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三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

2010年キネマ旬報ベストテン大予想

2010年12月31日 | 映画
恒例、キネマ旬報ベストテンの予想をしようと思って、ヨコハマ映画祭のベストテンを見たら、予想外の作品がいくつか入っていて驚いた。
第1位「十三人の刺客」 三池崇史
第2位「告白」 中島哲也
第3位「悪人」 李相日
第4位「川の底からこんにちは」 石井裕也
第5位「今度は愛妻家」 行定勲
第6位「必死剣 鳥刺し」平山秀幸
第7位「孤高のメス」 成島出
第8位「ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う」 石井隆
第9位「パーマネント野ばら」 吉田大八
第10位「時をかける少女」 谷口正晃
次点 「春との旅」

ええっというベストテンで、『川の底からこんにちは』は、なんであんな男と別れないのかとか、見ててイライラしたのに。
『今度は愛妻家』『孤高のメス』『時をかける少女』は面白くなさそうだったので見ていない。
サロンシネマでやってもらえないでしょうか。

まるっきり自信がなくなった私の予想する2010年キネ旬ベストテン。
『告白』
『悪人』(映画では母親になぜ金をせびるかがわからない)
『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』
『十三人の刺客』(好きではないけれども)
『おとうと』
『春との旅』
『キャタピラー』
『トイレット』(『カモメ食堂』よりましなので)
『必死剣 鳥刺し』
『ヘヴンズ ストーリー』
これで10本。
『武士の家計簿』
『パーマネント野ばら』
『川の底からこんにちは』
『アウトレイジ』
『オカンの嫁入り』
『ユキとニナ』
『借りぐらしのアリエッティ』
『京都太秦物語』(山田洋次監督作品なので)
『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』
『サイタマノラッパー2』
といったところが20位までの候補。
年度末に公開された映画(『最後の忠臣蔵』とか)は省いた。
『海炭市叙景』は今年か来年か、どっちなのだろうか。

邦画に自信がないのだから、洋画はもっとわからない。
『インビクタス 負けざる者たち』(やっぱりイーストウッドです)
『インセプション』(私としてはこれが一位)
『ハート・ロッカー』
『瞳の奥の秘密』
『フローズンリバー』
『息もできない』
『アバター』
『冬の小鳥』
『第9地区』
『白いリボン』(ミヒャエル・ハネケはなぜかベストテンに入らないが)
20位までに入りそうな作品。
『パリ20区、僕たちのクラス』(カンヌ映画祭パルムドールなので)
『抱擁のかけら』
『終着駅 トルストイ最後の旅』
『闇の列車、光の旅』
『プレシャス』
『彼女が消えた浜辺』(ベストテンに入れてもいいくらい)
『ペルシャ猫を誰も知らない』
『人生万歳!』
『(500)日のサマー』
『マイレージ、マイライフ』
といったところでどうでしょうか。
『ミレニアム』を一本の作品としたら上位に入るはず。
『エリックを探して』はベストテン候補だが、年末公開なので。

私のベストは、まずジャック・ロジェの『アデュー・フィリピーヌ』『メーヌ・オセアン』etc。
いやはや、これはなんなんだという映画で、その場の思いつきで撮っていったという感じなのだが、最初からちゃんと計算していたようにも思えるし。
『オフサイド・ガールズ』は『白い風船』のジャファル・パナヒ監督作品、女の子たちが素人とはとても思えない。
『アンヴィル!夢を諦めきれない男たち』はおじさんに勇気を与える。
ベトナム反戦に影響大な私としては『ハーツ・アンド・マインド』ははずせない。
『あの夏の子供たち』を見ると、そうはいっても映画作りは楽しそう。
『シングルマン』や『ザ・ロード』の暗さも好きです。
『刺青一代』を見て、鈴木清順がどうして人気があるのかがわかった。
それと『REDLINE』『カラフル』といったアニメ。
以前は、キネ旬ベストテンには地方で上映しない作品が何本も入っていた。
ところが今は、地方でもほとんどの映画を見ることができる。
それでついつい見過ぎてしまうので、なるべく禁欲したいというのが来年の抱負です。
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石井良助『江戸の刑罰』2

2010年12月28日 | 厳罰化

私は、江戸時代の死刑はすべて公開処刑であり、罪人の首を斬るのは山田朝右衛門の仕事だと思ってた。
ところが石井良助『江戸の刑罰』によると、小伝馬町の牢屋の中に処刑場があって、そこで斬首が行われていたという。
そして、町奉行同心の中の当番若同心が首打役を勤め、町同心よりとくに頼んだ場合は山田朝右衛門が首斬役を勤めることもあったそうだ。
山田朝右衛門は刀の御様(おためし)の御用をするのが本職であって、罪人の首斬役ではない。
死罪になった科人の死骸を様斬(ためしぎり)した後、その死体をどうするのか。
「様物がすめば、はその切った肉を集め、俵に入れて捨てる。この時、肉をもらって汁にして食する者もあるが、少ししぶい味があって、はなはだまずいものだと言い伝えている」
人肉はまずいらしい。

江戸時代の牢獄は未決拘置所であって、刑罰が宣告される前の被疑者を収容するところだということも知らなかった。
そもそも、江戸時代には懲役にあたる刑罰はなかった。
近代では確定するまでは無罪というのがタテマエだが、江戸時代はそうではなかった。
「逮捕されて吟味される以上、有罪だ、少なくともそれに近い者だ、という意識があったものと思われる。だから、牢内の取扱いには既決囚に対すると同じような懲罰的なひどい行き過ぎがあった。拷問が認められていた背景には、こういう考え方があったのであろう」

現代でも、逮捕されるとマスコミは推定有罪という報道の仕方だし、我々も有罪だから逮捕されたと思うし、警察や検事もそう思い込んで取調をするから冤罪がなくならない。
そして逮捕されると犯人扱いというのが代用監獄制度で、江戸時代の牢獄みたいなものである。
2008年、国連自由権規約委員会は日本政府代表に対し、日本の刑事司法が国際人権基準に明らかに違反していると厳しく批判したそうだ。
「私が驚いたのは、警察はもちろん犯人が誰であるか知っている、被疑者が罪を犯したか否かを知っている、という(日本政府代表団の)発言です。これは警察の役割ではありません」
(アムネスティニュースレター)
「取調べでは弁護士の立会いが認められず、取調べの様子もきちんと記録されていません。
弁護士がつかないまま深夜まで強引な取調べが続き、長期間拘禁され、無罪を主張しても信じてもらえない状況において、人は誰でも虚偽の自白をする可能性があります。自白すれば密室の孤独や取調べの恐怖か解放されると考えるのです」

小伝馬町の牢屋の大きさは、大牢が30畳の広さで、土間(4畳)と便所(1畳)がついている。
二間牢は24畳。
そこに何人入るかというと、大牢で90人、二間牢でも8~90人だから、一畳に3~4人という計算になる。
もっとも牢名主は一畳に1人、他の牢役人たちは畳一枚に2人とか3人なので、平囚人は一枚を7~8人で使用したという。
どうやって寝るかというと、横になるわけにはいかず、膝を立てて座り、お互いが肩を枕にしたそうだ。
これじゃ拷問である。
さらには、入牢者が多いと文字どおり鮨詰めになって身動きができなくなり、あまり窮屈になると牢名主の承諾を得て、
「三日目おきぐらいに、三人五人ずつ囚人の中から選んで、キメ板責め、陰嚢蹴りで殺すのである」

さすがに現代の拘置所ではこんなことはない。
しかし、受刑者はかなりの制約を受けているし、死刑囚の生活は厳しい。
「アンケート結果からは拘置所の過酷な処遇が見えてきた」
(『命の灯を消さないで』)
独居から出るのは風呂、運動、面会、教誨ぐらいか。
面会人がいない死刑囚には話相手は刑務官だけ。
宗教教誨は誰でも受けられるのかと思ってたら、順番待ちの死刑囚がいるという。
手紙は一日一通。
狭い独居の中で一日中あぐらをかくか正座していなければならない。
勝手に寝転がったり運動したりすることはできず、願箋を出して許可をもらわないといけない。
お菓子などを買うことができるが、拘置所で販売されている品物でないとだめ。
お金を持っていなかった、差し入れがないと、請願作業によってお金を手に入れるしかない。
しかし、ブロックの組立をして1個15銭。
100個で15円、一日3000個でも450円の収入である。
そのお金を貯めて被害者遺族へ送金したり、生活に必要なものをまかなうことになる。
郷田マモラ『モリのアサガオ』で、死刑囚が寝っ転がってお菓子を食べていたが、そんなことはあり得ない。
いくら殺人を犯したといっても、ちょっとなあと思う。

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石井良助『江戸の刑罰』1

2010年12月25日 | 厳罰化

戸三平『カムイ伝』には残虐な処刑、拷問がリアルに描かれ、江戸時代は残酷なことを平気でしてたと思っていたが、石井良助『江戸の刑罰』を読むとそうでもないらしい。
たしかに戦国時代の刑罰は苛酷で、死刑には磔、串刺、鋸挽、牛裂、車裂、火焙、釜煎、簀巻などがあり、体刑として指切、手切、鼻そぎ、耳そぎなどもあった。
また、縁坐連坐制によって一族がことごとく処罰されることもあった。
そのなごりで江戸時代初期も相当残酷だったそうだ。
死刑は普通で、十両の金を盗めば死刑になった。
「一度に十両盗まなくても、何度か盗みをして、その盗み高が合計して十両以上になれば、やはり死刑になったのである」

しかし、石井良助氏によると、江戸時代前期と後期とでは、刑罰や犯罪者への対応が違っている。
「江戸時代前期では、刑罰は一般予防的色彩が強く、後期では改悛後悔を重視する特別予防的なものが重視されるようになった」
一般的予防とは、犯罪人に刑罰を科することによって一般の人々を威嚇し、将来の犯罪の発生を予防しようとする主義である。
特別予防主義とは、刑罰を科することによって、その犯罪人自体を懲戒してふたたび過ちをくりかえさせないことを目的とする、つまり教育刑である。

前期と後期の境界となるのが1742年に制定された『公事方御定書』である。
江戸時代の刑罰ないし刑罰思想は『公事方御定書』の制定を境として大きく変化した。
『公事方御定書』には「特別予防的効果を有する諸制度が相当鮮明に出てくる」

第一は、旧悪免除の規定が設けられた。
「犯罪時より未発覚のまま十二ヵ月を経過すると、その犯罪は旧悪となって、その者に対する刑罰権は消滅するものとしている」
つまり時効である。
「犯罪をやめて、ほかにかかわり合いがないということは、かれが前非を悔いたことを前提としており、旧悪免除は改悛を奨励する制度である」
殺人などの時効が撤廃されたが、江戸時代よりもさらに逆行したわけである。

第二は、十五歳未満にも刑罰を科しているが、殺人および放火を犯した者は十五歳まで親類に預け、そのあとに遠島に処した。
なぜ遠島なのか。
「まず、幼年者にして、すでに殺人、放火などのような大罪を犯すものは、末恐ろしき者として、これを社会より隔離するという思想である。しかし、単に隔離するだけならば、死刑にした方がよいようなものである。これを遠島にしたのには、それだけの理由があったものと考えられる。それは、幼年者は成人に比べて心底が改まる可能性が多いということであったろう」
この考えは少年法の理念に通じる。

第三は、恩赦の制度が一般化した。
第四は、人足寄場が創設された。
罪人を牢に閉じ込めるとともに、これを改善し、労役を科して、出牢後生業に資せようとする徒刑の制が発達した。
「牢内で悪に染まる弊害をふせぐのみならず、進んで罪人に職をさずけ、獄中の作業に対して銭を給し、これを官費で補い、出所後の生活を安定させようとしたのが、人足寄場である。それはまさに、特別予防的思想の必然的発展の産物といえよう」

刑務所で仕事を学ばせて、再犯防止の一助にしようということは現在も行われている。
こんな記事があった。
刑務所まるで専門学校
刑務所内に“専門学校”を開いて理容師を養成。パソコンを使った映像処理技術者やホームヘルパーの育成も-。国は出所者の再犯防止に向け、刑務所内で民間のノウハウを生かした実用的な職業訓練の導入に乗り出した。新たな取り組みが始まっている「島根あさひ社会復帰促進センター」(島根県浜田市)を訪ね、最近の“塀の中の職業訓練事情”を探った。
中日新聞9月14日

事件が起きると、あんな奴をどうして裁判にかけるのかとか、リンチにして痛い目に遭わせなければわからないとか、家族も同罪だとか、少年でも死刑にすべきだとか、江戸時代どころか戦国時代の刑罰を望むような意見をネットでよく目にする。
そうした主張するブログ主のプロフィールを見ると、それなりの年齢で、それなりの仕事を持ち、家族もいるようなのに、犯罪者にどうしてそんなに厳しいのかと思う。
犯罪を犯した人が立ち直り、社会復帰することが犯罪を減らすことにもつながるのに。

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村井敏邦・後藤貞人編『被告人の事情 弁護人の主張』

2010年12月22日 | 厳罰化

弁護士はなぜ極悪人の弁護をするのか。
『被告人の事情 弁護人の主張』の中で、村井敏邦氏はこのように説明している。
残虐な犯罪を犯した極悪人だとされていても、被告人が無実かもしれないから。
その答えには次の疑問が出てくる。
「しかし、本人も罪を犯したことを認めており、そのことがだれの目にも明らかであるような行為をなぜ弁護する必要があるのか。弁護の余地がない行為というのもあるだろう」
これにはいくつかの問題があると、村井邦敏氏は言う。

まず、「本人も罪を犯したことを認めている」ということ。
これは自白しているということだが、その自白が果たして真実かどうかわからない。
自白に頼る傾向の危険性は二つある。
1つ目は「無理な取調べをしてでも自白を得ようとして、強制・拷問を行うという危険性」
嘘の自白かもしれない。
2つ目は「任意で行われるた自白であっても、自白した本人が本当にその事実をやっているかどうかわからない。人は、思い込みで実際に行動したり見聞きしたことと違うことを話すということが、しばしばある。誘導や刷り込みによって思い込まされることもある」
被疑者の勘違いや間違った思いこみという可能性もある。

次に、「だれの目にも明らかだ」ということ。
「証明を必要としないほど、明々白々な事実はない」
たとえば、目撃者の証言が正しいとは限らない。
先日、私の目の前でスクーターが転倒した。
他のスクーターと接触して転んだようにも思うが、自信はない。
事件は突然起きるものだから、目撃者の証言が正しいかどうかわからない、ということを実体験したわけです。
「一見だれの目にも明らかであると見える事件でも、証拠によって、その事実が認められない限りは、被告人を有罪とすることはできないことはもちろん、有罪とするに足るだけの証拠がない場合には、起訴することさえできない」

そして、「弁護の余地のない事件がある」ということ。
これも間違いで、どんな事件にも弁護の余地はある。
たとえば、計画的な事件か,衝動的な犯罪かによって量刑が違ってくるので、どの程度の刑にするかという量刑が問題となる。
量刑についてだが、事実認定の手続と刑の量刑手続は本来分けられなければならないのに、日本では同時に行われるそうだ。
たとえば、無罪を主張(事実認定)しているのに、情状酌量を訴える(量刑)ことは矛盾である。
だから、
「死刑が問題になる事件の場合には、弁護人は、犯罪事実については無罪を主張する一方で、死刑を回避する弁論をする必要があり、矛盾した主張を展開することにならざるを得ない」

事件そのものは弁護の余地がないように見えても、事件の背景を考えると、こんな奴はと単純に切り捨てることはできないと思う。
藤原大吾弁護士「私が担当した限り、被告人にまったく共感できない、のみならず社会同情の余地はないという事件はない。被害結果が重大、犯行も悪質、被害者らからも強く非難されるような事件であったとしても、自分が被告人と同じ立場に立ち、同じ境遇、同じ状況下におかれたとき、自分であったらそのような事件を起こしたりはしないなどとは思えない」

高野嘉雄弁護士「私は、犯罪は家庭、学校、職場、地域等社会のなかに存在する矛盾とそのなかで翻弄された人間がなす行為であり、社会の病理現象と考えている」
「犯罪は犯人自身の責任であるのと同時に社会の責任でもあることを明らかにし、裁判所はそれを踏まえて、被告人の責任、量刑を決めるべきであると考え、そのような視点で弁護活動をしている」
「また、私は、裁判は被告人の生き直しの場であると考え、被告人の更生に資する刑事弁護という理念を有している」

高野嘉雄弁護士は、1997年に奈良県月ヶ瀬村で女子中学生を猥褻目的で誘拐殺人したとされた事件について書いている。
加害者の両親はともに在日朝鮮人と日本人のハーフであり、父は中卒、母は小学生くらいの字しか読めない。
「2人とも土木作業をし、村の農作業の手伝い等で生計を維持していた。極貧であった。村の人々は古くからの住民で、ほとんどが自分の土地、建物を有しているが、青年の家は借家であった。狭く、日陰の、湿地に建っていた。友だちが家に来たということは一度もなかった。青年は教師の体罰、エコヒイキを原因として、中学2年から不登校となった。中学以来友だちの家に行ったことはない。卒業証書は教師ではなく、生徒が届けたが青年はそれを焼いた」
弁護人は、猥褻目的ではなく、青年が「送っていこうか」と声をかけたのに、無視して逃げるように早足で歩いていく被害者に、日頃よそ者扱いされている悔しさが爆発して背後から車をぶつけた、と主張した。
一審は懲役18年、二審で無期懲役、青年は上告を取り下げた。
そして服役中、自殺する。
ずいぶんマスコミで騒がれた事件だが、加害者の境遇や自殺したことは知らなかった。

ある保護司さんの文章。
「私の若い頃、若者が酒を飲んで暴れるぐらいは当たりまえでした。何度もやるのは問題でしょうが、破目をはずした奴をきちんと叱る、それでさらっと忘れてやるのが普通の世間の常識でした。注意をすると今の若者は逆切れする、暴力的になる、短絡的である、などといわれているが、そんなデータはどこにあるのか。昔と今をくらべる統計などどこにもないのです」
「今の若者は決して悪くない。むしろ昔の若者(今の私ども)こそ反省しなくてはならないのではないでしょうか」
実際に犯罪を犯した人と接している方たちは寛容なんだなと思う。
弁護士や保護司の全部がそうだというわけではないだろうけど、私としては何かあったときには藤原弁護士や高野弁護士のような人に頼みたい。

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被害者支援と死刑 2

2010年12月19日 | 死刑

平川宗信「死刑制度と私たち」によると、被害者遺族は死刑を求めるものだというのは画一的なイメージにすぎない。
「死刑存置論の最終的な拠り所は、「世論」と「被害者感情」にあることが分かります。そして、その「被害者感情」は、現実の被害者の感情ではなく、「イメージとしての被害者感情」であることが分かります。この「イメージとしての被害者感情」は、おそらく「世論」と密接に結びついていると思います。つまり、世論は「犯人を恨み、死刑を求めている可哀相な人」とイメージし、死刑がなければ治まりがつかないと考えて、死刑を支持しているのだろうと思われるのです。世間の人びとはこのような固定的な犯人・被害者のイメージに囚われているため、たまたま被害者・遺族の中に「別に死刑にしてほしいとは思わない」などという人がいると、逆に「被害者・遺族のくせに何だ」といって非難されます」
「被害者の精神的救済を考えるためには、被害者の精神状況をきちんと調査して、その実態を明らかにして、事実に即した議論をする必要があります。現在の「被害者感情論」は、そのような実証的な事実に基づいた議論ではなく、「被害者(遺族)は犯人を恨み、死刑を望むものだ」という、囚われた考え方による、画一的な被害者イメージに基づくものでしかないからです。被害者の感情は、もっと複雑で、揺れ動いています。このイメージは、「作られた被害者イメージ」にすぎないと思います」

「作られた被害者イメージ」を作るのはやはりマスコミだと思う。
「犯罪防止に死刑は意味がない―ノルウェー王国大使館 ドッテ・バッケ一等書記官に聞く」で、ドッテ・バッケ氏はこう言っている。
「被害者の遺族が犯人の死刑を望んでいるといった新聞報道を私は見たことがありません。もしかすると遺族はそう言っているかもしれない。しかし、メディアには被害者遺族を守るという倫理的な拘束があり、被害者遺族をメディアに露出することを防ぐという考え方があります。
遺族に感情的な言動があっても、そのまま報道するのではなく、落ち着いた報道をすることが被害者家族を守ることだという姿勢があるので、そのような報道を見ないのかもしれません。
もう一つ、ノルウェーのジャーナリズムは、容疑者が犯人であることがどんなに明らかな場合でも、逮捕された時点ではなく、法廷で有罪が確定するまで犯人と見なしません。だから容疑者を責める言動が遺族にあっても、そのまま報道しません。そうしたジャーナリズムの倫理観があって自主的な報道規制が働いているのだと思います」
「被害者遺族をメディアに露出することを防ぐ」ことが「被害者遺族を守る」ことになるという発想は日本では乏しいと思う。
ところが、ノルウェーではマスコミが被害者のためにいい意味の自己規制を行なっているわけだ。

村野薫『死刑はこうして執行される』に「98パーセントにもおよぶ殺害被害者遺族、もっといえば交通事故死や医療ミス死、公害死など不本意なかたちで身内を失ったほとんどの被害者の遺族というものが、現実には死刑という制度とは別のところで悲しみや痛みを享受しているのである。そんな体制のなかで、「遺族の感情」を守るために死刑が必要とか、死刑は「遺族の感情」を満たすものだとはとうてい言えない理屈ではなかろうか」とある。
私も賛成なのだが、となると下の意見はちょっとなと思う。
「全国犯罪被害者の会(あすの会)幹事の高橋正人弁護士は裁判員に「自分が被害者遺族だったらという視点を持って考えてもらいたい」と望む。また死刑選択の基準「永山基準」について「職業裁判官が作った基準。市民の良識で考えるとどうなのか」と疑問を呈した」
つまり、すべての殺人犯が死刑になるわけではない、裁判員は被害者遺族の気持ちを考えてどんどん死刑判決を出してもらいたい、ということだと思う。
娘さんを殺された木下建一さんの「極刑を主張することは殺すことと同じ。それではヤギ受刑者と同じことになるのではないか」という葛藤に比べて、この単純さは何なんだと感じる。

加害者を死刑にすることとは違う被害者救済の道があるはずだ。
エリザベス・キューブラー・ロスの死の受容のプロセス(否認・怒り・取引・抑うつ・受容)は自らの死だけでなく、身近な人の死別などさまざまな苦にも共通すると思う。
大切な人を失うと、亡くなった人に対して罪の意識を持ちがちである。
こうすればよかったとか、自分のせいでと、自分を責める。
それが外に向かえば他者を責める。
近藤恒夫『薬物依存を越えて』に、
「薬物依存者は、〝感情の二日酔い〟を起こす」とあって、自助グループの用語にはなるほどと感心するものが多いが、「感情の二日酔い」もうまい言い方で、私なんて二日酔いどころか感情の一週間酔いしてしまう。
いやなことばかりでなく、楽しいことであっても、いつまでも感情を引きずるのはまずい。

ルイ16世が遺言書の中で息子に遺した言葉。
「もし不幸にして息子が国王になることがあるならば、同胞の幸せのために自分のすべてをささげなければならないということに思いを致すように。そしてまた、あらゆる憎しみ、恨みの気持ち、とくに今の私の不幸と悲しみに関わりがあるすべてを忘れなければならないということに思いを致すように、くれぐれも言っておきたい」
(安達正勝『死刑執行人サンソン』)
憎しみや恨みを忘れろという言葉は、法然の父が死ぬ前に残した「汝さらに会稽の恥をおもい敵人をうらむる事なかれ」という遺言と同じである。
被害に遭えば、怒りや恨みが起こるのは当然である。
しかし、
「結局、死に切れなかったら愚痴と怨みしかのこらないんだな」という言葉を宮城先生が紹介されているが、憎しみや恨みを別のものに変えていくのが本当の支援だと思う。

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被害者支援と死刑 1

2010年12月16日 | 死刑

死刑制度を肯定する理由として説得力があるのは被害者感情しかないと思う。
だからといって、裁判では被害者の希望に沿って判決を下さないといけないというわけではない。
伊藤真『なりたくない人のための裁判員入門』にはこう書かれている。
「刑事裁判は「加害者と被害者の紛争」を解決する場だと思っている人も多いようですが、そうではありません」
「客観的な事実を追及する刑事裁判は被害者のために存在するわけではないのです」
裁判は被害者のために行うのではないし、まして報復のためではない。
裁判は、拷問が行われたり、権力が不当に裁くことを防ぐため、つまり被疑者や被告の人権を守るためにある。
「裁判所は「誰が真犯人か」を判断するわけではありません」

裁判員制度は裁判に市民感覚を反映させると言われているが、伊藤真氏によると「市民感覚」とは、
「裁判官は被害者感情への配慮が足りないから、裁判員が被害者の気持ちを代弁すればいい」ということではない。
「もし裁判員が感情に任せて判断を下すようなことになれば、それは裁判史の逆行であり、知的退行と言わざるを得ないのです」
被害者の復讐のために裁判を行うのなら、裁判はリンチになる。

フォーラム90のアンケートに答えて、尾形英紀死刑囚はこう書いている。
「被害者や遺族の感情は自分で犯人を殺したいと思うのが普通だと思います。今は連絡を取っていませんが、両親・姉・元妻との間に二人の娘がいます。俺だって家族が殺されたら犯人を許すことはないし、殺したいと思うのがあたり前です。
しかし、それでは、やられたらやり返すという俺が生きてきた世界と同じです」
(『命の灯を消さないで』)
被害者の気持ちを考えたら死刑は当然だという発想は、バカにされたからというので大勢でリンチしたり、ヤクザの仕返しと同じだというのである。

被害者のことは考えなくてもいいということではない。
伊藤真氏は「もちろん、被害者やその家族が受けた物心両面のダメージを解消するための努力や工夫は必要ですが、それは刑事裁判とは別の手段を通じて行うべき。次元の異なる問題を一つの場所で解決しようとすると混乱が生じてしまい、裁判制度の運用そのものが歪んでしまう危険性があります」と言う。
被害者の救済と裁判は別だと考えたほうがいいと思う。
だから『被告人の事情 弁護人の主張』で、石塚伸一氏は「近年、被害者の意見陳述や参加が制度的に認められ、刑事裁判が情緒に流される傾向にある。少なくとも、傍聴席や法廷への遺影の持ち込みは禁止すべきである。これまで、そのような場面に直面しても、職業裁判官ならばその中立性を保持し続けるという建前で、遺影の持ち込みが認められてきた。しかし、素人裁判員の冷静な判断を妨げることは明白であるので、今後は禁止すべきである。
また、被害者遺族は、「当事者」として公判に参加しているといわれることがある。そうだとすれば、記者会見など法廷外での事件に関する発言は原則として慎むべきである。被害者遺族の意見が事件の社会的影響にまで及び、二重に評価されるとすれば、刑事裁判の公正を害する危険性はきわめて大きい。大きな声を出した者だけが得をするようなことになれば、もはや裁判ではない」
と書いている。
裁判に客観性を求めるならば、石塚伸一氏の言ってることはもっともだと思う。

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死刑と人権

2010年12月14日 | 死刑

「犯罪防止に死刑は意味がない―ノルウェー王国大使館 ドッテ・バッケ一等書記官に聞く」(「北方圏」第151号)にこうある。
「ノルウェーで最後の死刑執行は1876年で、その後は死刑をやめて終身刑に移行する動きになり、刑法上は1902年に正式に廃止になりました。しかし、軍隊では戦時に限り死刑は存続していました。軍隊も含めて理由にかかわらず、完全に廃止されたのは1979年です」
「1902年の死刑廃止に至るまでの議論がもっと深まるような大きな議論がもちろんありました。基本的人権を認めなければならないという議論がもっと大きくなり、戦時も含めての廃止が決まりました。反対意見もありました。戦時に限れば死刑は犯罪防止に意味があるのではないかという声です。しかし、基本的人権を重視すべきだという意見がそれを凌駕しました」
死刑問題は人権問題なのである。

人権とは何か。
平木典子『アサーショントレーニング』には、
「私たちは、誰からも尊敬され、大切にしてもらう権利がある。この人権は、いい換えれば、人間の尊厳は誰からも侵されることはないということです」とある。
犯罪者にも人間としての尊厳を大切にしないといけないし、人権は保障されなければならない。
もちろん罪を犯したのだから、刑務所に入るなど人権が制限されるのは当然である。
しかし、いのちを奪う死刑という刑罰は人権に反する。

ところが、日本では人権が何か悪いことのように考える人がいて、人権とは自分の権利ばかり主張して義務を果たさないという誤解もある。
それとか、憲法は人権だけでなく、国民の義務も明記すべきだと言う人もいる。
教育、勤労、納税の義務が憲法には書かれているのだが、話を聞くと、国民は国のために尽くすのが義務だということらしい。
しかし、それは誤解である。
伊藤真『なりたくない人のための裁判員入門』によると、「そもそも国家というシステムは、私たち市民が幸福な生活を送るための手段にすぎません。市民が国家建設の「道具」なのではなく、国家のほうが私たちの「道具」なのです」ということである。

また、憲法と権利について平川宗信氏は、
「伊藤博文も、「抑憲法を創設するの精神は、第一君権を制限し、第二臣民の権利を保護するにあり」、つまり、憲法制定の目的は、一つには君権すなわち天皇の権力を制限し、二つには国民の権利を保護することにあると言っています。伊藤博文は、立憲主義の意味が分かっていて、憲法は権力を制限して人民の権利を保護するようなものでなければならない、そのような憲法でないとヨーロッパからは憲法と認められないということが、分かっていたのですね。現在でも「今の憲法は国民の権利ばかり保障していて義務が書かれていない」などという人がいますが、伊藤博文に笑われます」と説明している。

被疑者・被告人の権利を憲法はかなり手厚く保障している。
「逆に言えば、これは明治憲法時代の刑事手続きがいかに人権侵害の温床になっていたかということを表しています」
となると、「被害者よりも加害者の人権ばかり大切にしている」という批判をする人がいるだろう。
このことについて伊藤真氏は、憲法は被害者の人権をきちんと保障していると言う。
「憲法は被害者を蔑ろにしてはいません。憲法の理念が、現実の福祉政策として政治の現場で具体化していないことが問題なのです」
憲法が悪いのではなく、国の政策がなっていないのである。
そして、伊藤真氏は「これは問題の立て方自体が間違っています」と言う。
「被疑者・被告人の人権と犯罪被害者の人権は、決して対立するものではありません。どちらを優先するかという問題ではあく、どちらも別々に守られるべきなのです」
被害者の人権と加害者の人権のどちらが大切というわけではなく、誰であろうと人権は大切にするのが基本である。

それと、死刑囚の家族の人権について。
犯罪者の家族もある意味、被害者だと思う。
死刑が執行されると名前や罪状が公表されるのだが、フォーラム90のアンケートに、ひっそりと暮らしている家族に迷惑がかかるので公表はやめてほしい、と書いてる死刑囚が2人いた。
それを読んで思ったのだが、死刑執行の際、マスコミは法務省の発表のとおりに報道しているから、執行された死刑囚が冤罪を主張し、再審請求をしていても、それは報じられることはない。
足利事件と類似している飯塚事件にしても、久間三千年死刑囚が執行された時に、ひょっとしたらDNAの判定ミスだったかもしれないと伝えるメディアはなかったように思う。
だから、マスコミ報道しか知らない人は、こんなひどい奴は死刑になって当然だとしか思わない。
せめて、無実を主張していたということぐらい伝えてほしいと思う。
犯罪を犯した家族の人権も考えてほしいものです。

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鹿児島・夫婦強殺:無罪 裁判員裁判、死刑求刑で初 地裁「指紋鑑識不十分」

2010年12月11日 | 死刑

鹿児島・夫婦強殺:無罪 裁判員裁判、死刑求刑で初 地裁「指紋鑑識不十分」
 鹿児島市で09年、高齢夫婦を殺害したとして強盗殺人罪などに問われた同市の無職、白浜政広被告(71)の裁判員裁判で、鹿児島地裁(平島正道裁判長)は10日、無罪(求刑・死刑)を言い渡した。判決は「現場から見つかった指紋とDNA鑑定の一致だけでは、被告を犯人と推認するには遠く及ばない。ほかの状況証拠を含め、犯人と認定することは『疑わしきは被告人の利益に』の原則に照らして許されない」と述べた。
 判決はDNAについて「鑑定は信用できるが付着場所が断定できない。過去に網戸を触った事実にとどまる」と認定。たんすの指紋は「被告が過去に触った事実は動かないが、その後に別人が物色した偶然の一致も否定できない」と述べた。ガラス片の指紋も「割れたあとに付着したとは断定できない」とした。
 判決は、弁護側が主張した指紋の捏造やDNAの偽装については否定。「被害者宅に行ったことはない」と述べた白浜被告の証言も「うそ」と認めたが、「その一事をもって直ちに犯人と認めることはできない」と述べた。すべての検討の結果を踏まえて「本件程度の状況証拠で被告を犯人と認定することは許されない」と結論付けた。
(毎日新聞2月10日

100%無実だという判決ではないようである。
指紋とDNAは一致し、「被害者宅に行ったことはない」という被告の証言も嘘だと認定してる。
だけども、裁判員は無罪推定の原則に照らして無罪判決を出したわけである。
有罪の立証をするのが検察の仕事で、弁護側に無罪を立証する責任はなく、検察が有罪の立証ができず、有罪とすることに疑問が残るなら無罪にしなければならない、というのが無罪推定の原則である。
「検察官が有罪だと言うその言い分が、本当に間違いなく正しいか」ということを皆で考えるのであって、「検察官と弁護人とどちらが正しいか」ということを決めるのではない」(川副正敏日弁連副会長)

そうはいっても、無罪判決には納得できない、犯人かもしれないのに無罪放免するのかと感じる人は多いだろうし、私も正直なところ、ほんとのところはどうかなとは思う。
また、真犯人かもしれない人間がのうのうとしているんじゃ安心できない、と考える人もいるだろう。
だが、伊藤真『なりたくない人のための裁判員入門』に、
「刑罰はただでさえ強力な人権制限ですが、もし真犯人ではない者を処罰してしまったら、これ以上の人権侵害はありません」とあるが、無実の人を死刑にしたのでは取り返しがつかない。
伊藤真氏は「社会のために個人を犠牲にしてはならない」と言う。

個人の人権と社会の秩序について、村井敏邦・後藤貞人編『被告人の事情 弁護人の主張』に、アメリカ第二代大統領ジョン・アダムスのこんなエピソードが紹介されている。
ジョン・アダムスは、アメリカ独立直前の1770年に起こったボストン虐殺事件で、イギリス兵の弁護をした。
イギリス軍による群衆への発砲によって多数の市民が死亡したこの事件で、8人のイギリス兵が殺人罪で起訴された。
ボストン市民の怒りはイギリス軍や被告人に向けられ、さらには被告人を弁護しようとする人間にも向けられた。
「被告人をリンチにかけるといううわさも流れるなか、弁護人の身にも危険が及ぶおそれがあったため、あえて弁護人を引き受けようとする者がいない」
光市事件を連想させるような状態だったわけである。
そんな中で危険を顧みずに弁護人を引き受けたのがジョン・アダムスと友人の弁護士である。

ジョン・アダムスはこう言っている。
「弁護人は、自由な国家において告発されている人が必要とする最後のものです。法曹というものは、どんなときにでも、また、どのような状況下でも、独立しており、公平なものでなければなりません。生命の危機にさらされている人は、その人が望む弁護人をもつ権利があります」
村井敏邦氏はこう説明する。
「もし、ここで弁護を引き受ける人が1人もいないということになると、これから独立しようとするアメリカには人権意識がないということになる。アダムスたちは、そのように考えたようである」
人権を大切にしない国は他国から相手にされないということか。

ジョン・アダムスは「1人の無罪者を処刑するよりも、多数の有罪者が処刑を免れるほうが、社会にとって有益である」と論じた。
個人の人権を重んじることが社会の秩序を守ることにつながるということである。
その結果、陪審員たちはイギリス兵ら9人のうち2人を除いて無罪の判決を下した。
「このように、陪審員をはじめとして、裁判が行われている地域住民すべてにとって憎むべき敵と思われる人間を弁護した弁護士の弁論に感銘を受け、冷静に無罪推定の原則に沿って判断をした、当時のボストン市民の持つ冷静さと公平性は、現在の日本において果たしてあるだろうか」と村井敏邦氏は書いている。
今回の裁判の裁判員は「冷静さと公平性」があったように思う。
個人を大切にしない社会は、みんなを幸福にしない社会である。

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死刑執行人の哀しみ 3

2010年12月08日 | 死刑

死刑囚へのアンケートをまとめた『命の灯を消さないで』に、匿名男性B死刑囚がこういうことを書いている。
「まったく関係のない拘置所の職員たちが人殺しをさせられてしまうのです。職員らだって、何の恨みもない人間を獄中から引っ張り出し、首に縄をかける仕事が楽しいはずがありません。みんな心の中では、裁判官や法務大臣に対して「あんたらが責任をもって殺ってくれ!!」、きっとそう叫んでいると思います。お偉方は、汚い仕事だけを下の者に押しつけて、自分たちはいつも責任を回避できる高みで見物していることを、いまいましく思っている職員は多いと思います」
黄奕善死刑囚も同じ趣旨のことを書いている。
「執行について
法務大臣が人を殺す(死刑を執行する)たびに、必ずと言っていいほど、「法律があって法治国家だから、正義のために、凶悪犯罪を犯した人の死刑は執行しなくちゃいけない。まさに正義のためと私は思ってる。だからどんなに苦しくても責任を果たそうと思ってやってきた」などと、このようなコメントを出すのです。
正義のためって、本当は違うでしょう。一つは法務大臣のうしろには、死刑囚の人権など全く顧みない死刑執行を支持する多くの市民がいることだと思います。もう一つは、世間に注目させて、ほめられますとすぐさまにその調子に乗って、もっと受けようとして権力を振るって約二カ月に一度の殺人を強行したのだと、私は確信を持って言えます。
どんなに苦しくても責任を果たすべきだと思ってやってきたとおっしゃってますが、本当にそう思っているのならば、権力を振るって若い刑務官に二~三万円の日当を払ってやらせないで、自ら死刑執行のボタンを押すべきではないでしょうか。ましてや、自らも死刑囚の資料を精査して、間違いないんだと自信をもって決めたのだから、死刑執行の命令書に判子を押す勇気がある権力者は、執行のボタンを押す勇気もあるはずです。これが本当の正義かつどんなに苦しくても責任を果たしたと言えると思います。
一方、死刑判決を言い渡した裁判官等にも同じことを言いたいと思います。裁判官等は自分たちが下した判決はあたかも完全無欠のようです。もし自分たちが下した死刑判決に全く誤判や誤認等がないという自信があるのならば、自ら死刑判決を言い渡した死刑囚の刑が執行される時、自分たちの手で執行ボタンを押すべきだと思います。と言いますのは、自分たちが被告人に死を望んでいて、死刑を言い渡しておきながら、刑務官に殺人をやらせるのは、卑怯者のすることです」
正論だと思う。
法務大臣、裁判官に加えて、死刑を求刑した検事もぜひ。

サンソン家6代目アンリ=クレマン・サンソンは『サンソン家回想録』の中で死刑廃止を訴えているそうだ。
「死刑執行人は普通の人間には耐えられないような重荷を背負って職務に遂行してきたということ、人を処刑台の上で処刑するのはそれほど重い責務なのであって、命がけなのだ、ということである」
(安達正勝『死刑執行人サンソン』)
『死刑執行人サンソン』に、フランス革命時、ギロチンの処刑を見ていた男が処刑を手伝い、その場で急死したエピソードが紹介されている。
死刑を執行するということはそれほどの負担を与えるのである。
ベルトコンベアー式というか、自動的に客観的に執行したらいいと言う法相に執行をおまかせしてみたい。

処刑が死刑執行人を苦しめ、死刑執行人の一族が社会から排斥される一方で、処刑は一種の娯楽、見せ物だった。
『死刑執行人サンソン』に次のようにある。
「人々にとっては、処刑を見物することは、スポーツ観戦や観劇と同じように、一種の気晴らしでしかなかった。半分お祭り気分で処刑台の周囲に詰めかけてきた人々の中を、事件について書かれたパンフレットを売る人、食べ物や飲み物を売る人が声を張り上げて動き回っていたのであり、人々は友人知人とわいわい騒ぎながら、今か今かと処刑がはじまるのを待ち受けていたのであった」
「処刑が開始されると、これでもか、これでもかと次々に加えられる残虐行為を人々は固唾を吞んで見守るのであった」

ルイ15世を暗殺しようとしたダミアンが八つ裂きの刑(両手足を四頭の馬に結びつけられ、手足をちぎるという刑)に処せられたときも、
「処刑場を取り囲む建物の窓には法外な値段がつき、着飾った貴婦人たちが歓談しながら特等席から処刑の模様を見物していた」
『死刑執行人サンソン』によると、カサノヴァ『回顧録』にダミアンの処刑を見物しながら性行為にふけっていた人がいると書かれてあるそうだ。
「男は、窓枠に肘をついて処刑を見物する×××夫人の後ろにぴったりと張りつき、スカートをまくり上げて延々二時間もの間励んだのであった。すぐ横に、この夫人の姪とカサノヴァがいたというのに」
処刑は残酷趣味を堪能させてくれるショーだったのである。
あんな奴なんかさっさと始末しろと平気でネットに書き込む人たちも同類だと思う。

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死刑執行人の哀しみ 2

2010年12月05日 | 死刑

死刑執行人が差別されるのはインドでも同じだったらしい。
タンパダーティカという死刑執行人についてのA・スマナサーラ長老の法話によると、釈尊在世時のインドでは、死刑執行人は悪人とされていた。
釈尊在世のころ、タンパダーティカという死刑執行人がいた。
タンパダーティカは若い時、強盗団の一員として犯罪を起こし、死刑に決められたが、死刑の代わりに死刑執行人となった。
50年間仕事を続けていたが、年をとって解雇された。
タンパダーティカの供養をサーリプッタが受け、食事後、説法を始めた。
サーリプッタはタンパダーティカに「あなたは好きで、その仕事をしてきたのですか」と聞くと、「いえ、王様に命令されてしてきました」と答えたので、「それでは、過去を悔やんでも仕方ないのではありませんか」とさとした。
それからまもなくタンパダーティカがなくなり、比丘たちが「人生最後の日まで悪だけを行ってきたタンパダーティカはどこに生まれただろう」と考えていたところ、釈尊が「彼は兜率天に生まれた」と告げた。
比丘たちも、国王から死刑執行人になるよう命じられ、国王の指示に従って処刑していただけなのに、死刑執行人を人殺し、悪人だと思っていたわけである。
死刑を命じる国王こそ悪人だとは考えもしていない。

チベット仏教でも死刑執行人を差別しているようである。
ラマ・ケツン・サンポ師は、真理への入口へたどりつくための十の条件の四番目に「汚らしい行為に手を染めないでいられる。死刑執行人や娼婦などに生まれついたら、本人が望むと否とにかかわらず、誤った行為を重ねて真理からそっぽを向くことになってしまう」と語っている。(『虹の階梯』)
自分から進んで娼婦になる人はいないだろうに。

日本も事情は同じ。
綱淵謙錠『斬』は、幕末から明治初年の山田浅右衛門一家を描いた小説である。
山田浅右衛門の息子が彰義隊に参加しようとするが、旗本たちから白い目で見られる。
石井良助『江戸の刑罰』によると、小伝馬町の牢屋を代々管理していた石出帯刀も差別されていた。
「囚獄は与力の格式で、町奉行の支配に属し、役高は三百俵である。不祥の役人として登城も許されず、他の旗本と交際もしない。その縁組みも武士に求めがたく、代々村名主などと結んだという」
「牢屋同心の株の値段は、ふつうの御家人のそれに比べてかなり安かったようである。身元も、湯屋の三助とか、煙管の羅宇のすげ替などの類が多かったという」
そして、処刑のときに罪人の身体を押さえる役をするのはである。
死刑執行に関わる人を差別することは、我々の代わりに家畜を殺してくれる業者への差別と同じだと思う。

なぜ死刑執行人が嫌われるのか。
平川宗信「死刑制度と私たち」に、
「犯罪者をまがまがしい者、けがれた者、共同体に災いを招く者と観念して、これを共同体から排除することで「つみ」を「清め」「はらい」、問題を解決するという「排除の思想」が、死刑を支える意識ではないかと思っています。このような「排除の思想」は、私たちの中に根強くあるものです。死刑制度を支えているのは、私たちです」とある。
ケガレということで死刑を考えるなら、処刑には死と血のケガレがつきものである。
犯罪者が
汚れた存在であり、死刑という殺人も汚れた行為なのだから、死刑執行人が差別されるというわけである。

ついでながら、死刑は地縛霊を作る。
8月27日、法務省は東京拘置所の刑場を報道機関に公開したが、その記事(中日新聞8月27日)を読むと、
「刑場は死者の魂のいる場所。無言でお願いします」。法務省の職員から事前に指示があったこともあり、誰も声を発しない。拘置所の職員に合わせて、合掌しながら各部屋に入る。
とある。
刑死者といえども骨は墓に納められる。
なのに、どうして刑死者の魂が刑場にいるのか。
折口信夫は、「横死・不慮の死・咒われた為の死」は「迷える魂・裏づけなき魂・移動することの出来ぬ魂」となると書いている。
死刑による死は他殺、不慮の死、呪われた死、志半ばでの死、この世に思いを残した死、怨みの残した死だから、死刑囚の魂は移動することができない。
だから、死刑囚の霊魂は刑場にとどまる。
法務省の職員が「刑場は死者の魂のいる場所」と言い、記者たちが合掌をするというのは、日本人がきわめて宗教的だということの表れである。

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