手続に該当する手続は行われていない。
「ニューヨーク州においては、公判前に「争点」の整理や、争点整理を目的とする手続は行われていない。弁護人は、争点を明らかにする義務を負わず、事前に立証予定を明らかにする必要もない。公判前に主張した争点の撤回と主張変更はいつでも可能であり、検察側立証後に立証予定を変更することも可能である」

刑事訴訟を教えるウィリアム・ヘラースタイン教授は
「陪審員にわかりやすく争点を提示するのは、立証責任を負う検察官の仕事であり、それが失敗すれば敗訴するのです」
と言う。
無罪推定の原則からすると当然のことなのだが、日本では無罪推定の原則が守られているとは言えないらしい。

そして、「(検察が)持っていった証拠を開示しない」ということだが、日本では検察がどの証拠を開示するか、開示しないかを決める。
被告に有利な証拠を隠すこともあるそうだ。
だからこそ、検察手持ちの証拠の事前・全面開示が求められているわけである。
ところが、これも検察は拒否している。

そして、「刑事訴訟法」第三百十六条の三には、
「裁判所は、充実した公判の審理を継続的、計画的かつ迅速に行うことができるよう、公判前整理手続において、十分な準備が行われるようにするとともに、できる限り早期にこれを終結させるように努めなければならない」
とある。
せめて公判前整理手続に時間をかけることができればいいのだが、それすらダメなわけである。

おまけに、弁護人が公判前整理手続で求めなかった証拠や争点を、新たに公判で出したり争点とすることは原則としてできないそうだ。

つまり、裁判の迅速化のため行われることになった公判前整理手続は、弁護側にとって不利な仕組みになっている。
こういう状態で裁判員制度が始まるわけで、どうも「十分な準備期間と準備体制」は難しそうな気がする。

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裁判員制度を考える3 代用監獄制度

2008年11月01日 | 日記

なぜ冤罪があるのか。
代用監獄で自白を強要し、裁判では証拠がなくて否認しても、一度自白していれば有罪、というわけで起訴されると有罪率が99.9%となるのである。

世界的に悪名の高い代用監獄制度とは、警察の留置場を拘置所の代わりとして使用する制度である。
警察に逮捕されると、被疑者は警察留置場に入れられる。
逮捕から48時間以内に検察官のところに送られる。
検察官は留置の必要があると判断した時は、24時間以内に裁判所に勾留の請求をする。
裁判官が勾留を決定すると、通常の犯罪では起訴まで最大20日間(10日+延長10日)拘禁される。
つまり、逮捕されると、最長23日間、留置場に入って取り調べを受けることになる。
別件逮捕されると、さらに勾留期間が延長される。
欧米では逮捕から裁判所に連れて行かれるまで24時間以内から48時間以内。
法律上の建て前では、裁判所が勾留を決定すると拘置所に移されることになっているが、実際にはほとんどの場合、取り調べをする警察の留置場に入れられることになる。
被疑者は弁護人の支援もないまま、完全に捜査機関に支配された状況で取り調べられる。
捜査官が好きなときに好きなように被疑者を連れ出して取調べができる。
朝9時から夜10時、11時くらいまで連日14時間くらい取調べられることもある。
被疑者は精神的拷問を受けるわけである。(小池振一郎、青木和子編『なぜ、いま代用監獄か』

死刑囚だった免田栄氏はこのような拷問を受けたという。
「頭をおさえ、机の上でゴリゴリ押しころがし、ゴツゴツ机の板に小突きながら、「コラ、分かったか。すなおになれんか。俺たちをなめるな」と言って、頭髪をもって頭を上げ、青竹でなぐり、押したから、後ろに一回転して倒れる。すると周りにいた刑事が、殴るやら蹴るやらの暴力を加えた」(『免田栄 獄中ノート』)

そんな肉体的拷問などしなくても、捜査官の巧みな誘導によって虚偽の自白をしてしまうそうだ。
伊藤和子『誤判を生まない裁判員制度への課題』に、ゲリー・ガウガー氏の例が紹介されている。
両親を殺した容疑で逮捕されたガウアー氏はなんとたった一晩で自白している。
ガウガー氏は「自白は強制された」として無実を主張したが、自白の証拠能力と科学者の証言、同房者の偽証が認められて死刑判決が下される。
その後、自白の採取過程に違法があったと認められて釈放され、真犯人も見つかっている。

自白の専門家であるスティーブン・ドリズィン教授は、なぜ自白するのか、こう説明する。
「なぜ人はやってもいない重大事件について自白するのか。それは重罪事件ほど、被疑者に対し自白を求める多大なプレッシャーがかかるからです。その際に警察が使うのは攻撃的な取調べによって被疑者を心理的に追い詰め自白に追い込むというテクニックです」
「アメリカの警察官は、自白を獲得するとき、被疑者を真犯人と信じ込みます。また「自分は無実だ」という被疑者の確信を打ち砕くためのテクニックを訓練しています。取調べで警察官は、共犯者が自白した、証拠はあなたが犯人だと示しているポリグラフでクロと出たなどと嘘を言い、そのようなテクニックは被疑者を絶望的な気持ちにさせます。この段階で警察官は、自白するインセンティブを被疑者に与えます。具体的な利益の約束ではなく、あいまいなものです。「犯罪は偶発的なものだったのではないか」など、責任減少や減刑につながる暗示を与えて被疑者をわなにかけます。疲れ切った被疑者はもう逃れられない。最低限の刑ならば認めてしまおうと考える。これがパターンです」

たった一晩でやってもいない両親殺しを自白するのだから、23日も拘束されたら、あることないこと何でもしゃべってしまうに違いない。
イリノイ州死刑諮問委員会議長のトーマス・サリバン弁護士は、代用監獄制度についてこう語っている。
「1~2日間で、被疑者を心理的に追い詰めて自白に追い込むことは十分に可能です。私は、日本では23日間もの間、警察が被疑者を何時間にもわたって取調べることが可能だと知って、とても驚きました」

ということで、取調べ全過程を録音、録画する可視化が求められているが、検察や警察は反対している。
自白の部分、つまり検察にとっていいとこだけを録画しても意味がないのに。

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