三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

原理主義というフィクション

2008年08月30日 | 日記

アフガン邦人殺害:タリバン報道官、NGO復興事業否定 「支援中止求め拉致」
アフガニスタン東部で非政府組織「ペシャワール会」メンバーの伊藤和也さん(31)が拉致され、遺体で見つかった事件で、反政府武装勢力「タリバン」のザビウッラー報道官は28日、毎日新聞に対し、「拉致グループはタリバンの命令で拉致を実行した。当初は日本人だとは知らなかった」と語った。
 日本人と判明した後は「日本政府にアフガン復興支援すべてを中止させるつもりだった」とした上で、「殺害までは命じていない」と弁明した。同報道官は各地にいる広報担当者の一人で、東部地域で米軍との戦闘があった場合などに、メディアからの問い合わせに応じている。26日には毎日新聞や地元メディアに、「日本人を殺した」と語っていた。
 報道官は、拉致を命じた理由として、「ダム建設を中止させ、外国政府にアフガン政府と米国支援をやめるよう求めるつもりだった」とした。ペシャワール会については「知っている」としながらも、「我々は米や小麦、食用油など食糧支援は認めるが、道路や学校、ダムなど地形や文化を変える構造物は認めない」とし、ペシャワール会の復興支援事業そのものを否定した。
毎日新聞8月29日

タリバン報道官の「我々は米や小麦、食用油など食糧支援は認めるが、道路や学校、ダムなど地形や文化を変える構造物は認めない」という発言を読み、原理主義とはこういうことなのかとわかった気がした。

原理主義とは何か。四衢亮氏は
「今のイスラム原理主義は教えが純粋であるためには少々人が犠牲になってもかまわないということです。本来宗教というのは、人間をして人間を回復していくものですが、人間よりも教えが純粋であることのほうが大事になってくるんです。イスラム原理主義というのはマホメッドが生まれた時代の通りにすることなんですね。マホメッドが生きていた7世紀の通りにすることが大事だということです」
と言っている。

井上順孝『若者と現代宗教』に書かれている、ファンダメンタリズム(根本主義、原理主義)の特徴である「三つの「げんてん」主義」とは、
・原点主義とは、その宗教の創始された時点、あるいはその宗教の出発点と考えられる時点の精神なり状態なりに帰れということ。
・原典主義とは、その宗教の聖典に忠実であれという立場。しかしその解釈が歴史的に適切であり正統的であるかどうかはまったく別問題。
・減点主義というのは、現在の状況を負の状態、かつてあった信仰形態からすれば堕落した状態として捉えること。

それに加えて、原理主義は恣意的である。
何をその宗教が創始された時点(イスラム教ならマホメッドが生きていた時代)の通りにするのか、どういう新しいことは受け入れるのか、自分たちの都合のいいように決めている。
本当に7世紀の状態に帰ろうとするなら、少なくとも7世紀には携帯や地雷や機関銃や車などはなかったのだから使わなければいいし、「道路や学校、ダムなど地形や文化を変える構造物は認めない」のなら畑や家を作ることもだめだということになるはずだ。

伊藤さんを拉致して殺した実行犯は、ダムを造ることがアフガニスタンの地形や文化を変えることになるから許されないと本気で思ったかもしれない。
しかし、指導者たちは「アフガンでの復興支援事業を妨害する狙いだった」のだろう。
テロリストや職業ゲリラは社会が安定したら自分たちが食っていけない。
だから、テロを起こして常に混乱状態のままにしておこうとする。
アフガニスタンの文化とはまったく無関係な話である。

原理主義というのは「その宗教の創始された時点、あるいはその宗教の出発点と考えられる時点の精神なり状態」というフィクションを事実だと主張し、そのフィクションを現実化しようとする。
そして、権力を手にしようとする者は原理主義を政治的に利用する。
原理主義に反対することはその宗教を非難することになってしまうから、信者たちは何も言えなくなるのである。
この意味で、明治維新から敗戦までの日本も神道原理主義だったと思う。

天皇ファン(アンチも含む)にとって気がかりの一つが、天皇家は万世一系かどうかということである。
万世一系とは神武天皇から現在まで一貫して血統によって世襲されてきた天皇家によって日本は統治されてきたという考えである。
万世一系を否定する論として江上波夫氏の騎馬民族征服王朝説水野祐氏の王朝交替説などがある。


それらの説を遠山美都男『天皇誕生』ではこのように否定している。
「六世紀以前の王位継承の在りかたについていえば、それはいわゆる万世一系でもなく、また、さりとて王朝のドラスティックな交代があったともいえない、と考えられる。なぜならば、『宋書』倭国伝からは五世紀段階の倭国王位の継承のようすが窺われるが、それによるならば、王位がまだ特定の一族に固定しておらず、王を出すことができる一族はなお複数存在していたようだからである」
「要するに六世紀以前は、王位が血統によって継承されておらず、王にふさわしい人格・資質の持ち主をもとめ、王位が複数の血統集団のあいだを移動していた段階なのである」


遠山美都男氏の考えはこうである。
「そもそも『日本書紀』は、本当に万世一系の天皇の歴史なるものを描き出そうと企てていたのであろうか。われわれは、それを問題にせざるをえない。『日本書紀』の記述をそのまま素直に読めば、そこに万世一系の皇位継承の歴史が描かれていると考えられるかといえば、かならずしもそうとはいえないと思われる。
なぜならば、『日本書紀』の叙述、とくに六世紀初頭の継体天皇以前の部分を子細に読むならば、そこに天皇を中軸としながらも、それぞれに主題を異にする二つの物語、或いは二つの世界が存在することに気づくからである」

とはいえ、5世紀初の継体天皇からは一系なんだから大したもんだと思うが、古ければいいというわけではない。
万世一系とは天孫降臨とセットなのである。
ただ単に血統によって相続されただけでなく、神の子孫が日本を統治しているからこそ神国なわけである。
地方の豪族が天皇になったというのではだめなのである。

幕末における勤王倒幕の目指すところは「橿原の御代に復る」、すなわち神武天皇の時代に戻ろうということだった。
佐久良東雄「死に変り 生き変りつつ もろともに 橿原の御代にかへさざらめや」
まさに原理主義である。
しかし、神道の学者や国学者たちは明治維新に失望した
矢野玄道「橿原の 御代に復ると思ひしは あらぬ夢にて 有りけるものを」
天皇を玉として利用した岩倉具視や伊藤博文といった元勲たちは、神武天皇の時代に復古しようとはしなかったからである。
そして、軍部にとって天皇は玉でしかなかったが、天皇原理主義をふりかざしたわけである。
なんだか似ていると思う。

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誰かが儲けている

2008年08月27日 | 日記

「同朋新聞」7月号と8月号に森達也氏のインタビューが載っている。
その中で森達也氏は、昨年の殺人の認知件数が戦後最低なのに報道されていない理由をこう語っている。

「たぶんその理由は、ずっとここ二十年、危機管理が強化されてきて、政府としてもセキュリティ関連の人員をどんどん増やしていますから、その予算獲得の必要があります。あとは警察の天下り事情です。監視カメラひとつとっても協会がいくつもあるし、関連団体もあるし、それをつくっているメーカーもある。あとは自警団や保安協会とか、セキュリティ業界が花盛りなんです。
もし「治安がよくなった」と公にすると、その経済が一気に冷え込んでしまいますよね。、治安が悪いと思ってくれていたほうが都合がいい」
「政治家にとって実は、不安や恐怖は管理や統治をするうえでとても好都合な潤滑油です」

では、メディアはなぜ伝えないのか。
「不安を煽ったほうが視聴率は上がるし部数は伸びる。だからメディアでは死刑判決をもっと増やせ、これだけ犯罪が増えている、明日はわが身だと、不安や恐怖を煽ります」
つまり、儲かるか儲からないか、損か得かの論理だというわけである。

では、「交通事故では年間八千人が亡くなっている。殺人事件で亡くなる人は年間千人以下です。実質的には六百人くらい。交通事故の十分の一以下です。でも車をなくせとは誰も言わない」のはなぜか、森達也氏はその理由としてこう言っている。
「なぜなら交通事故の場合は、憎むべき加害者が基本的には存在していないからです。つまり今のこの世相の本音は、被害者遺族への共感というよりも、犯罪者への恐怖や加害者への憎悪のほうが大きいと僕は考えます」

これは違うと思う。
交通事故で死ぬ人を減らすために車をなくせ、という声が出ないのは、これまた儲かるか儲からないか、すなわち車が売れなくなれば困るからではないだろうか。

幕張メッセで行われた9条世界会議の
「9条の危機と未来」というシンポジウムで、コーディネーターの湯川れい子氏が「誰がなぜ憲法9条を変えようとしていると思うか」という質問をしたら、香山リカ氏だけが「なぜ」という問いに答え、「日本の国力に自信が持てなくなった政治、資本家たちが失いつつある力を補強するための「精力剤」のようなものだ」と答えたそうだ。

誰がなぜ9条を変えようとしているのかという問題も、儲かるか儲からないかで考えたらいい。
前に
高岩仁『戦争案内』を紹介したが、戦争で儲ける人が戦争で儲けるために9条を変え、日本を戦争のできる国にしようしているんだと思う。

改革とかなんとかいうのは、日本をよくするためというよりも、誰かが儲けるから行うのだとしか思えない。
そして、改革で儲けることのできる人が政策を決定するわけで、そうなると儲かるか儲からないかが判断基準となってしまう。
規制緩和がそのいい例で、儲けにあずからない人は規制緩和によって泣いている人たちである。

           
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ジュリアン・シュナーベル『潜水服は蝶の夢を見る』

2008年08月24日 | 

ジュリアン・シュナーベル『潜水服は蝶の夢を見る』は今年のキネ旬ベスト10に入るだろう映画である。
で、ジャン=ドミニック・ボービーの書いた原作を読んだ。
書いたといっても、著者のジャン=ドミニック・ボービーは脳卒中のため「ロックトイン・シンドローム」になってしまった。
「頭のてっぺんからつま先まで、全身が麻痺。けれど、意識や知能はまったく元のままだ。自分という人間の内側に閉じ込められてしまったようなものだった」
ただ一ヵ所動かせる左目でまばたきすることによって意思の疎通をするしかない。
1995年12月8日に脳卒中になり、1996年7月から8月にかけて、アルファベットの文字盤を見ながらまばたきをして書いたのが『潜水服は蝶の夢を見る』である。

毎日新聞3月26日に「人間賛歌 まばたきのラブレター」という、筋萎縮性側索硬化症で寝たきりの女性が、これまたまばたきで意思を伝達しているという記事があった。
ご主人に年に数回手紙を渡すために、16年前から学生ボランティアがまばたきを読み取り、代筆しているそうで、1ページを書くのに少なくとも約1000回のまばたきが必要だそうだ。
私みたいなイラはすぐに切れてしまうと思う。

『潜水服は蝶の夢を見る』(映画)を見たから、ジャン=ドミニック・ボービーがどういう状況に陥ってしまったかがわかるが、本を読んだだけではロックトイン・シンドロームを軽く考えてしまうかもしれない。
というのも、肉体という牢獄に閉じ込められながら、何でこんな目に遭ったんだというグチではなく、ユーモアをまじえた明るくのびやかな文章なのである。

意識を取り戻したら、身体を動かすことがまったくできず、声も出せず、唾液を飲み込むこともできない。
だけども、意識だけは今までと同じであり、記憶も失っていない。
そういう状態に突然陥ってしまったなら、死の受容のプロセスのように、まずは否認、怒り、取引、抑うつといった感情が起きてくると思う。
ところが本を読むかぎり、そのあたりがあまり書かれていない。
それと、痛みも。
書き取りをしたクロード・マンディビルも「私は彼が不平を言ったのを、一度として聞いたことがありません」と言っているそうだ。
第三者が文句をつけるのはなんだが、そこらがなんだか物足りない。

アレハンドロ・アメナーバル『海を飛ぶ夢』も実話を元にした映画である。
主人公は頸椎損傷で首から下を動かすことができなくなり、28年間も寝たきり。
自殺をしようと思うが、身体を動かせないのだから自分では死ぬことができない。
そこで安楽死を認めるよう裁判を起こす。
自宅で家族(兄夫婦と父親)に介護してもらっている主人公がこれまた明るく、家族もいやいや世話をしているわけではない。
どうして安楽死を求めるのか、そこらの説明が不十分で、家族が気の毒になった。
だけど、『潜水服は蝶の夢を見る』(本)を読むと、逆にどうして著者は死を考えないのかと思ってしまう。
身体を動かすことができなくなってしまうことをどう受け入れていくのか、こんなふうになってしまったのなら死んだ方がましだという気持ちとどう折り合いをつけていくのか、そういった葛藤の中でどうして生を選んだのか(あるいは死を選ぶ)を教えてほしいと思う。

寝たきりの人の手記をそんなに読んだわけではないが、筋萎縮性側索硬化症折笠美秋『死出の衣は』と頸椎損傷の可山優零『冥冥なる人間』が私のオススメ本である。
『死出の衣は』はこれもまばたきをして奥さんが書き取ったものである。
まぶたも動かせなくなったら肛門で意思の疎通をしようとまで夫婦で相談する。
どういう状態になろうとも生き抜こうという意欲に納得できる。

頸椎損傷というと星野富弘氏が有名であるが、『冥冥なる人間』は『愛、深き淵より。』とは違った意味で感動した。
交通事故で頸椎損傷になった可山氏が同室の人(知的障害らしい)に文字の書き取りを教えながら自分の人生を語り、それを書き取ってもらってできた本が『冥冥なる人間』である。

私は安楽死を否定するわけではないが、しかし生を選べたらとは思う。
しかし、どんな境遇になっても生を選ぶことができるかとなると自信がない。
だからこそ、日々の苦しみの中で、それでも生を選んだ記録を読んでみたい。

全身が動かせずに寝たきりになったら介助がなければ生きていけない。
『潜水服は蝶の夢を見る』(映画)では病院が至れり尽くせり。
実際にはそうはいかないだろう。
本人はもちろん、家族も大変である。
スザンネ・ビエール『しあわせな孤独』は婚約者(男)が交通事故で寝たきりになるという映画。
私としては主人公(美人です)が婚約者にあくまでも尽くすという美談を期待したのだが、それは男の勝手というものだと自分でも思う。

そういえば『チャタレー夫人の恋人』は夫が下半身不随になってという話だった。
やっぱり夫がかわいそう。

モーパッサンに『廃人(廃兵)』という短編がある。
戦争で両足をなくした男(かつての知り合い)と語り手は汽車の中で一緒になる。
この男にはいいなずけがいたのだが、どうなったのだろうかと語り手は想像をめぐらす。
いいなずけが約束を守って結婚したとしたら自己犠牲は美しいが単純だ、あるいは戦争前に結婚していたとしたら、などと。
男に尋ねると、結婚していない、婚約は自分から破棄した、と言う。
「私の場合のように、片輪者だったら、その男と結婚することによって、相手の女は、死ぬまでつづく苦しみに自分を投げこむことになります」
「一人の女が幸福でいたいはずの生涯を断念する、すべての歓喜、すべての夢を断念する、というようなことは、認めることができません」

いいなずけは他の人間と結婚したが、男とは家族同然のつきあいをしており、この汽車旅行もその一家の家に行くためだった、というお話。
モーパッサンらしいほろっとさせる話だが、障害者自らが身を引くことに感動するということは私自身に偏見があるということだろう。
障害者と一緒に生活することが美談ではなく、普通のことになればいいのだが。

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管賀江留郎『戦前の少年犯罪』 2

2008年08月21日 | 厳罰化

管賀江留郎『戦前の少年犯罪』を読むと、今まで持っていた戦前のイメージが間違いだったのかと思えてくる。
たとえば貧困。
昔は貧しさが原因の犯罪が多かったと言われているが、どうやら違うらしい。
「昭和13年以降の少年犯罪で貧しさゆえのものなどほとんどありません。逆に分不相応に高額なこづかいを持つようになったためによからぬ遊びを覚えてしまって、金が足りなくなって強盗を働くとかそんなのばかりです。
少年が親よりも稼いで一家の家計を支えるようになったので、親もなかなか意見できないのが不良が増えた原因だと、当時の警察も分析しています」


それと、働かないと食べていけなかったから、仕事もせずにぶらぶらしている人はあまりいないと思ってたのだが、ニートが多いのも驚き。

前に引用した9歳が6歳を射殺した事件でもそうだが、戦前の親は子どもに甘い。
子どもといっても小学生に甘いばかりではない。
昭和15年、中野好夫は東大の入学試験に親が付き添うことを批判しているし、東京帝国大学で40年ぶりに行われた昭和16年の入学式では、新入生2000人に対して2000人の父兄が同伴した。
大学の入試や入学式に親同伴というのは最近の風潮ではないわけだ。
陸軍の入営式にすら新兵の父兄が付き添っていたというのだから信じられない。
昔だって親離れ、子離れができていないのである。

それでも、旧制高校や帝大の学生は今の大学生なんかよりもよく勉強し、教養があったのではないかと思ってしまうが、それも間違い。
「帝国大学の定員は旧制高校卒業者より多かったので、どこかの帝大には確実に入れます」
旧制高校に入るまでは大変だが、あとはラクチンだったわけである。

親は甘いし、金があれば、学生はどうするか。
「昔の学生のいたずらや犯罪は、今と違って無邪気だったというようなことを本気で信じてる方もいるのですが、街中で刃物を振り回して何百人で乱闘しようが、道路をふさいでバスや電車を長時間留めようが、商店の看板を壊して民家の窓ガラスを何百枚割ろうが、まわりの大人たちが甘やかして若い者の無邪気ないたずらということにしてくれていただけなんです」
そういえば、尾崎士郎『人生劇場』を読むと、旧制中学の生徒が酒を飲み、女を買っている。

毎年、成人式で騒ぐ新成人がニュースになるが、これに対して著者はこう言う。
「とりあえず決められた場所で年に一回秩序正しく騒ぐ成人式の若者にいちいち怒るなんて余裕のないことはやめたほうがいいんでないかと、わたくしは思いますです。あんなことにまなじりを決して頭から湯気を立てている大人ほどみっともないもんはありません。その醜い表情には、若者に寛大だった日本の良き伝統を踏みにじる教養のなさがくっきりと浮き出ています」
以前は「若気の至り」という言葉があったが、死語になった、ということは社会がそれだけ非寛容になったわけである。

それともう一つ、戦前の警察は取り調べはいい加減だし、否認するとすぐに拷問する、裁判は適当だから冤罪が多いし、刑罰も重い、と思っていたが、これも違うらしい。

昭和13年の幼女誘拐殺人事件では、「少年が何人か捕まって一度は犯行を自供したりしたんですが、入念な捜査の結果やっぱり違ったと釈放しています」

昭和11年、嫁(19)が姑に劇薬を飲ませて逮捕され、夫もネコイラズで死亡させたことも自供した事件、裁判では一転して無罪を主張、証言を何度も変えている。
「裁判所を十重二十重にかこんだ法廷ファンは百枚の傍聴券争奪にガラス窓を破っても狂奔。その整理に午前九時開廷が午後三時まで開廷不能になった程。それこそ超殺人的人気を○○は一身に集中した」
裁判マニアが昔もいたのかと、またまたびっくり。
でも、今はここまでの騒ぎを起こすマニアはいないと思う。
で、この嫁には無期が求刑され、一審は殺人が証拠不十分で無罪、尊属殺未遂だけで懲役3年6ヵ月判決。二審では尊属殺未遂も証拠不十分で、結局まったくの無罪となって確定した。

警察の取り調べは、「ひとつひとつ見ていくと結構慎重で、とくに少年には非常に気を遣っていて、少なくとも戦後すぐの警察の取り調べなんかよりは遙かに立派なもので、それどころか現在の警察より公正でまっとうなんではないかとさえ思えてきます」
裁判にしても、「ともかく疑わしきは罰せずという原則がきっちり貫かれた非常に公正な裁判であったと云えます」
現在の裁判より公正だったのかもしれない。

刑罰についても決して厳罰ばかりではない。
昭和7年、精米業者(18)が祖母の家に押し入り、3人死亡、1人重傷、そうして自殺未遂という事件では無期懲役。
昭和11年、雇人(19)が主人一家を襲ったあとに自殺未遂という事件、6人死亡、1人重傷なのだが、心神喪失として無期懲役。
どちらも死刑が回避されているのだから、現在よりも寛刑だったのかもしれない。

著者はあとがきで、
「虚構と現実を混同してしまっている人たちが、新聞やテレビニュースを通じて過去についてまったくの妄想を語り、それを信じた人がまた妄想を増幅するというヴァーチャルな円環ができあがって、無意味にぐるぐると回転しています」
それは今も同じ、というかひどくなっている。
事件が起きるたびにマスコミは大騒ぎして、あることないこと書き立てる。
子どもが事件を起こしたり、学校で事件が起きると、校長以下は過剰反応する。
そして「最近は……」という話になるわけである。

「私は少年犯罪などにまったく興味はなく、ただ情報の流れ方に興味がありまして、ちょっと調べればわかるようなことをなぜ、人間は誤った情報をやすやすと信じてしまうのか。それもひとりやふたりのうっかりさんだけではなく、情報の専門家と自称しているようなとっても威張っていたりする人も含めてほとんどすべての人がそうだったりするのはどうしてなのかをを探ろうとしています」

人は信じたいことだけを信じるという言葉があるが、まさにその通り。
たとえば戦前の教育制度を美化し、戦後教育を否定する人は結構いるが、そういう人たちは『戦前の少年犯罪』に書かれてあることは気に入らないだろう。
でも、人間自体はそんなに変わるものではないから、戦前も現在も人間のすることは似たり寄ったりだろうと思う。



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管賀江留郎『戦前の少年犯罪』 1

2008年08月18日 | 厳罰化

去年の11月に図書館に予約していた管賀江留郎『戦前の少年犯罪』をやっと借りることができた。

近ごろは親が子を殺し、子が親を殺すような、以前だったら考えられない事件が次々に起こる、どうなっているんだ、とよく言われている。
しかしながら、「戦前は数も質も遙かにひどい少年犯罪があふれていた」ことを実例をあげて説明する本書を読めば、それは誤解だということがわかる。
「(戦前には)貧困ゆえの犯罪などほとんどなく、むしろ金持ちの子どもが異様な動機から快楽殺人を犯したり、ささいなことでキレて頭が真っ白になってめった突きにするような事件が多かったり、親殺しや兄弟殺し、おじいさんおばあさん殺しなんてのも次々起こっていたことが理解していただけたのではないでしょうか」

『戦前の少年犯罪』は戦前における未成年の犯罪を数多く紹介しているだけではない。
表紙の惹句に
「なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?
発掘された膨大な実証データによって
戦前の道徳崩壊の凄まじさがいま明らかにされる!
学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに
妄想の教育論、でたらめな日本論を語っていた!」

とあるように、「昔に比べて今は」という教育論、社会論に異議を申し立てている。
本書を読んだ人は戦前のイメージが変わると思う。

『戦前の少年犯罪』の一番最初に紹介されているこの事件を読むと、まず、あれっと思う。
「(昭和4年)男子(9)が隣家の男の子(6)を射殺。母親が三時のおやつにモチを出してくれたが、焼き方が悪いとわがままを云って食べなかった。そこへ遊びに来た六歳が「おまえが食べねば、わしが食べてやろう」と食べ出したので怒って、「毒が入っているのだから死ぬぞ」「撃ち殺すぞ」などと脅したが、「撃ってもよい」と六歳が云い返したので、父親の猟銃で頭を狙い撃ちしたもの」

9歳が6歳を射殺したということもさることながら、「モチが焼き方が悪い」とわがままを言って食べなかったことに驚く。
昔は躾が厳しかったし、貧しかったので食べ物を粗末にするようなことはなかったなどと言われているが、実際はそうでもなかったらしい。
「昔の親はこういう具合に、子どもが食べ物を粗末にしてもケンカしてもほったらかしでした。放任主義が普通のことで、躾だとかうるさく云うようになったのはつい最近の話です」

で、躾から見ていくと、「銀座の一流レストランのなかを四人の子どもがサルのように走り回ってナイフで壁を叩いているのに立派な身なりをした両親はやめさせようともせずにやりたい放題やらせている」というの文章を読むと、「最近の親は子どもを叱らない」と言われそうであるが、ところがこれは昭和8年の話である。
永井荷風はこのことを日記に書いているそうだ。

躾というと、体罰を肯定する意見を耳にするが、日本ではもともと体罰をしなかったという。
「江戸時代は藩校や寺子屋などの学校でも体罰はほとんどなかった」
「子どもを厳しく躾ける西洋や中国とは違って、自由にのびのびと育てるのが日本の伝統です」

そういえば、幕末から明治にかけて日本に来た西洋人の旅行記を読むと、日本人が子どもを甘やかし、叱らないことに驚いている。
「体罰を加えたりするのは教え方が下手だ」というような意識もあったそうだ。

でも、年配の人から、小学校のころは先生が生徒を殴るのは当たり前で、生徒も親も当然のこととして何も言わなかった、とよく聞いているので、ほんまかいなとは思う。
その点について、本書では、「体罰禁止令は戦前の学校では一貫していましたから、教師が体罰事件を起こすと訴訟だなんだと大騒ぎになっていました」として、実例をいくつも紹介している。
さらには、生徒は教師をなめているので学級崩壊もあったとか、逆に教師が生徒に殴られることもしばしばとなると、どういうことなのかと頭をひねってしまう。
とは言っても、教師の暴行によって死んだ子どもたちもいる。
うーん、実際のところはどうだったのだろうか。

そして、子どもたちはすぐキレるので、小学校での殺人も珍しくない。
「とにかく、戦前の小学生はキレやすく、簡単に人を殺していた」
親殺しも多く、「何紙か読むだけで年に30件や40件の親殺し記事を見つけることができます」
今の子どもはキレやすい、テレビゲームの影響だとか、環境ホルモンのせいだとか言う人がいる。
ところが、戦前はそんなものはなかったのにキレる子どもが多かったわけだ。
ということは、子どもというものは本来、感情を抑えて行動することができず、キレやすいということだろう。

だから、いじめもすごい。
昔は殴ったりいじめたりするにしても程度をわきまえてやっていた、と言よくわれる。
ところが、いじめで殺される子が珍しくない。
いじめっ子に対して復讐殺人をする子もいる。
「戦前のいじめは壮絶でした。女の子に対しても集団で情け容赦なく存分に暴力を振るいます。昔の子どもは限度というものを知りません」

「こういうことをやっていた世代が、自分たちの時代は集団でいじめなんかしなかったし限度を知っていたとか云い出すんですから」
殴られた者は殴られたことをいつまでも忘れないが、殴ったほうはすぐに忘れてしまうという。
昔は程度をわきまえていた、と言ってる人は殴った側なのかもしれない。

さらに驚くのが、援助交際もあったし(裕福な家の子がしている)、教師が生徒と関係することも日常茶飯だったし、未成年者による幼女レイプ殺人も決して珍しくないこと。
戦前は躾が厳しかったとすると、躾はあまり効果がないことになってしまう。
というふうに、『戦前の少年犯罪』は教育論にも関わってくる本である。

著者は「少年犯罪データベース」というサイトの管理人である。
こちらには戦後についても書かれてある。
『戦後の少年犯罪』という続編を期待したい。

         
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北京オリンピックと人権と

2008年08月15日 | 日記

人と話していて北京オリンピックのことになると、「北島の2種目2連覇」よりも、「チベットが」とか「人権が」という話になることが多い。
いささか古いが、東京新聞8月9日の社説「北京五輪開幕 中国が変わる機会に」にも、
「中国の民衆はいまだに自らの意見を投票や言論、あるいは集会やデモで表現する十全な自由を得ていない。抑圧された民意はときに騒乱や暴動などの極端な形で噴き出し、日本やフランスへの攻撃といった排外の様相も帯びる。
チベットやウイグルなど少数民族の不満は高まり漢民族中心の中央政府に反抗が強まっている。北京五輪は息が詰まるような厳戒で開かれる事態に追い込まれた」
と、中国の人権無視の施策が問題にされている。

オリンピックにからめて中国批判を井戸端会議でしているわけだが、毎日新聞の内田樹「北京五輪後を見据えて」というエッセイを読むと、こういうことが書かれてある。
「「なにごともなく」中国がその国威を大いに発揚することを願っている人もいるし、「なにごと」かが起こって、中国が大いにその国威を損なうことを切望している人もいる。週刊誌、月刊誌を徴する限り、わが保守系の論客の過半は後者のようである。他国でのオリンピックが失敗することを祈願している日本人がこれだけ多いのはおそらく前例のないことだろう。
正直に申し上げて、私はこのような態度を好まない。何より「おとなげない」と思う」

そうか、私にしたところで中国が人権を弾圧するからオリンピックも批判したくなるのではなく、ただ単に中国が好きではないからオリンピックが成功しなければいいというだけのことかもしれない。

パリで記者会見したダライ・ラマも
「私は北京五輪を全面的に支持している。中国国民は五輪を開催する権利がある」
と語っている。
さすがダライ・ラマ、見習わなくてはと思った。
で、毎日新聞の「ダライ・ラマ14世:北京五輪を全面的に支持…パリで会見」という記事が、なぜか「ダライ・ラマ14世:五輪中も抑圧続く…パリで中国を非難」に変わっている。
「ダライ・ラマは「北京五輪の期間中も中国はチベットでの抑圧を続けている」と、厳しい口調で中国を非難した」
どうして正反対の記事に変えられたのか、ダライ・ラマの伝えたいことはどちらなんだろうか。

先日、ビルマ難民のココラットさんとダライ・ラマ法王日本代表部事務所の方の話を聞く機会があった。
やっぱり中国政府の人権弾圧はひどいと思う。

その時に「チベットとダライ・ラマ法王」をもらったのだが、それには「チベットのアイデンティティーの崩壊」「人口流入」「組織的に破壊されるチベット文化とアイデンティティー」「環境破壊」「チベット高原の軍事化」「鉄道と植民地化」といった章がある。

「チベットにおける中国人とチベット人の比率はおよそ3対1で中国人の方が多いのです。しかも、ほとんどすべてのビジネスの経営者は中国人です。12,827件の商店やレストランのうち、チベット人が経営するのはわずか300件足らずです」
「チベット人女性に対する強制的避妊政策が実施されていることも、チベットのアイデンティティを脅かす大きな問題となっています(今日までに数千人のチベット人女性が強制的に中絶や避妊手術を受けさせられています)」


「1949年以降、中国による政治的迫害、投獄、拷問、飢餓によって死亡したチベット人は、チベット人人口の約6分の1にあたる120万人以上にのぼります。また、6,000以上の寺院が跡形もなく破壊され、様々な文化施設も破壊されました」
寺院は一部復興していて僧侶もいるが、新米僧侶を指導する僧がいない。

ココラットさんは話の中で、北京オリンピックに対して次の提案された。
・オリンピックを見に行かない
・オリンピックの映像を見ない
・オリンピック記念品を買わない
・オリンピック開催中はオリンピックスポンサー関連製品を買わない

そうはいっても、やっぱりテレビを見てしまう私です。
だが、お二人の話が頭にあるものだから、ダライ・ラマが「北京五輪を支持する」と言っても、どこかのどに骨が刺さったような感じがしてオリンピックを楽しめない。

で思うのが、各国政府の中国に対する弱腰である。
「外務省は12日、中国製ギョーザ中毒事件で、中国国内で発生した中毒事件の被害者が4人だったことを明らかにした。被害は6月中に発生し、北海道洞爺湖サミット初日の7月7日夜に中国外交部から在中国日本大使館に情報が伝えられた。外務省は「捜査に支障が出る」との中国側の要請に従い、秘密情報として8日、秘書官を通じて福田康夫首相に報告、公表はされなかった」産経新聞8月12日
という新聞記事を読むと、「消費者としての国民がやかましくいろいろ言う」のにもかかわらず政府がこれじゃあね、と思ってしまう。

中国の巨大な市場、資源、そして独裁政権でも支援する寛容さが好きな国が多いらしく、オリンピックの開会式には100人を超える国家元首・首相・各国要人が出席している。
だが、スピルバーグは北京オリンピックのアーティスティック・アドバイザーを降板した。
開会式と閉会式における演出を支援することになっていたが、「中国政府がスーダンのダルフール問題解決に尽力を注いでいないことに抗議し、辞任を発表した」そうだ。
これまた大したものだと感心。

本願寺派の人たちが中心となって、チベット支援やビルマ政府抗議の集会やデモが行われている。
日本の地方都市で集会やデモを行なっても、中国やビルマの政府は何ら痛痒を感じないだろう。
だからといって、何もしないでいるのでは彼らが人権を弾圧していることを認めることになる。
オリンピックはひとまずおいといて、ささやかでもできることをしたいと思う。

             
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『宮本武蔵』

2008年08月12日 | 

井上雄彦『バガボンド』を27巻まで読む。
私は「バガボンド」とは『天才バカボン』、すなわち「bhagavat世尊」のことかと思っていたら、英語で「放浪者。さすらいびと」という意味なんだそうだ。
で、原作を読みたくなり、吉川英治『宮本武蔵』を読んだ。

『バガボンド』は基本的には原作通りだが、かなり脚色してある。
たとえば『宮本武蔵』での佐々木小次郎はあまりにも傲慢で、ずるい、悪役の典型なのだが、井上雄彦は佐々木小次郎の人物像をあっと驚くほど変えている。
そして、鐘捲自斎の苦悩とか、落武者のエピソードなどを加えるなどして、話をかなりふくらませている。

武蔵はひたすら道を究めようとし、そのためにただただ禁欲的である。
武蔵は絵を見て考え、茶を飲んでは思いにふけり、釘を踏み抜いては己の至らなさを感じる。
我以外皆我師という吉川英治らしく、出会う人もすべて師匠。
それも、僧侶、商人、武士、遊女などなど、まるで善財童子の旅である。
つまりは、主人公が人生遍歴を重ねながら成長するという教養小説なわけだ。

極真空手の大山倍達は『宮本武蔵』を座右の書としていたと『空手バカ一代』にあった。
佐藤忠男は内田吐夢『宮本武蔵』評でこういうことを書いている。
「吉川英治は、以前は筋のおもしろさに主眼をおく通俗作家と見られていたのが、この作品で人生の教師のように見られるようになった」
「戦時中と同じく戦後も、日本人はひたすら禁欲的に頑張りつづけることによって高度経済成長を達成したのである。忠義のためでも一人の女のためでもなく、努力することそれ自体が生きがいでなければならぬというふうに吉川英治版の武蔵の精神は読み継がれた。忠義という伝統が失われても、また私生活の充実という西欧的な理想になじめなくても、とりあえず役に立つ強力な発想が、そこには魅力的に存在したのである」

『宮本武蔵』ではないが、田中森一『反転』に、中村天風の本を読むと「不思議に精神が落ち着いた」とある。
中村天風が言っていることがどういう内容かというと、「簡単にいえば、人生はすべて心の持ちようで決まる、という趣旨の自己啓発本である」ということである。
田中森一は中村天風のすべての作品を読破し、「天風作品に救われてきた」「心のよりどころと言っても過言ではない」とまで言う。
そういうものかとも思うが、百戦錬磨の田中森一氏が「とりこし苦労をするな」「怒らず、恐れず、悲しまず、今日一日を元気に過ごせ」という中村天風の単純な教えにそこまではまるものかと不思議になる。
そして、「また時代小説もよく読んだ。人間が窮地に立たされたとき、どのような行動をとるか。それを戦国時代や明治維新を舞台にした時代小説から学んだ。国のために命を捨ててきた時代小説の主人公たちを思えば、自分自身の悩みなど小さく思えてくる。しょせん私の場合は個人の問題なのだ。そう思うと気が楽になる」とある。
『宮本武蔵』的なものが救いになっているわけである。

主人公が修行してレベルを上げていく物語はおもしろいことはたしかだが、優れた能力を持っている人ならともかく、一般人には『宮本武蔵』は人生の参考にはならないと思う。
宮城『正信念仏偈講義』の中に、
「安田理深先生のことばでいえば、「仏道というのは向上の道ではない、向下の道だ」ということです。向上の道は能力によって差別ができるでしょう。理想を求めて向上していく。向上の世界ならば力あるものがより向上していける」
とある。
能力によって勝ち組と負け組に分かれてしまう。
『宮本武蔵』を読みながら、能力のない者はどうなるかと思う。

武蔵は苦難を乗り越えるだけの能力を最初から持っている。
おまけに、なぜか武蔵は女にもて、沢庵や光悦といった有名人に好意を寄せられ、どこからともなく助けの手がさしのべられる。

武蔵が大変な努力をしていることはたしかだが、武蔵に敗れる者たちだってそれなりに頑張ってきている。
たとえば吉岡道場の門弟たちといった、名前がつけられていないその他大勢だって、剣の道をひたすら修行してきたのだが、悲しいかな彼ら凡人は一乗寺下り松であっさりと殺される。
吉岡道場の生き残りはその後も物語に登場するが、どうしようもない負け組である。

武蔵の幼なじみで、酒と女にだらしないくせに威勢のいいことばかり言っている本位田又八は、結局のところ禅寺に入って修行し、そうして一児の父として地道に暮らす。
能力のない者はそれなりに、ということか。

『宮本武蔵』では吉岡一門の人たちは傲慢すぎて滅びるみたいな感じだが、『バカボンド』では、彼らが死ぬのはわかっていて闘うのはなぜか、そこらの心理描写をきちんとしているのが好ましい。
敗者への目配りがきちんとなされている『バカボンド』では、これから又八がどうなるのか楽しみである。

     
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田中森一『反転』

2008年08月09日 | 

『反転』は特捜部の検事を辞めて弁護士になり、詐欺で実刑判決を受けた田中森一氏の自伝
悪い奴ほどよく眠っているんだなというのが感想。

田中氏が検察を辞めた理由の一つが、旧平和相銀不正融資事件苅田町公金横領事件三菱重工CB発行事件などの捜査に横槍が入ったことらしい。
その時の検事総長は「巨悪は眠らせない」はずの伊藤栄樹氏である。

著者が辞めたいきさつを書いた文藝春秋の記事にこうある。
「伊藤検事総長になってから、大きな事件はなにもやってないんですね。着手はするけれども、全部途中で挫折している。(略)平和相銀事件は政治家に行く前に終結宣言をしてしまったし、苅田町の公金横領じけんも代議士に触らずにやめてしまった。(略)三菱のCB(転換社債の乱発)事件も、強制捜査すらできずに終わった。これでは一線の検事たちに何もするなといっているのと同じですよ」

ええっ、伊藤栄樹氏の『人は死ねばゴミになる』というガン闘病記を読み、宗教観には賛成できないが、真面目に仕事をする人だなと好印象を持ったのに、とがっかり。

田中氏は
「検察は行政組織として国策のことも考えなければならない。しぜん、時の権力者と同じような発想をする。実際、検察エリートは国の政策に敏感だった。(略)そのときの国の体制を護持し、安定させることを専一に考える。だから、そもそも検察は、裁判所に較べると、はるかに抑止力が働く組織なのである。(略)時の権力と同じ発想で捜査を指揮するから、国益に反すると判断すれば内部で自制する」
と書いているわけで、伊藤氏は「悪い奴ほどよく眠る」ほうが国益になると考えたのだろうか。

それと、こんなことまで書いて田中氏は大丈夫なのだろうかと思ったが、だけど『反転』が出版され、ベストセラーになることで何かが変わるかというと、そんなことはないだろう。
そう考えると脱力感におそわれる。

 

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核兵器の怖さの認識を

2008年08月06日 | 日記

ある人から「広島 原爆と戦争展(2007年8月2日~7日)報告集」をもらう。
この中に、原爆と戦争展を見た外国人のアンケートが載っている。

「アメリカ人、19歳、女性、学生
目をさまされた思いがした。アメリカの学校では、こうした歴史が違ったように教えられている。(略)」
「アメリカ人、23歳、女性、教師
これまでの生涯を通じて、原爆は恐ろしいものだが、(広島、長崎への投下は)戦争を終わらせたので正しかったと教えられてきた。(略)」

アメリカでは学校教育で原爆投下を正当化しているわけだ。
これについてはそんなもんだろうなとは思ったが、次の答えには驚いた。
「オーストラリア人、31歳、男性、プログラマー
大変心に響いた。日本に焼夷弾が落とされたことは知っていたが、民間人が狙われたことは知らなかった。(略)」

プログラマーだから知識人なんだろうが、原爆と焼夷弾との違いを知らないのだろうか。
他の都市でも空襲によって大勢の民間人が殺されているのだが。

日本の主要都市が無差別爆撃されたことを知らないのは外国人だけではない。
「一番驚いたことは、日本全国に空襲があったということです。そんなことも知らず情けないと思いながらも、今日、みたことは、子どもたちに、必ず伝えたいと思っています。(略)
(京都市、28歳、小学校教員、女性)」

そりゃ京都は空襲を受けていないけれど。
これをどう考えたらいいのだろうか。
小中学校での平和教育をどうこうというレベルではないと思う。

田中優子氏がヘレン・カルディコット『狂気の核武装大国アメリカ』の書評にこういうことを書いている。
「北朝鮮脅威論のもとでアメリカが日本に核兵器生産の合法化を迫っていることや、ミサイル防衛システム共同開発のための覚え書きに調印済みであることを指摘している。この防衛システムの実態も恐ろしいものだ。「ミサイルを発射されても迎撃できるのだから大丈夫」などと思っているととんでもない。核兵器を積んだミサイルを発射直後あるいは大気圏再突入時に迎撃した場合は、約五〇キログラムのプルトニウムが人々の上に降り注ぐ。化学兵器が積まれていた場合は、それがばらまかれる。直下にいる人だけではない。風に乗って地球全体に拡がるのである。考えてみれば当たり前だが、現代の核戦争とは、いかに防衛手段があろうと一瞬で地球全体を巻き込むものなのである」

「今、もし世界のどこかに核爆弾が落とされたとしたらどうなるだろう。(略)生き残る人がいたとしても放射線に被曝し、疫病が蔓延し、太陽光線がおおはばに遮断されて低温に苦しみ、気温が回復してからはオゾン層の減少によって太陽光線が強烈になるのだ」

核兵器を使うことは自殺行為である。
原爆投下によって戦争の終結が早くなったとか、やられる前にやってしまえと言って核兵器の使用を肯定してたら、結局は自らも滅びるということをわかっていない人が多い。
原爆展などによって核兵器の怖さを肌で感じることが大切だと思う。
でないと、過ちは繰返すことになる。

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保岡法相:「終身刑は日本文化になじまぬ」

2008年08月03日 | 死刑

保岡法相:「終身刑は日本文化になじまぬ」
保岡興治法相は2日の初閣議後の記者会見で終身刑の創設について、「希望のない残酷な刑は日本の文化になじまない」と否定的な考えを示した。
法相は「真っ暗なトンネルをただ歩いていけというような刑はあり得ない。世界的に一般的でない」と述べた上で、「日本は恥の文化を基礎として、潔く死をもって償うことを多くの国民が支持している」と死刑制度維持の理由を述べた。
終身刑を巡っては、超党派の国会議員でつくる「量刑制度を考える超党派の会」が5月、死刑と無期懲役刑のギャップを埋める刑として導入を目指すことを確認している。
保岡法相は00年7~12月の第2次森内閣でも法相を務め、在任中の死刑執行は3人だった。
(毎日新聞8月2日)

仮釈放がない終身刑は「希望のない残酷な刑」だと私も思う。
だから、まるっきり刑務所から出られなくするのではなく、仮釈放が認められる年数を現行の10年に加えて、たとえば25年とか30年というふうにしたらいいと思う。

では、死刑は「希望のない残酷な刑」なのかどうか。
保岡法相としては、死刑は希望があるし、残酷でもないから、日本の文化になじむということだと思う。
でも、死刑囚にどういう希望があるのだろうか。

死刑が残酷かどうかは人それぞれの考えだが、元無期懲役囚死刑囚世話係の合田士郎『そして、死刑は執行された』にこういうことが書かれてある。
「ある暴行殺人犯のときなど、処刑のロープが顎にずれなかなか絞首されなかったと見えて、首筋から顎にかけて火傷のようにただれ、顔は常人の倍とも思えるほどにむくみ、どす黒くぶよつき、体には所々黒い斑点が浮かんでいた」

「雅樹ちゃん誘拐事件の本山茂久は処刑のとき、完全に気が狂って舎房の鉄格子にしがみつき、特警にかみつき、暴れ、吠えまくり、ロープに吊されても、あがき、もだえ、ついに主ロープが切れ、補助ロープでかろうじて処刑された。顔は醜くふくらみ、目はバセドー氏病のごとく飛び出し、白目が今にもこぼれんばかりに噴き出て、首筋から顎にかけてはざくろのようにただれ、舌がこんなにも長いものかと思うほど、口から血にまみれて長く長く垂れ下がっていた」

「三つのスイッチが押されると同時に、処刑台の床がバタンと二つに割れ、死刑囚はガクンと首を吊られる。「うーっ、うーっ」と、地の底から絞り出すようなうめき声が響き、ギーギーと滑車がきしむ。
うーっうーっ、ギーギー
この声、この音が、いつまでたっても耳朶にこびり付き、悪夢にうなされ「やめてくれー、やめてくれー」と、こっちまで気が狂いそうになる」
こういう残酷な刑罰は「日本の文化になじまない」と思う。

次に、「真っ暗なトンネルをただ歩いていけというような刑はあり得ない。世界的に一般的でない」ということ。
ウィキペディアの「無期刑」の項を見ると、
「EU諸国は死刑制度を廃止しているが、仮釈放なしの終身刑制度(絶対的終身刑)が残っているのはイギリスなど少数である」
「ヨーロッパにおいては、最高刑を有期刑とする国もあり」

ということだから、保岡法相の言うとおりである。
死刑廃止も「世界的に一般的」なのだが、そこはどうなのだろうか。

そして、「日本は恥の文化を基礎として、潔く死をもって償うことを多くの国民が支持している」ということ。
「恥の文化」とはどういう意味なのか、ネットで調べてみるといろんな定義がなされている。
世間の目を気にし、世間に対して恥ずかしいことはしてはいけないということが倫理の基準になっている文化、ということじゃないかと思うが、保岡法相はどういう意味で言ったのだろうか。
それはともかく、「潔く死をもって償う」ことを肯定しているのだったら、死刑囚が自殺することを黙認してもいいのにと思う。
ベルトの着用を許可するとか。
そのほうが刑務官や死刑囚の世話係も助かるのではないかと思う。

     
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