三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

やじについて

2014年06月27日 | 日記

ブライアン・ヘルゲランド『42〜世界を変えた男〜』は、大リーグ初の黒人選手ジャッキー・ロビンソンの伝記映画。
チームメイト、相手チーム、観客などからひどい差別を受けたかが描かれている。
特にベン・チャップマンという監督のヤジが「猿はジャングルに帰れ!」とか「ニガ、ニガ、ニガ、ニガ、ニガ・・・」としつこくて、どうしてみんな何も言わずに黙っているのかと不愉快になる。

「やじ」の意味をネットで調べみると、「やじること」とあり、「やじる」とは

他人の言動に、大声で非難やひやかしの言葉を浴びせかける。「演説者を口ぎたなく―・る」

とありました。

『世界大百科事典』では「やじ」はこのように説明しています。

議場,舞台,競技場などにおいて,公式の発言者や登場人物の言説ないし所作を対象に,対立する陣営や観客席(外野席)から発せられるひやかし,あざけり,非難の言葉を指す。政治の世界,とりわけ公開の演説会場,国会の各種委員会や本会議においては,通例,その演説の内容や所作,賛成・反対の討論に対して弥次と怒号がとびかう。

国会では「通例」「弥次と怒号がとびかう」と説明するのだから、『世界大百科事典』はビアスの『悪魔の辞典』みたいなものかと思ってしまった。
小学校のホームルームでやじを飛ばす子供がいたら、議員のみなさんはどう思うのでしょうか。
普通は、会議で誰かが発言している時に大声で「ひやかし」や「あざけり」を言ったら、人間性を疑われてしまう。

で、都議会での「早く結婚したらいいじゃないか」「子供もいないのに」「産めないのか」といったやじが飛び、同調した笑いが起きたという事件。
通常、子供のいない夫婦に「子供はまだ?」とは聞けないし、まして「産めないのか?」とは言わない。
ある子供のいない女性だが、昔、法事のあとの食事の席で、親戚から「お前はどうして子供を産めないんだ」と責められて泣いてしまったことがある、と話されてた。
たぶん戦前の話で、さすがにこんなことを言う人は今はいないと思っていたが、都議会にはいるんですね。

「セクハラやじ」と言われているが、このやじは「性的ないやがらせ」とは違うと思う。
結婚していない人、子供のいない女性を、結婚して子供もいる自分と同等の人間として見ていない。
ジャッキー・ロビンソンへのやじのように、人間としての存在を否定しているように感じる。
だけども、こういう人たちはシングルマザーへの差別的扱いは伝統を守るとか言って、肯定するんでしょうね。

石原伸晃環境相の「最後は金目でしょ」発言にしても、「どうせこいつら……」と思っていることがありありとうかがえて、これまた被災者を自分よりも以下の人間と見なしている。
田中角栄が初めて大臣になった時だったと思うが、官僚を一人ずつ呼んで、現金の入った封筒を渡したという。
金を返した官僚は一人もいないというのが自慢だったそうだ。
自分たちが「最後は金目」だからといって、自分のことは棚に上げ、人を見下すような人間じゃないと大臣や議員になれないということです。

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「オウム死刑囚」13人の拘置所ライフ

2014年06月24日 | 死刑

いささか旧聞に属しますが、「週刊新潮」14年4月24日号の「「オウム死刑囚」13人の拘置所ライフ」という記事をご紹介しましょう。
オウム真理教の信者、元信者の死刑囚がどんな生活をしているかが書かれています。

中川智正死刑囚は俳句を作っていて、それについてコロラド州立大学のアンソニー・トゥー名誉教授(台湾出身)が語っている。
井上嘉浩死刑囚は詩を書いている。
岡崎一明死刑囚や早川紀代秀死刑囚は、以前「週刊新潮」に載った「「衛生夫が初めて語った! 東京拘置所「死刑囚」30人それぞれの独居房」の使い回し。
土谷正実死刑囚について獄中結婚した女性が話しているが、今はシアトルに住んでとかで、こんな女と結婚したのは失敗だとしか思えない。
というふうに、からかいを交えながら、死刑囚たちがのんびりと暮らしていることを強調している。


東拘関係者が早川紀代秀死刑囚、遠藤誠一死刑囚、横山真人死刑囚の話をしている。
「東拘関係者」とは刑務官以外にあり得ない。
東京拘置所は内部調査をして、守秘義務に違反した刑務官を懲戒処分にしてもらいたいものです。

林泰男死刑囚、端本悟死刑囚のことは担当弁護士が匿名で語っている。
「元衛生夫」のような悪意ある話ではないが、弁護士がこんな興味本位の記事の取材に応じていいものかと思う。

そして麻原彰晃死刑囚だが、元衛生夫の話では

床には糞尿が散らばり、酷い臭いを放っていました。布団も小便でぐっしょりとしていることがあった。そんな中で彼は三度の食事を摂っているいるのです。彼の食事は汁ものを除き、おかずはすべてご飯の上に載せて出すように命じられていた。それをきっと刑務官がレンゲを使って食べさせているのでしょう。はっきり言って犬のような暮らしをしているとしか思えません。

とのこと。
麻原彰晃死刑囚については元衛生夫(「週刊新潮」の元衛生夫と同一人物かは不明)の話をまとめた『獄中で見た麻原彰晃』にもっと詳しく書かれてある。

このあとに、永岡弘行氏(オウム真理教家族の会代表)の「麻原には全てを洗いざらい話してほしい。他の死刑囚やその家族には罪を償うために動き出した人もいるのに、彼はまったく責務を果たそうとしない。その姿勢には、変わらず激しい憤りを感じるばかりです」との言葉を紹介されている。
「犬のような暮らし」をしている麻原彰晃死刑囚に「責務を果た」させるべきだと「週刊新潮」が思うのなら、麻原彰晃死刑囚を治療させるよう法務省に訴えるべきだが、人権嫌いの「週刊新潮」はそんなことはしません。

記事の最後にはこのように締めくくられる。

来年は地下鉄サリンから20年。しかし、一連のオウム事件に、死刑執行という一つのピリオドが打たれる日は、まだまだ遠いと言えそうだ。

つまりは、さっさと死刑にしろというのが結論。
でもまあ、麻原彰晃死刑囚については「週刊新潮」だけが早期に執行すべきだと言っているわけではない。

森達也『A3』によると、人権活動家ですら麻原裁判の不公正さについて口をつむぐそうだし、麻原彰晃の子供たちは私立中学、高校、大学に合格したのに、入学を取り消されている。

出自によって入学を取り消す。これは明確な差別だ。しかしあらゆる差別問題に取り組むはずの部落解放同盟を含め、ほとんど人権団体はこの事態に講義しない。異を唱えない。声をあげない。反応しない。まるですっぽりとエア・ポケットに入っているかのように、明らかな異例が明らかな常態になっている。

安田好弘弁護士は人権派と揶揄されるが、森達也氏とこういう会話をしている。

森「人権派の人たちも、麻原彰晃のこの問題については、なぜかなかなか発言してくれないですよね」
安田「人権派って?」
森「いろいろ。例えば市民団体とか」
安田「あの人たちはね、基本的には、良い人とかわいそうな人の人権じゃないとダメなの」
森「……悪くて憎らしい人の人権はダメなのかな」
安田「ダメだねえ」

そういえば、冤罪事件の支援をしている人でも、死刑は別らしくて、死刑賛成の人が少なくないと聞いたことがある。
森達也氏はこう述べる。

麻原彰晃に対しては市民運動はまず連帯しない。ほとんどの人権擁護団体や市民グループは、オウム関連(特に麻原)については「あれだけは例外だ」として沈黙する。でも例外は例外のままではとどまらない。必ず前例となる。そして全体を少しずつ変えてゆく。

たしかになあと思う。
私も「麻原彰晃さん」とは書かないですからね。

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ノアの方舟の謎

2014年06月21日 | 日記

聖書根本主義者は聖書に書かれてある事柄はすべて歴史的事実だと考えているそうだが、疑問に感じることはないのだろうか。
たとえば、地上にはアダムとイブ、その子供たちしかいないはずなのに、カインやセツには妻がいる。
カインとセツ、そして彼らの子供たちは自分の姉妹としか結婚できない。
ネットで調べたら、外典の『ヨベル書』には妹のアワンがカインと妻とされているそうだ。
『創世記』によると、カインの子孫には遊牧民、音楽家、鍛冶の祖とされる人がいるが、でもノアの方舟のときの大洪水でカインの末裔はみんな死んでいるはず。
これも不思議な話です。

『創世記』でアダムの系図が長々と書かれたあとに登場するのがノアである。
いくらなんでもノアの方舟や大洪水なんてあり得ないと私は思うのだが、アララト山まで行ってノアの方舟を探している人たちがいる。
アポロ15号で月面着陸した宇宙飛行士のジェームス・アーウィンもその一人で、ハイフライト基金キリスト福音教会を設立、トルコのアララト山で6度もノアの方舟を捜索したそうだ。

『トンデモ超常現象99の真相』に、そもそも旧約聖書の記述はあり得るかということが書かれてある。

1 ノアの家族だけで長さ300キュビト(130m)、幅50キュビト(22m)、高さ30キュビト(13m)もある船を建造することができるか。
2 8600種の鳥類、4500種の哺乳類、6000種の爬虫類を世界中から集めることができるか。
3 雨が降り出してから方舟を出るまでの1年間のエサはどうしたのか。
4 標高5041mのアララト山が水没するための水はどこから来て、どこに消えたのか。
聖書原理主義者はどのように考えているか聞きたいものです。

ダーレン・アロノフスキー『ノア 約束の舟』では、これらの難問をどのように解決しているでしょうか。
1は、天使だった岩の怪物が手伝ってくれる。
2は、動物たちはぞろぞろと自分から、しかもひとつがいずつやって来る。
3は、動物たちは眠っている。
4は、水は雨だけでなく、地中からも吹き出てくる。
こういう回答しか思いつけませんよね。



『創世記』ではノアの三人の息子たちに妻がいる。
ところが、『ノア 約束の舟』では長男のセムには妻がいるが、弟のハムとヤペテにはいない。
『ノア 約束の舟』の続編が作られるとして、一人立ち去ったハムのその後をどのように描くか気になります。

岡崎勝世『聖書VS世界史』は、聖書によれば天地創造は紀元前約4千年前のことなのに、エジプトや中国の歴史は天地創造よりも古いことを知った神学者たちがつじつま合わせに苦労する様子が書かれている。

ノアの方舟が歴史的事実ではないとして、ではアブラハムやイエスの言行などはどうなのか。
あれもこれも作り話でしたということになると、世界観が壊れてしまう。
聖書根本主義者が聖書に書かれてあることは実際にあったことだと信じ込みたいのもわかる気がする。

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集団的自衛権に関する防衛省・自衛隊の見解

2014年06月17日 | 戦争

秘密保全法に反対する愛知の会の「集団的自衛権を容認する解釈壊憲に反対する声明」というチラシを知人からもらいました。
そのチラシに防衛省・自衛隊のHPにある「憲法と自衛権」に集団的自衛権についての説明が引用されていました。

(4)集団的自衛権
 国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているとされています。わが国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上当然です。しかしながら、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、他国に加えられた武力攻撃を実力をもって阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は、これを超えるものであって、憲法上許されないと考えています。


安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会という長ったらしい名前の安倍首相の私的懇談会が、現行憲法の下で集団的自衛権を行使することは可能だとの解釈を示しているにもかかわらず、防衛省・自衛隊のHPではいまだに「集団的自衛権の行使」は「憲法上許されない」とあるのはどうしてか。
私なりに考えてみました。

1 HPの担当者が集団的自衛権を行使すべきではないと考えているから
2 HPの担当者が集団的自衛権の行使を認めない憲法はおかしいと考えているから
3 首相、防衛大臣、防衛省・自衛隊の人たちは防衛省・自衛隊のHPにこんなことが書かれてあることを知らないから

3という気がします。
いつ変更されるのかが楽しみです。
説明が変更したなら、変更した理由が書いてあればうれしいです。

(追記)

7月7日に防衛省・自衛隊のHPを見たら、「憲法と自衛権(現在、記述を修正しています)
」とありました

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ランチメイト症候群と通り魔殺人

2014年06月15日 | 日記

図書館に行ったら休館日で閉まっていた。
入口は行き止まりなので、人が通ることはない。
そこに窓から外を見ながら立ったまま弁当を食べている女性がいた。
私の足音が聞こえただろうに振り返ることもしない。
どうせなら図書館の裏の川辺の公園で昼食をとればいいのに。

ランチメイト症候群といって、学校や職場で一緒に食事をする相手(ランチメイト)がいないことに一種の恐怖を覚える人がいて、一人で食事をする姿を知り合いに見られないように図書館や便所などで隠れて食べる人がいるそうだ。
この女性もその一人なのかもしれない。

5月23日に、カリフォルニア州でコミュニティ・カレッジに通うエリオット・ロジャーが、自身の住むアパート内でルームメイトを含む男性3名を刺殺後、車を走行させながら銃を乱射し、女子学生2名と男子学生1名を射殺、13名を負傷させた後、自分の頭を銃で撃って自殺したという事件があった。

エリオット・ロジャーは動画サイトで犯行を予告している。

「女の子はみんな自分に見向きもしなかった」
「カレッジのみんながセックスとか楽しいことを満喫しているあいだ、オレはずっと寂しかった」
「オレはもう22歳。カレッジに2年半以上いるのに、まだ童貞だ。キスさえしたことがないんだ」
「俺をバカにした女の子たちみんな、そして俺よりもハッピーなヤリチン男たちみんな、オレはお前らが大嫌いだ。覚えてろよ。明日だ。明日が復讐の日だ」

近ごろの人は無神経なくせして傷つきやすいと耳にする。
また、欲求不満耐性といって、欲求不満に耐える力が昭和39年以降、ずっと低下しているそうだ。
エリオット・ロジャーの事件はまさにこの典型のように思う。

だけども、もてない歴数十年の私はエリオット・ロジャーのせつなさがわかる気がする。
それにしても、そこでどうして見知らぬ人を無差別に殺すのか。
日本でも死刑になりたいというので通り魔殺人事件が起きている。

「木津川ダルクニュース」No.2に、中元総一郎「一人で問題に立ち向かおうとしない、仲間と取り組むこと」という文章があり、「生きづらさ」の本質の一つに「傷つきやすさ」「臆病さ」「怒りっぽさ」という感情が関係している、とある。

このこと、自分のことだと思う人は多いんじゃなかろうか。

今の世の中、何をしてもいい自由が与えられていて、千人斬りした(ように見える)人がいる一方で、何をしたらいいかわからない、もしくは何もできない人もいる。

「生きづらさ」ということでは、エリオット・ロジャーのように無差別殺人事件を起こす人と、誰にも見られない場所で一人で食事をする人は共通しているように思う。

「傷つきやすさ」は自分はダメなんだと自己否定をする。

「怒りっぽさ」は攻撃的になる。
自己評価をどのようにして高めるのか。

1,人にほめてもらうことで自分を上げる

たとえば、コンビニの店員がアイスクリーム用冷凍庫に入った写真をtwitterやFacebookに載せるとか。

2,人をけなすことで相手を下げる

たとえば、衣料品の店員を土下座して謝らせ、その写真をtwitteに載せた女性とか。
ネットでの荒らしもこれだと思う。
「臆病さ」のために一人で自信がなければ、2ちゃんねるで拡散すればいい。

中元総一郎氏は「生きづらさ」は治さないといけないものなのかと問う。

個性であり、無理に矯正されるものではないという考え方もあるそうだ。
不安や怒りは動物が生き残るために発達した本能なので、生存を目的とした機構が先にすばやく発動され、人間の理性で制御しようとしてもうまくいかない。
中元総一郎氏も、人から言われたことに怒りを感じたり、悩んだりすることが多いそうです。
何やらホッとします。

「一人で問題に立ち向かおうとしない、仲間と取り組むことが、長く回復に取り組む秘訣なのだろうかと思います」とのことでした。

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松下竜一『ルイズ』と大杉栄の子供たち

2014年06月09日 | 

週刊誌に「あの人は今」という記事が載ることがある。
元俳優、元歌手、話題になった事件の犯人といった人が、今どうしているかというものである。
私は、若くして死んだ有名人(主に小説家)の妻や子供がどうなったかが気になる。
妻は小さな子供を抱えてどうやって生活したのだろうか。

萩原朔太郎や芥川龍之介の子供は有名人になっているが、たとえば北村透谷、国木田独歩、石川啄木、小林多喜二、中原中也、中島敦とかは。
生田長江の娘や尾崎放哉の妻も苦労しただろうと思う。
私小説家の葛西善蔵と、弟子とされる嘉村礒多は、小説を読む限り財産を残していたとは思えない。
葛西善蔵は妻と愛人に子供が計5人いて、妻の実家は地主で裕福だったそうだけど。
嘉村礒多の妻は伝記『嘉村礒多の妻ーちとせ』があるそうだ。

大杉栄と伊藤野枝の子供は5人いる。
1923年9月16日に二人が殺されたとき、真子(魔子)6歳、幸子(エマ)2歳8カ月、笑子(エマ)、留意子(ルイズ)は1歳3カ月、栄(ネストル)は1カ月半。
幸子は生まれてすぐに大杉栄の妹の養女になった。
他の子供たちはどうなったのか気になったので、松下竜一『ルイズ』を読んだ。

一番下の男の子である栄は1歳で死んでしまう。
笑子と留意子は伊藤野枝の両親に育てられる。
小学校の友だちは、親から「伊藤の子と遊んではならぬ」と言われている。
伊藤家は決して豊かではなかったようだが、二人は女学校に入っている。
女学校の教師から「もし親が誰かに理不尽な殺されかたをされたとして、仇討ちをしたいかと思うか」と質問されたり、全校生徒が集まった訓話のなかで大杉、伊藤を非難する講演者がいたりした。
二人とも結婚しようとした相手の両親から反対されている。
これはまあ戦前のことだが、1961年、ルイズは地域の公民館運営委員に推薦されたが、審議委員会から認められなかった。
理由は「親の思想が悪いので」ということ。
真子は「わたしたち、大杉の娘として生まれて、損なことばかりだったわね」と洩らしたという。

疑問に思うのは、戦前の純文学作家はそんなに本は売れなかっただろうに、優雅な生活をしていたように思う。
文学者はお金がないようでも、実はあったのだろうか。

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古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』(2)

2014年06月05日 | 

日本の若者はどこに幸せを見出すのか。
古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』によると、「仲間」との「小さな世界」での「小さな幸せ」である。
幸せな若者の正体はコンサマトリー(自己充足的という意味)で説明できると、古市憲寿氏は言う。

彼らが自分たちの幸せを測る物差しにするのが、自分と同じ「小さな世界」に属する「仲間」だとすれば、「仲間」以外の世界がどんな状況になっていようと関係がない。


大学の先生の話です。
今の学生は新聞を全然読まない。
三回生以上の授業で、80人くらいいた中で新聞を読んでいるのは1人。
だから、世の中で何が起きているのか知らない。
「積極的平和主義っていいやんか」という感じ。
わかっていないんです、ということでした。
つまり、井上陽水の「都会では自殺する若者が増えている 今朝来た新聞の片隅に書いていた だけども問題は今日の雨 傘がない」の世界ですね。

これは今に始まったことではないらしく、古市憲寿氏はこんな例を紹介している。
1925年4月22日に公布される治安維持法の反対集会を、2月11日に日本労働総同盟など35団体が開催したが、参加者は3000人だった。
2日前の2月9日に新宿園で開かれた映画スターの撮影会には3万人の入場者があった。

多くの人々は、消費とレジャーに夢中で、治安維持法どころじゃなかったのだ。

秘密保護法とか集団的自衛権とかを連想しました。

古市憲寿氏によると、民衆が立ち上がるのは、彼らが持つ「モラル・エコノミー」という独自の価値観や規範が侵された時が多くて、たとえば買い占めによる値上げなど。
で思ったのだが、呉市の灰ヶ峰での死体遺棄事件はこれかもしれない。
LINEでのいさかいが原因だというが、小さな世界であるだけに、小さな世界の小さな幸せを壊す者に過剰に反応したためではないか。

古市憲寿氏は「相対的剥奪」ということにも触れている。
人は自分の所属している集団を基準に幸せを考える。
たとえば、コンビニで時給900円のバイトをしている人は、同じ職場で同じ仕事をしているのに時給980円をもらっている人がいたら、穏やかな気分ではない。
しかし、年収数十億円を稼ぐセレブに憧れても、比べることはない。
違う世界の人だから。

古市憲寿氏によると、このことは中国でも同じ。
中国には「都市戸籍」と「農民戸籍」があり、農村で生まれた人は都市に居住できないことになっているが、実際には中国の都市部では「農民工」と呼ばれる農村出身の労働者が、工場労働者や土木作業員、レストランのウェイターなどで多く働いているそうだ。
最低賃金は上海で11元(約140円)。
社会保障は受けられないし、子供は多くの公立学校は受け入れてくれない。
しかし、農村からの出稼ぎ労働者の生活満足度は85.6%。
都市部にもともと住んでいる人の生活満足度は75.5%。
セイフティーネットがなくても、農村の生活水準よりはマシだから。
農村工は都市部に暮らす人の華やかな暮らしを「自分とは違う世界」と見なしているらしい。
一方、「蟻族」という高学歴ワーキングプアがいて、大学を出たけれども、自分の考えているような仕事をしていない人たちである。
蟻族の生活満足度は1%。

中国における農民工の生活満足度の高さ、蟻族の満足度の低さからは、ある残念な結論が導き出される。日本が格差の固定された階級社会や、身分制社会になってしまったほうが、多くの人にとって幸せなんじゃないかということだ。


まるでオールダス・ハックスレー『すばらしい新世界』じゃないですか。
『すばらしい新世界』の世界では、あらかじめ階級を決めて人工受精がなされ、階級に応じて職業が決定する。
最大96人の一卵性双生児を誕生させることができる。
ベルトコンベヤーに乗ったビンの中で成長する胎児は、出産までの間、条件反射教育を施され、誕生後も階級や職業に見合った睡眠教育などが繰り返される。
こうして自分の階級に満足し、他の階級や職業を羨むことがなく、自分の務めを果たす人間ばかりという社会になる。
「人々に逃れられない自分の社会的運命が気に入るようにしてやるということなのです」と条件反射教育センターの所長は説明する。
『すばらしい新世界』で描かれるような面倒なことをしなくても、現代社会は「すばらしい新世界」になっているというわけでした。

「日本」がなくなっても、かつて「日本」だった国に生きる人々が幸せなのだとしたら、何が問題なのだろう。国家の存続よりも、国家の歴史よりも、国家の名誉よりも、大切なのは一人一人がいかに生きられるか、ということのはずである。
一人一人がより幸せに生きられるなら「日本」は守られるべきだが、そうでないならば別に「日本」にこだわる必要はない。

と、最後に古市憲寿氏は言うのだが、どこまで皮肉で、どこから本音なのか。

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古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』(1)

2014年06月01日 | 

古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』は、不幸な状況に置かれているはずの日本の若者がどうして幸せだと思っているか、という問題提起から始まる。
若年層の多くは非正規雇用者として不安定な生活を余儀なくされ、平均年収は下がり続け、就職浪人する学生もいるし、高齢化が進むと現役世代に対する社会保障の負担が重くなる。
ワーキングプア、ネットカフェ難民、格差社会、あるいは少子高齢化、巨額の財政赤字、福島原発など問題は山積みで、明るい材料のない「絶望」が日本社会を覆っているように思われる。

少子高齢化が問題視されながら、日本はあまりにも子供を生み育てる環境が整っていないと古市憲寿氏は言う。
日本の相対的貧困率(国民を所得順に並べ 、真ん中の人の半分以下しか所得がない人の割合)は、2012年が16%、6人に1人。
高齢夫婦の貧困率はほぼ20%だが、高齢単身男性は40%近く、高齢単身女性は50%強が貧困の状態にある。
母子世帯になると、貧困家庭は60%に近い。

母子家庭における母親の就労率は国際的に見ても高いのに、収入は少なく、国や父親からの支援は少ない。

それは、非正規の仕事が女性に多い、女性の賃金が低い、子育て中では長時間は働けないといった事情が原因となっている。
働こうにも保育園や幼稚園が不足しており、育児をしながら働ける職場が少ない。

古市憲寿氏は「本当に少子化をどうにかしたいなら、婚外子差別なんてもってのほかだ。シングルマザーを推奨してもいいくらいである」と言う。

日本では婚外子が2%程度だが、スウェーデンやフランスは婚外子の割合が50%を超えている。
にもかかわらず、伝統的な夫婦や家族が崩壊するとして婚外子差別を正当化する人たちがいるし、曾野綾子氏は「出産したらお辞めなさい」と言っている。
この人たちは日本の現状、そして将来をわかっているのかと思う。

それなのに、2010年の内閣府「国民生活に関する世論調査」によれば、20代の70.5%が「現在の生活に満足している」と答えている。
30代では65.2%、40代で58.3%、50代で55.3%。
特に男の子は過去40年間で15%近くも満足度が上昇している。
1960年代後半の生活満足度は60%程度、70年代は50%くらいだった。
若者はいつの時代でも怒れる存在だったのに、なぜ現代日本の若者は幸せなのか。

人はどんな時に「今は不幸だ」「今は生活に満足していない」と答えるのか。
古市憲寿氏は大澤真幸氏の言葉を紹介している。

大澤によれば、それは、「今は不幸だけど、将来はより幸せになれるだろう」と考えることができる時だという。
将来の可能性が残されている人や、これからの人生に「希望」がある人にとっては、「今は不幸」だと言っても自分を全否定したことにはならないからだ。

「今日より明日がよくなる」と信じ、自分の生活もよくなっていく希望があれば、「今は不幸」だけど、いつか幸せになるという「希望」を持つことができる。

高度成長期やバブル期には若者の生活満足度が低かった。
「平凡パンチ」が創刊された1964年(東京オリンピックの年)当時の雰囲気を、西木正明『時の叫び』(『平凡パンチの時代』)はこのように言っている。

その雑誌が生まれた当時の日本は、日本の社会全体が将来を信じていたんだと思うの。権力にある者も、反体制側にいるものも、みんな……そういう時は誰もが元気いっぱいだから、既成の物にはみんな楯突きたくなるのね。パンチはきっと、そういう人たちの代弁者だったのよ。

未来に「希望」があるからこそ、現状に「満足」しないのである。
高齢者は幸福度や生活満足度が高いのだが、「今よりずっと幸せになる将来」を想定できないから、「今の生活」に満足していると答えるほかない。
同じように、素朴に「今日よりも明日がよくなる」とは信じることができない今の若者も、「どうせ将来、今より豊かになることはない」と未来に「絶望」しているからこそ、「今の生活が幸せだ」と答えるしかない。

古市憲寿氏の次の言葉は非常に苦い名言だと思う。

「今日よりも明日がよくならない」と思う時、人は「今が幸せ」と答えるのである。

生活保護を20代、30代で受けている人は働こうとしないと、知り合いが言ってた。
時給800円だと、1日6400円、20日働いて12万8千円。
これだと生活保護受給費とあまり変わらない。
将来の見通しがあればともかく、一生懸命働いても今のまんまだとしたら、働かずに生活保護をもらってたほうがいいということかもしれない。

人は将来に「希望」をなくした時、「幸せ」になることができるのだ。

なるほど、と思いました。

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