三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

熱気球操縦士の選択

2013年02月28日 | 日記

関係者「人的ミス」 操縦士、消火せず脱出
エジプト南部ルクソールで熱気球が爆発・墜落し日本人4人を含む外国人観光客らが死亡した事故で、同国の民間航空省関係者は27日、エジプト人操縦士が最初にガスボンベ周辺から出火した際に、バルブを閉めるなどの処置をしなかった「人的ミス」が原因との見方を示した。複数の地元メディアが報じた。操縦士は消火活動にも当たらずに気球から飛び降りて脱出し重傷を負った。(共同通信2月28日)

当時、別の熱気球を操縦していたムハンマド・ユセフさんは事故が起きた熱気球の操縦士と親友だった。

乗客を置いたまま、先に飛び降りたことについて、ユセフさんは「自分でもそうしたと思う」とかばった。操縦士は意識不明の重体で、負傷者とともにカイロの病院に搬送されたという。(毎日新聞2月28日)

操縦士が乗客を捨てて逃げ出したという記事を読みコンラッド『ロード・ジム』を思い出した。
ジム(24歳にもならない)はメッカ巡礼のムスリムを800人を乗せた船に一等航海士として乗務する。
その船は何かに衝突して穴が開き、船首艙に浸水した。
船が沈むと思った船長と機関長は、船と乗客を放置して、自分たちだけがボートに乗って逃げようとする。
ジムは逃げる気はなかったのだが、たまたま心臓発作で死んだ三等航海士を呼ぶ船長たちの声を聞いて、ボートに飛び降りてしまう。
「『僕は飛び降りた……』そこまで言って自分を抑え、目を逸らした……『らしいです』と付け足した」
船員が乗客を見捨てたことで、ジムは船員免許を剥奪される。

自分が生き延びるために他者を殺すことは許されるのか。
松本清張『カルネアデスの舟板』でカルネアデスの舟板という言葉を知った。
古代ギリシアの哲学者カルネアデスが出したといわれる問題であるカルネアデスの舟板について、ウィキペディアにはこのように説明されている。
「一隻の船が難破し、乗組員は全員海に投げ出された。一人の男が命からがら、一片の板切れにすがりついた。するとそこへもう一人、同じ板につかまろうとする者が現れた。しかし、二人がつかまれば板そのものが沈んでしまうと考えた男は、後から来た者を突き飛ばして水死させてしまった。その後、救助された男は殺人の罪で裁判にかけられたが、罪に問われなかった」

こういうことはとっさの判断だから、人は思いもかけないよいことをするか、思いもかけないひどいことをするか、たまたまだと思う。
コルベ神父が有名だが、線路に落ちた女性を助けようとして死んだ二人(『横道世之介』のモデル)のような人は少なくない。

最近読んだデヴィッド・ダウ『死刑弁護人』にもこんなエピソードが載っている。
ハイチがハリケーンに襲われ、ある父親は屋根の上で双子の子供を抱きかかえていたのだが、一人が滑り落ち、激流に飲み込まれてしまう。
「男は我が子を追って飛び込もうと思っただろうか? とっさに、残った子どもの目をふさいだだろうか?」

生きるか死ぬかという選択の究極はウィリアム・スタイロン『ソフィーの選択』だと思う。
二人の子供とアウシュビッツに連行されたソフィーは軍医にこう告げられる。
軍医「子どものうち一人は残してよろしい」
ソフィー「えっ?」
軍医「子どものうち一人は残してよろしい。もう一人は行かなきゃならん。どちらを残す?」
ソフィー「選ぶんですか、あたしが?」
軍医「おまえはポラ公だ、ユダ公じゃない。だから特権を与えてやる。選択の特権をな」
ソフィー「選べません! あたし、選べません!」
軍医「黙れ! さあ、さっさと選べ。選択しろ、ちきしょうめ、しないんなら二人ともあっちへやるぞ。急ぐんだ!」
ソフィー「あたしに選ばせないで。あたしには選べません」
軍医「それじゃ、二人ともそっちへやれ。左のほうへ」
「エヴァ(ソフィーの娘)を投げ出し、ぶざまによろめくような動作でコンクリートから起き上がったとき、ソフィーはかぼそいが高くあがるエヴァの泣き声を聞いた。「この子をとって!」とソフィーは叫びをあげる。「あたしの女の子を連れて行って!」
すると部下の伍長は、ソフィーが忘れようにも忘れられない気を配った優しい態度でエヴァの手を引き、死を待つ人びとの集りのほうへ連れて行った」

井上ひさし『父と暮らせば』では、美津江は原爆で崩壊した家の下敷きになった父親を見捨てて逃げたという罪悪感を持って生きている。

災害に遭った際、ジム、ソフィー、美津江のような選択をせざるを得なかった人は少なくないだろうと思う。

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小倉孝保『ゆれる死刑 アメリカと日本』4

2013年02月25日 | 死刑

8割の人が死刑に賛成している、世論は死刑を支持している、と言って死刑執行する法務大臣がいる。
しかし、世論なんて変わるものである。

小倉孝保『ゆれる死刑 アメリカと日本』はこんな例を紹介している。
テキサス州裁判所判事C・C・クックも死刑に疑問を持つ一人。
「クックは死刑を維持すべき理由として「世論の支持」を重視していた。米国では常に死刑支持が多数派である。これが、クックの心の拠り所になっていた。しかし、ある女性死刑囚の処刑をきっかけにクックは、「世論の支持」についても強い疑問を抱くようになった。果たして、州民は信念を持って死刑を支持しているのだろうか。「世論の支持」というのは、死刑を是とする理由になるほど確固たるものなのか。クックがこう考えるようになった女性死刑囚は、米国で最も有名な死刑囚の一人であるカーラ・タッカーだった。(略)
タッカーは、刑務所で教誨師に出会ってキリスト教に目覚め、篤い信仰心を持つようになった。信仰と出会い、生まれ変わったタッカーを処刑することには社会から強い反対の声があがり、執行時には刑務所の周辺が処刑反対を叫ぶ人々であふれた。(略)
タッカーの刑執行時、テキサス州の死刑支持は八六パーセントから六八パーセントに急落した。クックは感じた。
「世論とはこんなに変わりやすいのか」」
現役裁判官であるクックが死刑制度を批判し、なお裁判官を続けていることは異例だそうだ。

世論が死刑に賛成するのは、被害者感情が大きいと思う。
闇サイト殺人事件で娘さんを殺された磯谷富美子さんは犯人に更生してほしくないと言う。
磯谷「事件当初から、謝罪をしてほしいとは思わなかった。その理由は、もし本気で謝罪してきたら、彼らは人間らしさを取り戻し、いい人になってしまうでしょう。そうすると、三人が娘とより近くなってしまうと思ったのです。今は、いい人(娘)と悪い人(三人)で隔たっているけど、謝罪、更生をすると三人と娘の距離が近くなってしまう。そうなると娘はまた怖い思いをするんじゃないか。彼らに近付かれて恐ろしい気持ちになるんじゃないかと思うんです。もうこれ以上、娘に怖い思いをさせたくないんです」
反省を求める被害者遺族がいれば、謝罪をしてほしくない遺族もいる。
被害者感情といっても、人によって違うということである。

死刑廃止の動きについて。

磯谷「やっぱり身近なこととして捉えていないんだな、他人事なんだな、と思います。自分の身近ではそういう事件は絶対に起こらないという確信のもとで、ああいうことをおっしゃっているんだなと思います」
これは逆だと思う。
他人事と思っているから死刑に賛成するわけで、自分や家族、友人が加害者になったらとは思いもしないんだと思う。

死刑を求刑された被告に対する裁判員裁判で無期懲役の判決が出たことについて。
磯谷「遺族はどんなに悔しかったろうと思いました。判決文をちらっと読んだけど、やっぱり裁判員の人も他人事なのかなと。公正に裁くといいますが、何をもって公正というのでしょうか」
他人事というと薄情なようだが、他人事だから冷静に判断できるわけで、公正に裁かなかったら裁判はリンチや復讐の場になるし、冤罪が続出するだろう。

ドーラ・ラーソン「犠牲者遺族の会」副会長はイリノイ州に対して死刑執行の再開を要求している。
小倉孝保「日米両国で死刑を取材してみて感じることの一つは、日本では死刑を支持する人たちから話を聞くことが、反対する人々から取材するよりも比較的、容易であるのに対し、米国では逆で、死刑を支持する人への取材が難しいということだ。これは、日本社会が死刑を圧倒的に支持しているのに対し、米国では死刑に反対する人が日本に比べて多いためだろう。また、キリスト教が寛容を説いている影響もあるのか、米国では遺族であろうとも、死刑を支持していることを大きな声では言いにくい状況にあるようだ。
私は、多くの犯罪被害者遺族に取材を受けてほしいと依頼してきたが、犯人を許し、死刑に反対している人たちは積極的に取材に応じてくれることが多い反面、相手を死刑にしてほしいと主張する人から実名で取材するのはなかなか難しかった」

ラーソンさんの娘(10歳)は、近所のダーネル(15歳)にレイプされて殺害された。
ダーネルは保釈の可能性のない終身刑判決を受ける。

ラーソン「犯罪遺族の大多数は死刑を完全に支持しています。それは、殺人犯がいつか釈放されるのではないかと脅えているためです。犯罪遺族にとって、家族を殺害した者が出所して、普通の生活に戻ることを想像するのがとても辛いためです」

ラーソンさんは事件から24年後、ダーネルを許そうと決意し、手紙を出した。
〈自分の罪を謝りなさい。あなたが、イエス・キリストを受け入れることを期待しています〉

「刑務所から届いた返信には一言も謝罪もなかった。手紙には、
〈私はイエスを信じない〉
とあった。ダーネルは仏教に帰依するようになっていた。しかも、ダーネルは〇四年、刑務所でエッセイを書くようになったが、その中でも、事件への言及は一切なかった」

ラーソン「エッセイは本当に、私を悲しませました。彼は、美しい文章家気取りでした。彼の頭の中に、ビクトリアを殺害したことは残っていないようでした。更生を期待するのは無理でした」
不謹慎ですが、笑ってしまいました。
仏教を信仰するのでは反省したことにはならないらしい。
カーラ・タッカーがキリスト教ではなく、イスラムの信仰を持ったら、世論はどう思っただろうか。

死刑囚が作る『コンパッション(同情)』という隔月の文集がある。
死刑囚の編集長が全米各地の死刑囚から送られてくる原稿に目を通し、刑務所内のコンピューターで編集する。
その文集を宗教団体などに購入してもらい、集めた資金を犯罪遺族の奨学金に充てている。
小倉孝保氏が尋ねた時点で、肉親を殺害された17人に計3万7千ドルを支給している。
これも死刑囚の更生、もしくは贖罪の一つだと思う。

デヴィッド・ダウ『死刑囚弁護人』には、シスター・ヘレン・プレイジョーン(シスター・プレジャンだと思う)のこんな言葉を紹介している。
「死刑支持論は一見して、重大なことを語っているように思えますが、よく考えていくと、深みがない。私はそう思います」

追記
反省ということですが、どうすることが反省になるのかと思います。
そして、反省したと誰が判断するのでしょうか。

裁判の判決が下されるまでに反省したと見なされたら、情状酌量されることがあります。
判決が出てから反省したのでは遅いのでしょうか。

償いとか反省ということは一人では難しいように思います。
他の人との関わり、特に被害者との関わりの中で生まれてくるものだと思います。
そして、償ったから、反省したから、これでおしまい、とはならないと思います。
どう生きるか、です。

宮城先生は、「食べなければ死ぬから仕方ない」と開き直る生き方と、「申し訳ない」と頭が下がる生き方とがある、「他の命を奪わないと生きていけない。仕方ない」は弱肉強食だ、自分が食われる側に回っても「仕方ない」と言えるか、と話されています。
いい例が臓器売買です。
「生きるために殺さなくてはならないというのは大きな矛盾ですね。この矛盾を仏教では罪というのです」

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小倉孝保『ゆれる死刑 アメリカと日本』3

2013年02月21日 | 死刑

3人の死刑執行 奈良女児殺害・土浦殺傷の死刑囚ら
谷垣禎一法相は21日、同日朝に3人の死刑を執行したと発表した。(略)
谷垣法相は会見で「いずれも誠に身勝手な理由からの犯行で、きわめて残忍。被害者や遺族にとって、無念このうえない事件だ」と説明。(朝日新聞2月21日)
谷垣氏が法相に就任して二か月、書類を精査する時間はないと思う。

被害者遺族の多くは極刑を求めていると言われている。
しかし、極刑が死刑だというわけではない。
神戸・須磨の暴行死:被告に懲役14年 「結果は甚大」−−地裁判決
 神戸市須磨区の路上で10年10月、男性2人が暴行を受けて死傷した事件で、傷害致死などの罪に問われた同区の無職、松田智毅被告(24)の裁判員裁判の判決が15日、神戸地裁であった。奥田哲也裁判長は「無抵抗の被害者に一方的に強度の暴行を加え、結果は甚大」として、求刑通り懲役14年を言い渡した。(略)
 釜谷さんの父智樹さん(47)は判決後、「事件の重大性が認められた。納得いかない部分はあるが、検察官には最大限努力してもらえた」と話した。毎日新聞2月16日)
もしも死刑制度がなければ、被害者遺族は無期懲役を極刑として受け入れるのだろうと思う。

小倉孝保『ゆれる死刑 アメリカと日本』に、地下鉄サリン事件で霞ヶ関駅助役だった夫を亡くした高橋シズヱさんへのインタビューが載っている。

加害者と関わることが被害者の癒しにつながるように思う。

高橋シズヱさんは林郁夫の裁判を傍聴する。
高橋「事件直後は、もちろん死刑にしてほしいと思っていました。辛い毎日が続き、こんなに私を苦しめるのは林だと思っていました。(略)
私の中では、一九九五年三月二十日というのはぽっかりと空いたままでした。傍聴しながら言葉を聞き、何が起こったかを詳細に知ることで、その心の穴が少しずつ埋められたのは大きかった。傍聴を続けたことで、心の整理になったように思います」

そして、林郁夫を気の毒に思う気持ちさえ持つようになった。
高橋「私は幸せな人生を送ってきたことを考えると、何か気の毒に思えてきた。傍聴して聞けば聞くほど、気の毒な人だと思った」

小倉孝保氏はこう書いている。
「過去の林がやってきたこと、他人から見たときの林の像を知ることで、高橋は憎しみだけの気持ちから、哀れみの気持ちを持つようになった。同じ世代でありながら、「変な人生」を送ってしまった林と自分の人生を重ねることで高橋は、自分の幸せを再確認することができた。
しかし、そうした気持ちになるにはやはり、一定の時間が必要だった」

高橋シズヱさんは林郁夫について無期でも死刑でも大差はないと考えるようになった。
高橋「私は、(公判で)林の言うことを全部聞いたことで、「反省して謝罪しているんだから極刑までは望まない」という気持ちになったように思います。傍聴をしなかったら、当初の感情を持ち続けたかもしれません」

だからといって、林郁夫が社会に戻ることは認めない。
高橋「しかし、林が仮釈放になって家族のもとで幸せに暮らすことを許すことはできません。もしも、釈放されたら、林は自殺すべきだと思います。林の命は償いのためにあるべきです」

アメリカでは死刑に反対する遺族は少なくない。
娘を殺害されたアバ・ゲイルさんは当初加害者のミッキーを激しく憎んでいたが、ミッキーと面会し、今ではミッキーの死刑に反対している。
「事件から八年になるころ、ゲイルは相手を憎むことに疲れを感じる。自分の残りの人生は憎しみで終わってしまうのか。そうなることをキャサリーンは求めているのだろうか。ゲイルは癒しの本を読み漁り、憎しみを捨てようと教会などあちこちの宗教団体を訪ね歩いた。そして四年ほどしたころ、ゲイルは不思議な「心の声」を聞く。
「許しなさい。そして、それを相手に伝えなさい」」
そしてミッキーに手紙を書くわけだが、「心の声」ねえ。

デイヴィッド・ダウ『死刑囚弁護人』に、コンビニ強盗に息子を殺された母親が、加害者の死刑執行前、週に4時間ほど面会に訪れ、州知事に減刑嘆願書を書いたことが紹介されている。
怒りや恨み、復讐といった話に比べると、美しい話だと思う。

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小倉孝保『ゆれる死刑 アメリカと日本』2

2013年02月17日 | 死刑

反省している被告のほうが死刑判決が出やすく、反省している死刑囚は早く執行される可能性が高いと、小倉孝保氏は『ゆれる死刑 アメリカと日本』に書いている。
おそらく、罪を悔いている被告は事実認定が違っていてもそのまま認めるので、刑が重くなりがちになるということだと思う。
たとえば、闇サイト殺人事件の一審判決で死刑判決を受けた二人のうち、一人は控訴せずに死刑が確定した。
なぜ控訴しなかったか知らないが、ひょっとしたら死んで償おうとしたのかもしれない。

また、再審を請求している死刑囚はほとんど執行されないが、再審請求しない死刑囚の執行は優先される傾向が強いらしい。
小倉「そのため再審請求中の死刑囚の執行を後回しにすると、反省している死刑囚を優先的に執行し、罪を反省しない死刑囚の刑は執行しないという、ある種逆転現象が起きる」
しかし、再審請求しているからといって、反省していないわけではない。
判決の内容が事実と違うから再審請求をするのである。

郷田マモラ『モリのアサガオ番外編』は、再審請求をする=反省していない、再審請求をしない=反省している、という前提で話が展開している。
主人公である刑務官は死刑囚に反省させようとする。
反省させてどうするつもりか?
生への執着がある死刑囚に死を受け入れさせ、おとなしく処刑させようというのである。
なぜかというと、反省せずに人間らしさを取り戻さないままだと地獄に落ちる、罪と向き合って反省したら天国に行けると、主人公は思い込んでいるから。
どこかの宗教の信者みたいである。
主人公は冤罪や一部冤罪の死刑囚に対しても再審請求をさせないようにはたらきかける。

では、「人間らしさ」とは何か?
死ぬのが怖いということだと思う。
罪を悔いているからといって、生きてはいけないということにはならない。
死刑執行を少しでも先延ばしにしようとすることがどうしていけなのかと思う。

テキサス州ではえん罪防止のために、ダラス地検が2007年に有罪再審査部(CIU)を設置した。
「有罪確定後にも無罪を主張している事件の記録を再調査し、無罪が疑われると判断された場合には、CIUと地元警察が合同で再捜査する。
「検察がわざわざ過去の事案を掘り起こして、自ら無罪を求めるのだから、これまでの常識からは完全に外れたやり方だ」と小倉孝保氏は言う。

CIU設置に積極的な働きをしたのはグレイク・ワトキンズ検事で、
「死刑に反対の意思を鮮明にしている」そうだ。
検察は被告に有利な証拠を隠し、なかなか開示しようとしないから冤罪がなくならない。
『モリのアサガオ』の主人公が死刑囚たちのことを考えているなら、再審請求に協力して、彼らが減刑されるようにすべきだと思う。

反省、更生ということについて杉浦正健氏はこんな話をしている。
杉浦正健氏は法相を勤めた約11カ月間、死刑執行命令書に署名しなかった。
法務官僚が死刑執行を命じるべきだと説得したけど、杉浦正健氏が拒んだと思われているが、そうではないそうだ。
杉浦「説得されたということは一度もなかった。実は、退任直前の九月には、死刑を執行するのに適した者がいないか、検討もしたんです。(略)
だから、死刑執行に適している者の資料を持ってくるよう役人に指示しました。(略)すると、係の者が死刑囚三人の資料を持ってきました。資料は膨大だから、要約の調書を作らせじっくりと目を通しましたが、結果的に署名しませんでした」

なぜ署名しなかったのか。
杉浦「(心が)揺れた状態で読みました。ひどい犯罪者です。罪のない人を三人とか四人、殺しているんです。それこそ、ハエや蚊よりも悪いような人間です。しかし、教誨師の活動もあって、罪を償いたいという気持ちになっている。早く浄土に行きたいと言っている人もいました。すると思うんです。やったことはひどいことだけど、そこまで反省している者を、あえて死刑にすることはないんじゃないか、と。この人たちは反省しているとわかると、ますます署名できなくなる。人間は誰も死にたくないんです。それなのに、浄土に行きたいということは反省しているということでしょう。もちろん被害者遺族のことも考えますがね。被害に遭った人は戻ってこない。だったら、許すしかないんじゃないですか」
そして、「「署名しない」と言ったら、法務省の職員は静かに資料を持ち帰った」そうだ。

反省してから処刑すべきだと言う郷田マモラ氏、反省しているのだから処刑できないと言う杉浦正健氏。

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小倉孝保『ゆれる死刑 アメリカと日本』1

2013年02月14日 | 死刑

東京拘置所が毎日新聞の取材を認め、死刑囚の処遇を公開した。
「週刊新潮」は「衛生夫が初めて語った! 東京拘置所「死刑囚」30人それぞれの独居房」、「週刊ポスト」は「死刑囚78人、獄中からの『肉筆』」という記事を掲載している。
たまたまかもしれないが、死刑囚の報道が重なった。

死刑囚の世話をする衛生夫の話をどう伝えるかによって、話のニュアンスが違ってくる。
「週刊新潮」だから、死刑囚はのんびり暮らしている、金の無駄遣いだという感じ。
それに対して、「週刊ポスト」は光市事件の「元少年」となっていて実名を出していないように、客観的に伝えているように思う。

死刑囚がどういう状態に置かれ、どういう生活をし、何を考えているか、ほんとどといっていいくらい知らされない。
ましてどのように執行され、立ち会う人がどう思ったかは秘密である。
法務省は秘密主義を死刑囚の心情の安定のためと説明するが、本当に心情の安定につながっているかはわからない。

小倉孝保『ゆれる死刑 アメリカと日本』は、アメリカと日本の死刑囚、教誨師、被害者遺族、裁判官、検事といった人たちに取材した本。

死刑囚と接する教誨師は死刑に反対の人が多いようだ。

足利孝之さんは1966年から25年間、死刑囚の教誨をしていた。
足利「私は坊主ですからね、人間が人間を裁くというのはいけないと思っています。国家権力が人を殺してはいけない。もっと生かす方法を考えるべきではないか」

カロル・ピケット牧師は死刑執行時の教誨師である。
「テキサス州には死刑執行時だけの教誨師がいる。刑務所に収容されている囚人に普段から宗教を説く教誨師とは別に、死刑執行に際してのみ教誨活動をする宗教家である。普段から付き合い、情を通わせた者同士が執行に立ち会うことは教誨師、死刑囚双方にとって精神的負担が大きいという考えがあるようだ」

カロル・ピケット牧師が1980年から1995年までに立ち会った死刑囚は95人。
ピケット「九十九パーセントの死刑囚は死後の世界を信じていましたよ。だから、私が最初に、「心配なことはありますか」と聞くと、多くの死刑囚が「死刑にあった後、自分の遺体はどうなるんでしょうか」と聞いてきました。(略)
暴れたり暴力を振るったりする死刑囚は一人もいなかった」

ピケット牧師は繰り返し執行に立ち会ううち、テキサス州の死刑制度に強い疑問を抱くようになり、死刑教誨師を引退した後、死刑廃止を求める運動に加わった。
「疑問を抱いた理由の一つは、経済、学歴の格差が刑に反映していることだった。貧しく、学歴の低い者ほど、死刑になりやすく、高学歴で豊かな者が死刑になる確率はとても低いという、この国の現実をピケットは肌で感じた」
ピケット牧師が立ち会った95人のうち、大卒は2人しかいない。

死刑とその他の刑を分ける基準についてもピケット牧師は不信を持った。
ピケット「私の会った死刑囚の多くは、被害者が一人の事件で、死刑判決を受けていた。テキサスの刑務所には、殺人事件の服役者が一万人はいるのではないですか。でも、彼らは死刑になっていない。彼らと死刑囚を分けるものは何なのでしょう」

死刑と他の刑とを分ける明確な基準がないことを問題にする人は他にもいる。
ロバート・F・アターはワシントン州が死刑制度を維持していることに抗議してワシントン州最高裁判事を辞任した。

48人の女性を殺し、さらにカナダで大量の女性を殺害したとされるリッジウェイに検察は当初、死刑を求刑したが、司法取引に応じる形で終身刑を求めた。
リッジウェイは犯行を認め、事件の詳細を供述して無期懲役となった。
リッジウェイのように50人以上を殺しても死刑にならない場合があれば、数人を殺害して死刑になるのでは不平等だと言わざるを得ない。

日本でも、名古屋の闇サイト殺人事件の一審判決は自首した被告が無期懲役、二人が死刑だったが、死刑判決を受けた二人のうち、一人は控訴せずに死刑が確定、控訴した人は二審で無期懲役だった。
検察は上告しなかったので無期が確定したのだが、検察は最初から死刑は無理だと思っていたのではないか。
同じことをしているのに、控訴しなかった人は死刑で、控訴した人は無期懲役。
これでは法の下の平等に反すると、素人でも思う。

追記
2月14日、岡山地裁で、被害者が1人で、前科がない被告への死刑判決が言い渡された。
裁判員制度では初めて。
厳罰化のためらしい。
ということは、死刑か無期懲役かの明確な判断基準はないということである。

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2012年キネマ旬報ベストテン特集号

2013年02月10日 | 映画

毎年のお楽しみ、「キネマ旬報」2月号を買いました。
日本映画の1位から20位まで。

1位『かぞくのくに』

2位『桐島、部活やめるってよ』
3位『アウトレイジ ビヨンド』
4位『終の信託』
5位『苦役列車』
6位『わが母の記』
7位『ふがいない僕は空を見た』
8位『鍵泥棒のメソッド』
9位『希望の国』
10位『夢売るふたり』

11位『この空の花 ―長岡花火物語』

11位『SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』
13位『おおかみこどもの雨と雪』
14位『黄金を抱いて翔べ』
15位『ヒミズ』
16位『その夜の侍』
17位『KOTOKO』
18位『天地明察』
19位『北のカナリアたち』
19位『ライク・サムワン・イン・ラブ』

私のベストテン予想は7本が当たり、20位までに入っているのは9本。

ベスト20予想は15本が当たりました。
外れた作品の順位をご紹介。

23位『愛と誠』

24位『あなたへ』
24位『おだやかな日常』
28位『僕達急行 A列車で行こう』
36位『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』

外国映画1位から20位まで。


1位『ニーチェの馬』

2位『別離』
3位『ヒューゴの不思議な発明』
4位『ル・アーヴルの靴みがき』
5位『ミッドナイト・イン・パリ』
6位『アルゴ』
7位『戦火の馬』
8位『ドライヴ』
9位『J・エドガー』
10位『裏切りのサーカス』

11位『桃さんのしあわせ』

12位『ポエトリー アグネスの詩』
12位『メランコリア』
14位『人生の特等席』
15位『最強のふたり』
16位『アーティスト』
17位『レ・ミゼラブル』
18位『カルロス』
19位『おとなのけんか』
20位『哀しき獣』
20位『きっと ここが帰る場所』

ベストテンで私の予想が当たったのは3本だけですが、8本がベスト20に入っていますので、まあまあでした。

ベスト20の予想は14本が当たり。
外れた作品と「SCREEN」外国映画ベストテン1~20位の作品の順位です。

22位『007 スカイフォール』

30位『少年は残酷な弓を射る』
33位『少年と自転車』
39位『愛について、ある土曜日の面会室』
39位『最初の人間』
42位『トガニ』
53位『ダークナイト・ライジング』
53位『ドラゴン・タトゥーの女』
53位『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』
59位『SHAME-シェイム』
93位『アベンジャーズ』
105位『ローマ法王の休日』
133位『フランケンウィニー.』
選外『ホビット 思いがけない冒険』

『声をかくす人』がないのには驚きです。

ちなみに1点というのが11本あり、ケン・ローチ『ルート・アイリッシュ』も一人しか選んでいません。
ベストテンに入ってもおかしくはないのですが。

「SCREEN」外国映画ベストテン1~20位


1位『アルゴ』

2位『ミッドナイト・イン・パリ』
3位『アーティスト』
4位『ヒューゴの不思議な発明』
5位『最強のふたり』
6位『戦火の馬』
7位『007 スカイフォール』
8位『ダークナイト ライジング』
9位『人生の特等席』
9位『ドライヴ』

11位『ニーチェの馬』

12位『別離』
13位『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』
14位『裏切りのサーカス』
15位『レ・ミゼラブル』
16位『自転車と少年』
17位『SHAME-シェイム』
18位『少年は残酷な弓を射る』
18位『フランケンウィニー.』
20位『アベンジャーズ』
20位『J・エドガー』
20位『ドラゴン・タトゥーの女』
20位『ホビット 思いがけない冒険』

アメリカ映画が多いですね。

私のベスト20予想に入れた作品の順位をいくつか。

24位『最初の人間』

27位『哀しき獣』
29位『桃さんのしあわせ』
34位『ル・アーヴルの靴みがき』
38位『メランコリア』

「キネマ旬報」と「SCREEN」の外国映画ベストテンで共通する作品は5本、ベスト20だと13本。

「SCREEN」ベスト20に入った「キネマ旬報」のベストテン作品は9本。
「キネマ旬報」ベスト20に入った「SCREEN」のベストテン作品は8本。
私の予想は大外れかと思いましたが、まあ、そこそこかもしれません。

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『橘外男ワンダーランド』2

2013年02月06日 | 

橘外男について、永井龍男は『回想の芥川・直木賞』に「人としての印象も両賞を通じてその後二人とない「変り者」であった」と述べている。
もっとも、どこがどのように変わっていたのか、永井龍男は橘外男の原稿のことしか書いていない。
「彼の原稿というものも、他に類を見ない。だいたい五十枚以下のものは書かず、百枚二百枚におよぶ小説がほとんどであったが、私の想像によると、起稿から擱筆まで、一気に筆を進め、それから推敲に入るのだが、その加筆振りが尋常ではなかった。不満の個所は墨汁と毛筆で、他人には一字も見えぬまで丹念に塗りつぶす。それも、乾いてからは照りを持つほど暑く、何回も塗りつぶしてから、原稿用紙の欄外を極度にまで利用して九ポか八ポの活字位な細字で、ぎっしり書き込みをしてある。書き直せば一枚がゆうに二枚以上になるに違いない。それも一篇の小説の原稿が、第一頁から結末までほとんど同様で、正直のところ、この男は精神的に異状な点があるのではないかと、薄気味悪さを感じるほど執拗な加筆であった。原稿の写真がないのが残念である」
これで「変り者」扱いされたのではカワイソウ。

原稿用紙が真っ黒になるくらい推敲した橘外男の文章を、都筑道夫「息ふきかえした白昼夢」はこう評している。
「だが、作品を読むたびに、私は首をひねるのだ。そこには使いふるしの言葉が、紋切り型の配列をなしていて、プロットの展開もただただ持ってまわるばかり、少しもクレヴァーなところがない。これが推敲のはてとすると、書きっぱなしだったら、どんなことになるのだろう、と心配になってくる。
桃源社本に収録されている人工美女テーマの「妖花イレーネ」には、警官隊の銃撃を「パパーン! パンパン! ヒューン! ドドドドドドドド」と書いて、読者をおどろかす箇所があるが、この素朴さに達するための苦心なのだろうか」(『死体を無事に消すまで』)

でもまあ「この素朴さ」が魅力の一つなのである。

「墓が呼んでいる」(昭和31年)は怪談だが、美女姉妹が登場して、前半はなんだか「遊仙窟」というおもむきがある。
語り手の大学生が姉妹と水遊びをした時の感想。
「頸筋、背、太腿も露わに、真っ白なからだに二人とも水着を着けて、その水着がズップリ濡れてからだ中をキラキラ陽に輝いて、すらりとしながら引き締まって均整の執れた手肢……格好のいい胸の隆まり!(略)
二人とも欲しい、(略)その一人でもいいから、早く欲しい! 早く、からだをクッつけたい!」
直木賞作家にしては稚拙と言えば稚拙だが、結核で瀕死の病人がこんなことを話すのだからタマラナイ。

橘外男は晩年にキリスト教に入信したという。

子息の宏氏は「老年の悩みが凄かった」と回想しているそうだ。
それにしても、と思う。

というのも、橘外男は終戦を満州の新京市で迎えた。

敗戦後の新京の悲惨な状況を「麻袋の行列」などで描いている。
昭和21年9月に日本に帰ってきたらしい。
ところが、帰国後、最初の小説はなんと、妻が犬と……という「陰獣トリステサ」(昭和22年1~4月)なんですね。
やっぱり変わり者だと思いました。

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『橘外男ワンダーランド』1

2013年02月03日 | 

橘外男の名前を知ったのは、はるか昔、「少年マガジン」に橘外男原作のマンガが掲載されたことによってである。
ネットで調べたら5作ありました。(いずれも1969年)

1月12日号「チャブロ原人境」さいとうたかを(脚本は小池一夫)
3月16日号「ベイラの獅子像」大倉元則
4月6日号「女豹ドクター」 阿部兼士(「女豹博士」より)
この3作はまったく記憶にない。
4月13日号、4月20日号「ウニデス潮流の彼方」池上遼一
5月18日号「人を呼ぶ湖」

「人を呼ぶ湖」は「覆面作家」となっていて、作者が誰なのかを当てる懸賞クイズが行なわれた。
正解は小畑しゅんじという人。
考えてみると、絵を見た覚えはあっても、作者の名前ははっきりしないという微妙な立場の人にマンガを描いてもらわないといけないわけで、小畑しゅんじはこの企画をよく承知したもんです。
この橘外男原作漫画特集はなんと間羊太郎(式貴士・蘭光生その他)の企画らしくて、何となく納得。

都筑道夫『黄色い部屋はいかに改装されたか』に橘外男について書かれてあり、それにひかれて『青白き裸女群像』(解説は澁澤龍彦)を買ったのも今は昔の話。
図書館に『橘外男ワンダーランド』全6巻のうち「人獣妖婚譚篇」以外の5冊が所蔵されてたので、ついでに『ベイラの獅子像』と『妖花 ユウゼニカ物語』と一緒に借りました。
橘外男は癩病と人獣交合譚だけではないと認識を新たにしました。

「少年マガジン」に掲載された橘外男原作の「ウニデス潮流の彼方」「人を呼ぶ湖」(「少女の友」昭和26年1~2月)は、小説よりもマンガのほうがよかったように思う。
かなり以前のことだから当てにはならないが、何かぞくぞくするものがあったから、今でも覚えているわけだし。
「亡霊怪猫屋敷」(昭和26.8月~27.5月)も中川信夫が監督した映画のほうが怖い。
「亡霊怪猫屋敷」も「少女の友」の連載で、そういえば「マーガレット」だったか「少女フレンド」だったか忘れたが、読み物の中に怖い話がけっこう載っていて、姉と「怖いね」と話をしたものだ。

とはいっても、橘外男の小説がつまらないわけではない。
橘外男の魅力は何か。
澁澤龍彦は『青白き裸女群像・他』の解説で次のように書いている。
「いまさらながら私のつくづく思ったことは、現代の大衆小説にまったく欠如している、考えようによっては無益な遊びの要素が、ここにはふんだんに発見される、ということだった。(略)
そこには執拗なグロテスクへの欲求があり、神秘と怪奇への沈潜の趣味があり、そしてまた、あり得べからざる一つの非現実的な状況設定から、一篇のロマネスクを組み立てようとする人工的な物語作者の意志―要するに、小説を小説たらしめる根本的な条件である遊びの要素がある」(『偏愛的作家論』)

こんなこと、よく考えつくなという突拍子もないおバカな話なのだが、なぜか実話ですよという体裁で語るのが橘外男の趣味らしい。
橘外男の実体験を元にした小説でも、いつの間にかぶっ飛んだ話になる。

昭和13年上半期直木賞受賞作品「ナリン殿下への回想」は、三田谷商会支配人タチバナ氏の語り。
橘外男の直木賞受賞の前後に永井龍男は橘外男と初めて対面した。
「橘外男は一人ではなく、日本橋で知られた医療器具店の老舗、I屋の子息と同伴だった」
三田屋商会がI屋である。

「或る千万長者と文士の物語」(昭和26年)は、女好きで抜けていると思っていた三田谷商会の若主人が実は、という話。

この若主人、こんなことを言うんですよ。
「品物さ! 女の魅力ってのは、品物だヨ! 品物さえよけりゃ、顔なんざどうだっていいもんなんだぜエ!
ほら、昔の本に出てるじゃないの? キンチャクとか……タコだとか、ヒャッヒャッヒヒヒヒヒヒつまりアレなんだヨ! 吸いつくような奴にかかっちゃ、もう、徹(こた)えられないからネ。顔なんざ、どうだってよくなっちまうのさ、ヒャッヒャッヒヒヒヒヒヒヒ」
作り話にしても、こんなことを書いてもいいものかと思う。

橘外男はものすごく人見知りをする人だったらしいが、小説に登場するタチバナ氏はそうは思えない。
「ナリン殿下への回想」にはこんな記述がある。
「中学時代に私の棒組に野球に凝って落第ばかりしているニキビ野郎があって、無闇に下級生の「ヨカ稚児」ばかり追っ駆け廻していた。そのうちにあんまり落第ばかり続けて到頭しまいには自分の稚児サンと同級生になってしまって、数学を稚児サンに教わっていた莫迦野郎があったが、その時分から汁粉屋の女中の手引で女の味を知っていた私は莫迦莫迦しくて男のくせに男を追っ駆け廻すなんて汚ねえじゃねえかとどうしてもその気になれずに到頭その方の経験だけは解せずしまいであった」

でも、高崎中学時代の話である「男色物語」(昭和27年)では、橘君は何人もの後輩をチゴにしてオカマを掘っている。

稚児さんにそこまでするとは知らなかった。

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