三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

中井洋介さん「重度障害者として地域の中で生きるということ」

2008年07月31日 | 日記

中井洋介さんの「重度障害者として地域の中で生きるということ」です。

障害者の子どもを殺したり、介護疲れで親や連れ合いを殺すという事件がある。
しかし、重度障害者の中には24時間の介助を受けることによって自立生活をしている人もある。
介護疲れや将来を悲観して殺してしまう人たちは、おそらく24時間介助の制度があることを知らないか、行政が24時間介助を認めなかったかだろう。
今はいろんな支援制度があるんだということを広く知らせていくこと、行政も杓子定規の扱いをしないこと、そうしたことによって家族を殺すという悲劇が減っていくのではないかと思う。

    
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『とりかえばや物語』

2008年07月28日 | 

長尾真氏が『「わかる」とは何か』に、
「今日の教育の荒廃は」「日本古来の文化・伝統、あるいは道徳観や地域社会のもっていた価値観を全面的に否定し、それを無視し、教育のなかからこれらすべてをほとんど排除してしまったところにあるといってもよいだろう」
そして
「日本には、ニュートンやシェークスピアとあまりちがわない時代に関孝和というすぐれた数学者や、近松門左衛門というシェイクスピアにも比すべき劇作家がいたのである。そういった人たちの業績や作品については、今日の教育の場ではまったくといってよいほどあつかわれていないし、ほとんどの人の知らない、関係のない話となってしまっている」
と書いてる。

だが、近松と言えば心中物である。
『曽根崎心中』『心中天の網島』などは遊女との心中である。
教育の場でどういうふうに紹介するか、かなり難しいと思う。

『源氏物語』は光源氏という男のセックス遍歴を描いた好色一代男の物語である。
かわいい女の子を見て、誘拐、監禁し、成長すると妻(紫の上)にするなんてひどい話である。
おまけに紫の上は光源氏の浮気に悩み、世をはかなんで出家を願うが、光源氏は出家させない。
光源氏の不倫の子供が天皇になり、光源氏自身も寝取られてしまうとか、平安時代はフリーセックス(この言葉、年を感じます)だったのかと思ってしまう。

丸谷才一・鹿島茂・三浦雅士『文学全集を立ちあげる』『とりかへばや物語』がずいぶん評価されていたので読んでみる。(もちろん現代語訳)
感想は王朝ポルノ。
「日本古来の文化・伝統、あるいは道徳観」のイメージがくつがえると思う。

「少年少女古典文学館」『とりかへばや物語』で田辺聖子氏がどう訳しているかと思って読む。
これはかなりの意訳である。
田辺聖子氏はあとがきにこういうことを書いている。
「戦前は『とりかえばや物語』を読むことはできなかった」
「軍国主義のさかんな時代なので、こういう退廃的な物語には、人々は拒否反応をおこしたであろう」

そして、津本信博氏の解説にはこうある。
「この作品は性的描写にかなりの露骨さがめだち、また生理的記述にもリアリティが感じられるところから、一般的に、なにやら退廃的文学として受けとられている傾向が見られます」

『とりかえばや物語』には、同性愛的異性愛とか人妻の不倫・妊娠とか、まあそんなことの目白押しでして、津本信博氏が
「(院政期における)文化の特性として、好色性、耽美性、怪奇性があげられます」
と書いていることに、なるほどねと思った。

男は自分勝手で、いろんな女に手を出しては子供を作る。
女はそんな男を頼り、男の訪れをただ待っているだけ。
これが10代なんだから、今なら不純異性交遊。
女主人公はそういう女のあり方を嘆くが、最終的には天皇の寵愛を受け、子供を産んでめでたし。

田辺聖子氏は
「(女主人公は)ふたたび男すがたにもどろうとはしないが、男の支配をうけたくないと思う。そのためには産んだ子どもさえすててゆく。さすがに情愛にひかれて苦しむものの、世間が期待する母性愛―子の愛にひかれて苦境にたえ、母として生きる―人生を、彼女は徹底的に否定するのである」
と言っているが、その意味では『とりかえばや物語』はかなり現代的である。

氷室冴子『ざ・ちぇんじ!―新釈とりかえばや物語』は『クララ白書』みたいに健全で、これなら中学生の娘にも読ませたい。
男装の主人公が妊娠したり、男に戻ったらあっという間に4人の女性に子どもを作ったりというところは省略されていますので。

ちなみに西鶴だが、私が高校の時の古文の教科書には、『好色一代男』ではなく『日本永代蔵』の「世界の借家大将」が載っていた。
借家に住みながら、一代で財を築いた男のケチ話である。
初ナスの話は今でも覚えているから、昔は記憶がよかったなあと嘆き節。
大阪商人のドケチ価値観は山崎豊子氏らの小説に受け継がれていると思う。

    
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イ・チャンドン『シークレット・サンシャイン』

2008年07月25日 | 映画

イ・チャンドン『シークレット・サンシャイン』は、子供が誘拐されて殺された母親の物語である。
キリスト教の教会(これがかなり怪しそう)に行くようになり、心の落ち着きを取り戻す。
そうして、加害者を赦したことを本人に伝えるために、主人公は刑務所に面会に行く。
ところが、男は刑務所でキリスト教を信仰するようになったと言い、そうしてにこやかな顔で「神の赦しを得た」と言うのである。
「祈りとともに目覚め、祈りとともに眠る」と、男が心の平安を語るのを聞いた主人公は壊れてしまう。

「赦した」と男に伝えたら、男は感激し、感謝するだろうと主人公は楽しみにしていたと思う。
そのことが主人公の喜びともなり、救いとなるはずだった。
ところが、男の満ち足りた顔を見て、主人公は男を、そして神を許せなくなったのではないだろうか。
神は私に無断でどうして赦したのか、私が苦しんでいた時に男は神の赦しを得てのほほんと暮らしていた、という怒り。

主人公は、自分が苦しんだように、男も苦しみ悩んでいてほしかったんだろうと思う。
ところがけろっとした顔をしている。
この表情が不気味である。
罪の意識、恥じる気持ちがない。

たまたま宮城『正信念仏偈講義』を読んでいたら、こういうことが書かれてあった。
「親鸞聖人にあっては、償い切れるような罪は罪というに値しないとおっしゃるのでしょう」
「罪業というのは、死んでおわびをするというようなものではない。死によっても終わらないものです」
「死んだらそれで帳消しにしてもらえるというようなものではないのです。死んで罪を償うというのですけれども、仏教の智慧からいえば、死んで償えるようなものは罪というに値しないのでしょう」

『シークレット・サンシャイン』で言えば、神に赦されたからといって、自分のしたことが帳消しになるわけではない。
それどころか、神に赦されたことによって、よりいっそう罪の重さを知ることになり、自分の行為を恥じることになるはずである。
安易な心の平安などあり得ない。

そして、宮城先生はこう言う。
「自らの在り方を深く悲歎するという心だけが人間としての心を回復していくのです」
悲歎とは慚愧、すなわち恥じることである。
「慚愧というものの深さを親鸞聖人は悲歎ということばで述べておられるわけですが、その自らの在り方を深く悲しむという心がないとき人間関係が失われるのです」

男は恥じていないし、悲しんでいない。
恬淡としているというか、自己満足の世界に浸っている。
宮城先生は
「他の存在とのかかわりのほかに自己というものはない。他の存在とのかかわりを断ち切るときには、人は自己であることを失うのです。自己であることを失うということは、ただその人だけの観念の世界に、つまり自己満足の世界に閉じこもる。そういう自己満足の中に閉じこもって、他の存在に心を開かないのが、実は驕慢なのです」
と言われているが、まさにぴったり、あの表情は驕慢さを表しているわけだ。

で、『シークレット・サンシャイン』に出てくる教会だが、キリスト教福音主義らしい。
神様がとにかく救ってくださるんだからありがたい、と感情をむき出しにして喜ぶ人たちを見ていると、カルトとはこういう感じなのかと思った。
すべては神様のお心なんだ、最終的には何もかもうまくいくんだ、というところには悲歎や慚愧はない。

宗教の意味を『明解国語辞典』で調べると、「神・仏などの超人的・絶対的なものを思慕・崇拝・信仰して、それによってなぐさめ・安心・幸福を得ようとする機能」とある。
悲嘆や慚愧がないわけで、ちょっと違うように思う。

   
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自信喪失と社会運動

2008年07月22日 | 仏教

真宗大谷派の参務が、社会問題をやっているのは劣等感からだ、と発言したと聞いた。
こういう発言らしい。
2006年度全国教区会正副議長会の内局懇談会における発言である。
「さきほど総長も触れられましたけれども、この宗門は、どこまでも、社会運動とかと平和運動とかをやる団体ではないので、それは各御縁によって、それぞれがやっていただければいいのであって、この宗門は、念仏者を生み出す、これが第一であり、これだけしかないのです。そういう念仏者を生み出す、輩出する宗門、これが宗門の運動であり、使命でありますから、そういう中で、どうも、世間でいろいろ動き回っているほうが、自信があって、やっているように見えると、これは、私に言わせれば、逆に言いますと、自信喪失の裏返しです。きちんと念仏申す人、浄土に立脚してもの事を見ていく、これは、往相回向の真義を得るということが欠落しているのではないかと私は思います。
 そういう人を生み出すのが宗門の歴史で、そこから、そういう娑婆の問題を見、娑婆といろいろな活動をしていく。それは人、人の御縁でしていけばいいのであって、宗門が鉢巻き締めて、わっさわっさとやって、反対とか賛成とか、そんな団体ではないのだと。そういう意味で、さきほど総長が言われたことを具現化するために、教学研究所長の人事もその一環としてあるとも、はっきりと私は申しあげていいのではないかなと思っております」

「社会運動とかと平和運動とかをやる」のは「自信喪失の裏返し」などと言われたら、平和運動やボランティア活動、あるいは障害者やホームレスの支援など、そうした活動を実際にやっている人は気分を害するだろうと思う。

某参務は、世間で動き回っている人は何について自信を喪失していると考えているのだろうか。
教団のあり方、教え、布教、自分自身などなど、いろいろあげられる。
それに対して、某参務は自信満々ということなのだろうか。

某参務の言っていることは『歎異抄』第4章の「慈悲に聖道・浄土のかわりめあり」の問題だと思う。
困っている人を見て何とかしたいと思っても、人を救いきることは難しく、行き詰まってしまうということは事実である。
だが、娑婆の問題よりも自分が救われることが先だと言えるかどうか。
目の前に苦しんでいる人がいても、何もしない(お念仏を称えなさいぐらいは言うかもしれないが)のか。
どうも、何もしないことの言いわけとして使われているように感じる。

暁烏敏『わが歎異抄』にこういうことが書いてある。
社会をよくする運動に取りかかりたいと言う青年に、暁烏敏はこう言う。
「君は社会状態をよくしたいと言うが、そういうことを言うておる君に、そういうことをやる資格があるか。君自身が社会を造っておる一人として、その社会を改めるというだけの高潔な自分であるかどうか、また改める力があるかどうか。考えて見給え」
そして、
「自分は社会を救うことも出来ぬ、自分自らを救うことも出来ぬ自分だということがわかって来る。だから、私はとにかく自分が助からねばならぬ、自分の歩んで行く道を教えてもらわねばならぬ。よそを見ておれない。先ず静かに自分に力を戴かねばならぬ。こういう点で私には念仏の道があるのである」
とさとしたと言うのだが、何かする前に「できない」と決めつけるのもどうかと思う。

では、念仏の道とはどういうことかというと、
「自分が助かるということが根本になるのです。自分が仏になるということは、そのまま衆生を済度することになるのです。だから、どんな結構な慈善事業よりも、先ず自分が仏になる道を行くこと、即ち完全円満なる人格を戴くということが一番大切なことになるのです。これがわかってみますと、他の人に対して一番にやらねばならぬことは、成仏の道をすすめることです。早く仏になりなさい、仏になる道を聞きなさいということを勧めるより外に慈悲の道はないのであります。物をやる、或いは心を直すというよりも、何はさておき、仏になる道を語ることです。仏になればみんなが助かるのです」

しかしなあ、とてもじゃないが「完全円満なる人格を戴く」とか「仏になる」とか、そういうところまで到達するのにはかなり困難であるし、時間もかかる。
自分が仏にならないかぎり何もできないというのでは、目の前におぼれている人がいるとして、完全に泳ぎをマスターするまでは救助してはいけないということになる。

そして、暁烏敏はこうも言っている。
「今日、世の中の欠陥を見て、その世の中を改造しようということを考えておる人がある。社会運動などする人もそれだし、政治運動をする人もそれです。しかしよく考えてみますと、自分の力じゃ駄目だ」
駄目だ駄目だと、どうも最初から自信を失っている。
この理屈だと、「社会運動とかと平和運動とか」できなくて自信を喪失した人が念仏者になるということにならないだろうか。

聖道の慈悲と浄土の慈悲ということ、これは二者のうちどちらかを選ばないといけないわけではなく、両方とも大切である。
「人はパンのみにて生きるにあらず」というが、しかしパンがなかったら生きてはいけない。
キリスト教の教団で、パンを与えるのは教団の仕事ではない、個人ですべきことだ、と言う教団があるだろうか。

某参務は「この宗門は、念仏者を生み出す、これが第一であり、これだけしかないのです」と言っているが、では念仏者とはどういう人なのか。
「私は念仏者です」と自分から言う人はいないだろうし、単なる理念上の存在というか、真宗的理想的空想的人物のような気がする。
それか、言われるままに懇志を納める人のことか。
案外とそれが正解かもしれない。

追記
某氏に「真宗大谷派名古屋教区教化センター センタージャーナル」をもらう。
それに大正時代の『真宗』に掲載された質疑応答がいくつか紹介されている。
その中にこういうQ&Aがある。

Q 真宗では、この世で理想の世界を実現させることは語られていないのに、何故、社会に対する働きかけをするのか?
A 浄土往生が目的だから娑婆世界はどうなったっていい。果たしてこのようなことが理論上からも実際上からも云えるでしょうか。「東京へ行くのが目的だから、途中の汽車はどうなったっていい」誰がこんなことを真面目に考えましょう。汽車は汽車です。東京ではありません。汽車の中に東京を実現することはできません。それだからとて、汽車が壊れようが、座席がなかろうがどうでもいいとは云えません。この土はこの土です、浄土ではありません。この土へ浄土を立てることは出来ません。だからとて、この世が血の海となってもいいとは、常識のあるものならば云えぬ筈です。

まことにもっともな返答である。
たとえば戦争や地球温暖化などなど、所詮人間の世界はそんなもんなんだと開き直っていいものかと思う。

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原田眞人『クライマーズ・ハイ』

2008年07月19日 | 映画

私はテレビをほとんど見ないのだが、パソコンをしている横で妻がテレビを見ているので、テレビドラマの声が耳に入る。
不思議に思うのは、登場人物がすぐに興奮して、怒ったりどなったりすることである。
テレビドラマの世界では、どうしていつも大きな声でしゃべってばかりいるのだろうか。
普通は他人に対してそんなに大声を出さないと思うのだが。
原田眞人『クライマーズ・ハイ』の予告編もそうで、とにかくけんか腰の会話ばかりなので見に行く気が失せてしまった。
たけど、「週刊文春」で品田雄吉氏が☆☆☆☆にしてたので見に行かざるをえない。

『クライマーズ・ハイ』は、1985年に起きた日航機墜落事故を報道する地方新聞の記者たちを描いた映画。
登場人物たちはみんな感情をむき出しである。
新聞への熱い思いと言えばかっこいいが。
私は会社に勤めたことがないからわからないが、編集局次長みたいに怒った口調か皮肉っぽい言い方しかしない人がいるのだろうか。
そんなのでよくやっていけるもんだと思う。
すぐに怒る、と妻や子供に言われている私がこんなことを言う資格はないのだけれども。

上司は部下をすぐにどなりつける、部下は大きな声を張り上げて自分の考えを主張する、つかみあいのケンカになる。
ヤクザ映画じゃあるまいしと白けてしまう。

日本の俳優は軍人とヤクザをやらせるとうまいと、どこかで読んだ記憶がある。
といっても下っ端である。
「日本の映画俳優は兵隊の役には適しているが、将軍など上層の軍人役を演じさせると安っぽくなりがちだ」と滋野辰彦という映画評論家が書いている。
こわもてが群がって、声高にどなる、そういう役は地で演じることができるということか。
『クライマーズ・ハイ』でも、販売局長は態度、しゃべり方などヤクザである。
販売局員たちが編集局に殴り込みをかけ、それを押し返すシーンはヤクザの出入りだし。

それと、父子の葛藤やロッククライミングのシーンは不要だと思う。
とはいえ、キネ旬のベストテンに入るのではないだろうか。

    
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『若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』

2008年07月16日 | 

連合赤軍のリンチ事件はどうして起きたのか、映画の公式ガイドブック『若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』に載っている「吉野雅邦からの手紙」を読み、少しわかる気がした。
吉野雅邦はまず、
「なぜ、早岐さん、向山氏らの殺害に至ったのか(なぜ、殺害報身を是認し、決意し、実行したのか)」
ということについて説明する。

寺岡恒一から「黒木と吉沢を殺ることになった。これは、われわれ三人でやらねばならない」と言われ、吉野雅邦は
「私は気持ちの整理がつかず、「ちょっと待ってくれ」と呼び止めました。
彼は振り向くと、「何だ、嫌ならいいんだ」と邪険に言い放つと、再び、小屋へと戻る姿勢を見せたので、私は慌てて、「嫌なんじゃない、すっきりしてやりたいだけだ」と縋るように言いました」

この前年に吉野雅邦は、準備していた救援集会が指導者から批判され、「自分が主体的に判断して行動すると、非組織的になってしまう、との思いに捉われ、判断を指導者に委ね、自分はひたすら任務に専念する」という意識を抱いたと言う。
寺岡恒一自身も女性指導者(永田洋子)から批判を受けたので、忠誠心を示そうとして殺害を引き受けざるをえなくなったのではないかと、推測している。

批判されたことによって萎縮してしまい、ちょっとしたことにも批判されるのではとおびえてしまう。
それで、批判されないことをまず第一に考えるようになり、疑問に思ったりおかしいと感じても、下手にそれを口にしたら批判されるのではと無意識に思ってしまい、口をふさいでしまう。
これは私にも経験がある。
そして、さらには媚びるようなことを言い、他の人を批判さえするようになる。

吉野雅邦が進藤隆三郎の腹部を殴った直後、
「指導者(森恒夫)は満足そうに私を見やり、「やっと、すっきりしたみたいだな」と褒め、合格点を下しました。加藤氏の時の「日和見」を克服し、総括姿勢あり、とみなされたのだ、私は思い安堵しました」
ところがそのあとすぐに進藤隆三郎は死んでしまう。
すると森恒夫は「腹を殴ったのがまずかったな、これからは腹はやめよう」と言う。
「私はそれを聞いて、ドキッとするとともに困惑しました。それでは、自分が殺してしまった、ということか、と思いつつも、そうして腹を懸命に殴ったことを、当の指導者は評価したではないか、という思いが錯綜したためです」
指導者の言動に一喜一憂し、そしてほめられようとして先走った行動をとる。
寺岡恒一や大槻節子が自分から総括したのもそのためかもしれない。

指導者が思いやりのある優しい人物なら、批判におびえ、ちょっとしたことに一喜一憂し、言いなりになることはない。
ところが、意識的かどうかは別にして、気まぐれで、いつ怒りを爆発させるかわからない指導者だからこそ、まわりの者は自己規制してしまうのである。

こうして、指導者の一言一句に振りまわされ、命令されればどんなことにも率先して従うようになるのだと思う。
飼い犬根性とでも言うべき状態なのだが、自分ではそういう状態に陥っていることになかなか気づかない。
これはオウム真理教も似た状況にあったのではないかと思うし、会社や家庭、知り合いとの関係でも決して珍しくないと思う。

森恒夫や永田洋子の言っていることは難解で、何を言っているかわからない。
これも重要なポイントである。
理解できないことについて間違いを指摘できないのだから。

赤軍派と革命左派の理論はまるっきり違っていたそうだが、どこがどう違うのかさっぱりわからない私に難解だと言う資格はないのだが、坂口弘ですら『あさま山荘1972』の中で、森恒夫の共産主義化論は難しいと書いているし、『実録・連合赤軍』で小嶋和子は「森さんたちの言ってることはわからない」と言っている。

共産主義化論とは個人が共産主義化することらしい。
「一人ひとりの意識や思想をより高めてゆけば組織が強化され、その結果、銃撃戦で警察に対峙できる、という論理である」
「相互批判―自己批判は自然発生的な共産主義化であり、それを目的意識的なものに高め、共産主義化の観点から個々人の革命運動への関わり方を問題にしなければならない」
「連合赤軍の兵士一人ひとりが「共産主義化」しなければ、「銃による殲滅戦」は勝ちとれない、と。そのため、個人の闘争への関わり方が問われる」

ところが、「その意識や思想をどう評価するかは、森や永田の極めて恣意的な判断に基づいていた」ので、どうして総括要求されるのか、どうしたらいいのか、誰にもわからない
つまりは森恒夫が、こいつは共産主義化していないと思えば共産主義化していないわけで、暴力によって共産主義化を助けなければならないことになるらしい。

これは一種の精神論ではないか。
連合赤軍の兵士だった植垣康博はこう書いている。
「自滅という事態に至ってしまったのは、私たちが武装闘争を通してより大きな問題にぶつかりながら、それを解決できる方向を見出せないまま、個々人の決意や精神力によって突破しようとしたからである」

普通に考えても、武装闘争で国家を倒せるとは思えない。
新左翼と日本とでは、日本とアメリカの物量の差以上のものがあるわけで、足りない部分は精神力でおぎなうしかないということになる。
で、アジトは「銃の訓練場所ではなく、革命意識を問われる精神修養の場になった」
そして、「総括要求は、〈同志的援助〉による〈指導としての殴打〉で示された」
一番最初に死んだ尾崎充男は敗北死とされてしまった。
根性がなかったということだろう。
旧軍隊の精神注入棒を笑えない。
だけど、精神論に対して理屈で反論はできない。
感情論だから、声の大きい者の勝ちになる。

『若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』に23人が特別寄稿している。
その中で、鈴木邦男一水会顧問の「闇へ飛び込む」が図抜けておもしろい。
「あの変革の時代、政治の季節が、連赤事件ひとつで吹っ飛んだ。そして無気力な「現代」になり、無気力な若者を量産した。僕らもそう思ってきた」
「だが、あの事件さえなかったら今も革命運動が燃え盛っていたのか。違うだろう。そんなに簡単に「総括」してはならない。自分たちの無能力、怠惰を棚に上げて、全てを連赤のせいにするな」
「敢えて言おう。この程度の「仲間殺し」は歴史上いくらでもあった。輝かしい明治維新の前夜は、長州、土佐、水戸藩などで「仲間殺し」が日常的だった。江戸時代も戦国時代も、源平の時代も「仲間殺し」の時代だ。日本そのものが「仲間殺し」国家だ。しかし僕らは、歴史として見、「そんなこともあるさ」と寛大に容認している。
連赤事件から36年。連赤はまだ客観的な〈歴史〉になってない。もう50年たったら〈歴史〉になる」
「今は「罪」しか言われない。〈歴史〉になるまで待つしかない」
「戦争だって同じ人間同士が殺し合う。巨大な「仲間殺し」だ。目に見えず、憎しみのない人間を、抽象物として殺し、殲滅する。しかし、国家がやるから正義、自衛となる。「仲間殺し」の殺人者は「愛国者」と称賛される。連赤はそれに比べたら、些細な事件だ」
普通の者はここまで言えないと思う。

若松孝二は、
「彼らは、死を覚悟してやったんだからね。そこが、似てる似てるといわれるオウムとの決定的な違いだと思うな」
と言ってるが、それは死生観の違いだと思う。
連合赤軍の人たちは死んだらどうなると考えていたのだろうか。

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鳩山法相の死生観

2008年07月13日 | 死刑

毎日新聞に「特集ワイド:死刑執行13人 鳩山法相の死生観」という、鳩山法相へのインタビュー記事が載っていた。
その中であれっと思った個所をいくつか。

「死刑廃止論はドライでかさかさした人たちの考え。人の命を奪ったんですよ。何人奪っても死刑がない、そんなドライな世の中に私は生きたくない」
と鳩山法相は言うが、どうして死刑廃止論者が「ドライでかさかさした」考えの持ち主になるのだろうか。
いつ執行されるかわからない死刑囚の恐怖、死刑囚の家族の思い、執行にたずさわり遺体の後始末をしなければならない刑務官の気持ち、そして遺族の悲痛etcを思いやる死刑廃止論者がウエットであり、「さっさと殺してしまえ」と言い切り、死刑になると忘れてしまう人こそがドライだと思う。

で、死刑を廃止したらどうして「ドライな世の中」になるのかということだが、
元秘書に解釈してもらう。「大臣の立ち位置は死刑囚でなく、遺族。遺族が死刑を望んでいるならその望みを断ち切ることはできない、という意味でウエットなんです」

人情家鳩山、というところだろうか。
死刑を望む遺族に立ち位置があるというのは忠臣蔵的心情である。
もっとも法相は執行のサインをするのだから観客ではなくて当事者だが。
だけど、毎度書くことだが、被害者のすべてが極刑を求めているわけではないし、中元勝義という人は無実を主張し再審請求をしていたのに執行されている。
この割り切り方はドライだという気がする。

遺族の望みということだが、全国犯罪被害者の会(あすの会)が朝日新聞社に出した再質問書にある、
「殺害犯人と同じ空気を吸っていると思うだけでも耐えられず、被害者の払う税金が死刑囚が生きていくための費用に使われていると考えるだけでも怒りがこみあげてくるのです」
といった
怒りや憎しみに共感しようとは思わない。
復讐の肯定につながるし、「社会を明るくする運動」の主旨とは違ってることを鳩山法相はどう考えるのだろう。

驚いたのがこのこと。
裁判員になって死刑判決にかかわるのは嫌だという理由で、裁判員になることを拒否できるのか。
答えは意外にもイエスだった。「それはなんとか認める方向に持っていこうとしている。どうしても苦痛が大きいのであれば配慮されるようになると思う」

つまり、死刑判決を出すのがいやだと言う人は裁判員にならなくてすむかもしれないわけだ。
死刑反対の人は裁判員に選ばれないという話だし、となると、裁判員になる人は死刑判決をためらわない人、死刑賛成の人ばかりになる。
おまけに被害者が裁判に参加するわけだから、裁判員制度が始まると、今以上に死刑ラッシュになるだろう。
死刑反対の人が裁判員になれないのだったら、死刑賛成の人も裁判員からはずすべきではないだろうか。

そりゃないな、と思ったのがこれ。
「不動明王は地獄に落ちた人を救うそうです。執行した後は不動明王にお参りしてます」という。大臣は、ひょっとして地獄に落ちるかも、と怖いのだろうか。
「失礼だな、私自身は地獄に落ちるとは全然思っていない。死刑囚は天国に行かず地獄に落ちるだろうから(死刑囚を)導いてくれ、ということだ」

そうか、死刑囚は地獄に落ちるのか。
反省しようが、改心しようが、とにかくダメということなのか。
地獄行きのハンコを押す法相は死に神と言われても仕方ないように思う。
人間は必ず死ぬのだし、急いで地獄に落とさなくてもいいのではないか。
それよりも、死ぬまでの間、少しでも善根を積ませるほうが功徳になると思うのだが。

     
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更生と更正

2008年07月10日 | 厳罰化

「社会を明るくする運動」のポスターをもらった。

おかえり。
人は、変わることができる。
そう信じることから
更生保護はスタートします。
あやまりをくり返すことのないように、
犯罪や非行からの立ち直りを
社会の一人ひとりが支えていく。
更生への希望は、
あなたの「おかえり」から生まれます。

これは誰が作ったのだろうか、いい文章だな、と思ってたら、ふと気づいた。
恥ずかしながら、今まで私は「更生」ではなく「更正」という字を使っていたのですよ。

「大辞泉」によると、
更正 改めて正しくすること。まちがいを直すこと。「登記事項の誤りを―する」
更生 1 生き返ること。よみがえること。蘇生。
2 精神的、社会的に、また物質的に立ち直ること。好ましくない生活態度が改まること

意味が全然違う。
前に「生き直し」という言葉を紹介したが、「更生」とはまさに生き直しである。
「死刑による更正」はあり得るかもしれないが、「死刑という更生」は言葉としてはおかしい。

「おかえり。」に文句を言う人は言うだろう。
犯罪者はそんな簡単に更生なんかしやしない、また人権派がアホなことを、と。
でも、「社会を明るくする運動」は法務省が主唱している。

子供が帰ってきたら「おかえり」と言いましょう、ということなら誰もがもっともだと思う。
だったら、少年院や刑務所から社会に帰ってきた人に「おかえり」と言ってもいいはずだ。

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矢貫隆『刑場に消ゆ 点訳死刑囚二宮邦彦の罪と罰』

2008年07月07日 | 死刑

二宮邦彦は昭和31年、銀行員を殺して金を奪い(二宮はその場にいあわせただけだと、冤罪を主張している)、昭和35年、強盗殺人で死刑が確定する。

二宮は芸備銀行の独身寮で被爆している。(独身寮があったのは私が住んでいる町)
妻の浮気、離婚、そして酒びたりの日々。
借金を抱えた二宮は会社の金を横領して逃げる。
ちょっとしたことから転落の人生を歩むはめになった二宮は、ついには死刑囚になってしまった。

当時の福岡拘置所では点訳を行う死刑囚が多かったらしく、二宮も昭和37年から昭和48年の執行までの11年間、点訳をしている。
点訳したのは全部で約1500冊(タイトル数ではなく点訳の冊数。300ページの文庫本なら5~7冊ぐらい)である。
月に約11冊と、二宮自身が
手紙に書いている。
二宮は点字タイプライターを使っていたというが、それにしてもものすごい数である。

点訳本は1冊、100ページから150ページである。
『刑場に消ゆ』には、手打ちだとどんなに頑張っても1日に20ページ程度、月に6冊か7冊が限度だろうと書いてあるが、腕や肩、そして指が痛くなって、とてもそんなにできるものではない。
点字タイプライターだと肉体的な負担はかなり減るし、手打ちの3倍のスピードだというが、それでも大変である。
長時間点訳していると、どうしてもミスが増えてくる。
ミスを直すのがかなり面倒なのである。
1字だけならそこを直せばいいのだが、そうは簡単にはいかない。
というのが、たとえば「か」は1マスだが「が」は2マスなので、1マスずつずれてしまうから、その行をすべて直さないといけない。
下手をすると、そこからあとを全部やり直さないといけないこともある。

二宮は製本を自分でしていたらしい。
点訳本の製本は針と糸で紙を縫い合わせる。
当時の拘置所では確定囚に針を貸与していたわけで、今だったら確定囚に針を貸与するなんてあり得ないと思う。
以前は、確定囚がチームを作って野球をしたように、確定囚が交流することもあったが、今はそういうことは全くなされていない。

死刑囚二宮と手紙のやりとりなどで関わりを持った人は20人を超えるという。
二宮は獄中で金に不自由していたのだから、家族や親戚とのつながりは断たれてしまっていただろう。
死刑囚を支援する人たち、そして点訳を通じて知り合った人たちが物心両面から支えていたのである。

二宮が約800冊の点訳書を送った近江兄弟社図書館の元館長は
「私たちは二宮さんの死刑が執行されるとは思っておりませんでした。後になって刑務官の青木さんという人が手紙をくれまして、自分らも二宮君は死刑にならないと思っていたので驚いたと書いてありました。それくらい安心しておりましたから、助命運動をするという発想もなかったわけです」
と言っている。

『復讐するは我にあり』のモデルとなった西口彰も点訳をしている。
死刑が確定した1年後から点訳を始め、二宮邦彦が点訳の指導をしたそうだ。
西口彰は荒々しい性格で、少しも反省の色を見せないと言われている。
その西口彰も点訳本を近江兄弟社図書館に送っており、近江兄弟社図書館からは点訳のお礼と一緒に下着などの生活必需品を差し入れていた。


冬物の下着への西口彰の礼状にはこうある。
「誰からも同情されてはならない悪人の私に迄、本当にどんな表現を以てしましてもこの心の中を表すことは出来ません。特に過去の足跡が汚いものだけに、こうして戴く皆様方の温かい厚情が身にしみて嬉しさが多いだけ反省させられる訳でございます」

「諦めを求めて今に悟らざる
 除夜の鐘待つ死刑囚吾が」

橋口亮輔『ぐるりのこと。』の公式HPにこういうことが書かれている。
「(橋口亮輔)自らがうつになり、闘った苦悩の日々。そこで彼は、日本社会が大きく変質したバブル崩壊後の90年代初頭に立ち返り、自らの人生と世界を重ね合わせ、「人はどうすれば希望を持てるのか?」を検証したと言う。彼が導き出した答えは、「希望は人と人との間にある」ということ」

関係の中で人は変わっていくのかもしれない。

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いじめ裁判原告の母「いじめ隠しのない学校になることを願って」

2008年07月04日 | 日記

いじめ裁判原告の母「いじめ隠しのない学校になることを願って」をテープ起こししました。

魚住直子『非・バランス』を読む。
小学校の時にいじめられて、中学生になったら友だちを作らないと決めた女の子の話。
どういういじめだったか、最後のほうになってわかるのだが、これはきつい。
最後、いじめた子の家に行くのだが、いじめた子の親は自分の子どもが何をしたのか知らないままなんだろうと思うと、何とも言えない気持になる。

                   
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